映画『エルミタージュ美術館 美を守る宮殿』 



 YCAMで、マージー・キンモス監督(→wiki:Margy_Kinmonth)の美術館広報映画『エルミタージュ美術館 美を守る宮殿』を観る。

 映画では、美術館関係者へのインタビューという形で、エカチェリーナ2世にさかのぼるエルミタージュ美術館(→wiki)の歴史が語られる。

 エカチェリーナ2世が買い集めた美術品の中には、出身地ドイツから持ち込んできたもの以外に、イギリスのロバート・ウォルポール(→wiki)の一部コレクションもあった。
 アレクサンドル1世(在位1801~25)時代の輝かしいナポレオン戦争での勝利とジョゼフィーヌ夫人から獲得したカノーヴァ(→wiki)のいくつかの彫刻(『三美神』など)、ラストレッリ(→wiki)設計による冬宮殿、ニコライ1世(在位1825~55)時代に建った新エルミタージュ(コレクションは一気に拡大され、一般公開が始まった)、そして、今年がちょうど100周年となるロシア10月革命の戦火(映っていた古いモノクロ映画はエイゼンシュタインの『10月』か?)等が語られる。



 ロシアは20世紀前半にアートの前衛化と政治の前衛化が世界で最も突き進んだ稀有な大国だ。純粋芸術運動の行きつく果てが、1915年の「0,10展」で公開されたマレーヴィチの『黒い正方形』(→wiki)。ロシア・アヴァンギャルドの研究者、大石雅彦は『現代思想』10月号の「特集 ロシア革命100年」での亀山郁夫との対談で、この「黒い正方形」とシガ・ヴェルトフの『カメラを持った男』は特別な存在と述べている。マレーヴィチはその後、デザイン運動に向かい、モノクロの抽象的デザインを施したティーポットやティーカップをつくり、革命後のロシアで「機能的ではない」とされた(今日ならむしろ受け入れられるかもしれない)。
 この時代、エルミタージュにいたアレクサンドル・ブノワ(→wiki)によって、レオナルド・ダ・ヴィンチの『ブノワの聖母』と『リッタの聖母』がもたらされた。

 1930年代~40年代前半は、エルミタージュにとって暗黒の時代だった。スターリンは、ピカソやマチスの絵画を「頽廃的」として展示を禁止した。ナチスの『頽廃芸術展』は有名だが、スターリンも同じくモダンアートを「頽廃的」とみなしたのだ。(※マチスの『ダンス』は2つあり、1909年のⅠはMOMAに、1910年制作のⅡがエルミタージュにある。マチスはほかに『音楽』や『赤い部屋』が映っていた)。また、スターリンは大事な収蔵品の一部をカーネギー・メロンに売却。さらに、美術館職員を45人以上、強制収容所送りにしたという。(余談だが、第二次世界大戦に至るスターリン政権の想像を絶する「所業」は、ティモシー・スナイダーの『ブラッドランド』や、今年の夏、少し話題になった米国フーバー大統領の『裏切られた自由』等にも示されている)。
 凄絶なのは、1941年9月~44年1月のレニングラード包囲戦(→wiki)。ロシアとドイツの密接な関係(*1)を考えると、なんとも痛ましい。革命によってロシア帝国(ロマノフ王朝)を引き継いだソビエト政権と、ハプスブルグ帝国とプロイセンの後継たらんとしたナチス政権。勢いに乗る二つの巨大なランドパワーが、真っ向からぶつかったのだ。
 独ソ戦の様子は、アレクセイ・ゲルマン監督の映画『戦争のない20日間』(→ブログ)や『道中の点検』(→ブログ)等に描かれているのを観た。
 美術品の収蔵品はウラル山脈(スヴェルドロフスク博物館?)に特別列車で運ばれるはずだったが、3台の列車のうち1台は引き返すこととなった。職員たちは飢えを凌ぐため、牛革のベルトを柔らかくなるまで茹でて齧り、猫まで食べたという。「猫はホント美味しかったわよ」と笑いながら話す老婆の言葉に、飢餓の凄まじさが表れている。
 ロシア軍はドイツが敗れると、戦利品としてベルリンの博物館からインド・コレクションを略奪した(そのため、長年公開されなかった)。

 1992年以降、館長を務めるのは、ミハイル・ピエトロフスキー(→wiki:Mikhail Piotrovsky)。彼の父は、64年~90年まで館長を務めたボリス・ピエトロフスキー。映画にときおり登場する幼い男の子は、実際、幼少期からエルミタージュに慣れ親しんだミハイル自身を表している。ただ、美術館では、ソ連崩壊に伴う混乱と貧富拡大に伴い、コレクションの高価な宝石類が数多く盗難に遭い、館長は責任を問われることとなった。

 現在に至って、「ニコライ2世以来のレニングラード出身権力者」と言われるプーチン大統領が登場。ドイツのメルケル首相を美術館に案内する映像が挿入される。エルミタージュはドイツとロシアをつなぐ架け橋だ、というメッセージか。

 コールハース(→ブログ)が、少しだけ登場する。モスクワのゴーリキー・パークにあるガレージ・ミュージアム(→wiki(英))を手掛けたが、エルミタージュでは「見せるための保存庫」を設計したらしい。

(*1)ヨーロッパの王家では、婚姻関係によって国を越えて交流を深めることがよくあったが、ツァーリたちの婚姻相手にはドイツ人が多く、ツァーリの側近にも数多くのドイツ人がいたため、しばしば「ドイツ人による支配」がロシア人貴族たちや民衆の間で問題視された。 
 ペテルスブルクを拓いたピョートル大帝(在位1682-1725)は晩年、ライプニッツの示唆もあって、科学アカデミー(→ wiki)を設立したが、ロシアには当時、アカデミーにふさわしい学者が存在しなかったため、創設時の学者たちの多くはドイツ語圏から招へいされた。また、プロイセン王フリードリヒ2世の熱烈な崇拝者ピョートル3世(在位1762年)は、皇后エカチェリーナとロシア人側近によるクーデターで殺された。(但し、歴史家エフゲニー・アニーシモフによると、18世紀のロシア政治は、ドイツ人の強い影響下にあったが、権力をコントロールする「ドイツ人の党派」的なものは、実際には存在しなかったという)。
 19世紀のニコライ1世の時代でも、沿バルト地方のドイツ人貴族たちがロシア官界に進出し、高官に占める「ドイツ的要素」の比率は30~50%に及んだ。余談だが、ニコライ1世はデカブリストの乱による「反省」から、反政府的な思想や活動を取り締まるために検閲法を発布。皇帝直属の秘密警察組織として「官房第3部」を創設し、初代長官を憲兵隊長ベンケンドルフ伯爵(→wiki)が務めた。ドストエフスキーは若い頃、「ペトラシェフスキー事件」に連座して死刑判決を受けた。
 以上、参考文献:『よみがえるロマノフ家』土肥恒之

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世界を旅する植物館 

世界を旅する植物館

 宇部のときわ公園(→ブログ)にある熱帯植物館がリニューアルしたというので、行ってみた。

 以前とは順路が逆になっている。最初は熱帯アジアゾーン。

 ↓はスマトラオオコンニャク(→wiki)。イモが40kg以上になると巨大な花が咲くという。現在14kgくらい。


 ↓はバット・フラワー(タッカ・インテグリフォリア→wiki:Tacca integrifolia)。ヤマノイモ科。
世界を旅する植物館

 滝水の向こうに透けてみえるのはパラボラッチョ。チームラボの「世界を旅する植物に住まう生き物たち」では見事にスクリーンの役割を果たしていた(→ブログ)。
世界を旅する植物館
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 ゴエプペルティア・バールマルキシー(Goeppertia burle-marxii)。エナメルのように光沢のある花が特徴的。舌を噛みそうな名前だが、ブラジル産のクズウコンの仲間らしい。
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↓写真の左上は、グラマトフィラム・スペキオサム(→wiki:Grammatophyllum speciosum)。株の大きさが世界最大のランで、ジャイアント・オーキッド、または花の黄地に茶色の斑点からターガー・オーキッドとも呼ばれる。右上はアセロラの花。実はビタミンC含ドリンクの材料として有名だが、花を見るのは初めて。 左下はハイビスカス・アーノッティアヌス。ハワイ・オアフ島に生育する野生のハイビスカス。右下はペクタベナリア、ウーズホワイトフェアリーズ(Pectabenaria Wow's White Fairies)。サギソウの仲間かと思ったが、そうでもないようだ。



 全体的に大きな目玉はパラボラッチョとバオバブか。サボテン・ゾーンとランのコーナーは、あまり変わり映えがしなかった。今後に期待しよう。

 中庭には背の高いイトスギが1本。ほかにもイチイやオリーブ、ジュラシック・ツリー等が植えてあった。
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