映画『ミューズ・アカデミー』 

YCAMでホセ・ルイス・ゲリン監督の映画『ミューズ・アカデミー』(2015/ヴィデオ)と『影の列車』(1997/スタンダード)を観る。

『ミューズ・アカデミー』は、バルセロナ大学文献学部の教室でピント教授と学生たちが繰り広げる人文系"白熱教室"の様子をベースにしている。

 『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる』という本があるように、世界的に進む大学教養教育の全面的見直しのなかで、これまで音楽大学という専門教育機関に抑え込まれていた「音楽」が大きく注目されている。ボブ・ディランのノーベル文学賞受賞に示されるように、それは文学のあり方が見直されているということでもある。また、音楽は感情教育や数学への入り口にもなりうる。
 ミュージック(音楽)の語源はギリシア語のムシケー、つまり学術・舞踊・文芸を司る詩神mousai――つまりミューズ――にまでさかのぼる。古代ギリシア時代には、詩と音楽と舞踊は切り離すことが困難だったのだ。

 映画の白熱教室では、ダンテにおけるベアトリーチェ、ペトラルカにおけるラウラのような、詩文学をインスパイアしたミューズをテーマに、ときに学生を誘惑し、挑発するかのようにメロディアスなスペイン語をあやつる男性主義的な教授と、それぞれの意見――多くは現代的フェミニズムに影響されている――を語り始める学生たちが描かれる。そして、次第に場所を変えて教授とひとりひとりの学生とのダイアローグが展開されていく。ときにはサルディニア島にまで足を伸ばして現地の羊飼いと交遊し、ピントの妻は、教授と学生の怪しい交遊に疑念をはさむ……。

 プロの俳優とは異なる学生たちの表情が美しい。周囲の景観が映り込むガラス越しの映像が特徴的。

「詩はオルフェウス以来、死者との対話だ」「結婚は経済活動」「天球の音楽」……日常から浮遊した詩をおびた言葉が、スペイン語やカタルーニャ語、イタリア語を交えた歌唱的な対話のなかで躍動する。

 映画『メッセージ』(→ブログ)で、言語学者の主人公ルイーズは、大学でポルトガル語の起源について講義を始めようとする。「それは中世ガリシア王国の時代に基盤ができました。そこでは言語は芸術表現とみなされていました」と話す。ポルトガル語もまた、フランス語やスペイン語、イタリア語と同じくロマンス諸語(→wiki)のひとつだ。

 教授の妻は、「恋愛の捏造は、詩がもたらした最大の害悪」と語るが、「ロマン」という言葉は、映画でも言及されるランスロットとグィネヴィアが登場する"円卓の騎士"伝説など、中世ロマンス語(オック語など)で書かれた冒険と恋愛に溢れた騎士物語に由来すると言われる。
 映画『メッセージ』では「言葉の魔法」が言葉少なく語られるが、この映画では言葉が氾濫する。しかし、饒舌が喧騒に聴こえないのは、それが歌のようだからであり、まさにそれが、ホセ・ルイス・ゲリンの魔法とも言える。

 
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映画『オールド・ドッグ』 

 福岡シネラの中国インディ映画特集で、ペマ・ツェテン(Pema Tseden)監督の『ティメー・クンデンを探して』(→ブログ)と『オールド・ドッグ』(老狗)をみる。

『オールド・ドッグ』は2011年の作品。こちらは日本語だけでなく中国語・英語の字幕も付いている。

 『ティメー・クンデンを探して』では特徴的な長回しが多かったが、本作はそれほどでもない。撮影はどちらも『陽に灼けた道』(2010)の監督でもあるソンタルジャ。両方ともデジタル撮影だが、本作では明るいレンズを使っているのか(?)、全体的に雰囲気が異なる。ときおりフォトショで明度を上げたときのようにやや白っぽくなることがあって、そこがちょっと、いかにもデジタル映像らしくて気になったが。

『ティメー……』では標高の高いチベット高原が舞台だったが、本作では(たぶん)青海省が舞台。大地に緑の草原が多い。

 主人公コンボの父親は牧羊を営んでいる。羊よりもオートバイを好むコンボは、父親が飼っている牧羊犬を内緒で街に売りに行く。従兄弟の警官ドルジェの助けもあって高額で売れるが、年老いた父親は、売却先のワンから犬を買い戻す。父親は遊びまわるコンボとその妻ルンツォの間に子供ができないことが気がかりで、二人に病院で調べた方が良いと勧める……。

 本作は、1990年代末頃から中国の富裕層の間でチベット犬(→wiki:チベタン・マスティフ)ブームが発生してブローカーが暗躍し、犬泥棒が横行するようになった世相を背景にしている。昔、チベットを旅行したときは、各地でチベット犬を数多く見かけたが、『ティメー……』では確かにチベット犬が全く映っていなかった。

 コンボの妻ルンツォは素朴な女性で、『ティメー……』に登場した若い女性と同じく従順でほとんど口を開かない。中国の都会でよく見かけるおしゃべりで活発な女性たちとは対照的だ。
 それはチベットの伝統社会における女性の立場を示している。映画に登場するテレビ映像は、著しい経済成長を遂げた中国の拝金主義を示す映像や声に満たされて、いわば中国の急激な近代化・都市化に対する批判となっているが、いっぽうで、チベットの伝統社会で抑圧される女性のあり方についても隠そうとしない。



 以前みたハーバード大学感覚民族誌学ラボの映画『Sweetgrass』(→ブログ)でも牧羊業の様子が描かれていたが、チベットであれアメリカ・モンタナ州であれ、伝統的な牧羊業には牧羊犬が欠かせない。牧羊犬は紀元前4300年頃のトルキスタンでも飼育されていたようで、羊たちの群れを誘導したり、羊泥棒や捕食動物から群れを守る役割を果たしている。チベット犬は父親にとってはずっと一緒に働いてきた愛すべき片腕であり、友であり、家族なのだ。金に代えられるものではない。

 中国社会が大きく変貌する時代、最後の場面で父親が下す決断はあまりに切ない。

 以前、ブログ(上海~青海省1987)に書いたように昔、青海省とチベットを旅行したことがある。下の写真の左端に映っている黒犬がチベット犬。
 狂犬病をもってると聞いたので、ラサで夜中に散歩する際に吠えたてられて、とてもコワかったのをおぼえている。
 チベット犬と羊