映画『エル』 



 福岡KBCシネマでポール・バーホーベン(79歳!)監督の映画『エル』(2016)をみる。

 概要はこちら(→wiki:エル)。

 宮台真司の本のタイトルが示す『正義から享楽へ』という社会的潮流なのだろうか。既存メディアに横溢するリベラルの「政治的正しさ」が多くの人の心のレッドラインを超えた挙句にトランプ大統領の就任を招いてしまったという認識からの反省(またはガス抜き?)が、映画に描かれることが増えてきたような気がする。以下、ネタバレ含む。

 冒頭、覆面姿の侵入者にレイプされた主人公ミシェルは冷静に振舞い、警察に届けない。最初それは、自分の父親が38年前に起こした大量殺人に対する、個人的な恨みかもしくは歪んだ「正義感」の暴走に由来する犯行に違いないとする臆断から生じる「贖罪感による自己犠牲」の念を強く内面化したせいだろうかと想像してしまった。ところが、映画が進むにつれて、そうした想像そのものが、ある種のバイアスであることに気づかされる。
 主人公は、親友がついポロリと口にしてしまう意識下のホンネ、つまり、「子どもは親の罪業に対し、全責任を負う必要はないとしても、いくばくかは贖罪感を感じてしかるべき」という感じ方に対し、敏感に反応して反論する。

 大量殺人犯の娘という立場は「世間(=観客)」にどう映るだろうか。最初は「可哀そう」の一言かもしれない。しかし、時が流れ、彼女が美しく逞しく成長し、アダルト・ゲームの企業の経営権を賢く(狡猾に、ともとれる)掌握して裕福になり、開発中の、モンスターが女性を襲うゲームに対して「もっとエクスタシーを感じさせるように」と、臆面もなく指示するようになったとき、どのように変化するか。



 バーホーベン監督の映画は、普通の人が意識せずに備える内面化した「政治的正しさ」を逆撫でする。『氷の微笑』(1992)しかり、『ショーガール』(1995)しかり、『ブラックブック』(2006)しかり。

 主人公の息子は、性的に奔放だが彼にはキツいガールフレンドと婚約するが、生まれてきた赤子の肌の色が二人とは異なることに気づいても平然としている、というのがなんとも^^;。

 父親の大量殺人のきっかけが、敬虔なカトリックだった父親の善意の押し付け(近所の子どもたちの額に十字を切る)に対する親たちの抗議だったというのも、重要なポイントだ。
 途中でレイプ犯だとわかる隣人のパトリキは銀行員で、その妻レベッカも父親同様に、敬虔なカトリック教徒だ。映画『スポットライト』(→ブログ)で見たように、性的禁忌や抑圧を生み出すカトリック教会は、大きな問題を孕んでいる。そして、『スポットライト』がアカデミー賞を受賞したところで、カトリック教会の問題が完全に解決したわけではない。
 パトリキ(つまりパトリック)の名は、アイルランドの聖人パトリキウス(→wiki)に由来する。レベッカは旧約聖書に登場するイサクの妻、ヤコブとエサウの母親の名前として登場し、「魅惑」とともに「束縛」という意味を表す。主人公ミシェルは言うまでもなく大天使ミカエル。カトリックでは人間の魂を秤に掛ける死の天使だが、タルムードでは「誰が神のようになれようか」となる。息子のヴァンサン(ヴィンセント)はラテン語の「征服者」、うーん…まあ、登場人物の名前にどこまで意味を込めているのかは定かでない。

 人の欲望は過度の「抑圧」によって暴走する。それはカトリックの抑圧だけでなく、猛威を振るう現代的な「正義」や「政治的正しさ」にも言える、ということだろうか。バーホーベンは年の功もあって?、「ポリコレ」嫌いのラベリングを避けるためにいくつか予防線を張っているところが巧い。

 クローヴァーの『ユーラシアニズム』第13章によると、ゲンロン6に一部掲載されているアレクサンドル・ドゥーギン(→ブログ)の『第四の政治理論』はヨーロッパの「極右」の間で広く読まれた。「リベラリズムは、その個々の表明――政治的公正、寛容さ、ゲイの権利、多元文化主義など――において、かつてのソ連時代に資本主義が占めていた地位に取って代わった。新たな(とはいえ、明言されない)極右政治にとって、公に唾棄すべき言葉となったのだ」(p453)。

 昨日(24日)投票があったドイツ連邦議会選挙でも、新興の右派政党「ドイツのための選択肢」が第3党に躍進する勢いだと言われる。

 さてさて、そのうち「リベラルの行き過ぎ」も大嫌いだが「極右」的下品さにも耐えられない、という「フツーの人」を標榜する人びとが左右両翼の最も極端な1%に対してテロを実行、という映画が登場する、かな?

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旦過市場 

旦過市場

 カナガワ映画祭・フィルマゲドンⅢ(→ブログ)が開催された小倉昭和館は旦過市場のすぐ近くにある。

 この辺りに来たのは久しぶり。ひょっとすると、昭和館に『スポットライト』(→ブログ)を観に来て以来ではなかろうか。初公開時にみた映画や女性向け映画が続いたため、いつのまにか上映予定をチェックすることも少なくなり、ご無沙汰になってしまった。

 外観はこんな感じ。旦過市場の起源は、大正時代の初期、神獄川を昇る船が荷をあげ、商売を始めたことに始まると伝えられる。東南アジアでときおりみかける水上マーケットのようなものだったのかもしれない。 旦過市場

 午前9時半くらいなので、客足はこんな感じ。1955年前後に、戦後のヤミ市のようなバラックから現在のアーケード街も建て変わり、旦過商業協同組合や小倉中央市場協同組合が設立され、最盛期を迎えたという。
旦過市場

旦過市場

旦過市場

旦過市場

旦過市場

 裏路地に飲食店がひしめいている。時代的に車の利用は前提とされていないし、衣類・雑貨の店、薬局などは内部にないが、飲食店や映画館も隣接するという点では、ショッピングモールの原型と言えなくもない。
旦過市場

 「火鍋」が美味しくてたまに利用していた台湾料理の「大好ヤ」が閉店。紺屋町店の方は営業している。
旦過市場

旦過市場

 神獄川を隔てた向かい側の馬借は再開発が進んで、前回来たときには建設中だった高層住宅が完成し、それに伴って新しい飲食店などが開店していた。