アール・ブリュット・ジャポネ展 

 パリのモンマルトルの丘の麓に立つパリ市立アル・サン・ピエール美術館(Halle Saint Pierre)は、19世紀の市場を改築した建物で、現代アートを積極的に展示しているが、今年2010年3月には、日本のアウトサイダーアートを取り上げるアール・ブリュット・ジャポネ展(ART BRUT JAPONAIS)を開催するという。
 ニューズレターによると、本展は同館のマルティーヌ館長が2006年~08年にアール・ブリュット・コレクションでおこなわれた日本人作家12人によるアール・ブリュット展を観て感動し、滋賀のボーダレス・アートミュージアムNO-MAに話を持ちかけて企画されたものらしい。マルティーヌ館長自身が選定して全国から集まった約1000点(!)の作品が海を渡るという。以前からお気に入りの“文字系”喜舎場盛也もその中に含まれている。
 ニューズレターに紹介された例の中で注目したのは、同じく“文字系”の松田僚馬や人の脚が異常増殖したような 万里絵の作品。沖縄市近郊にあるという城間盛栄の空き缶に埋め尽くされた家(こちらのサイトに詳しい)も興味深い。
 この展示会に先立って、2月5日(金)~2月7日(日)に、滋賀県の大津プリンスホテルのコンベンションホールでアウトサイダーアート展~パリ展に行く作家達~が開かれる。蘇振明による台湾のアウトサイダーアートの現状に関する特別講演や、はたよしこによるレクチャー(日本のアウトサイダーアートの現状とパリ展、田島征三と奈良美智の対談なども行われる模様。詳細はこちらのサイトをご覧ください。

 NOMAギャラリーのある近江坂本はもはや日本のアール・ブリュットの「首都」、琵琶湖をル・マン湖に見立ててその南岸に位置する「日本のローザンヌ」と言ってのけても、決して誇張ではないだろう。

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アロイーズの飛翔 

 アロイーズは哀しい。娘の意思を尊重しない粗野で暴力的な父親のもとで育ち、オペラ歌手になる夢を奪われ、生涯一度かぎりの恋人とも無理やり引き離された。アウトサイダー・アートと通底するオブセッショナルな作風で今や世界的な美術家として名高い草間彌生も、少女期には気性が猛烈に激しく高圧的な母親との精神的闘争があったというが、アロイーズもまた、他者の想像を寄せつけぬ父親との激しい確執があったに違いない。

 小学校教師をこころざしたアロイーズは1911年に故郷ローザンヌを離れてライプツィヒ、ベルリン、ポツダムへと移り住み、いつしか皇帝ヴィルヘルム2世と出会う機会を得て、彼に激しい恋情を抱く。2年後、家族のもとに戻ったアロイーズは、彼のことを忘れようとして宗教や平和運動に身を投じるが、極度の興奮を頻発し、セリー精神病院に収容される。妄想観念や言語活動の解離などから早発性痴呆と診断された彼女は、普段は自閉的でありながら突発的な暴力衝動にたびたび見舞われ、その後、症状は安定したものの、自らの心の世界に閉じこもり、独り言を繰り返す日々を送った。文章やデッサンを開始するのは20年代からだ。彼女の集中力は凄まじいもので、「躊躇も修正もなく、迅速で、また無我夢中」(『不実なる鏡』)になって描いたという。彼女の作品はほとんど廃棄されたが、36年以降、セリー医院の院長となったハンス・ステック教授やジャクリーヌ・ポレ・ファレル博士(現・スイス・アロイーズ財団の会長)が彼女の作品に注目し、画材の提供と作品の保存を開始した。

 ミシェル・フーコーは『言葉と物』で、「《類比》のなかに《疎外》された人間」「〈同一者〉と〈他者〉との錯乱した使い手」となった狂人と呼ばれる人びとについて記述しているが、アロイーズも、あるときはクレオパトラ、あるときはマリー・アントワネット、あるときはエリザベス女王、あるときはナポレオンとなって、歴史的な大恋愛を心中に繰り広げ、それらを文章やデッサンの形で大量に表現し続けた。社会や両親から否定された彼女は、「彼女を否定した社会を、絵画を利用して否定しようとしたのである」(『不実なる鏡』)。



 『不実なる鏡』の著者、ミシェル・テヴォーはジャック・ラカンを援用し、アロイーズの絵画を、鏡像段階における自己同一性の脅威を退けた彼女の鏡の代替物として捉える。それは「前向きの逃走」であり、鏡の奥行き―つまり「光学的な反射性が有する共犯的対称性」―を塗り込める行為である。アロイーズは妄想を外在化させるとともに、想像的分身を次々に変えて無軌道な同一化をたえず繰り返すことで同一化への順応に抗った。
 ファレル医師によるとアロイーズには錬金術の素養はなかったそうだが、彼女の絵画には明らかに「変容」や「注入」「受肉」「変質」といった錬金術の生成原理、フーコーのいう古典主義時代より前に遡る《記号》と《類似》が和合していた時代、アナロジーと共感が考えることの大部分を占めていた時代の魔術的思考が見られるという。テヴォーは、彼女が次々と歴史的人物に同一化していくという鏡からの逃走の軌跡について、高度に啓示的なものとなる可能性を認めようとする。

 テヴォーはジャン・デュビュッフェがアロイーズの死に際してファレル医師に送った手紙の一文を引く。
「彼女はまったく狂人ではない。少なくとも皆が思っているほど狂ってはいない。彼女は狂人を装っていた。すっかりまえから彼女の病は治っていたのである。彼女は自ら自分を治癒したのだが、その療法とは、病と闘うことをやめることではなく逆に、病を育み、利用し、それに驚嘆を感じることで病を情熱的な生き甲斐とすることであった」
 そしてそれをジル・ドゥルーズが文学について語ったテクスト「…作家そのものは病気でなく、むしろ医者である。自分自身と世界とを治療する医者なのである。世界はさまざまな徴候の集合体であり、その病は人間と一体化する。そのとき文学は、健康の企てとして現れてくるようになる」(clitique et clinique,1993)に対置する。

 これらの言葉は私に草間彌生が自分のアートを自己療法と見なしていたことを想起させる。草間の自伝『無限の網』には、次のような1文がある。「そうした思春期における救いようのない暗黒との心の傷痕よりおびきよせられた精神と神経の病巣からくるものーそれこそが私が芸術をつくり続ける根本的な原因なのである」
 彼女は幼い頃から時折襲い掛かってくる幻覚や極度の不安と闘っていた。離人症と診断されたこともある。「しばしばこれらの得体の知れない魂の背後に見え隠れする不気味なものは、怨念にも似た執拗さをもって私を強迫的に追いかけ回し、長年の間、私を半狂乱の境地におとしいれることになった。これらから逃れうる唯一の方法は、紙の上に鉛筆や絵具で視覚的に再現したり、思い出しては描きとめ、コントロールすることだった」(同書)。彼女は西丸四方医師に「少しでも早くお母さんから離れなさい」と勧められて渡米する。そして、襲い掛かってくる幻覚や恐怖の対象(男根、人工的食物の代表たるマカロニ)のイメージを、打ち消すのでなくむしろそれを大量に増殖させることで恐怖を克服するという《自己療法》でもってサイコソマティック・アートと彼女が名づけたスタイルを構築し、美術的な成功を収める。ソフト・スカルプチュアによるファルスの増殖やマカロニ彫刻などがそれである。

 アロイーズと草間弥生の類似点についてことさらに言及するつもりはない。ただ、共通して言えるのは、彼女たちの表現活動は《症状》などではなく、《自己療法》であり、つまりは健康の企てだということである。(まあ、例えば「発熱」という症状自身が体温の上昇による免疫系の活性化だそうだから、症状そのものが健康の企てなのかもしれないが。)

   なお、2月3日~3月29日に滋賀県近江八幡市にあるボーダレス・ミュージアムNO-MAで、アロイーズ展が開かれる予定だ。
 2月7日(土)には、ファレル博士の記念講演及び本展のアートディレクター・工藤和彦氏、宗教学者・正木晃とのトークショーがあるという。

滋賀近代美術館でアール・ブリュット展 

 滋賀近代美術館では10月25日から11月30日にかけて、『アール・ブリュット-パリ、abcdコレクションより』を開催する。
 abcd((art brut connaissance & diffusion)は、アウトサイダー・アート作家のドキュメンタリー映画の監督ブリュノ・ドシャルムが1999年に設立した非営利団体で、アール・ブリュットの研究と普及を目的としており、パリ近郊のモントイユにギャラリーをもっている。今回はコレクションから代表的な約60作家、約130点を展示する。
 ちなみにドシャルムはフランス人なので、英語帝国主義への抵抗という意味もあってか、アウトサイダー・アートという名称を決して使わない。芸術新潮2005年11月号で日本におけるアウトサイダー・アートの紹介者である小出由紀子氏と対談しているので、関心のある方は読んでから美術館に足を運んでも良いだろう。