『B級ノワール論』~リチャード・フライシャーメモ 

 吉田広明の『B級ノワール論』を読む。

 読んだ理由は、アリ・フォルマンの映画、『コングレス未来会議』でオマージュされていたマックス・フライシャーの息子、リチャード・フライシャー(→wiki)について書いてあったため。彼が小学生の頃?みて非常にインパクトを受けた映画『ソイレント・グリーン』の監督だと知ったのは、わりと近年のことだったりする^^;。

 昭和40年代はまだ、今のように昼間のテレビ番組の機能が、もっぱら知名度に欠ける大量のタレントたちに出演機会を与えることでなかった時代で、TV独自のコンテンツが少なかったこともあり、昼間も夜もよく洋画を放映していたような気がする。たぶんこれが後に、大量のアニオタ・アイドルオタ、ゲームオタを発生させる以前に、実写映画オタを数多く産み出した大きな要因に違いない)。幼少期からテレビに親しみ、なんとなく視聴しているうちに洋画の魅力に引き込まれた者たちは、少なくないだろう。

 リチャード・フライシャー(以下、RF)は、フライシャー兄弟の次男、マックスの長男(10歳上に姉がいる)として1916年に誕生した。7歳のとき、父親に連れていかれた映画館で観たロベルト・ヴィーネの『カリガリ博士』に魅入られたという。初めて見た芝居がチャペック『RUR』という時代だ。

 精神科医になるか演劇の道に進むかで迷ったあげく、イエールの専門大学院で演劇を専攻、ノエル・カワード(→wiki)の『生活の設計』(ルビッチが映画化)などブールヴァール劇を上演。RKOのタレントスカウトに誘われ、映画業界へ。42年~44年まで、当時RKOの傘下にあった、ニューヨークのニュース映画製作会社、パテ・ニュース(叔父デイブの昔の職場)。
 当時のRKO社長、ジョージ・シェーファーは、オーソン・ウェルズの『市民ケーン』(41)をめぐる新聞王ハーストとの確執や『偉大なるアンバーソン家の人々』(42)の興行的失敗等により、「天才より娯楽」を旗印に、スター中心の低予算映画に注力していた。
 RFも『市民ケーン』の影響を受けたが、レオ・マッケリーやプレストン・スタージェスのコメディ映画も好んだ。

 西海岸に移った後もドキュメンタリーを手掛けたが、日本文化を扱った『死の設計』(→wiki:Design for Death)では、47年のアカデミー賞最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。
 劇映画では『離婚の子ども』(46,リメイク作品)をはじめとして『ムコ探し大騒動』(脚本は『真昼の決闘』のカール・フォアマン)といったコメディ映画や、『ボディガード』、『カモ』、『札束無情』『その女を殺せ』などのRKOノワールを手掛ける。『ボディガード』はロバート・アルトマン原案で、食肉産業での不正を扱ったドラマ。

 1948年5月、ハワード・ヒューズがRKOを買収。ジョセフ・ロージーとニコラス・レイをデビューさせた副社長ドーリー・シャーリーが辞職。ヒューズはあらゆる映画をセックス&バイオレンスに方向付けると宣言し、現場に過剰に口をはさみ、混乱を巻き起こした。49年度に製作されたRKO映画12本のうち、4本をフライシャーが監督。p227~に紹介される何本かの映画の概要にはそそられる。フライシャーがいかに映画界に新たな視覚的アイデアをもちこんだかがわかる。

 p236あたりで、マックス・フライシャーとウォルト・ディズニーの確執について触れている。ディズニーは『ハッピー・タイム』でのRFの力量を評価し、フライシャーを『海底2万哩』の監督に迎える。なお、デザイナーのハーパー・ゴフ(→wiki)は50年代初頭よりディズニーに要請され、イメージ画を描いた。『海底2万哩』は子ども時代にテレビ放映で観ていると思うが、記憶に残っていない。

 55年には20世紀FOXと長期契約を結び、『恐怖の土曜日』、『夢去りぬ』、『ならず者部隊』などを監督。

 ダリル・ザナックの息子、リチャード・ザナックは最初の製作作品、『強迫/ロープ殺人事件』でフライシャーを監督として迎える。本作でオーソン・ウェルズは俳優としての力量を発揮。ただ、ある企画を断ったため、フライシャーはFOXから干される。

 FOXから独立していたダリル・ザナックに誘われ、彼の当時の恋人、ジュリエット・グレコ(→wiki)主演の『鏡の中の犯罪』(60)を撮るためヨーロッパに渡る。一家を呼び寄せ、ローマに移住。イタリアの大物製作者ディノ・デ・ラウレンティス(→wiki)とコロンビアの共同製作『バラバ』(62)を手掛ける。しかし、その後、ラウレンティスとの仲が険悪になり、ほかにもトラブルが続いて仕事がなくなる。やむなくリチャード・ザナックに連絡を取ったところ、なんと『ミクロの決死圏』の監督を任される。

『ミクロの決死圏』(66)の後、20世紀FOXの社長に就任したダリル・ザナックの企画で、日米合作『トラ!トラ!トラ!』のアメリカ側の監督に起用される。しかし、脚本兼日本側の監督となった黒澤は、フライシャーを「ミクロ野郎」と呼んで毛嫌いし、ほかにもトラブルが相次いで、最終的に更迭される。

 その間に、彼は『ドリトル先生不思議な旅』(67)、『絞殺魔』(68)、『革命戦士ゲバラ』(69)を撮る。後者2作ではモントリオール万博で観て関心を抱いたスプリット・スクリーンを使用。当時はアメリカ映画でさまざまな視覚的実験がおこなわれた時代だった。筆者は特に『絞殺魔』を称賛。
 さらにイギリスでシリアル・キラーもの『10番街の殺人』(71)、盲目の女性を主人公にしたサスペンス『見えない恐怖』(71)を撮る。スペインではジョン・ヒューストンが監督するはずだった『ラスト・ラン/殺しの一匹狼』(71)を撮る。筆者はそのワンカット撮影を褒める。
 アメリカに帰国してポリスものの『センチュリアン』(72)、続く73年に『ソイレント・グリーン』(→wiki)。残念ながら筆者のコメントは無しw。日本や韓国、ヨーロッパ、プロテスタント文化圏では少子化を嘆くようになったが、当時は(日本の都市計画を振り返ってもそうだが)、人口爆発が大問題になっていた。

 その後は、「ヒット作の二番煎じのような作品を撮らされる」。『ザ・ファミリー』(73)や『マジェスティック』(74)など。『スパイクス・ギャング』(74)は筆者曰く、「ロバート・ベントンの『夕陽の群盗』に並ぶニューシネマ的思春期西部劇の傑作」。

『マンディンゴ』(75)で再びラウレンティスと組む(『マンディンゴ』はなぜか、映画より歌曲で記憶に残っている)。『信じがたいサラ』はリーダイっぽいらしい。その後も代役監督を引き受けることが多くなる。筆者曰く(グリフィスやオットー・プレミンジャー(→wiki)、ロバート・アルドリッチ(→wiki)、キューブリック、アルトマンのような)「製作費を自ら集め、作家的自由を確保するような製作者=監督という地位、芸術家であると同時にヤマ師であることも辞さないようなあり方は、やはりフライシャー向きではない」。

『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』(84)と最後の長編『おかしなおかしな成金大作戦』(87)は、ジャック・カーディフ(→wiki)が撮影を担当。

 93年に自伝『いつ泣いたらいいかだけ言って頂戴』、2005年に父マックス・フライシャーの伝記『インク壺から』を著す。

B級ノワール主要作品解説では、エドガー・G・ウルマー(→ブログ)の『回り道』なども紹介していた。

 吉田広明の『亡命者たちのハリウッド』(2012)では、1930年代にナチスを逃れてアメリカに渡ったフリッツ・ラングやダグラス・サーク、ロバート・シオドマクのほか、50年代に赤狩りでアメリカを一時脱出したエドワード・ドミトリクやジョン・ベリー、サイ・エンドフィールド、ジョゼフ・ロージー、60~70年代に東ヨーロッパから亡命したミロス・フォアマン、ロマン・ポランスキーを取り上げているという。



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映画『万引き家族』 

 地元の映画館で、是枝裕和監督の新作映画『万引き家族』を観る。

 概要はこちら(→wiki:万引き家族 2018-6-25)。但し、本作の場合、事前情報なしに観たほうが愉しめる。

 映画を観る前はタイトルのイメージから、現代に蘇るサンカ(→wiki)の話かと想像を膨らませてしまった^^;。まあ、万引き行為を示す符丁などは、サンカっぽいといえばサンカっぽい。

 おもな舞台は、新しい集合住宅に囲まれて、取り残されたようにうずくまる平屋建ての日本家屋。昭和30年代を想わせる古いタイル張りの風呂場。色褪せた襖。リフォームされた形跡に乏しい狭い家屋のなかは、生活用品で溢れかえっているが、エアコンはなく、王兵 『三姉妹』の家屋とは異なる、近代的「貧しさ」が漂っている。

 樹木希林扮する初枝は、不動産屋から何度か土地の売却を打診されたに違いない。
 しかし、(たぶん)別れた夫から譲り受けたとはいえ、前夫の死後、ちゃんと相続登記をしているかどうかあやしいし、亡くなった前夫との記憶を刻んだ家を、やすやすと手放すことはできない。年寄りにとって引っ越しは、さまざまな事務手続きも含め、想像を絶する大仕事だ。
 また、たとえ新たな住居を提供されたとしても、人とまじわる縁側のない集合住宅の一室なら、幽閉に等しいとさえ思ったかもしれない。

 同居しているのは、治(リリー・フランキー)と信代(安藤サクラ)夫婦。その息子の翔太(池松壮亮)。風俗まがいの店で働く亜紀(松岡茉優)。彼らは生活費の不足を初枝の年金と、治と翔太の万引きで補っている。治は冬のある寒い日、外で震えていた幼い女の子、ゆりを家に連れ帰る。

 ゆりを連れ帰る動機も、「寒そうにしていたから」というのは口実で、ひょっとして治はペドではないかと、最初はあらぬ想像をしてしまった。しかし、映画の進行とともに、徐々に登場人物ひとりひとりの人となりや背景事情が浮かび上がっていく。



「政治的正しさ」の押し付けがほとんど感じられない映画だ。貧者や子どもがこれ見よがしに美しく描かれるわけでもないし、実の母親が正しい存在として描かれるわけでもない。

 治のキャラクターは、『そして父になる』(2013)で同じリリー・フランキーが演じた斎木雄大と連続している。信代も含め、マシュマロテスト(→wiki)でロースコアを叩き出すタイプにみえるが、ハートがあって子ども好きで、家族を大切にしている。

  信代を演じる安藤サクラもじつに巧くて雰囲気が出ている。治と信代の年月を重ねた深い絆が、後半に明らかになっていく。

 百田尚樹や高須院長が映画についてなんか言ってたようだが、世界的に見てもアイデンティティ・ポリティクスに取りつかれたリベラルが大勢を占めるなか(→『破綻するアメリカ』)、生なましい身近な貧者にちゃんと寄り添うリベラルは、貴重かつ強力だ。それに気づかず、ただただリベラルの「ダメ」な部分にリアクションしているだけでは、保守に未来はないだろう。

 賢者は愚かな「味方」よりも、優れた「敵」に学ぶ。

映画『苦い銭』 

 YCAMでワン・ビン(王兵)監督の新作映画『苦い銭』を見る。

 概要はこちら(→公式サイト)。

 本作は『『三姉妹~雲南の子』(2012)』の撮影地に近い雲南省昭通市から、出稼ぎのために列車旅をする少女シャオミンらの様子を映すことで始まる。いわば『三姉妹』の主人公、インインが中学校を卒業後、故郷から遥か2200キロ離れた街に出稼ぎに行くような話だ。

 彼女たちが向かった先は、上海の西方約150キロに位置する浙江省湖州市織里(ジィリー)。30万人の出稼ぎ労働者が働く工業団地が広がる街だ。
 しかし、テレビでときに紹介されるような、大規模な作業場でお揃いのクリーンなユニフォームを着た大量の若者が同じ動作で働く、マスゲームめいた映像は一切出てこない。
 1万8千に及ぶ個人経営の業者が集まり、衣料品加工の下請けをめぐってしのぎを削っており、時給X元うんぬんという下世話な言葉を吐き出す人びとにも注目している。21世紀チャイナを象徴する超大企業による先鋭的な大量生産システムが普及する前の、改革解放第一世代の「残党」たちといった印象だ。 

 臭豆腐を売る露店の掛け声、ひっきりなしに鳴るクラクション。雨の降った夜の道路が、街灯の照明を浴びてぬめ光る様子。

 映画は織里に集まってくる人びとの様子を描く。暴力的な夫との腐れ縁を切れずに疲れ果てた主婦。酔っぱらいオヤジのクダを巻く姿。

 夫婦喧嘩の様子は生なましい。いまどき夫が妻をひっぱたく場面が映る映画は、ほかにないのではないか。い、いや、もちろんそーゆうのが別に見たいわけではない^^;。

 個人的には、夫婦喧嘩は中国の日常的な風物詩として記憶に残っている。2000年前後に上海出張にかこつけて行った蘇州(湖州市にも近い)で、凄絶な夫婦喧嘩を見かけたのだ。街頭で近所の人たちに囲まれながら、二人は互いに大声で罵りあい、腕を掴みあい、ひっぱたき、あげくに奥さんが投げつけた食器が野次馬の顔に当たって、流血騒ぎとなったのを見届けた。学生時代に2か月くらい旅行したときも、2度か3度、目にしたものだ。



 ワン・ビンのドキュメンタリー映画は過去に、『鳳鳴』(2007)と『『三姉妹』(2012)』、『収容病棟』(2013年)を観た。といっても『収容病棟』は前半でリタイア^^;。

 アウトサイダーなので自分の気持ちに素直に言うが、まあ正直、今回の作品も『収容病棟』並みにツラかった^^;。いま思うと、『三姉妹』は、女の子と動物を登場させることで、コアなワン・ビン・ファン以外に対して開いたサービス作品だったのかと感じられる。

 もう映画なんて、ハリウッドの良質な作品だけでいいよと思うことがときにあるが、なんかそれもいくつか立て続けに見るとうんざりして、硬質なドキュメンタリーを観てしまうんだよなあ。ワン・ビンの新作が出たらまた、観ようかどうしようか迷うことだろう(ゼッタイ行くとは言わないw)。

 その意味で、ワン・ビンの映画を愉しむには、その直前にハリウッドの娯楽超大作や日本の劇映画を5~10本まとめて観るといいかもしれない。