映画『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』 

 地元の映画館でアレックス・カーツマン監督の『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』をみる。

 本作は、wiki:ザ・マミーにあるように、ダーク・ユニバース・シリーズの第1弾。

 カール・レムリが興したユニバーサル映画は、サイレント時代から『ノートルダムのせむし男』(1923)や『オペラの怪人』(1925)といったホラー映画を製作していた。ロバート・スクラーの『アメリカ映画の文化史』によると、「ホラー」は「セックス」「バイオレンス」と同様に、ピープショーの時代から映画の一部だったが、ブログ:『雨に唄えば』でも触れたトーキー革命によって、ドアの軋む音や鋭い悲鳴など恐怖をそそる効果音で新たに生まれ変わった。
「ユニバーサルはトーキー初期にホラー映画専門の撮影所となり、1931年には『魔人ドラキュラ』『フランケンシュタイン』、32年には『ミイラ再生』『モルグ街の殺人』『魔の家』を製作」(『アメリカ映画の文化史』11章)。

 なお、『ミイラ再生』(1932)は、『伯林―大都市交響楽』(→ブログ)で撮影・脚本を手がけたカール・フロイントが監督した。『巨人ゴーレム』(1920)や『メトロポリス』(1927)等でも撮影を担当。彼は『カリガリ博士』(1920)に代表されるドイツ表現主義的モンスター・ホラーの映像表現をハリウッドに移植したと言えるかもしれない。

 ユニバーサルのモンスター・ホラーが当たったことで、他の映画会社も影響された。MGMはトッド・ブラウニングの『怪物団』(1932)を製作し、RKOは『キング・コング』(1933)をつくった。



"ダーク・ユニバース"は、ディズニーのマーベル・シネマティック・ユニバース(→ wiki)やワーナーのDCエクステンデッド・ユニバース(→wiki)と同じく、いわゆるシェアド・ユニバース(共通世界観)もの(→wiki)。
 つまり、ユニバーサル・スタジオは、ディズニーやワーナーのこうした観客囲い込み戦略にならって、ユニバーサル自身の歴史的成功経験であるモンスター・ホラーを再起動したというわけだ。

 アメコミに対してよりは昔日のモンスターたちへの愛のほうがいくぶんか多いため、試しに見てみたのだが、大スターのトム・クルーズを起用した記念すべき第一作としては凡作と言わざるを得ない。『ミイラ再生』は、この20年くらいの間でも『ハムナプトラ/失われた砂漠の都』(1999年)でリメイクされて高い評価を受け、シリーズ化までされている。とうぜん比較の対象となる。
 本作品でちょっとオモシロイと思ったシーンはごくわずか。
 アマネット王女の棺を輸送する飛行機が鳥の大群に襲撃され、墜落するまでの間、トム・クルーズ演じる主人公のニック・モートンとジェニー(アナベル・ウォーリス)が疑似セックス的に組んずほぐれつするところ、終盤の『オフィーリア』を想像させる場面、あとはアマネットの瞳が2重になっているところ、かな? ほかはエジプトやロンドンのダークサイドを表す映像にせよ、新味に欠けていたように思う。そもそもアマネットの造形自体、ミイラという感じがしない。

 まあ、第一作はいくつか伏線を張ってみました的な位置づけなのだろう。想像力のほうはけっこう掻き立てられた。

 ダーク・ユニバースの共通テーマとなるのは「悪」とは何か、だ。
「悪」の問題は、これまでも現代的サタニズムを語るうえでさんざ議論されてきたし、今では時代遅れの問題設定のような気がする。「もともと悪意のないささやかな事態が、いつのまにか世界を破滅に陥れる」というような話(たとえば人工知能が…とか)のほうが現代的のように思える。欧米的な「正義/悪」の確固たる基準が相対化されるというテーマも、今ではそれこそ「マーベル」シリーズなどでよく見かけるようになった。まあ、いずれにせよ、「悪」の問題をいかに新たな視点でとらえ直すかがキーとなる。

 初代『ミイラ再生』や『ハムナプトラ』におけるミイラはイムホテップだが、今回はアマネットという女王だ。この名前は、エジプト神話に登場するアメン神の配偶者、アマウネトに由来する。エジプトの最上神アメンは、シリアでは悪魔アモンとして解釈されることがある。テーマ自体に関わるかもしれない。

 映画ではセト=サタンという解釈が告げられる。セト神はヘリオポリス九柱神の一柱。ラムセス家が深く信仰し、ラムセス1世の息子、セティ1世(在位:BC1294~BC1279)は、大神官イムホテップに愛人アナクスナムンを寝取られた。愛人を失ったイムホテップは『死者の書』を頼りに、自害した彼女を蘇生しようとする。この逸話は『ハムナプトラ』でも取り上げられた。

 エジプト『死者の書』第87章は、死者が「サタ」なる蛇に変身するための呪文だ。「我は年ふりし大蛇なるサタなり。我は日毎に死し、そして生まれかわる。我はサタにして地の果てに棲むものなり。我は死に、そして蘇る。我は一新し、そして日毎に若がえる」(『エジプトの死者の書』(石上玄一郎・著)



 映画では、古代エジプトの謎だけでなく、ロンドンのダーク・ヒストリーも大いに関わってくる。1127年に…というのはオカルト・コンスピラシーによく登場するテンプルの騎士だろう。

『ビューティフル・マインド』(2001)でジョン・ナッシュを演じ、最近は『ディバイナー 戦禍に光を求めて』(2014)で監督デビューも果たしたラッセル・クロウが、モンスターの研究機関プロディジーを率いるジキル博士を演じている。

 それにしても、なぜ『ジキルとハイド』なのだろう?。大昔に読んだきりで、詳しい内容はすっかり忘れてしまったので、想像することさえできない。テーマである善/悪の二重性・二面性に関わるというのは見当が付くが。

 セト=サタン説は、アレイスター・クロウリー(→wiki)の魔術の重要な要素の一つだ。クロウリーの魔術では、セトは原初の創造的精霊で、夜の世界、黄泉の世界を司る。ひょっとしてプロディジーはゴールデン・ドーンの別名か?。

 プロディジーは、ダーク・ユニバース・シリーズに繰り返し登場する存在となるらしい。

 だとしたら、せっかくだからクロウリーにも登場してもらったらどうだろう?

 クロウリーは1947年に亡くなったが、カリフォルニアのパサデナでクロウリーの後を継ぐ者がいた。ロケット技術者ジャック・パーソンズ(→wiki:Jack Parsons)だ。この人の人生はいろんな意味で、非常に興味深い。ハリウッドで伝記映画をつくって欲しいくらいだ。

 クロウリー魔術――ロケット技術――「悪」の問題、となると、現在の北朝鮮情勢にもつなげられる。北朝鮮のICBM技術は、パーソンズが残した秘密の文書に由来…とかなんとか。

 ジャック・パーソンズは1952年に、自宅の地下室で実験の最中、爆発を起こして亡くなったという。なお、パーソンズの側近として、クロウリーにならった性魔術の儀式を手伝ったL.ロン・ハバート(→ wiki)は、1953年にサイエントロジーを興した。

 おっと…トム・クルーズが出演拒否するかな?

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映画『草原の河』 

須崎公園

 KBCシネマでソンタルジャ監督の映画『草原の河』をみる。

 幼い子どもと動物が登場する映画というのは、それだけで「感動ポルノ」ではないかと警戒感が騒いだが、『陽に灼けた道』(→ブログ)のソンタルジャならそんなに安易なイメージに堕するとも思えず、足を運んだ次第(1か月近く立ったが^^;)。



 舞台は監督の故郷である中国・青海省の同徳県。海抜は3000メートルほどで、剥き出しの大地が広がるチベット高原とは異なり、黄みがかった緑の草原が果てしなく続いている。

 主人公のヤンチェン・ラモは、6歳になっても母親の乳房を恋しがる少女。父のグル、母ルクドルと3人で、伝統的な牧羊生活を営んでいる。
 山々が抱く氷がとけ、草原に流れ込んで小川をつくる春、グルは村人から行者様(父)の様子がおかしいと聞く。
 彼は、ヤンチェンを連れて、村から離れた洞窟のなかで仏教修行を続ける父に食糧を届けようとする。ところが、酒に酔ったままオートバイで薄氷の河川に突っ込み、転倒。見舞いの品々を水浸しにしてしまう。グルは父親との間にわだかまりがあり、直接会おうとしない。
 夏の放牧地に早々と移り住んだ一家は、母羊を亡くした子羊を育てることにする。ヤンチェンは子羊をジャンチャと名付けて可愛がる。いっぽう、母親の妊娠に気づいて、母の愛情が自分から離れるのではないかと不安に駆られる。そんなとき……。

 『陽に灼けた道』でも重要な役割を果たしたオートバイが、本作でも頻繁に登場する。
 中国は大きな経済成長を遂げ、都会に住む人々は、日本と変わらぬ(スマホ決済など、分野によっては日本より進んだところもある)暮らしをしている。しかし、内陸の青海省で牧羊を営むチベット族にとっては、自動車はまだまだ貴重品だ。

 ハーバード大学感覚民族誌学ラボの『Sweetglass』(→ブログ)でも牧羊業の様子が描かれたが、チベット族がおこなう伝統的な牧羊は、現在でも近代化の波をほとんど浴びていない。彼らは基本的に村落内で暮らすが、夏の間だけ遠く離れた放牧地に移って麦を植え、羊たちに新鮮な牧草を食べさせる。居住テントの移動は村が共同保有するトラックでおこなう。



 映画は、幼いヤンチェンが遭遇する生と死の残酷、グルと父親の静かな葛藤を丹念に描いている。ただ、多少ステロタイプにもみえた。ヤンチェンがイジメに遭うシーンは、もっと生なましく描いて欲しかったが、子どもの暴力描写に対する中国政府の検閲が厳しいせいだろう、抽象的な処理がされていた。

 あと、確かにチベット族全員がチベット仏教の敬虔な信徒ではないし、家族を顧みず修行に明け暮れる父への苦い気持ちがあってもおかしくないが、チベット仏教徒と中国共産党との長年にわたる抗争と抑圧の歴史を考えると、監督の中国政府への「配慮」を感じてしまった。
 だからといって、現在の中国に対する強い抗議を期待してことさらに残念がるつもりもない。映画はあくまでも基本的に中国市場向けであり、都会生活に倦んだ中国人民にノスタルジーを感じさせることを主眼にしている(ように感じた)。改革開放後の激変の中国で育った者の父親への複雑な気持ち、近代的人工物の急増とともに失われていく伝統文化への愛情は、国境を越えてよく伝わってきた。

 パンフレットに載った監督のプロフィールによると、ソンタルジャは1973年生。牧畜民の間で育ち、父から仏教画(タンカ)を学び青海師範大学の美術科に入学。卒業後、小学校の美術教師や美術館キュレーターとして務め、1994~2000年に50以上の絵画作品を描く。その後、奨学金を得て北京電影学院(チェン・カイコーやチャン・イーモウ等を輩出)に学ぶ。当学院で知り合ったペマ・ツェテン監督の『静かなるマニ石』や『オールドドッグ』(→ブログ)で撮影監督を務めたあと、2011年に『陽に灼けた道』(→ブログ)を発表して多くの映画賞を受賞した。本作は長編第2作。

牯嶺街

映画『台北ストーリー』 

 KBCシネマでエドワード・ヤン(楊徳昌)監督の映画『台北ストーリー』(原題:青梅竹馬/1985)をみる。

 本作は『恐怖分子』(→ブログ)の前年につくられた作品。長らく見る機会がなかったが、マーティン・スコセッシのフィルム・ファウンデーションによるワールド・シネマ・プロジェクトが4Kスキャンでデジタル修復した。

 舞台は1980年代半ばの台北。主人公は元リトルリーグの有望な選手だったアリョン。扮するのはヤンの盟友でもある映画監督のホウ・シャオシェン(侯孝賢)。アリョンはプロ野球選手になることもなく、迪化街(→wiki)で家業を継いで布地問屋を営んでいる。
 もう一人の主人公は、彼の幼友達アジン。彼女は不動産ディベロッパーで働くキャリアウーマンだ。
 映画は二人を中心とした人間模様の遷移を描いていく。



 第2次大戦後の台湾は1950年代前半まで国共内戦に伴う混乱が続いていた。アメリカの支援をいったん失った南京国民政府は、大陸から追い出されて台湾に「遷都」した。蒋介石らは主な工業・金融業をすべて公営として、統制経済に近い体制をとった。
 朝鮮戦争の勃発は、1950年から15年間にわたって約15億ドルに及ぶアメリカの経済援助を台湾にもたらした。日本と同じく「反共の砦」となった台湾政府は、50年代末に輸出志向工業化路線を打ち出し、66年には高雄港臨海工業区を整備した。詳細は定かでないが、台湾にも下河辺淳(→ブログ)のような人がいたのかもしれない。
 1971年のニクソン訪中に伴い、中華民国(台湾)は国連から追放され、国際政治的には孤立に追い込まれた。日華断交にしたがって、台湾では「抗日映画」がいくつかつくられた。
 それでも彼らは、文化大革命で混乱を極める中国(中華人民共和国)を尻目に、自らを「自由中国」のショーケースと位置づけ、日本から資本財や中間材を輸入してアメリカに工業製品を輸出し、大きな経済成長を遂げた。1975年に亡くなった蒋介石の後を継いだ息子の蒋経国総統は、自ら打ち出した十大建設(→wiki)を推し進め、産業の高度化をはかった。
 しかし、江南事件にみられるように、蒋経国体制は一方で、過去から続く闇の部分を引きずっていた。

 今日まで続くグローバル資本主義(→wiki)の本格的な展開は1980年前後に始まった(*1)と言って良いだろう。ブログ:みんなのための資本論でも触れたように、レーガノミクス・サッチャーイズムに代表される市場原理主義・新自由主義が1980年代に急速に影響力を拡大していったのだ。それはある意味、70年代まではソ連の影響が根強くあって、資本家サイドも労働者の権利にじゅうぶん配慮しなくてはならなかったということでもある。
 アルビン・トフラー(→wiki)が『第三の波』で農業革命、産業革命に次ぐ、情報化による脱工業化の波を具体的に示したのも1980年だった。
 1970年代にアメリカに留学し、計算機工学を習得したエドワード・ヤンには、80年代後半以降の台湾社会がどのように変化していくのか、ある程度、想像できたに違いない。プラザ合意(→wiki)は本作の製作と同じ1985年だ。産業の第3次化(内需拡大、金融・不動産・交通・メディア・通信サービスの膨張、情報化……)とグローバル化の波という新たなビッグ・ウェーブに乗れる者たちと取り残された者たちとの格差が大きく拡大する未来、人びとの生活から過去による束縛と過去への敬意が失われていく未来が、彼にはうすうす見えていたのだ。プラザ合意をもとに日本円だけでなく台湾元も切り上げられ、日本や台湾(さらには香港、シンガポール、韓国)は、1978年に改革開放路線に転じた巨大な中国がインフラを整備するまでの間、海外旅行や欧米的なライフスタイル、豊かな消費生活を謳歌する一方、産業のさらなる高度化と競争力の強化を急ぐほかなかった。



 過去を断ち切り大きな波に乗ろうと渇望する者と取り残された者との対照性は、自由で自立したドラゴンレディタイプのアジンと、商売下手で借金を重ねるその父親との対照性に表れている。ちなみに80年公開のハリウッド映画『9 to 5』は、女性の社会進出を称揚した。
 台北の迪化街は、日本のたとえば名古屋でいえば長者町遷移街のようなところだろうか。
 過去は愛着の対象であるとともに憎悪の対象でもある。さっさと過去を捨て去って新しい世界で闘う方が良いと、頭ではわかっても、身体に深く刻まれた過去は、そうやすやすと捨て去れるものではない。
 アリョンもまた、アジンの父親と同様、家族や過去を切断できないタイプだ。そこにはエドワード・ヤンの複雑な心境も見て取れる。彼自身、留学経験とコンピュータ技術をてこにグローバル・ビジネスで成功を収める可能性があった。とはいえヤンもまた、アリョンと同じく過去(映画への愛)を断ち切ることはできなかった。

 アジンの同僚の建築設計者は、高層ビルの建設ラッシュに沸く台北の街並みをみて嘆く。「どれが自分の設計したものかさえ思い出せない」。
 コールハースの言うジェネリック・シティの台頭だ。それは十数年後の中国大陸で、十倍以上ものボリュームをそなえて繰り返される。
 英雄的な固有名が活躍する野球の時代から、無数にいる匿名の"ビジネスマンたち"が高収入を得て跋扈する時代へ。野球のピッチングがうまいアリョンも、ダーツを小さな的に向けて正確に投げることはできない。ゲームは変わったのだ。
 そして、ドラゴンレディのアジンも会社が買収され、解雇を言い渡される。LAで暮らすアリョンの義兄に夢をつなごうとするアジン。しかし、アリョンは言う「アメリカは万能薬じゃないんだ」。
 1980年以降、アメリカと日本は改革開放路線に転じた中国に対し、莫大な額の投資と技術支援をおこなった(たとえば下河辺淳率いる総合研究開発機構(NIRA)は、日中国交回復を背景に中国の技術者たちを支援したと聞く)。

 アジンを演じた歌手のツァイ・チンは出演後にヤンと結婚したが、1995年に離婚した。脚本はホウ・シャオシェンのほぼ全作品の脚本を手掛けるチュウ・ティエンウェン(朱天文)。録音はドゥ・ドゥジ(杜篤之)。ヨーヨー・マ(友友馬)のバッハ無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調、ベートーベンチェロソナタ第3番第3楽章が使われている。

(*1)ウォーラーステインの「世界システム」論に従えば、グローバリゼーションの起源は、15~16世紀の大航海時代にまで遡れる。しかし、ここでは近代テクノロジーを武器にしたヨーロッパ勢力の東西への拡張としてのアメリカとロシア(ソ連)によるグローバル支配に対する中東産油国及び日本(と4小龍)の経済的「反撃」が、70年年代前半(大阪万博とオイルショック)に表面化し、80年代にそれに対応する形で、英米の新自由主義勢力が、グローバル競争を情報と金融を中心とした次なるフェイズに押し上げたと見る。