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2020年(第92回)米国アカデミー賞 

 2020年(第92回)アカデミー賞。大方の予想通り、ポン・ジュノの『パラサイト 半地下の家族』(→wiki)が作品賞・監督賞・脚本賞・国際長編映画賞を受賞。ちなみに非英語作品の作品賞受賞はアカデミー賞初らしい。

 貧しいキム一家が富裕層のパク一家のもとに入り込んでいく経緯がとんとん拍子に進み過ぎる、とか、チェ・ウシク扮するキム・ジウがパク一家の娘のダヘと深い仲になるのがあまりにも早過ぎ~、とか、前半は正直、あまり印象が良くなかったが、それはたぶん全体の尺が長くなりすぎないようにするため。後半の怒涛の展開が評価のポイントなのだろう。
 本作はカンヌのパルムドールを受賞したこともあって映画館で観た。ここまでわかりやすくセリフで解説してくれる映画にパルムドールが与えられる時代になったのだなぁとある意味、感慨にふけった。アフター・『ザ・スクエア』(→ブログ)のカンヌは大きく変わった。世界じゅうで共有できる価値観がわずかしかないことが明白になった現在、いわゆる「アート・シネマ」に要求される、観客を選別するかのようなハイコンテクスト性、韜晦性、難解さは、いっさい授賞条件に含まれなくなったという感じ。まさにSDGs時代を告げるにふさわしい選考基準だ。
 ただ、米国アカデミー賞の方は、これまでいくつもエンタメど真んなか作品が受賞しているので違和感は比較的少ない。

 主演男優賞は、『ジョーカー』のホアキン・フェニックス。これも映画館で観た、まぁ穏当かな。本作のジョーカーは、あいちトリエンナーレの『表現の不自由展 その後』に展示された大浦信行作品みたいなものだろうか。憎悪が憎悪を産み、ついには冷酷無比のバットマンを覚醒させた、という意味においては。
 主演女優賞は、ジュディ・ガーランドの伝記映画、『ジュディ 虹の彼方に』のレネー・ゼルウィガー。みてへん。

 助演男優賞『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のブラピ。この場を借りてひとこと映画の感想を述べると、ハリウッドの最大の敵は「映画よりも映画めいた衝撃的な現実のニュース」ってことだ(→関連ブログ)。シャロン・テートがわずか26歳でお腹の赤子とともに惨殺されながら、彼女自身がどんな人でどんな映画に出演したかということは人びとの頭からすっかり忘れ去られる一方、加害者のマンソン・ファミリーの方は、マリリン・マンソン(→wiki)の名前に採用されるなど「叛逆の英雄」として一部のサブカルオタに長い間もてはやされた。さらに、マンソン本人は投獄されたものの83歳まで生き伸びやがって(2017年没)、ハリウッド最大の敵だよコイツらは!っとばかりにタランティーノが「怒りをぶつけた」という体の反実仮想映画。タランティーノ映画の暴力描写を好むファンは、マンソン・ファンとも一部重なっているという認識、さらには長年コンビを組んだ"盟友"ともいうべきハーヴェイ・ワインスタイン(→wiki)の一連の事件のことが頭にあったのかもしれない。
 まぁ、1990年代の「鬼畜ブーム」の際、『世紀末倶楽部』のマンソン特集を買って(→ブログ:インヒアレント・ヴァイス)、マンソン・ファミリーの主要メンバー数人の名前をオモシロがって一時的に記憶した一人としては、断罪される側にまわってしまうわけだが。
 助演女優賞『マリッジ・ストーリー』のローラ・ダーン(→wiki)。『ブルー・ベルベット』をはじめとするいくつかのデヴィッド・リンチ映画に出演。『ワイルド・アット・ハート』のルーラ役が好きかな(と断言できるほどには憶えていない^^;)。ほか『ジュラシック・パーク』にも出演している。

 アメリカではメリアム・ウェブスターが選ぶ2019年の「Word of the Year」に、特定の性別でくくれないノンバイナリー・ジェンダーのために提案されたtheyの単数形使用、「they is」が選ばれたというから、そのうちハリウッドでも男優・女優の区別を廃するときが来るかもしれない。

 長編アニメ賞は、未見の『トイ・ストーリー4』。シリーズものは深い映画愛(≒長期記憶力)を要求されるのでなぁ……^^;。脚色賞『ジョジョ・ラビット』のタイカ・ワイティティ。彼は『マイティ・ソー バトルロイヤル』で高い評価を受けた。これも評判いいみたいね、知らんけどw。

 ドキュメンタリー賞『アメリカン・ファクトリー』。昨年9月にNetflixで視聴したが(→ブログ)、中国をめぐる世界の認知情勢がめまぐるしく変動する今となっては、ずいぶん前に見たような気さえしてしまう。

 撮影賞及び視覚効果賞『1917 命をかけた伝令』(→wiki)のロジャー・ディーキンス。ゴールデングローブ賞ではドラマ部門の作品賞・監督賞(サム・メンデス)を獲得。
 歌曲賞(という項目があることに今さら気づく^^;)を受賞したのは、エルトン・ジョンの伝記映画『ロケットマン』の(I'm Gonna) Love Me Again。これは小倉の昭和館でみたが、個人的にエルトン・ジョンの歌曲でよくおぼえているのはかつてMTVでよくかかっていた「I'm still standing」くらいだな。

 文中敬称略。

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映画『クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代』 

 YCAMスタジオCでミシェル・マリー(Michelle Mally)監督の映画『クリムト エゴン・シーレとウィーン黄金時代』(原題:Klimt & Schiele - Eros and Psyche)をみる。

 本作はおおむね、2000年にノーベル生理学・医学賞を受賞した有名な神経学者、エリック・カンデル(→wiki)の『芸術・無意識・脳』のサマリーをベースに、何人かの研究者の言葉を加え、クリムトやエゴン・シーレの作品を置く観光名所の映像をちりばめた、ウィーンのシティ・プロモーション映画という感じだろうか。最後はしっかりウィンナー・ワルツで〆る。
 そういえば、 昨年4月にパリに完成した新世代デジタルミュージアム、ラトリエ・デ・リュミエール「光のアトリエ」のこけら落としはテーマがクリムト。今年は、東京都美術館と豊田美術館で『クリムト展』が開催されたのだった。

 ブログ:映画『エゴン・シーレ 死と乙女』でも書いたように、ウィーンは、性と死に取り憑かれた都市とイメージされる一方、19世紀末から20世紀初頭にかけて、アートとサイエンスが交遊を通じて互いに刺激しあった都市としても知られている。

 クリムトやエゴン・シーレと精神分析の話だけでなく、ベルタ・ツッカーカンドルのサロンにはじまり、ヨーゼフ・ホフマンやクリムトが始めたウィーン分離派運動、オットー・シュミットのヌード写真収集、シュニッツラーのエピソード、18世紀の彫刻家フランツ・クサヴァー・メッサーシュミット(→wiki: Franz Xaver Messerschmidt)の頭像の話なども『芸術・無意識・脳』に書いてあるので、映画で紹介された内容をもっと知りたいと思った人は、本書を開くと良いだろう。

 本書の解説に載った経歴によると、エリック・カンデルは、1929年にウィーンでおもちゃ屋を営むユダヤ人家庭に誕生した。ナチスに追われて1939年に家族とともに渡米し、ハーバード大学に進学して歴史を学んだが、アンナ・クリス(父親は美術史家で精神分析家のエルンスト・クリス(→wiki:Ernst Kris))と交際するうちに精神分析医を目指すようになる。精神分析医になるには医師の資格が必要だったため、ニューヨーク大学の医学校に進学するが、次第に基礎生物学に惹かれるようになり、臨床家への道をあきらめ、脳科学の小さなチームを率いるようになる。
 時代の違いもあるが、フロイトが医学部の生理学研究所で神経細胞を研究した後に精神分析医になったのとは逆のコースを歩んだのだ。
 カンデルは精神分析が科学者たちから「非科学的」とダメ出しされる時代の風潮に抗い、実験を通じてフロイトが提唱した「抑圧説」を可能にする神経メカニズムも存在することを証明した。いまや、彼の『カンデル神経科学』は世界じゅうで神経科学を学ぶ学生たちに読まれている。彼のアートに対するサイエンスからのアプローチの試みは、日本でもいくつかの本で紹介されている。

 映画で紹介された1864年生まれのベルタ・ツッカーカンドル(→wiki: Berta Zuckerkandl)は、ウィーンの進歩的な新聞の発行者でオーストリア初の一般向け科学誌を発刊した父親のもと、小説家や画家、彫刻家、音楽家、建築家、科学者らが集う社交サロンを主催。当時、支配的だった保守的な芸術団体、クンストラー・ハウスに異議を申し立てるクリムト率いるアーティストグループを擁護し、分離派の建築や芸術作品に経済的支援をおこなった。

 ヨーゼフ・ホフマン(→wikiはオットー・ワグナーのもとで働いた建築家で、ラファエル前派(→関連ブログ)にも関わったウィリアム・モリスのアーツ&クラフト運動(→wiki)が掲げる「総合芸術」と「生活の芸術化」の考え方に影響を受け、同じくワグナーのもとにいた建築家のヨゼフ・マリア・オルブリッヒやクリムトとともにウィーン分離派を立ち上げた。1898年に完成したセセッション館の設計はオルブリッヒだが、ホフマンは内装の一部を手掛けた。
 1902年の第14回ウィーン分離派展では「総合芸術としての展示会」を強く打ち出し、ベートーヴェンをテーマにして、マックス・クリンガー(→wiki)がベートーヴェン像をつくり、クリムトが壁3面にわたってベートーヴェン・フリーズを描き、マーラーが第9を指揮した。
 ホフマンはその後、生活の芸術化を進めるため「ウィーン工房」を設立。そこでつくられた工芸品は、オーストリア応用美術博物館(MAK)に収蔵されている。

 アルトゥル・シュニッツラー(→wiki)は、ウィーン大学で医学を学んだ後、心理学や催眠療法に関心を抱き、その後、文学に没頭して前衛的な文学運動"ユングヴィエナ"のリーダーとなった。彼の書いた『夢小説』は、スタンリー・キューブリックの遺作『アイズ ワイド シャット』の原案となった。シュニッツラーの第2子、リリは17歳で20歳年上の男性と結婚したがうまくゆかず、18歳の若さで自殺した。シュニッツラーは彼女の自殺から3年後に亡くなっている。

 ほかにもいくつか印象に残った点を以下に列記。
・クリムトが肖像画を描いたエミーリエ・フレーゲ(1874-1952)は、女性をコルセットから解放した「リフォーム・ドレス」を手掛けた前衛的なファッション・デザイナーで、フレーゲ姉妹のモードサロンで販売したそうだ。先述のヨーゼフ・ホフマンもこのサロンに関わっている。
・エゴン・シーレが「縦」に描いた裸婦画について、美術館では男性異性愛者のキュレーターが誤って「横」に展示することが目立ち、それは「裸の女性は横たわっているもの」という男性異性愛者のバイアスなのでは、という話があった。
・ケンブリッジ大学で美術史を学んだファッションモデル/女優のリリー・コール(→wiki)が出演していた。リリーには21世紀のベルタ・ツッカーカンドルになって欲しいなぁ的な期待が込められているのだろうか。



 YCAM上映の洋画で日本語ナレーションというのは新鮮。
 なんか理由があるのかなぁと思ったら、ナレーションは三宅唱監督の映画『君の歌はきこえる』で主演を務めた柄本佑(→wiki)なのね。そうか、柄本佑は柄本明の息子で、奥さんは『万引き家族』(→ブログ)で信代を好演した安藤サクラなのか。リリー・フランキーの配偶者役だったから、もっと年齢が上だと思ってた^^;。
 さらに、wikiによると安藤サクラの父は奥田英二で、母方の親戚には国連での難民支援活動で世界的に名高い緒方貞子(→wiki)がいる。彼女の緒方姓は岳父・緒方竹虎に由来。そういえば以前のブログで、緒方竹虎を大河ドラマの主人公に!なんて書いたら、主役ではないけど今年の大河ドラマ『いだてん』に、主人公・田畑政治の朝日新聞時代の上司として緒方竹虎が登場して、彼を演じたのがリリー・フランキー。うーん、なんか関係妄想がふつふつ湧いてきたよw。

 文中敬称略。

映画『コールド・ウォー』 



 YCAMスタジオCでポーランドのパヴェウ・パヴリコフスキ監督の『コールド・ウォー あの歌、二つの心』をみる。公式サイトはこちら

 YCAMだけ日本語のサブタイトル「あの歌、二つの心」が「あの声、二つの心」になってるのは、何か意味を込めてのことだろうか。ポーランド語の原題Zimna wojnaは冷たい戦争。「二つの心」は本作のなかで何度か歌われるフォークソング。歌の内容にかかわる新解釈だろうか。

 概要はこちら(→wiki)。

 冒頭、ポーランド民謡をうたうシーンでガツンとやられる。一瞬にして上質の音楽映画を期待させる何かに包まれてしまう。

 1948年なのに、オープンリールのテープレコーダめいたものが映っていたので、この時代にテープレコーダが存在していたのかな、と気になったが、ドイツのマグネトフォン(→wiki)かな。

 数十年ぶりにミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』を読んだところなので、チェコとポーランドの違いはあれど、なんとなく共通して伝わってくるものを感じ取ってしまう。厳密にはさらに少数民族とか絡んでいるのかもしれないが、アウトサイダーにはわからない。

 アフター・『ザ スクエア』(→ブログ)時代のシネフィル御用達映画の傾向だろうか。以前のように無暗に「難解さ」を振りかざすことがない。それでも、観客によってはストーリーの提示が足りなさすぎ~と感じる人もいようが、それはパンフレットを買って読め、という暗黙のメッセージだ。たとえば、チェコの例をあげると『マルケータ・ラザロヴァー』のような、かつての激動の時代を代表する映画に比べると、遥かにインクルーシブに出来上がっている。スタンダード・サイズのモノクロ映像、上映時間88分には、文字通り「オールド・ファン」の健康への配慮がうかがわれる。

 挿入される音楽もマニアック過ぎることなく、私ごときでも聴いたことあるなぁと懐かしむ曲目をときに挟んでくれる。記憶力低下により、曲名は失念しまくりだがw。ガーシュウィンやコール・ポーター、スターリン・カンカータ、インターナショナル……。エンディングがゴルトベルク、というのだって、ありがちかもしれないけど悪くない。

 主人公ズーラを演じるのはヨアンナ・クーリク。ヴィクトルはトマシュ・コット。

 撮影監督のウカシュ・ジャルは、パヴリコフスキの『イーダ』や『ゴッホ 最期の手紙』でも撮影を務めた。

 編曲・演奏のマルチン・マセツキ(→wiki:Marcin Maseckiの略歴は日本語では今のところポーランド広報文化センターでみられる。1982年ワルシャワ生まれ。98年に実験的ジャズユニットAlchemikを結成。本人のブログはこちら

 ローカルなフォークソングと、普遍性を希求してときに専横的にもなる西洋音楽との衝突、確執、摩擦……すっかりまるくなった前衛を前衛と呼ぶかどうかは別として、東欧的「前衛」の伝統を引き継ぎ後世に伝える映画だ。