映画『11時10分前』 

 福岡シネラのトルコ映画特集で、ペリン・エスメル(→wiki:Perin Esmer)監督の映画『11時10分前』(原題:10 to 11/35ミリ/2009年/115分/トルコ=仏=独)を観る。

 舞台は撮影当時のイスタンブール。83歳になるミトハト・ベイは、1950年頃から住み続けるアパートの4階で、悠々自適の隠退生活を送っている。
 ミトハトは甚だしいコレクション癖の持ち主で、部屋のなかは書物や新聞で溢れかえっている。通いのカフェではパンのラベルを剥がしてポケットに入れ、注射のヘタクソな看護師から手に入れた注射器まで持ち帰って並べる。コレクションは時に部屋の前にも置かれるため、他の住人の苦情を招くが、アパートの管理人のアリがいくら注意しても、彼は聞く耳を持たない。

 ミトハトは古いオープンリ-ルのテープレコーダーを修理しながら現在も使用しており、たとえば1960年5月27日のクーデターの様子を語るニュース音声まで保存している。他のインタビュー音声によると、ミトハトは1945年10月にアメリカに留学して電子工学を学んだが、トランジスタの重要性に無知なトルコの官僚たちは、帰国した彼を紡績工場に送り込んだ。すぐに飛び出た彼は、ようやく警察の技術部門に迎えられ、数十年かけて全国の警察無線を整備する本部の責任者になったという。

 管理人のアリは地方出身の30代。ミトハトに頼まれて新聞を買い、収集品の百科事典の欠落した第11巻を入手するために奔走する。
 アパートの老朽化に伴い、住人の多くは建て替えを求めているが、ミトハトの反対で話がまとまらず、アリは説得を続ける。ミトハトのコレクションのなかに、高額の値段がつく貴重品も混じっていることを知ったアリは、アパートを立て替えたら1階を古本屋、2階をカフェにして、ミトハトの収集品を並べよう、ともちかける。しかし、ミトハトは断固として受け付けない。

 アパートでは水漏れが生じて、うずたかく積まれた新聞が湿ってしまう。いよいよ当局が入って、倒壊の恐れがあるという理由で立ち退きを求めるが、ミトハトは「令状は? いつ法律が変わった? 法律が改正されたというならちゃんと官報に載ったのか?」となおも食い下がる……。



 『未来へつづく声』(→ブログ)もそうだったが、本作は音声メディアに関心を向け、時間(大量に映る丸い掛け時計が印象的)や音声の記録・記憶をテーマにしている。"ガンコ爺"ミトハトのキャラクターが際立ってオモシロイ。役にハマった巧い役者だなあと思ったら、映画のモデルとなったご本人(Mithat Esmer)がミトハト役を演じている。エスメル監督は彼の姪にあたる。

 わずかだが、イスタンブールの街の様子が映し出される。序盤に映った水色の二階建ての橋は、恐らくガラタ橋だろう。人びとは橋の上から釣り糸を垂らしている。海峡の向こう側に立つ複数の尖塔はブルーモスクだろうか。昔、インドからパキスタン、イランを経由してイスタンブールにも立ち寄った身としては、ぼんやりと記憶する街の様子や当時の出来事を振り返ってしまう。
 ガラタ橋のたもとには、ボートに乗った物売りが数多くいて、中華鍋のような大きな鍋でサーディンを油で揚げ、バケットに挟んだものを売っていて、とても美味だったこと。たしか1988年の新年を迎えたのがイスタンブールの安宿で、他のバックパッカーらと簡単なパーティーを開き、ラク(Raki)というアニスの実のエキスが入った強い蒸留酒を飲んで酔っ払ったこと等を想い出す。

 ストリチナヤを桜桃のジュースで割って飲む、というのは初耳。今度、気が向いたらやってみようかな。

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映画『未来へつづく声』 

 福岡シネラのトルコ映画特集でオズジャン・アルペル(Ozcan Alper)監督の映画『未来へつづく声』(原題:Future Lasts Forever/2011年/35ミリ/108分)をみる。

 エピグラフはチェザレ・パヴェーゼ(→wiki)の慰霊にまつわる作品の一節。そして、馬が地面に崩れるシーンへ。

 主人公は、イスタンブールの大学で音楽民族学を研究するスムル。彼女は鎮魂歌や哀歌の収集活動をおこなっており、クルド人の哀歌を録音するために、トルコ南東部の都市、ディヤルバクル(→wiki)に向かう。

 ディヤルバクルは人口の大半をクルド人が占める街だ。トルコの総人口は約8,000万人。そのうち1,500~2,000万人がクルド人だと言われている。当地はティグリス川に臨む交通の要地で、古代アルメニア王国の首都があったことでも知られている。

 スムルは、シネマテークを運営する映画マニアのアフメットの協力を得て、映像センターでクルド人の古老たちの証言や哀歌を集めていく。また、録音機材を抱えて街を歩きまわり、クルド人たちの生活を物語る都市の「音」に触れていく。
 路地が続く古い街並みの一角には、アルメニア教会が立っている。なかに入り、管理人のアンタルティキに話を聴く。
 スムルが哀歌を収集し始めたのは、幼い頃に録音された祖母の声をうっかり消してしまったことに由来する。それは祖母の唯一のかたみだった。彼女の祖母は、アルメニア語のある方言を話していた。

 彼女がイスタンブールからはるばる1300キロ離れた当地を訪れた理由は、もう一つあった。かつて交際していた恋人のハルーンが、PKK(→wiki:クルディスタン労働者党)の武装闘争に身を投じ、3年前から行方不明になっていたのだ。ハルーンは、ディヤルバクルからさらに500キロ東方、イラクとの国境に近いハッキャリで生まれ育った。スムルとアフメットは、クルド人の独立闘争が盛んで、軍用機がしきりに飛び交うハッキャリへと向かう……。

 二人は朝霧の立ち込める水辺を散歩する。朝に特有の、鶏やカエルや複数の鳥の声がくっきりと再現されて心地よい。映画をみたときはディヤルバクルがどこにあるのか知らなかったので、黒海沿岸かと思っていたが、地図で見たところ、どうやらディヤルバクルとハッキャリの間にあるヴァン湖のようだ。



 トルコの民族構成は複雑だ。主要な人口であるトルコ人は、広大な中央ユーラシアで遊牧騎馬民族国家を築いた人びとの子孫。つまり、かつて移住してきた人びとの子孫だ。ボアズキョイやアラジャホユックの古代遺跡を残したヒッタイト族は、隣国ペルシアと同じく印欧語族だ。ヒッタイト帝国の崩壊後は、同じ印欧語族のフリギア王国が勃興し、南ウクライナで勢力を誇ったキンメリア人がそれに取って代わり、間もなくリュディアの天下となった。その後、東からペルシア帝国が拡大し、西からアレクサンドロス大王の遠征があり、続いてヘレニズム諸王朝の支配下に置かれる。印欧語族の一派によるアルメニア王国は、ディヤルバクルを首都として、BC190年からBC66年まで独立した王国だった。ローマの拡大に伴ってキリスト教が広まり、ビザンツ帝国のもとでアナトリアはコンスタンティノーブルを中核とする世界に組み込まれたが、南からイスラム王朝が急拡大。ビザンツ帝国とイスラム勢の勢力均衡は600年続き、11世紀にようやくトルコ系遊牧王朝のセルジューク朝の人びとが流入してきた。幾度となくトルコ系、モンゴル系の侵入が相次ぎ、13世紀末に現れたトルコ人族長オスマン1世の軍事集団が、オスマン帝国の起源となるが、コンスタンティノーブルを陥落させたのは15世紀のことだ。

 主人公スムルは、顔つきからみてトルコ系というよりヨーロッパ人に近い。民族的ルーツはトルコ住民によって、さまざまなのだ。なお、近代以降のトルコ人、アルメニア人、クルド人の関係については、wiki:アルメニア人虐殺に書いてある。

 アフメットは、25年後に何してると思う?と尋ねるスムルに対し、「黒海沿岸を自転車でぐるっと回って、チェホフの村を訪ね…」と話す。トルコとロシアは「歴史的に犬猿の仲(だからトルコは日露戦争に勝利した日本が好き)」というイメージが日本では根強いが、トルコは先述の通り多様な人びとで成り立っており、両者の関係はより複雑化している。
 ソ連崩壊に伴う中央アジア諸国の独立は、トルコと中央アジアの文化・経済的な結びつきを強める格好の機会となった。これは「失地回復」を願うロシア人たちの間に「ユーラシアニズム」(→ブログ)が蔓延する要因にもなった。原油価格の高止まりで、2000年代のロシア経済は好調に推移したが、トルコもまた、ゼロ年代に飛躍的な経済成長を遂げた。しかし一方で、イラク、シリア、イスラム原理主義、クルド人をめぐる情勢は今もなお混沌としている。イラクのクルド人もいくつかの勢力に分かれており、トルコ国内のクルド人と一体というわけでもない。エマニュエル・トッド(→ブログ)が言う「トルコはいわば「内戦状態にある」という言葉は決して誇張ではない。日々刻々と変化するトルコの政治情勢は新聞・テレビで報道されるが、ネットでざっくり掴むにはこのあたり(→ニューズウィーク日本版2017.7.24)かな。
 大陸(交通の要地)と島国、民族構成、人口構成(→人口ピラミッド:トルコ2016)、紛争地域との隣接性など違いはいくつかあるが、トルコと同じくユーラシア大陸の辺縁部に位置し、北朝鮮の核による挑発を受ける日本も、いつトルコのような状態に陥っても不思議でない状況下にある。



 本映画は、『シリア・モナムール』(→ブログ)等と同じく「リベラル好み」の多文化共生主義に基づいているが、抑制が効いている(トルコ当局との妥協という解釈もあろうが)ので、昨今のリベラルの性急な「アグレッシブネス」をあまり感じさせない。

 エンディングは氷雪のアナトリア高原。映像は美しいが、音楽が感傷的すぎる気がした。

 前半にアフメットが、巨大なレーニン像の頭部を輸送する映像をみるシーンがある。9月末に視聴したゲンロンカフェの貝澤哉×乗松亨平×東浩紀鼎談(9/30)で少し触れていて印象に残った、海中のレーニン像(→RUSSIA BEYOND 2016.11.01 海中に暮らすレーニン)を、つい思い出してしまったよ。

映画『散歩する侵略者』 

 チャチャタウン小倉にあるシネプレックスで、黒沢清監督の映画『散歩する侵略者』を観る。

 概要はこちら(→wiki:散歩する侵略者)。

 オープニングは、白い盥に入った金魚で始まる。金魚をすくうセーラー服・三つ編み少女(恒松祐里)。陰惨な殺人現場。血溜まりでぴちぴち跳ねる金魚。返り血を浴びたまま道路の真ん中を歩く少女。
 ストーリーは終盤でクロスする二つのエピソードから成り立っている。
 一つは、とつぜん記憶を失い奇妙なことを言い出した夫・真治(松田龍平)を迎えに行く妻・鳴海(長澤まさみ)のエピソード。彼女は歩き方がぎごちない夫を抱きかかえるようにして、二人が暮らすアパートに連れ帰る。空き地の目立つ空疎な場所に一軒家や低層の集合住宅が点在する地域は、自動車のナンバープレートから静岡だと想われる。真治は鳴海に「オレは宇宙人だ。まだ地球に慣れてないからガイドになってくれ」と一方的に言う。そして、泊まりに来た鳴海の妹から「家族」という概念を奪い取る。
 二つ目のエピソードは、雑誌ライターの桜井を中心に展開する。演じるのは『シン・ゴジラ』(→ブログ)で主演を務めた長谷川博己。米軍基地の街を取材する桜井は、自称"社会派"ジャーナリストだが、ホテルのフロントに置いてある無料サービスの飴を鷲掴みにし、要らなくなった新聞を植込みの上に平気でポイ捨てする、公共心に欠けた記者だ。電話でデスクから指示を受け、先述の殺人現場に急遽、駆け付けるが、現場で警備する初対面の警官には平気でタメ口をきく一方、高校生風の天野(高杉真宙)の自分に対するタメ口には厳しい。天野は自分が宇宙人だと告白し、桜井にガイドになるよう依頼する。桜井はすぐには彼の話を信じないが、自分を宇宙人だと言い張るおかしな人として興味を抱いて、彼とともに、もう一人の宇宙人を探すことにする。



 原作は劇団イキウメ(前川知大)の同名舞台作品。

 宇宙人が概念を奪い取って学習するという設定はオモシロイ。「愛」という概念がなくても、真治が適当に覚えた言葉の偶然の組み合わせ(?)から、ときおり妻の鳴海の胸をキュンとさせることを言ったりするのは悪くない。「家族」という概念を得たせいだろうか。しかし、「所有」の概念を地球人から奪い取る前なのに、真治が自宅にやって来た鳴海の妹に対して「いらっしゃい」というのはどうなんだろう?。「いらっしゃい」は「おかえり」とセットであって、自分たちが「所有する」空間に、他人が入ってきたときに用いる言葉ではないのか? そもそも「宇宙人」なんて言葉どこでどうやって習ったの?などいくつかの点が気になった。
 せっかく宇宙人による「概念学習」という面白いネタを扱っているのだから、認知言語学者に監修してもらうとかできなかったのだろうか。SFの面白さとは、大きなウソを読者や観客に信じ込ませるために、小さなリアルを積み重ねることだとこれまで信じてきたのだが。

 黒沢清のSF/ホラーめいた作品はいくつかみたが、NHKで昔あった少年ドラマシリーズの雰囲気を伝えていて、それはそれで良いのだけど、さすがにもう21世紀だし、昨今の科学や認知心理学、進化人類学の新しい知見を踏まえた新しいタイプのSFに挑戦して欲しいのだが。まあ、若い監督に任せたほうが良いのかもしれないけど。ハリウッドのような大きな予算をかけなくても、工夫次第でやれることは数多くあると思う。なんて、傍から言うだけなら誰でもできる。

 文中敬称略。