YCAMバニシング・メッシュ展~Avatars 

 YCAMのホワイエで展開中のAvatars(管野創+やんツー)で遊んでみる。

 本作は基本的に、固定電話やカラーコーン、石膏像、車などのオブジェクトで構成されたインスタレーションだ。各オブジェはラズパイ(小型コンピュータ)やカメラ、マイク、モーター等を備えており、それぞれネットに接続している。

 遊び方は自由だが、おススメは、最初から現地に行くより、まずは自宅のパソコン等からKS+y2 Avatarsに入ってオブジェに"憑依"(=ログイン)してみることだ。但し、ログインできるのはYCAM開館時間内に限られる。最初は意味が分からなくても、何度かログインし直せば、なんとなく面白さがわかってくるはずだ。

 これはある意味、ライゾマティクスの『border』と同じく、鑑賞者が"知覚するモノ"として参加する参加型「パフォーマンス」だ。

 ダンサーは周りで踊ってくれないし、凝った3D映像もないが、開館時間内なら遠くにいても自由に参加できるし、椅子に縛られることもない。
 カメラ(視点)の向きを変える以外にも、音を鳴らしたり、色を変えて発光したり、コメントを打って壁に表示させたり、(電話に憑依すれば)会場にいる人と会話したりできる。自分の身体で参加する代わりにアバターが参加するのだ。

アバターズ アバターズ
アバターズ アバターズ

 ポイントは憑依するオブジェを鑑賞者が選べないことにある。
 あらかじめ会場構成を把握済みなら、なんとなくこの辺が見えてるからたぶんXXに憑依したのだろう、とか機能ボタンを押すとベルが鳴ったから電話に憑依してるのだろう、とかいくつかのヒントを手掛かりにある程度、推測が可能だ。ただ、会場の鏡の壁に自分のアバターが写るようにカメラ角度を調整するのだが、写っていなかったりする。手探りで自分(のアバター)が何であるかを確認していく遊びなのだ。

 ときにはカメラの向きの操作さえできないオブジェに憑依する場合もある。それでも、少なくとも会場を駆け回る子どもたちやうろうろする大人たちを人間動物園的に/ピーピングトム的に覗き見る楽しみはある(会場にいる人は、あらかじめ自分がカメラに映ることに同意する必要がある。顔が映るのがイヤという人にはお面を用意してある)。

 これは、憑依によってオブジェクト(=客体)がサブジェクト(=主体)に変わることを通じて、機械と人の交換可能性を考える契機になる。

 あるいは、(可能性はともかくとして)マインドアップロードの「予行練習」にもなりうる。

 そして、何度もログインして会場を見渡し、ときに限られた手法で介入し、自分のアバターが何であるか想像するうちに、実際に現地に足を運んでみたくなる。

 うーん、仕掛けの拡張性もあるし、なかなかよく考えられてるなあ。

アバターズ

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美術手帖2017年1月号~ライゾマ特集 

 美術手帖2017年1月号は、約90ページにわたってライゾマティクスを特集。

 ライゾマの活動はNHK紅白でのパフュームの演出や、YCAMにおける作品展開で部分的に目にしてきたが、本特集でこれまでの活動の概要に触れることができた。ICCでは1月14日~3月20日にかけて、ライゾマとART+COMの共同展示、光と動きの「ポエティクス/ストラクチャー」が開かれる。

 ライゾマティクス(Rhizomatiks)は、昨2016年7月に創立10周年を迎えた(余談だが、庵野秀明のカラー(khara, Inc.)の創立や村上隆の『芸術起業論』の刊行も2006年のほぼ同じ時期)。同社は現在、「リサーチ」、「デザイン」、「アーキテクチャ」、「マネジメント」の4つの部門から成り立っている。

 根幹となる「リサーチ」には現在、メディア・アーティストの真鍋大度(→wiki)、石橋素を含め19名のメンバーがいる。
 大きな話題を呼んだリオ5輪のフラッグハンドオーバーセレモニーやパフュームの演出(カンヌライオンズやSXSW、24 drones…)、VRクリエイティブアワード2016で最優秀賞を受賞したRez Infinite-Synesthesia Suit、パフォーマンス作品「Border」(→ブログ)、安川電機ロボット村オープニングセレモニー(↓映像)などは「リサーチ」部門が担当。

 ほかにも、サカナクションがオーガナイズするパーティ「NF」にレギュラー参加してVJ表現の更新に挑み続け、教育事業flyingtokyo(2009-)なども展開。
 元内視鏡エンジニアでコンピュータ・ビジョンやマシン・ラーニングの専門家である登本悠介や、ソニーでAR技術開発に携わった花井裕也、山本政志監督の映画『水の声を聞く』(→ブログ)で録音を担当した映画音響技師・上條慎太郎など、多彩なバックグラウンドをもつエンジニア/クリエーターが参加。

 木村浩康が代表を務める「デザイン」部門は現在11名。ライゾマのプロジェクトでビジュアル面を統括するとともに、デザインコンサルやコミッションワークを手掛けている。2017年に新設される大阪芸大アートサイエンス学科のboundo baw、経産省の観光予報プラットフォーム(写真はCCのようだ)、JINSのウェアラブルデバイスJINS MEME、NHKスペシャル『NEXT WORLD わたしたちの未来』(→ブログ)などをサポート。
 話題のベンチャー企業、セブン・ドリーマーズ・ラボラトリーの全自動洗濯物折り畳み機ランドロイド(↓)にも協力している。


 齋藤精一率いる「アーキテクチャ」部門(現在5名)は、ICCのSolaris Protocol(2014)や2016年9月、渋谷にオープンしたライブハウス「wwwx」のファサードサインや内装のライティングオブジェなどをデザイン。総務や経理・庶務といったバックオフィスは、千葉秀憲率いる「マネジメント」部門が担当している。

 活動内容を時系列的に伝える略史は、真鍋大度と齋藤精一、千葉秀憲が東京理科大で出会った1996年から始まっている。

 真鍋大度へのインタビューでは、000Studioの倉持正之や松川昌平から、池田亮司の代わりに「音」制作を依頼されてメディアアートに"覚醒"した話や、岩井俊雄、ゴラン・レヴィンらに影響を受けた話など。

 ザック・リーバマン(→wiki:Zachary Lieberman)と真鍋の対談では、メディアアート拠点の話など。NYにある非営利のスタジオ・レジデンス施設Eyebeam(→Wired2016.6.24関連記事)や、SANAA(妹島和世+西沢立衛)が建築デザインを手掛けたニュー・ミュージアムのNew Inc.、ヨーロッパでは、ご存知オーストリア・リンツのアルス・エレクトロニカのほか、オランダ・エイントホーフィンでSTRPビエンナーレが開かれている。リーバマン自身もSFPC(School For Poetic Computing)を運営しており、日本人ではバイナリカードゲームの浦川通が学生として通っているという。真鍋はドイツ語圏とイギリス、フランスでメディアアートのとらえ方が異なる点を指摘していた。

 オモシロかったのは、"エキソニモ"千房けん輔のコラム「メディアアートは売れるのか?」。複製可能な映画やアニメを含む広義のではない、現代アートの一ジャンルとしてのメディアアートは、機材込みというのが普通。ラファエル・ロサノ=ヘメル(→wiki:Rafael Lozano-Hemmer)など何人かのアーティストは、保証期間やメンテ契約を結んで販売しているという。数百年前に描かれた名画は絵画修復士を要求するが、ナム・ジュン・パイクのブラウン管テレビを用いた作品などは今後、どのように保存していけば良いのか、という問題。

 特集以外では西尾康之へのインタビューや、蔵屋美香による「Chim↑Pomの『また明日も観てくれるかな?』展レビュー」が目を引いた。新宿歌舞伎町振興組合ビルの解体作業に合わせたChim↑Pomの展覧会では、彼ら自身が各種申請・交渉・予算ねん出・解説の作成までおこなったという。昨年は東京都現代美術館でキセイノセイキ展が開かれるなど、表現規制の問題がクローズアップされたが、各種の「規制」に縛られないアート活動のためには、美術館に頼らないのが一番、という答えを示したわけである。

 ライゾマ特集のすぐ後に49年間続く美術家集団ザ・プレイの記事を持ってくる編集部のセンスはなかなかw。40年後のライゾマを想像してしまったw。

 文中敬称略。

Rhizomatiks×ELEVENPLAY 「border」 

YCAMでRhizomatiks×ELEVENPLAYのダンス・パフォーマンス「border」。

 これも一種の参加型パフォーマンスだろうか。とはいえ参加客はダンサーたちとともに自由に手足を使って踊るわけではない。車椅子タイプのパーソナルモビリティWHILLに腰を掛け、シートベルトを締め、HMD(ヘッドマウントディスプレイ)を装着するだけ。
 WHILLの動きはプログラムで完全制御されている。参加客に許される動きは基本的に頭部の向きだけだ。つまり、運動体ではなくいわば"知覚するモノ"としてステージに参加する。観客席に座った観客も"知覚するモノ"だが、観られる対象としてステージに投げ出され、実在のダンサーに囲まれる臨場感のもとで他律的に動くという意味で大きく異なる。

 参加客はWHILLに身を任せて移動しながらHMDに映し出される現実シーンと3D映像シーンが入れ替わり混じりあうマジカルな視覚体験に没入することになる。実在のダンサーはいつのまにか3DCGデータに変容し、ときには見えないダンサーに膝をタッチされ、肩を叩かれて振り向いてもそこには誰もいない。

 AR(拡張現実)技術を駆使したダンス作品で、第5回ニコニコ学会βシンポで紹介された藤井直敬のSR(代替現実)に似ているが、確かSRの場合、代替現実シーンは過去に撮影した実写映像を用いていた。「シームレスなトランジション」という意味では、現在の3DCG技術では未だそれだけリアルにダンサーを再現できないが、その分、実在のダンサーに出来ない変容と動きが可能だ。

 なにぶんちゃんとしたHMDは初体験だったので、愉しんでARに浸りきる境地にまで至らなかった。幻覚にも似た別世界への没入を無意識に恐れたせいだろうか、正直なところダンスや映像の視覚的な記憶がほとんどない。むしろダンサーが身の回りで躍動する際の振動や気配、膝頭を押さえた際の手の触感、香水の匂いの方が鮮烈な印象を残している。
 とはいえ、昨今の触覚情報、嗅覚情報の提示技術の進歩は目覚ましいと聞く。もしあの感触、香りが現実でなかったとしたら「してやられた!」というところだ。



 最初はステージに横に並んだ車椅子といいケープといい理容室のメタファーかと思ったが、ダンサーの衣装はナース服を想わせ、看護や介護のイメージが調達される。もしかすると近未来のターミナルケアを表現しているのではないか。

 人は加齢とともに筋肉量が減少し、およそ90歳を超えるとたとえ病気をしなくても次第に立って歩くことが困難になっていく(したがって介護予防に筋トレは必要だ)。そして、寝たきりになるとさらに筋肉は衰え、認知能力も低下する。認知能力は「動き」と大いに関わっていて、環境と身体との相互作用に支えられている。
 介護の対象となるのは主に歩行困難と排泄処理と認知障害の問題だ。歩行補助だけならサイバーダインのHALに代表されるパワードスーツの方が電動車椅子よりスマートだろう。しかし、排泄処理の自動化まで考えるなら、WHILLのような電動椅子タイプのほうが実現が容易に違いない(シロウト考えでは)。
 タイトルの「border」は、現実と非現実の境界(ボーダー)であるとともに、生と死との境界を表しているのではないか。自律的に動くことができなくなり、ずっと座ったまま、ひたすらお好みの映像を見続ける毎日。ただ、それは果たして「生きている」と言えるのだろうか。その問いは不穏なものだろうか。

 あるいはそれは人間と機械の境界と言い換えることもできる。

 トランスヒューマニズム(→wiki)という考え方がある。トランスヒューマニストのリストは、シミュレーション仮説を唱えるオックスフォード大学の哲学者ニック・ボストロム(→wiki)やシンギュラリティのカーツワイル、有名なロボット工学者のハンス・モラベックらの名前を含んでいる。彼らのうち何人かは、人間の完全なコネクトーム(→wiki)を取得して脳の活動をコンピュータ上でシミュレーションできれば、「自己意識」を再現して永遠の生が可能だと信じて実現性を追究している。
 一方、IBMのSyNAPSE計画ではフェイズ3で100万のニューロンを持つチップをつくり、それらを複数つなげて1億のニューロンを持つ人工頭脳を設計しようと企てている。
 以上のことを考えると、未来のターミナル(ケア)はターミナルでなくなり、生と死のボーダーを取り払った、永遠の生への入り口になるかもしれない。

 時代はバーチャル・リアリティからシミュレーティド・リアリティへと着実に移行しつつある?