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YCAM『メディアアートの輪廻転生』オープニングトーク 

 YCAM15周年企画、『メディアアートの輪廻転生』のオープニング2日目に行ってきた。

 美術手帖2017年1月号(→ブログ)で、千房けん輔が書いていた記事からつながる企画なのだろう。同時期、7月23日~27日まで東京の日本科学未来館で開催のALIFE 2018に対するメメント・モリのメッセージとも解釈できる(すでに岩崎秀雄+metaPhorestによる「人工生命の墓」というのがあるが)。
 ローバジェット感パネエ人工芝の墳墓を中心に据え、アンケートで返ってきたメディアアーティストたちの言葉(グッとくる詩的な名言はなかった)を記した弾幕で彩った会場。

 企画者・千房による趣旨説明を含むセッション1に続くセッション2では、無形の「もの」をいかに継承していくかという課題について。まずはほほえみの郷 地福の原田事務局長より、山口市・阿東町地福の重要無形民俗文化財・トイトイの紹介。
 トイトイは江戸中期にはじまった民俗行事だ。小正月の晩、子どもたちは農事用の手縄で藁馬をつくり、近所の家の玄関先に置き、「トイトーイ」と掛け声をあげて身を隠す。家人が藁馬の返礼として菓子などを置くと、子どもたちは家人に見つからぬよう、返礼品をこっそり取りに行くのだが、家人に見つかると、水をかけられる。水がかかるとその年は運が悪い、と言い伝えられるが、もともとは逆に「運が良い」とされていたそうだ。「質の良いモチワラが手に入らなくて」「子どもが少なくなって」といった時代の波に押し流されて存亡の危機にあるという話がされたが、トイトイというのは花札のコイコイみたいに響きがいいから、なんらかの形で残るよ。トイトイで検索したところ(現時点では)麻雀のトイトイホー以外に強敵は少なそうだし、SEO対策さえ万全にすれば(って誰がやるんだ)的な話だろう。

 阿東町はかつて体力があった頃、友人と輪行して町内を巡り、国道489号→佐波川沿いを防府まで下った覚えがある。地福のお隣の徳佐がリンゴの産地。たしか船方農場が町内にある。標高300メートルで夏場も比較的涼しく(今年はどうだろ?)、平坦な土地が大面積で広がっているので、自転車散歩に適している。


 もう一人は、京都市芸大の芸術資源研究センターの柿沼敏江。時間押されて少々お冠のご様子。プロフィールによると、大阪万博で展示されたベルナール・バシェの音響彫刻(EXPO'70パビリオンで見かけたやつかな?)の修復作業に携わった方らしい。芸資研は「創造のためのアーカイブ」を目的としている組織だという。天台声明の譜面とか、ジョン・ケージが竜安寺の岩の稜線を旋律に見立てたこと、京都賞(2017)を受賞したリチャード・タラスキン(→wiki)の研究、馬淵卯三郎のマヤ音楽?チャフル・イシルの縦笛と両面太鼓の話など。記譜だけでなく、織り機の紋紙―図案のデータ化にも触れる。人類学とアートの交差点というのは、美術手帖でも最近、特集されていた。藤幡正樹が乱入し、コンピュータで音楽が作れるようになって、自分でゼロから記譜法をつくることがなくなった、というか記譜法がプログラミングコードになった世界について話す。

 セッション3では、メディアアートの神々5柱&キュレーター/研究者の明貫紘子が登場。

 司会を務めるエキソニモの千房、ニコニコ学会βの江渡浩一郎、ダムタイプのパフォーマーだった高嶺格、いつのまにか絵本作家になっていたTENORI-ON岩井俊雄、2018/7/26時点でフランス語のwikiのほうが日本語wikiより記述量が多い藤幡正樹(YCAMサイトの紹介もgood)がズラリと並ぶ。江渡と高嶺は比較的、口数が少なく、藤幡と岩井はよくしゃべる。
 藤幡は以前、本を読んだ際に想像したイメージとは大きく異なり、ファンキーなお方。大学を辞めて自由の身になったせいもあるのか。ほんとメディアアートが大好きでしょうがないっていうのが伝わってくる。Tシャツのデザインは見覚えがあるような気がするが…忘れた^^;。興味深い話が怒涛の如く展開したが、浅学ゆえ深い話になると、メモがついていけなかった^^;。よく覚えているのは、台湾がPCのマザーボードの製造で世界を席巻していた時代、メーカーの経営者?が、OSのことなど一切口にせず、基板の金メッキから「金のブッダが世界じゅうを飛び回ってるんだ!」と豪語したという話。「電子基板のエロス。ロジックが身体化するエロス」、あと「インタラクティヴィティはかえって観客(参加客)をパッシヴにする」、「今の日本にアートは必要ないんじゃないかな。近代化してない国では、ただの娯楽になっていく」。

 岩井の話し方はじつにエモい。溢れかえる情動の泉。エミール・レイノー(→wiki)が事業に失敗して、テアトル・オプティークのほとんどのフィルムと機材をセーヌ川に投げ棄てたエピソードが好かった。


 高嶺は森脇裕之(種子島宇宙芸術祭の総合ディレクター)のインタビュー映像の一部を引いて「メディアアートのルーツはアヴァンギャルド、反芸術」という話。昨年秋の「岡本太郎とメディアアート」展からの接続か? 実験工房―山口勝弘―森脇裕之の流れ。ロンドンでパンク・ミュージアム的なものをつくる話がもちあがったとき、マルコム・マクラレンの息子(Joseph Corre(→wiki)?)が、そんなもんいらん!と関連品を集めて燃やした話がスバラシイ。The Guardian 24 Nov.2016かな?(日本では、佐倉市の国立歴史民俗博物館で60年代展が開かれ、北九州市立美術館では集団蜘蛛の森山安英の回顧展が開催。ミュージアムに収まるアートを軽蔑した反芸術運動も、反体制運動も、民俗文化財として公的にアーカイブされる時代だ)。

 江渡は終始、抑え気味だったが、終盤、IBMをビッグブラザーに見立てるなど当初はカリフォルニアのカウンターカルチャーを代表していたアップルのような私企業が大きく成長し、グローバル経済をリードし、創造的たくらみは全て、アプリのクリエイションとして、iPhoneに囲い込まれていった(アプリのカテゴリーに「アート」がない!)的な、わりとありがちな「iPhoneがすべてを終わらせた」ストーリーに収束しそうになったところをちゃんと聞き流さず批判したところが好印象。

 今年の異常ともいえる酷暑のせいで?全体的に記憶がアヤシイので、今回のセッションの音声データ欲しいなあ。これは絶対、アーカイブする価値がある。なんなら文字起こし手伝ってもいいが、YCAMの受付に申し出たらいいのかな?ってこんなところでつぶやく話でもないか(笑)。

 文中敬称略。

 記録的な猛暑により熱中症で倒れる人が続出するなか、オウム事件の死刑囚13人の残り、岡崎一明(→関連ブログ)含む6人の刑が執行され、文科省の国際統括官が収賄容疑で逮捕。東京・多摩市の建設工事中のビル火災で4名が亡くなり、中国・北京のアメリカ大使館付近で爆発事件が発生した7月26日しるす。

【追記】2018/7/27
 そういえば先日、北九州市立美術館で森山安英回顧展を観た後、黒ダライ児の『肉体のアナーキズム 1960年代・日本美術におけるパフォーマンスの地下水脈』を読んだところ、千房けん輔の記事が載っていた美術手帖2017年1月号で近況が取り上げられていた美術家集団プレイについて解説があった。キーメンバー水上旬へのインタビューがこちら(→水上旬オーラル・ヒストリー 2009年3月21日)で読める。

【追記2】2018/8/3
 実父の終末医療や葬儀などあってこの数か月、すっかりニュースに疎くなっていて、メディアアートの「父」、山口勝弘(→wiki )が5月2日に亡くなったことを今になって知る^^;。そうか、今回の企画の意図は、そこに(も)あったのね。

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美術手帖2018年1月号~バイオアート特集 

 美術手帖2018年1月号はマストバイだ。

 約110ページにわたってバイオアートを詳しく特集。

 表紙は『ブレードランナー:2049』(→ブログ)に由来するのかと思ったら、長谷川愛の「ぼわ子」の虹彩イメージ。

 特集では、金沢21世紀美術館でGost in the Cell(2015)を出品したBCLの福原志保、細胞演奏のガイ・ベン=アリ(→Guy Ben=Ary)、長谷川愛へのインタビュー記事。そして、オーストラリアのSymbioticA(→wiki)や岩崎秀雄のmetaPhorest、YCAMバイオ・リサーチ、アイントホーフェン(オランダ)のバイオアート・ラボ、東京のバイオクラブ、ヘルシンキ(フィンランド)のバイオアート・ソサエティといった世界各地の研究機関の紹介。久保田晃弘監修によるバイオ・アートの基礎講座(略史/パイオニア紹介/用語辞典/BOOK&MOVIEガイド/コラム)。対談記事は小室哲哉×脇田玲(→wiki)及び福原志保×長谷川愛。さらには岩崎秀雄・京都大学iPS細胞研究所の八代嘉美(→wiki)・ローリ・B・アンドリュース(→wiki:Lori_Andrews)の論考を掲載。

 おもなバイオ・アーティスト&サイエンティストを短く紹介している。平行進化(→wiki)や地球上6度目の大量絶滅をテーマにするマヤ・スムレッカー(Maya Smrekar)、四足歩行できる人工装具を身に着け、草から栄養を摂れるよう人工胃腸の開発まで着手してイグ・ノーベル生物学賞を受賞したトーマス・ウェイツ(→wiki)、幹細胞で再生した皮膚で衣服をつくるティナ・ゴヤング(Tina Gorjanc)のほか、神崎亮平(→wiki)や、2016年のアルス・エレクトロニカで金属と一体化した絹糸を吐く遺伝子組み換えカイコを発表した瀬筒秀樹など。瀬筒はたしか、スプツニ!子の豊島八百万ラボ(→ブログ)でも協力者として名前があがっていた。


 今後、YCAMで作品展開が期待できるBCLは、福原志保が2001年にロンドンのロイヤル・カレッジ・オブ・アート(以下、RCA)でゲオアグ・トレメル(Georg Tremmel)と出会ったことで始まった。99年と00年のアルス・エレクトロニカでジョー・デイヴィス(→wiki:wiki:Joe_Davis)、オロン・カッツ(→wiki:Oron_Catts)のバイオアート作品に衝撃を受け、DNAのコンピューショナルな側面とタンパク質のマテリアル性からなる生命をテーマに、インターネット的な思考で何かできないかと考え、後年、Biopresence(2004)を創る。それは故人の遺伝子を樹木に埋め込み、公園に植樹するという事業プロジェクトだった。本作品はNESTA(英国科学技術芸術基金)のパイオニア・アワードを受賞し、福原はBippresence Ltd,を起業。但し、ビジネスとしての課題は大きく、研究活動による実現を目指し、日本で岩崎秀雄のmetaPhorestのメンバーに加わる(BCLのプロフィールは、metaPhorestの関連ページにもある)。2015年には金沢21世紀美術館で『Ghost in the Cell』を出品。これは初音ミクの外見上の特徴を施したDNA配列データを組み込み心筋細胞を培養するというもの。

 Curator Pick Upは、グゲンハイムのアジア美術上級キュレーター、アレクサンドラ・モンロー(wiki:Alexandra Munroe)へのインタビュー記事。これは読ませる。北米における戦後日本美術研究の出発点は「戦後日本の前衛美術:空への叫び」展だったと自負。いわく(当時は)「美術批評が東京中心だったために、(関西の具体派のほか)九州派も墨人会などの動きもほぼ無視されていました」。アルジュン・アパデュライ(→wiki)の「さまよえる近代」や竹内好(→wiki)の「方法としてのアジア」にも触れており、価値観の構築と破壊を繰り返す中国と、滑らかな連続性を保つ日本を対比させる。

 WORLD NEWSではパリのフォンダシオン ルイ・ヴィトン(FLV)で開かれた「エートル・モデルヌ(モダンであること):MoMAがパリに」展など。MoMAの6部門20万点超の作品から200点が選ばれて展示。デュシャンやカルダー、草間彌生、ブルース・ナウマンのほか、収蔵されたとき話題になった栗田穣崇の「絵文字」やタイトーの「スペースインベーダー」など。MoMAは1920年代にリリー・P・ブリス(→wiki:Lillie_P._Bliss)ら3人の女性が考案し、1929年(大恐慌の年)、当時27歳だったアルフレッド・H・バーJr.が初代館長を務めてオープンした。
 ほかにも、AOMORIトリエンナーレ(2018.1.20~3.4)では、バイオアート関連として、BCLや植田工+池上高志、長谷川愛、YCAMで今、作品展示中の古舘健、パン・ジャン・フェンの5組が参加するという。

 根本敬ゲルニカ計画(ニコ・ニコルソン)はいよいよ佳境?(今までちゃんと読んでなかった^^;)。

 文中敬称略。



YCAMバニシング・メッシュ展~Avatars 

 YCAMのホワイエで展開中のAvatars(管野創+やんツー)で遊んでみる。

 本作は基本的に、固定電話やカラーコーン、石膏像、車などのオブジェクトで構成されたインスタレーションだ。各オブジェはラズパイ(小型コンピュータ)やカメラ、マイク、モーター等を備えており、それぞれネットに接続している。

 遊び方は自由だが、おススメは、最初から現地に行くより、まずは自宅のパソコン等からKS+y2 Avatarsに入ってオブジェに"憑依"(=ログイン)してみることだ。但し、ログインできるのはYCAM開館時間内に限られる。最初は意味が分からなくても、何度かログインし直せば、なんとなく面白さがわかってくるはずだ。

 これはある意味、ライゾマティクスの『border』と同じく、鑑賞者が"知覚するモノ"として参加する参加型「パフォーマンス」だ。

 ダンサーは周りで踊ってくれないし、凝った3D映像もないが、開館時間内なら遠くにいても自由に参加できるし、椅子に縛られることもない。
 カメラ(視点)の向きを変える以外にも、音を鳴らしたり、色を変えて発光したり、コメントを打って壁に表示させたり、(電話に憑依すれば)会場にいる人と会話したりできる。自分の身体で参加する代わりにアバターが参加するのだ。

アバターズ アバターズ
アバターズ アバターズ

 ポイントは憑依するオブジェを鑑賞者が選べないことにある。
 あらかじめ会場構成を把握済みなら、なんとなくこの辺が見えてるからたぶんXXに憑依したのだろう、とか機能ボタンを押すとベルが鳴ったから電話に憑依してるのだろう、とかいくつかのヒントを手掛かりにある程度、推測が可能だ。ただ、会場の鏡の壁に自分のアバターが写るようにカメラ角度を調整するのだが、写っていなかったりする。手探りで自分(のアバター)が何であるかを確認していく遊びなのだ。

 ときにはカメラの向きの操作さえできないオブジェに憑依する場合もある。それでも、少なくとも会場を駆け回る子どもたちやうろうろする大人たちを人間動物園的に/ピーピングトム的に覗き見る楽しみはある(会場にいる人は、あらかじめ自分がカメラに映ることに同意する必要がある。顔が映るのがイヤという人にはお面を用意してある)。

 これは、憑依によってオブジェクト(=客体)がサブジェクト(=主体)に変わることを通じて、機械と人の交換可能性を考える契機になる。

 あるいは、(可能性はともかくとして)マインドアップロードの「予行練習」にもなりうる。

 そして、何度もログインして会場を見渡し、ときに限られた手法で介入し、自分のアバターが何であるか想像するうちに、実際に現地に足を運んでみたくなる。

 うーん、仕掛けの拡張性もあるし、なかなかよく考えられてるなあ。

アバターズ