ランス美術館展 

山口県立美術館

 山口県立美術館でランス美術館展をみる。

 ランスはパリの東北東約150キロに位置する人口18万の都市だ。メロヴィング朝初代国王クロヴィス1世がキリスト教改宗の洗礼を受けた歴史的な土地として知られる。ランスのノートルダム大聖堂は、フランス国内に残るゴシック様式の傑作のひとつ。そういえば、ジョルジュ・バタイユが神学生の頃に書いた処女作のタイトルは『ランスの大聖堂』。彼は1900年、3歳のときランスに移り、第一次大戦でドイツ軍に侵攻されるまでこの地で過ごした。

 ランスはシャンパーニュ地方に属し、ブリュット(辛口シャンパン)の開発で知られるポメリの本拠地でもある。ポメリのかつての経営者アンリ・ヴァニエが収集した600点を数える美術コレクションが、1913年開館のランス美術館の中心をなしている。今回はエドゥアール・デュビュッフによるルイ・ポメリ夫人の肖像画が展示されている。

 ランス美術館は日本とも縁の深いところで、アルフレッド・ジェラール(→wiki)が1891年ランス市に寄贈した日本の美術工芸のコレクション2500点がある。また、藤田嗣治がカトリックの洗礼を受けた地で、フジタ礼拝堂は彼の墓所となった。

 展示されたコレクションには17世紀フランドル絵画も混じっているが、ロマン主義や写実主義、バルビゾン派、印象派、象徴主義、自然主義など、18世紀末~20世紀初頭にかけてのフランス絵画の総カタログとしてみることができる。

 展示作品で最も有名なのは、ジャック=ルイ・ダヴィド(→wiki)の《マラーの死》だろう。ダヴィッドは新古典主義の巨匠だが、本作はテーマから言うとロマン主義的な印象も受ける。
 上半分がカラヴァッジオ的な暗闇で、下半分に浴槽に浸かったまま亡くなった男の上体が描かれている。ダラリと垂れさがった右腕の先には羽根ペンが握られ、傍には男を刺したと思しきナイフが落ちている。浴槽を覆った蓋に置かれた左手には何やら文字が書かれた紙。裸体の鎖骨の下には傷跡がぱっくりと口を開け、傷口の位置は異なるものの、明らかにイエスの十字架降下をイメージさせる。フランス革命期のジャーナリスト、ジャン=ポール・マラー(→wiki)はジャコバン派に属して恐怖政治を推進し、1793年、皮膚病を癒すため薬湯に入浴していたところ、ジロンド派支持者のシャルロット・コルデーに暗殺された。当時、ジャッコバン派に属して政治活動に参加していたダヴィッドは、革命家の死を神話化するために、殺された英雄をイエス磔刑に喩えて描いたのだ。美術展カタログに掲載された矢追愛弓のコラムによると、マラーの遺体は防腐処理の後、一般公開され、埋葬に先立って取り出されたマラーの心臓はしばらくの間、コルドリエクラブの天井に吊り下げられていたという。革命ロマンは常に流血とともにあった。"マラーの死"は文化的な影響も大きく、デレク・ジャーマン監督の映画『カラヴァッジオ』(1986年)では『マラーの死』を模した場面が出てくる。ピカソやムンクもマラーの死をテーマに描いた。ペーター・ヴァイス(→wiki)の戯曲でも、テーマとして扱われ、これは1967年にピーター・ブルックが映画化した。
 なお、展示された《マラーの死》は工房で何作か作られたものの一つ。原画はブリュッセルにあるベルギー王立美術館に収蔵。



 ロマン主義ではシャセリオー『バンクォーの亡霊』(1854頃)やドラクロワの『ボロニウスの亡骸を前にするハムレット』(1855頃)。

 写実派ではクールベの『彫刻家マルチェロ』(1870)ほか。

 バルビゾン派ではコローやミレー。

 印象派の先駆者とされるウジェーヌ・ブーダンの『ダンケルク周辺の農家の一角』(1889)。空の表情、大気の表情をとらえた画家で、コローは「空の王者」と称え、クールベは彼を「空を知っているのは君しかいない」と絶賛。印象派はほかにもシスレーの『カーディフの停泊地』(1897)やカミーユ・ピサロの『オペラ座通り、テアトル・フランセ広場』(1898)など。

 ゴーギャンの『バラと彫像』(1889)のほか、ナビ派のエドゥアール・ヴュイヤールやモーリス・ドゥニの作品がある。

 20世紀の作品で目を引いたのは、ヨーゼフ・シマ(Joseph Sima) の『ロジェ・ジルベール=ルコントの肖像』(1928)。
 ヨーゼフ・シマはシュルレアリスムの「大いなる賭け」の画家だが、カレル・タイゲらとデヴィェトスィルをはじめとするチェコ・アヴァンギャルド運動に参加した人でもある。ちなみに、タイゲは1929年、コルヴュジエによる《世界都市》計画におけるらせん状ジッグラトを批判した。
「大いなる賭け(Le Grand Jeu)」グループには、ヨゼフ・シマやロジェ・ジルベール=ルコント以外に、ルネ・ドーマルも参加していた。ドーマルはグルジェフの弟子で、アレハンドロ・ホドロフスキー(→ブログ)の映画『ホーリー・マウンテン』の原作となった『類推の山』の著者として知られる。
 ドーマルはアメリカ西海岸のカリフォルニアン・イデオロギーの霊感源の一つだ。
 マウスの開発で知られるエンゲルバード(→ブログ)の片腕としてNLS(→wiki)の開発でも重要な役割を果たしたディヴィッド・エバンスや"ホールアース・カタログ"のステュアート・ブラント(→wiki)らが、ニューメキシコのタオスでドーマルの思想に基づいた「パラダム会議」なるものに参加した話を、ジョン・マルコフが『パソコン創世第3の神話』p250あたりに記している。

 話が横道にそれてしまった^^;。

 藤田嗣治は数年前、会田誠の戦争画リターンズで注目された『アッツ島玉砕』や小栗康平の映画『FOUJITA』で話題になった。
 これまで猫の絵を含む数作しか作品を見ていなくてピンとこなかったが、今回の展示で、わりと面白い絵画を残していたことを知る。
 「聖ペテロ」の顔はまるで天狗のようだ。顔や表情の描き方がヨーロッパの一般的な画家と異なる。かといって日本人のように描くわけではない。中間的、というか鵺のように描く。
 ランスの特別コレクションだけでなく熊本県立美術館やひろしま美術館のコレクションも展示。『ヴァイオリンをもつこども』(1923)には妙に惹かれる。

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ラファエル前派展@山口県立美術館 

ラファエル前派展_リバプール国立美術館

 山口県立美術館で『ラファエル前派展』をみる。

 ラファエル前派(→wiki)というと、一般には典型的な美貌の女性ばかりを描くイメージが強く、同時代のフランスで活躍した印象派の画家たちが明るい外光のもと、既存の絵画の基本をなした輪郭線の概念を否定し、筆触分割によって光の質感を描いて抽象化への道を拓いたのに対し、彼らはラファエル以前の過去を手本とし、「自然を忠実に描く」と言いながら神話やロマンの世界に耽っていったように見られる。写真という絵画を脅かす新しいテクノロジーに対する態度にしても、フランス印象派が写真に対抗して絵画の独自性を追究したのに対し、ラファエル前派は写真技術に依存しながら己のファンタジーを細密に描いた感がある。現代文化に喩えるなら、明るい外光の下で遊ぶリア充でもなく、デジタル技術の進展を受けてそれを操るプログラマーを目指すのでもない、『限界費用ゼロ社会』を夢みながら想像世界にひきこもる「文系オタク」ぽさが漂うのだ。とはいえ、それが同時代の心霊主義やオカルティズムの受け入れ先となり、モダニズム美術運動のダークハーフたる象徴主義や唯美的傾向を誘発し、20世紀以降に飛躍的に拡大する映画に多くのイメージの泉を与えたことは積極的に評価されるだろう。また、「モダンデザインの父」と呼ばれ、生活全体の芸術化を目指したウィリアム・モリス(→wiki)がラファエル前派に深く関与したことも注目に値する。

 本展はあくまでもリバプール国立美術館所蔵作品の展示であり、ラファエル前派の中心をなした作家たち――ロセッティやミレー、ホルマン・ハント、後期のバーン=ジョーンズ――の絵画は全体の1/3に満たない。リバプール国立美術館所蔵品展とかヴィクトリア朝時代のイギリス絵画展とかではインパクトに欠けるということか。「ラファエル前派」という名称にブランド価値があるという判断なのか。

 11歳でロイヤル・アカデミー付属美術学校に入学を許されたという天童肌の技巧派ジョン・エヴァレット・ミレイは8点。妖しさ満載のロセッティに比べると自然の細部を忠実に描いている。最も有名な『オフィーリア』はテート・ブリテン所蔵なので観ることはできない。『春(林檎の花咲く頃)』(1859)では右端に、振り下ろされるかのような大鎌を背にして死者のように横たわる女性を描きこんでいる。

 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティはジョン・ポリドリの甥にあたる。ポリドリはケン・ラッセルの映画『ゴシック』で大きく取り上げられた、フランケンシュタインと吸血鬼を産み落とした、バイロン卿のジュネーヴ湖畔にある別荘の夜のエピソードに登場する(→wiki:ディオダディ荘の怪奇談義)。ロセッティはポリドリ家のゴシック趣味に満ちた書斎に多大な影響を受けて育った。レディ・リリスと対をなす『シビュラ・パルミフェラ』(1860-70)と『パンドラ』(1878)が展示してある。

 ラファエル前派に所属していないが、『ヘリオガバルスの薔薇』(1888年)で有名なローレンス・アルマ=タデマ(→wiki)は5枚。『テピダリウム』(1881年) はもっとサイズが大きいのかと思い込んでいた。

 フレデリック・レイトン(→wiki)。『プサマテ』(1879-80)や『ペルセウスとアンドロメダ』(1891)は映画的な構図。

 チャールズ・エドワード・ペルジーニ(1839年-1918年)はナポリ出身でイギリスで活躍した画家。レイトンに影響を受け、師弟関係にあった画家。『ドルチェ・ファール・ニエンテ(甘美なる無為)』(1882)と『シャクヤクの花』の2点。

 アルバート・ジョゼフ・ムーア(→wiki)の『夏の夜』(1890に最初の出品)。タデマのような扇情的でない、距離感のあるヌード。今回の展示の中で最も気に入った。

 象徴主義や世紀末美術の文脈で紹介されることの多いジョージ・フレデリック・ワッツ(→wiki)は5点。有名な『希望』のためのスケッチがある。『ブラウン神父』シリーズで名高いG.K.チェスタトンは『希望』を観て「タイトルはむしろ「絶望」とするのがふさわしいと評した。「これをこそ、女と呼ぼう」も頭部が後ろに倒れて左脚も闇のなかに隠れた妖しげな絵画だ。

 ロセッティの下で学び、ウィリアム・モリスとステンドグラスをいくつか共同製作したバーン=ジョーンズ(→wiki)は、大作『スポンサ・デ・リバノ(レバノンの花嫁)』や連作《イバラ姫》最初の場面『眠れる騎士たち》の習作など4点。

 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(→wiki)は3点。

『超絶技巧! 明治工芸の粋』展 

山口県立美術館

 山口県立美術館で『超絶技巧! 明治工芸の粋』展をみる。
 本展は村田理如のコレクションによる京都・清水三年坂美術館の所蔵品から、七宝や金工、漆工、牙彫、薩摩焼、印籠、自在、刺繍絵画等160点を展示するものだ。

 並河靖之(1845-1927)の有線七宝は精巧さが際立っていて、凄みさえ感じられる。たとえば山水図香炉では、淡い土色の地に金属線の肥痩表現と黒色釉薬のグラデーションだけでもって山水図様を描いている。
 明治政府は外貨獲得を目的として、伝統工芸品を欧米に輸出することを奨励。並河は1875(明治8)年の京都博覧会に出品した作品が銅賞を受賞したことから、その後も各国の博覧会に出品し、数多くの賞を受賞した。並河の作品は、ほかにも、同じく京都にある並河靖之七宝記念館で見ることができる。

 粂野締太郎の「蝶尽し香合」と「菊蝶尽し花弁形鉢」。 一瞥した限りでは模様としてみえないが、体長数ミリの蝶が無数に描かれている。

 金工ゾーンでは正阿弥勝義(1832-1908年)の『柘榴に蝉飾器』、『鯛鮟鱇対花瓶』が気に入った。前者は大ぶりの柘榴の弾けたところから蝉が這いだした様子を象っていて、さらには別のところから同じく這い出した塵虫が齧った跡まで生々しく表していてグロテスクにさえ感じられる。後者では、深海魚の鮟鱇にハモやサザエ、ハマグリ、海藻がまとわりつく様子を象っている。

 木彫・牙彫ゾーンで目が留まったのは、旭玉山(1843-1923)の『葛に蜘蛛の巣図文庫』。江戸生まれの玉山は、明治10年に上野で開かれた第1回内国勧業博覧会に髑髏の牙彫を出品し、最高賞の竜紋賞を受賞した。蜘蛛の巣を意匠にするというアイデアはどこから来たのだろう。石川光明の『蓮根に蛙』はグロテスクなまでに細緻。
 グロテスクに接近するリアリズムというのはどうなのだろう。明治期に輸出品として奨励されたというのだから、グロテスクを愛でる伝統を持つヨーロッパ人の趣味にあわせたのだろうか?それとも、日本では主流とはならなかったが、傍流として脈々と受け継がれた「奇想美」に基づくものなのか。

 ほかにも、甲冑師の明珍派が、鎧や武具づくりで培った細かな技術を活かしてつくった「自在」―数多くの細かい金属部品を蝶番や鋲でつなぎ合わせて複雑な動きを再現―や刺繍絵画も面白い。

 本展のキャッチコピーである"超絶技巧"は、かつてはリストの演奏困難な練習曲やパガニーニのバイオリン演奏を修飾する言葉として使用される場合がほとんどだったと記憶する。細緻を極めた美術作品は日本でも昔から存在したが、「技に淫する」という言葉があるように、日本の伝統的な美学では、やや疎んじられていたのではないかと思う。小学校低学年くらいの男の子が「むちゃくちゃ細かすぎてコワイ」と口にしていたが、日本人の大半はずっと、グロテスクに近づく迫真性より今日の商業アニメやアイドルたちに通じる「カワイイ」を好んできた。

 村田理如はカタログの前文で、明治30年代に入ると、急速な工業国化・軍事大国化が進み、それまで工芸に携わっていた優秀な人材が工業にシフトし、優れた工芸品がつくられなくなったと説明している。彼はスマホやタブレット端末等に用いられるコンデンサや通信モジュール、各種センサー等の精密部品の製造で知られる村田製作所の御曹司だ。京都は村田製作所のほかにも、京セラや島津製作所、オムロン、日本電産、村田機械(村田製作所の関連企業ではない)、ローム、日新電機など、精密機械工業が数多い。

 ことさらに示すのは企業の宣伝めいて無粋、という判断があったのだろう、本展では直截的に触れてはいないが、恐らく本展に込められたメッセージは2つ。繊細で精緻な京都の工芸文化を支えた職人たちの技術や集中力が、今日も世界をリードする京都の精密工業に受け継がれている、ということ。そして、それは江戸時代の長きに渡る平和がもたらした技術なのだ、ということに違いない。

 ↓は村田製作所のロボットプロジェクト"チアリーディング部"のデモ。



 ロボットを支える村田製作所の各種センサ技術をアピールすることを目的としたデモで、ジャイロセンサを用いて1秒間に1000回姿勢を計測、チアロボットの傾きを検出して身体を整え、ボールの真上で重心をキープしている。また、ステージの周囲に超音波と赤外線の発信機を設置し、チアロボットが赤外線センサと超音波マイクでそれらを受信したときの時間差で、ロボットの位置をリアルタイムに把握し、ロボット同士がぶつからないようにしてある。

 流れている曲は、やくしまるえつこが歌う「偏愛嗜好ーチア・チア」。口がなく記号化された目が光る抽象的な意匠は悪くないのだけど、日本で支配的な「カワイイ」文化にあまりに寄り添い過ぎているような。別に商品化するわけでもないし、あくまでも日本市場向けのデモ用なので、指摘する必要もないことだが、もし仮に世界的なデモまで考えているのならば、日本の「カワイイ」美学が全世界でウケてる!と思い込まない方が良いだろう。選択肢として本展にみられる「コワイイ」くらいの「迫真の美」がもっとあって良い。