『川原慶賀の植物図譜―シーボルトの見た日本』展@下関市立美術館 

下関市立美術館
 正面のブロンズ像は淀井敏夫「夏の海」(1972)

 下関市立美術館で『「ロシア科学アカデミー図書館所蔵 川原慶賀の植物図譜―シーボルトの見た日本』展。

『超絶技巧! 明治工芸の粋』展(→ブログ)を見に行ったように、「細緻系」はわりと好きだ。ただ、日本の伝統では一般に、細緻の追及は絵画・版画よりも工芸品―細工に向かった。

 川原慶賀(→wiki)は、町絵師の父のもと、1811年ころ長崎に生まれた。石崎融思に師事し、数少ない出島出入絵師として、1817年に来日したオランダ商館長ブロムホフのもとで長崎の風俗画や風景画、出島における商館員たちの生活を描いた。

 たとえば、展示された「人の一生シリーズ」。「腹帯・出産」では、右下に腹帯のさま、左上に赤子を産湯につける室内の様子を描くという、絵巻物や鎌倉時代の風俗画に由来する異時同図法や吹抜屋台を用いている。出産に続き「宮参り」「お見合い」「祝言の段取り」「結納」と来て「病臥」「葬列」「墓穴掘り」「送り火」…と、出島のオランダ人が、生まれてから死ぬまでの日本の習俗に好奇心を抱いていたことがわかる。ビデオで紹介された唐館の「龍踊図」、蘭館の「調理室図」では、縛ったイノシシを捌く姿や、肉を裁断する姿を描いている。

 メインの展示は、シーボルトに従って描いた植物画。シーボルトの『日本植物誌』(1935-70)は、川原が描いた写生画をもとに図が作成された。澁澤龍彦の生前最後のエッセイ集『フローラ逍遥』には、川原による梅やあじさい等の図版が載っている。

 会場には虫眼鏡が置いてあって、観客が手に取って作品を拡大してみることもできるようになっている。「薬効のある植物・毒性のある植物リスト」まで置いてあり、美術館の催しというより科学技術館の展示のようだ。精確な観察は科学の第1歩だ。

 冬瓜やシロウリのくるくるっとした細い巻きひげや、エイリアンの無数の触手のような根を細緻かつ丹念に描いている。ムベやジャケツイバラでは、シーボルトの助手を勤めたフランス人画家デ ・フィレニューフェの立体的な描写で描かれた実が添えてある。日本人の画家が立体的に描く手法を身に着けるのはずっと後のことだ。

 オランダでは17世紀にチューリップ・バブル(→wiki)があったが、その後も植民地を経由してヨーロッパのプラントハンターたち(→wiki)が、食料や香辛料、医薬品等に利用できそうな有用植物や観賞用の新種を求めて世界中を駆け巡った。ヨーロッパのシーパワーによるグローバリゼーションの歴史的エピソードの一つだ。

「分類学の父」と称される大博物学者カール・フォン・リンネ(1707-1778)の弟子の一人、カール・ツンベルク(→wiki)も、シーボルトより前、1775年にオランダ商館付医師として長崎・出島に赴任し、長崎や箱根で植物標本を収集して翌年、日本を離れた。

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ランス美術館展 

山口県立美術館

 山口県立美術館でランス美術館展をみる。

 ランスはパリの東北東約150キロに位置する人口18万の都市だ。メロヴィング朝初代国王クロヴィス1世がキリスト教改宗の洗礼を受けた歴史的な土地として知られる。ランスのノートルダム大聖堂は、フランス国内に残るゴシック様式の傑作のひとつ。そういえば、ジョルジュ・バタイユが神学生の頃に書いた処女作のタイトルは『ランスの大聖堂』。彼は1900年、3歳のときランスに移り、第一次大戦でドイツ軍に侵攻されるまでこの地で過ごした。

 ランスはシャンパーニュ地方に属し、ブリュット(辛口シャンパン)の開発で知られるポメリの本拠地でもある。ポメリのかつての経営者アンリ・ヴァニエが収集した600点を数える美術コレクションが、1913年開館のランス美術館の中心をなしている。今回はエドゥアール・デュビュッフによるルイ・ポメリ夫人の肖像画が展示されている。

 ランス美術館は日本とも縁の深いところで、アルフレッド・ジェラール(→wiki)が1891年ランス市に寄贈した日本の美術工芸のコレクション2500点がある。また、藤田嗣治がカトリックの洗礼を受けた地で、フジタ礼拝堂は彼の墓所となった。

 展示されたコレクションには17世紀フランドル絵画も混じっているが、ロマン主義や写実主義、バルビゾン派、印象派、象徴主義、自然主義など、18世紀末~20世紀初頭にかけてのフランス絵画の総カタログとしてみることができる。

 展示作品で最も有名なのは、ジャック=ルイ・ダヴィド(→wiki)の《マラーの死》だろう。ダヴィッドは新古典主義の巨匠だが、本作はテーマから言うとロマン主義的な印象も受ける。
 上半分がカラヴァッジオ的な暗闇で、下半分に浴槽に浸かったまま亡くなった男の上体が描かれている。ダラリと垂れさがった右腕の先には羽根ペンが握られ、傍には男を刺したと思しきナイフが落ちている。浴槽を覆った蓋に置かれた左手には何やら文字が書かれた紙。裸体の鎖骨の下には傷跡がぱっくりと口を開け、傷口の位置は異なるものの、明らかにイエスの十字架降下をイメージさせる。フランス革命期のジャーナリスト、ジャン=ポール・マラー(→wiki)はジャコバン派に属して恐怖政治を推進し、1793年、皮膚病を癒すため薬湯に入浴していたところ、ジロンド派支持者のシャルロット・コルデーに暗殺された。当時、ジャッコバン派に属して政治活動に参加していたダヴィッドは、革命家の死を神話化するために、殺された英雄をイエス磔刑に喩えて描いたのだ。美術展カタログに掲載された矢追愛弓のコラムによると、マラーの遺体は防腐処理の後、一般公開され、埋葬に先立って取り出されたマラーの心臓はしばらくの間、コルドリエクラブの天井に吊り下げられていたという。革命ロマンは常に流血とともにあった。"マラーの死"は文化的な影響も大きく、デレク・ジャーマン監督の映画『カラヴァッジオ』(1986年)では『マラーの死』を模した場面が出てくる。ピカソやムンクもマラーの死をテーマに描いた。ペーター・ヴァイス(→wiki)の戯曲でも、テーマとして扱われ、これは1967年にピーター・ブルックが映画化した。
 なお、展示された《マラーの死》は工房で何作か作られたものの一つ。原画はブリュッセルにあるベルギー王立美術館に収蔵。



 ロマン主義ではシャセリオー『バンクォーの亡霊』(1854頃)やドラクロワの『ボロニウスの亡骸を前にするハムレット』(1855頃)。

 写実派ではクールベの『彫刻家マルチェロ』(1870)ほか。

 バルビゾン派ではコローやミレー。

 印象派の先駆者とされるウジェーヌ・ブーダンの『ダンケルク周辺の農家の一角』(1889)。空の表情、大気の表情をとらえた画家で、コローは「空の王者」と称え、クールベは彼を「空を知っているのは君しかいない」と絶賛。印象派はほかにもシスレーの『カーディフの停泊地』(1897)やカミーユ・ピサロの『オペラ座通り、テアトル・フランセ広場』(1898)など。

 ゴーギャンの『バラと彫像』(1889)のほか、ナビ派のエドゥアール・ヴュイヤールやモーリス・ドゥニの作品がある。

 20世紀の作品で目を引いたのは、ヨーゼフ・シマ(Joseph Sima) の『ロジェ・ジルベール=ルコントの肖像』(1928)。
 ヨーゼフ・シマはシュルレアリスムの〈グラン・ジュ〉(大いなる賭け)に関わった画家だが、カレル・タイゲらとデヴィェトスィルをはじめとするチェコ・アヴァンギャルド運動に参加した人でもある。ちなみに、タイゲは1929年、コルヴュジエによる《世界都市》計画におけるらせん状ジッグラトを批判した。
「グラン・ジュ(Le Grand Jeu)」グループは、ルネ・ドーマルとロジェ・ジルベール=ルコントを中心メンバーとしてランスで結成された。ドーマルはグルジェフの弟子で、アレハンドロ・ホドロフスキー(→ブログ)の映画『ホーリー・マウンテン』の原作となった『類推の山』の著者として知られる。
 ドーマルはアメリカ西海岸のカリフォルニアン・イデオロギーの霊感源の一つだ。
 マウスの開発で知られるエンゲルバード(→ブログ)の片腕としてNLS(→wiki)の開発でも重要な役割を果たしたディヴィッド・エバンスや"ホールアース・カタログ"のスチュアート・ブランド(→wiki)らが、ニューメキシコのタオスでドーマルの思想に基づいた「パラダム会議」なるものに参加した話を、ジョン・マルコフが『パソコン創世第3の神話』p250あたりに記している。

 話が横道にそれてしまった^^;。

 藤田嗣治は数年前、会田誠の戦争画リターンズで注目された『アッツ島玉砕』や小栗康平の映画『FOUJITA』で話題になった。
 これまで猫の絵を含む数作しか作品を見ていなくてピンとこなかったが、今回の展示で、わりと面白い絵画を残していたことを知る。
 「聖ペテロ」の顔はまるで天狗のようだ。顔や表情の描き方がヨーロッパの一般的な画家と異なる。かといって日本人のように描くわけではない。中間的、というか鵺のように描く。
 ランスの特別コレクションだけでなく熊本県立美術館やひろしま美術館のコレクションも展示。『ヴァイオリンをもつこども』(1923)には妙に惹かれる。

ラファエル前派展@山口県立美術館 

ラファエル前派展_リバプール国立美術館

 山口県立美術館で『ラファエル前派展』をみる。

 ラファエル前派(→wiki)というと、一般には典型的な美貌の女性ばかりを描くイメージが強く、同時代のフランスで活躍した印象派の画家たちが明るい外光のもと、既存の絵画の基本をなした輪郭線の概念を否定し、筆触分割によって光の質感を描いて抽象化への道を拓いたのに対し、彼らはラファエル以前の過去を手本とし、「自然を忠実に描く」と言いながら神話やロマンの世界に耽っていったように見られる。写真という絵画を脅かす新しいテクノロジーに対する態度にしても、フランス印象派が写真に対抗して絵画の独自性を追究したのに対し、ラファエル前派は写真技術に依存しながら己のファンタジーを細密に描いた感がある。現代文化に喩えるなら、明るい外光の下で遊ぶリア充でもなく、デジタル技術の進展を受けてそれを操るプログラマーを目指すのでもない、『限界費用ゼロ社会』を夢みながら想像世界にひきこもる「文系オタク」ぽさが漂うのだ。とはいえ、それが同時代の心霊主義やオカルティズムの受け入れ先となり、モダニズム美術運動のダークハーフたる象徴主義や唯美的傾向を誘発し、20世紀以降に飛躍的に拡大する映画に多くのイメージの泉を与えたことは積極的に評価されるだろう。また、「モダンデザインの父」と呼ばれ、生活全体の芸術化を目指したウィリアム・モリス(→wiki)がラファエル前派に深く関与したことも注目に値する。

 本展はあくまでもリバプール国立美術館所蔵作品の展示であり、ラファエル前派の中心をなした作家たち――ロセッティやミレー、ホルマン・ハント、後期のバーン=ジョーンズ――の絵画は全体の1/3に満たない。リバプール国立美術館所蔵品展とかヴィクトリア朝時代のイギリス絵画展とかではインパクトに欠けるということか。「ラファエル前派」という名称にブランド価値があるという判断なのか。

 11歳でロイヤル・アカデミー付属美術学校に入学を許されたという天童肌の技巧派ジョン・エヴァレット・ミレイは8点。妖しさ満載のロセッティに比べると自然の細部を忠実に描いている。最も有名な『オフィーリア』はテート・ブリテン所蔵なので観ることはできない。『春(林檎の花咲く頃)』(1859)では右端に、振り下ろされるかのような大鎌を背にして死者のように横たわる女性を描きこんでいる。

 ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティはジョン・ポリドリの甥にあたる。ポリドリはケン・ラッセルの映画『ゴシック』で大きく取り上げられた、フランケンシュタインと吸血鬼を産み落とした、バイロン卿のジュネーヴ湖畔にある別荘の夜のエピソードに登場する(→wiki:ディオダディ荘の怪奇談義)。ロセッティはポリドリ家のゴシック趣味に満ちた書斎に多大な影響を受けて育った。レディ・リリスと対をなす『シビュラ・パルミフェラ』(1860-70)と『パンドラ』(1878)が展示してある。

 ラファエル前派に所属していないが、『ヘリオガバルスの薔薇』(1888年)で有名なローレンス・アルマ=タデマ(→wiki)は5枚。『テピダリウム』(1881年) はもっとサイズが大きいのかと思い込んでいた。

 フレデリック・レイトン(→wiki)。『プサマテ』(1879-80)や『ペルセウスとアンドロメダ』(1891)は映画的な構図。

 チャールズ・エドワード・ペルジーニ(1839年-1918年)はナポリ出身でイギリスで活躍した画家。レイトンに影響を受け、師弟関係にあった画家。『ドルチェ・ファール・ニエンテ(甘美なる無為)』(1882)と『シャクヤクの花』の2点。

 アルバート・ジョゼフ・ムーア(→wiki)の『夏の夜』(1890に最初の出品)。タデマのような扇情的でない、距離感のあるヌード。今回の展示の中で最も気に入った。

 象徴主義や世紀末美術の文脈で紹介されることの多いジョージ・フレデリック・ワッツ(→wiki)は5点。有名な『希望』のためのスケッチがある。『ブラウン神父』シリーズで名高いG.K.チェスタトンは『希望』を観て「タイトルはむしろ「絶望」とするのがふさわしいと評した。「これをこそ、女と呼ぼう」も頭部が後ろに倒れて左脚も闇のなかに隠れた妖しげな絵画だ。

 ロセッティの下で学び、ウィリアム・モリスとステンドグラスをいくつか共同製作したバーン=ジョーンズ(→wiki)は、大作『スポンサ・デ・リバノ(レバノンの花嫁)』や連作《イバラ姫》最初の場面『眠れる騎士たち》の習作など4点。

 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(→wiki)は3点。