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『1968年 激動の時代の芸術』展 

 小倉のリバーウォークにある北九州市立美術館分館で開かれた『1968年 激動の時代の芸術』展に行ってみた。

 主催は1968年展実行委員会(北九州市立美術館・読売新聞社・FBS福岡放送)、美術館連絡協議会。本展は、昨年9月19日~11月11日まで千葉市美術館で開催されたもの。12月1日~1月27日まで小倉で開かれた後、静岡県立美術館(会期:2月10日~3月24日)へと巡回予定。

 A.激動の1968年

 アートというより報道写真が多い。60年代の日本は新聞全盛時代で、ジャーナリストやルポライターが数多く活躍し、ミステリ小説の主人公には、新聞記者や雑誌記者が多かった。『ウルトラQ』(→wiki)では、女性新聞記者が自衛隊の戦闘機に乗い込み、怪獣退治の指示をしていた。怪獣/モンスターは巨大な敵をシンボライズし、ヒーローが民衆のパワーを象徴する場合もあった。
 現在では新聞の発行部数減少に伴って、世界的に見ても報道写真みたいな現代アートが多くなってきた。後世の歴史学者たちは、21世紀の現在について、ジャーナリスト/アーティスト/アクティヴィストが一まとめになってきた時代だと物語るかもしれない。
 先月末に亡くなった橋本治(→wiki)の「第19回駒場祭」ポスター。「とめてくれるなおっかさん 背中のいちょうが泣いている」は1970年頃、宣伝コピーとして広く使われており、幼稚園時代に広告で見かけたのをなぜか今でもおぼえている。
 頭脳警察のレコード・ジャケット、木村恒久のフォトモンタージュ作品が3点。「米軍燃料輸送列車事故」に関わると思しき作品も。横尾忠則が表紙デザインを手掛けた「少年マガジン」。当時はもっぱら少年ジャンプの「トイレット博士」とか読んでいたw。
 A-2は美術界。「いま、美術家と呼ばれているなら、そこが戦場だ」by美共闘の堀浩哉。

 北九州での開催なのだから、松本清張の活躍にも触れると良かったのではないだろうか。彼は文学・歴史だけでなく、今ではすっかり自民党と親密になった公明党のおひざ元、創価学会と共産党の合作を企てるなど、政治的な活動も行った。

 B.1968年の現代美術

 B1は千円札裁判と「反戦と解放」展、赤瀬川原平らの。B1-15の東京地方裁判所刑事第701号法廷(第1回公判の経過絵図)が面白い。「実験工房」の瀧口修造は、反戦と解放展に対する意見の食い違いにより、赤瀬川や石子順造に批判された。
 B2は環境芸術とインターメディア。磯崎新らが深くかかわった『空間から環境へ』展(1966)関係。ちなみに海外では、1968年にヤシャ・ライハートがロンドンのICAで、初の大規模なコンピュータ・アート展となるサイバネティック・セレンディピティ展(→wiki: Cybernetic Serendipity)を開催。さらに翌年にかけて、日本のアートやデザインを海外に紹介する「蛍光菊(Fluorescent Chrysanthemum)」展をICAとヴァンクーーバー美術館で開き、後述の河口龍夫の作品をはじめとする環境芸術の作品が出品された(→artscape: 2015.10.14~ヤシャ・ライハートの60年代の「展覧会」を読み解く )。


 B2-26は松本俊夫と秋山邦晴(音楽)による「つぶれかかった右眼のために」(戦後映像芸術アーカイブ所蔵)。3台の映写機を使ってのマルチプロダクション。これは、1968年4月に雑誌『デザイン批評』が草月会館で主催した「EXPOSE 1968 なにかいってくれ、いまさがす」の2日目に上映された。本展の2日目には、横尾忠則やや黒川紀章らの企画で、ブラックライトやスライドなどを使った「サイコ・デリシャス」というサイケデリック・ショーが繰り広げられた。
 小型のPC用プロジェクターが安く手に入るようになった現在、プロジェクション・マッピング以外にもさまざまなプロジェクション・アートが溢れていても不思議はないのだが、たとえば上海ビエンナーレ(→ブログ)のビデオ・インスタレーションでは、壁3面に映写する作品はあっても、プロジェクションの工夫はほとんど見られなかった。
 河口龍夫(→wiki)の『無限空間におけるオブジェとイメージの相関関係又は8色の球体』(1968)。ネオダダの発案者、吉村益信(→wiki)の『反物質 ライト・オン・メビウス』(1968)は大分県立美術館収蔵品。

 B3は大阪万博関連。ご存知、太陽の塔(→ブログ)やせんい館、三井グループ展関係。たぶん次の大阪万博が近づいてきたら、きっと『Expo'70展』が企画されるに違いない。
 B4は反博の動きと万博破壊共闘派。
 B5は、最近、再評価が進んでいると言われるトリックス&ヴィジョン(→artscape)。VRが普及しつつある現在、エッシャー的というか錯視研究の重要性があらためて注目されていることと関係するのだろうか。美術が「知覚」研究と結びつくことが初めて強く意識されてきたのは、この時代ではなかろうか。
 鈴木慶則の『非在のタブロー(キリコによる)』(→静岡県立美術館(SPMA)コレクション風景の交響楽)、関根伸夫(→wiki)の『位相 NO.4』。丹羽勝次の箱シリーズ(→静岡県立美術館コレクション風景の交響楽)、前田守一(→SPMA)の遠近のものさし(折り尺)、高松次郎(→wiki)の『遠近法の椅子とテーブル』、飯田昭二のHalf and Half(→SPMA)。グループ幻触(→atscapeキュレーターズノート『グループ「幻触」と石子順造 1960-1971 工藤健志(青森県立美術館)』との関係。石子順造の「絵画による絵画論」。

 C.領域を超える芸術

 アンダーグラウンドの隆盛~演劇・舞踏・実験映画。C1では演劇・舞踏は横尾忠則や粟津潔、赤瀬川原平らのポスターが主。舞踏はこの時代、ビデオカメラでの記録映像はあまり残っていなかったかな。
 C2はイラストレーションの氾濫。横尾忠則による映画『新宿泥棒日記』(→ブログ)ポスター。横尾は主演も果たした。宇野亜喜良(→wiki)による一連の天井桟敷ポスター、粟津潔や中村宏(→wiki)、その他のポスター。
 C3は漫画と芸術。つげ義春や林静一、タイガー立石、のほか、赤瀬川原平、高松次郎、篠原有司男。林静一(→wiki)は小学生の頃、地元の図書館で『赤色エレジー』を読んだ覚えがある。wikiによると、東映動画に宮崎駿と同期でアニメーターとして働き、『狼少年ケン』等を担当。高畑勲の初監督アニメ映画『太陽の王子 ホルスの大冒険』に準備段階から関わっていたらしい。本展カタログにエッセイを寄せている。
 C4のサイケデリックの季節は、おもに田名綱敬一(→wiki)関係。本展カタログにインタビューが載っている。カタログでは、黒川紀章が設計し、一柳慧が音響を手掛けた「スペース・カプセル」や「キラー・ジョーズ」、ゴーゴースポットの「パニック」にも言及して、アートとダンスカルチャー史の関係を明らかにしている。現在まで引き継がれるクラブカルチャーの源流も、1968年前後にあると言えるかもしれない。

 マンガ・アニメについては現在、Amazonプライムビデオで配信中の『どろろ』(→wiki)も、今年BEMとしてリメークされる『妖怪人間ベム』(→wiki)も、最初のテレビ放映は1968年前後に始まった。団塊の世代が成人して中間層が増大し、テレビ・雑誌の普及に伴いサブカルチャー(→wiki)が飛躍的に成長し始めたのが、この時代だった。

 D.新世代の台頭

 森山大道や中平卓馬のプロヴォーク、関根伸夫の『位相―大地『もの派』、「ビデオアース」の中島興による『もの派』の記録ビデオ、「オブジェを消せ」で名高い「日本概念派」(by千葉成夫)の重要人物、松澤宥(→wiki)や、高松次郎、河原温、瀧口修造等と「実験工房」を創設し、写真教育にも多大な貢献をした大辻清司(→wiki)の作品もあり。

 本展は、2013年の『実験工房展』(→ブログ:武満徹の電子音楽から実験工房へ)の続編的な意味合いもある。若い頃の60年代オタ癖がむくむくと頭をもたげてきて、思わずカタログまで購入してしまった^^;。

 売店では、ジョセフ・ヒースの『反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか』が販売されていた。話題になっていたのは知っていたが、タイトルのイメージから「対抗文化がいかに資本主義社会で消費されていったか」という内容かと思っていた。ちょっと読んでみたが、けっこう辛辣な文化左翼批判の話だったのね。
 日本は少子高齢化による若者の人口減で、強力なインパクトのある新しいカルチャーを生み出す力を失っている。ここは65歳以上の、カネと時間を持て余す世代に、60年代カルチャー再評価に参加してもらい、次の大阪万博に向けて日本の60年代前衛カルチャーを称揚し、クール・ジャパンの柱の一つとしてPRしようという思惑が、どこかにあるのかもしれない。前衛のリサイクル活用。ただ、まあそれも動員数次第、という時代になった。

 織田信長の時代から第2次世界大戦まで、おおむね「人生50年」と言われ、1980~ゼロ年代前半くらいまでは人生70年、80年という認識が一般的だったが、医療が発達して胃がんや血管・心臓系の病気がだいぶ克服されてライフシフトが生じ、今や「人生100年時代」と呼ばれるようになった。

 橋本治は20歳の学生時代に駒場祭ポスターで注目され、数多くの著書を出してたくさんのファンに恵まれ、先月末に亡くなった。私も林美雄のパックインミュージックで橋本治の「桃尻娘」を知って以来、『暗野(ブラックフィールド)』、『サイモン&ガーファンクルズ・グレイテスト・ヒッツ+1』、『蓮と刀』、『鞦韆』、『愛の矢車草』、『江戸にフランス革命を!』、『浮上せよと活字は言う』くらいまで追いかけた世代だ。

 その彼が亡くなって、「まだ70歳だったのに」と惜しまれる時代となった。

 1968年テーマパークができたらぜひ3泊くらいしてみたいものだ。

 文中敬称略。

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『驚異の超絶技巧展』@山口県立美術館 



 山口県立美術館で、『驚異の超絶技巧展』を観る。

 本展は、おもに京都・清水三年坂美術館の所蔵品を紹介した『超絶技巧! 明治工芸の粋』展(→ブログ)の続編。

 今回は明治時代の輸出用工芸と現代アートの作家の作品をつなげる企画。

 プロローグで現代作家の代表作品をいくつか取り上げ、七宝→金工→漆工→木彫・牙彫→自在→陶磁→刺繍絵画の各セクションへと導き、ふたたび現代作家の作品へ。

 プロローグでは、もとボクサーからとなった前原冬樹による一刻木彫『皿に秋刀魚』。有線七宝の第一人者、春日幸彦の『反逆』は、蛇革バッグからぬっと蛇のクビが。大竹亮峯『自在 鹿子海老』は木彫による自在。第一触覚はクジラのヒゲに漆塗って尾肢、腹肢は和紙に漆塗って透けたような感じに。稲崎栄利子のarcadiaは繊細の極致。輸送が大変w。



 七宝セクションではおもに並河靖之の工房による分業製作作品。『蝶図瓢形花瓶』など。

 金工セクションの解説によると、1873年ウィーン万博当時の欧米の金工作品はブロンズや銀の鋳造品が多く、日本の金、銀、素銅、赤銅、四分一といった多様な色金を用いた高度な彫り、複雑な象嵌技術でヨーロッパ人を魅了したらしい。加納夏雄、正阿弥勝義の群鶏図香炉二種など。

 撮影が許可されたのは以下の2作。


 一つは高橋賢悟(1982~)のOrigin as a human(2015)。生花を型どりしてアルミニウムを流し込む鋳造技法(「焼失原型法」と呼ばれる)によるフラワースカル。ダミアン・ハーストの『神の愛のために』の真逆を行く?


 もう一つは、初代宮川香山の「猫二花細工花瓶」。高浮彫(たかうきぼり)と呼ばれる立体的な装飾をあしらった作品。

 現代作家セクションでは、プロローグで紹介された作家たちの他にも、会田誠の美学校での「」にいた臼井良平。学部でも修士でも主席だったという佐野藍の大学お買い上げ作品「Python xxx」は、リューターや刃物で大理石から切り出したボールパイソン。更谷富造『夏の記憶』は、海松でつくった樹枝の上で向かい合うカブトムシとクワガタ。地の粉。濃密な黒が好い。

 満田晴穂の『自在蛇骨格』は、500パーツからつくられた骨格自在。満田は高瀬好山の系譜を引く京の富木宗行に入門。



 実在する動物をハイパーリアルに再現するのもいいが、ギーガーの造形したエイリアンなど、これまで見たこともないような画期的なモンスターを超絶技巧で創出してほしいものだ。モンスターホラー映画とのタイアップとかしないものかな。



ターナー展@北九州市立美術館 

北九州市立美術館

 ようやくリニューアルした北九州市立美術館本館で、オープン記念の『ターナー 風景の詩』展とベスト・コレクション展を観る。

 ターナー展は4章仕立てになっており、第1章は地誌的風景画、第2章・海景――海洋国家に生きて、第3章・イタリア――古代への憧れ、第4章・山岳――あらたな景観美をさがして。スコットランド国立美術館群や郡山市立美術館の所蔵品が多い。

第1章:トポグラフィ。ターナーが17歳の時、ロイヤルアカデミー展に出品した『マームズベリー修道院』(水彩/1792展示)。マームズベリー修道院と言えば、11世紀に人工の翼で飛行を試みたエイルマー(→wiki)が想い起される。
『フォントヒル・アベイの東景、真昼』(水彩/1800展示)は、ゴシック小説の名著『ヴァテック』を書いたウィリアム・ベックフォード(→wiki)の指示で建つこととなった修道院風建築物の工事中を描いた作品。
 ほかにも『ウィトルシャーのストーンヘンジ』(1827-28)など。自然の景観に人工的な建築物を少しだけ添える作品が多い。

第2章:海景。『ヘレヴーツリュイスから出港するユトレヒトシティ64号』(油彩/1832展示)は、映画『ターナー、光に愛を求めて』のヴァニシング・デイのエピソードに登場する。ユトレヒトシティ64号はイギリス名誉革命(1688年)でイギリス議会に招かれたオランダのウィレム3世(→wiki)が出航した艦隊の先導艦。これは海景画というより歴史画なのだ。
 その他、『風下側の海辺にいる漁師たち、時化模様』(油彩/1802展示)など。

第3章:古代への憧憬。専門家でないので断言はできないが、ターナーは目の前に実在する風景を描くときは強いのに、空想の産物を描くと、とたんに絵が弱くなるような気がする(『ユトレヒト号―』は例外?)。ターナーのこの「欠点」を補うように後代、イギリスで勢力を伸ばしたのが、ロマン肥大気味のラファエル前派(→ブログ)ということだろうか。ターナー自身は教養に乏しい下層民だったので、古代史の知識、パトロンたちを通じて得られたものがほとんどだったという。
 第3章テーマとは離れる一点、『遠景に山が見える川の風景』(油彩/1840-50)は、色彩や光、空気感を探求して、具象的な風景がおぼろとなり抽象に接近していった後期の作品。「抽象」というより現象学的アプローチ、という方が近いかな。

第4章:山岳画。解説によると、ブリューゲルの初期作品やサルヴァトール・ローザ(→wiki)という孤高の例外を除いて、山岳は18世紀までヨーロッパ芸術のテーマになることはなかった、そうだ。日本では、中国から導入された山水画の伝統があるが、ヨーロッパでは絵画のテーマにヒエラルキーがあって、歴史画(神話画)を頂点に、肖像画、風俗画、風景画、静物画の順となる。ブログ:『ルドルフ2世の驚異の世界展』 でも触れたが、そこにはカトリックとプロテスタントの宗教対立が、アカデミーなど美術的権威に対してどれだけ影響力を持っていたかに関わっているような気がする。ルーラント・サーフェリーなんかも山岳画と言えるような絵画を残しているのではなかろうか(サーフェリーはしょせん博物画の人として軽視されているのかな?)。
『サン・ゴタール山の峠、悪魔の橋の中央からの眺め、スイス』(水彩/1804展示)や『ルツェルン湖越しに見えるピラトゥス山』(水彩/1842頃)など。ターナーは1840年代前半にヨーロッパに何度も足を運び、おもにルツェルンやハイデルベルクの風景を好んでスケッチしたという。ピラトゥス山はゴンドラか何かで登ったことがある(上でカップラーメン売ってたw)。

第5章:版画作品。ニコラ・プッサンの様式を取り入れた『ノアの大洪水』など。

 ターナーは、1793年までにベツレムの精神科医で美術コレクターのトマス・モンロー(→wiki:Thomas_Monro)に才能を認められたそうだ。母親の精神疾患と関係があったのだろうか?。精神科医と美術の関係は興味深い。草間彌生を発見したのは西丸四方(→wiki)であり、アール・ブリュットに大いに関わるパトグラフィー学会は精神科医の集まりだ。現代美術のコレクターとして名高い高橋龍太郎も精神科医。

 由良君美の『ディアロゴス演戯』には、「崇高」の画家として、ターナーとともにジョン・マーティン(→wiki)を紹介していた。マーティンは英国ロマン派の画家・版画家で都市計画家でもあった。二人の崇高でロマンティックな自然描写は、現代のハリウッド映画にも一部、受け継がれているような気がする。

『コヴェナント』や『ブレードランナー:2049』(→ブログ)を観てメアリー・シェリーの『フランケンシュタイン』やその関連書などを読み直しているのだが(そういえばキネマ旬報12月下旬号に、ダオダディ荘の怪奇談義(→wiki)を扱った映画『ゴシック』の監督、ケン・ラッセルの生誕90年を記念して、今年7月にロンドンで開かれた「Ken Russel:Perspectives, Reception and Legacy」という学会に参加した大森さわこの記事があった)。メアリー・シェリーとターナーは同時代の人。ちなみにターナー(1775-1851)、メアリー・シェリー(1797-1851)、コールリッジ(1773-1834)、ワーズワース(1770-1850)、バイロン(1787-1824)、ジョン・キーツ(1795-1821)・・・。
『フランケンシュタイン』を最初の近代SFとして位置づけたオールディスの『十億年の宴』には、彼女の作品に影響を及ぼしたというエラズマス・ダーウィン(→wiki)に関する記述があるが、ターナーも若い頃、エラズマス・ダーウィンにならった詩を書いていることを本展で知る。

 小倉昭和館で映画『ターナー、光に愛を求めて』を上映していた様子。こういうコラボは素晴らしい。日本は今、好景気だし、ターナーの他の作品を観にいくロンドン観光ツアーのチケットも紹介したらどうかな?

 本展ではターナーの「崇高」な側面よりも、マイルドな風景画を前面に出しているので、ラスキンの『近代画家論』やラスキンの思想的側面を紹介する伊藤邦武『経済学の哲学』、清水真木の『新・風景論』等をネタに書く方が健全な市民と言えるのかもしれない。ラスキンはマルクスと一つ違い。マルクス的な社会主義ではなく、ラスキンーウィリアム・モリス的な「社会主義」のほうが日本に合ってるかも的な議論がある。もちろん世間は何を今さら社会主義という風潮だが、文科省系の行政機関や教育機関、文化施設、地方自治体には、想像以上に社会主義シンパが多いようだ。