DOMMUNE2017/07/06~ダーク・アンビエント&フリンジカルチャー 

 7月6日のDOMMUNE19:00~は、NEdS RECORDSの臼田文明と宇田川岳夫によるフリンジカルチャー⑦「ポストアポカリプティックな世界」。今回来日したエンプサイ(Empusae――Nicolas Van Meirhaegheのプロジェクト)のダーク・アンビエントなリチュアル・ミュージックの世界を歴史的文脈で理解するためのレクチャー、という感じかな? Mistress MAYAも同席。
 ニコラスはライプツィヒで毎年開催される欧州最大級のダークミュージックの祭典、Wave-Gotik-Treffen(→wiki),略してWGT[ベーゲーテー]でも公演した。



 勝手に加筆・省略しながらまとめておこう。

 1980年代に世界的に高揚したインダストリアル・ミュージックのムーブメントは音楽領域に限られた現象ではなかった。ダダ・シュルレアリスム等の芸術運動やバラード、バロウズ、ディック、ピンチョンらのSF的な文学、ティモシー・リアリーやジョン・C・リリーらに代表されるサイケデリック・カルチャー、ビートルズも傾倒したアレイスター・クロウリーや『注目すべき人々との出会い』で知られるグルジェフ(→wiki)らのオカルト運動への強い関心と連動していた。

 スロビング・グリッセル(以下TG)やサイキックTVのジェネシス・P・オリッジ(→wiki:Genesis P-Orridgeのアツイこと!)はいち早く魔術や身体変工(→wiki:身体改造)を自分の音楽に導入。



 1983年にはネクロフィル・レコードwiki:Nekrophile Rekordsが立ち上がり、サイキックTVにもいたことのあるZos Kiaらはクロウリーの「法の書」を音楽化する試み等をおこなった。

 COILはオースティン・オスマン・スパー(→wiki)のケイオスマジックに傾倒し、AIN SOPHはジュリアーノ・クレメルツ(wiki:Giuliano Kremmerzを取り入れた。

 また、イギリスの実験音楽グループCurrent 93(→wiki)の動向も見逃せない。彼らは初期のクロウリー一辺倒からグノーシス派へと傾いていった。

 彼らは儀式魔術と電子音楽の融合や音楽による変性意識の形成を目指すとともに身体変工にも興味を示した。J.P-オリッジ(本名:Neil Andrew Megson)はTOPY(Thee Temple ov Psychick Youth)を組織して宗教団体化をはかり、自ら乳房をつけるなどした。

 そして、ORPHX(→wiki)や2002年にエンプサイのファストアルバムFUNESTUSをリリースしたDivine Comedy RecordsやATHANOR等に集った者たちの活動を通して、ダーク・アンビエント/リチュアル・ミュージックが発展してきた、ということかな。



 エンプサイは今年15周年を迎えるゴシックインダストリアルクラブMidnight★Mess @大久保Earthdomで公演が予定されている。

 ミュージック・コンクレートのピエール・アンリ(Pierre Henry, 1927年12月9日~)が亡くなったというニュースが流れてた。

 うーん、秋田昌美の『ノイズ・ウォー』とか読み直してしまったヨ。



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『ダ・ヴィンチ・コード』は夜明けの晩に電気クラゲの夢を見る。 

  ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』は2004年に米国で出版されて以来、全世界で約5000万部を売り上げたそうだ。ソニーピクチャーズの映画は現在公開中で、カトリックの反発を招きながらも大ヒットを記録している。
 イエスが実はマグダラのマリアとデキていて磔刑を逃れて南仏に渡り、ふたりの子孫がフランスのメロヴィング王朝につらなり……という話は、十数年前に出版されて話題となったバーバラ・スィーリングの『イエスのミステリー』やヘンリー・リンカーンやマイケル・ベイジェント、リチャード・リーの『レンヌ=ル=シャトーの謎 イエスの血脈と聖杯伝説』(盗作騒ぎになったね)、マーガレット・スターバード の『マグダラのマリアと聖杯』、リン・ピクネット&クライブ・プリンスの『マグダラとヨハネのミステリー』などの著書で読書家の間では以前から知られていたけど、こんなに爆発的なヒットに結びつくとは思わな かった。ハリー・ポッターしかり陰陽師しかり、オカルトはいつの時代も人類を魅了してきた。
 マイケル・ベイジェントとリチャード・リーが本作品を盗作だと訴える気持ちは分からないでもない。これだけ大ヒットしたのだから多少のおこぼれが欲しいだろう。しかし裁判所は、歴史上の仮説は引用されても盗作にはあたらず、これを禁止すれば作家の創造性を阻害してしまうと判断した。個人的には印税の数パーセントは分けてあげてもいい気がするが、具体的に何パーセントにするか誰も根拠をもって決められないだろう。『レンヌ=ル=シャトーの謎』だってもとはといえばフランス人であるピエール・プランタール、フィリップ・ド・シェリセー、ジェラール・ド・セードなどによる「作品」を下敷きにしているのだし。詳しい事情を知りたい方は、Wikipediaで「シオン修道会」を検索すれば良い。

レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説
マイケル ベイジェント ヘンリー リンカーン リチャード リー

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マグダラのマリアと聖杯マグダラのマリアと聖杯
マーガレット・スターバード 和泉 裕子

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ジュール・ヴェルヌの暗号―レンヌ=ル=シャトーの謎と秘密結社ジュール・ヴェルヌの暗号―レンヌ=ル=シャトーの謎と秘密結社
ミシェル ラミ Michel Lamy 高尾 謙史

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マグダラとヨハネのミステリー―二つの顔を持ったイエスマグダラとヨハネのミステリー―二つの顔を持ったイエス
リン ピクネット クライブ プリンス Lynn Picknett

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 藝術新潮の6月号では『ダ・ヴィンチ・コードの○と×』と題し、小池寿子と宮下誠の対談を載せている。
 小池寿子といえば『死者のいる中世』や『マカーブル逍遙』の著者で中世ヨーロッパの死と腐敗の美学を探求する学者。宮下誠はパウル・クレーの研究家として知られる。正直な感想を言わせていただけば、できれば小池寿子と荒俣宏で中世やルネサンスの美術とキリスト教オカルティズムの密接な関係についてディープに対談して欲しかった。
 それというのも、宮下誠が少々いただけなかったからだ。「自分は20世紀美術の専門家だから聞き役に回ります」と殊勝なことを言いながら、まああけすけにダン・ブラウンをけなすことけなすこと。ゲージュツなんてえものはビートたけしを冠にしてさえ『誰でもピカソ』が低視聴率にあえぐほど大衆受けしない分野なのだから、幅広い人たちにルネサンス美術の面白さをアピールしてくれた『ダ・ヴィンチ・コード』を高飛車な態度で批判するのはいかがなものか。「美術評論家ってタカビーで感じワル~」と思われるより、むしろ本作品をネタにオカルトと芸術の怪しい関係を熱っぽく語って、アートファンを増やしたほうが建設的ではなかろうか。あるいは藝術新潮の読者は超ベストセラーの娯楽小説に対して斜に構える人が多いというパーセプションに基づいてのことか。まあ確かにダン・ブラウンが本の扉に書く「この小説における芸術作品、文書、秘密儀式に関する記述はすべて事実に基づいている」という一文は、ちょっと首を傾げたくなるけどね。
 20世紀アートの専門家を名乗るなら、本作に出てきた「シオン修道会」の存在を証明するという秘密文書『ドシエ・スクレ』がピエール・プランタールやジェラール・ド・セードらによる偽造であって、このセードという人はシュールレアリスト詩人のポール・エリュアールとも親しく、1940年代に“Les Reverberes”や“La Main a Plume”といったシュールレアリスト・グループに属していて、それらは60年代にクリプトグラフィー(暗号法)やアナグラムに熱中したウリポ(Oulipo)――潜在的文学工房――という文学グループ(ミシェル・レリスやレイモン・クノーも参加した)に発展する……といった事情なんかを話して欲しかった。さもなくばアンドレ・ブルトンの『魔術的芸術』を引き合いに出してシュールレアリスムとオカルティズムの豊穣なる関係史をひも解くとか、「シオン修道会」の歴代総長にどうしてジャン・コクトーの名前が挙がっているのかについてうんちくを傾けるとか、いろいろ話を広げられるじゃん。
 対照的に小池さんはじつにイイ味を出している。『ダ・ヴィンチ・コード』については細かい瑕疵を指摘しながらもわりと好意的で、しかも「ブドウ絞り器としてのイエスって知ってる? イエスの身体がブドウ絞り器になってて赤ワインの血がドッバーって出て、それを聖杯が受け止めるんですよ~」とか「レオナルドは視覚にとても興味があって、死体からくりぬいた目玉を輪切りにしようとしたらニュルニュルして切れなかったもんだから、茹でちゃった」などと発言するところはサービス精神旺盛だ。ベルギー・ブリュージュの聖血教会にも言及しているし、映画でソフィー役を演じたオドレイ・トトゥの容貌をねちねちといたぶる点も女の悪意に溢れていて楽しかった。「シオン修道会」の歴代総長に名を連ねる錬金術師、ニコラ・フラメルに関する著書を訳しているくらいだからオカルト関係はもともと好みなのだろう。
 わが愛するアウトサイダーアートの世界にも、オカルトは大きな影響を及ぼしている。
 霊に憑かれて描かれる霊媒アートはアウトサイダーアートの一大分野だ。エレーヌ・スミスは憑依状態で火星文明を描いたし、オギュスタン・ルサージュはティアナのアポロニウスの霊に導かれて偏執的な絵画を描き始めた。アンドレ・ブルトンに発掘されたジョセフ・クレパン は手かざしの霊的磁気治療師だったし、マッジ・ギルは「マイニナレスト」という創造の精霊にとりつかれて狂気の刺繍に明け暮れた。
 乱暴に言ってしまえば精神疾患とオカルトとアウトサイダーアートとコンスピラシーセオリー(陰謀論)は竹馬の友みたいなものなのだ。
芸術新潮 2006年 06月号 [雑誌]芸術新潮 2006年 06月号 [雑誌]
新潮社 2006-05-25
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ヴェニスビーチとボッティチェリ 

ripcronk
 もうかれこれ10年近くたつが、南カリフォルニアに1年ばかり滞在したことがある。  南カリフォルニアなんてアート好きが1年も滞在するような土地ではないよなあ、と行く前には思っていたが、どうしてどうして。ニューヨークやパリに比べたらもちろん見劣りするけれど、ロサンゼルスにはゲッティ・セン ター現代美術館(MOCA)ロサンゼルス・カウンティー美術館 (LACMA)、パサデナのノートンサイモン美術館といった優れたミュージアムがあるし、各地でアートフェアの催しも盛んだ。抜けるような青い空のもとにいると、アート鑑賞がなにやら犯罪的な趣味に思えて後ろめたくなるのが唯一の難点だが。
 ロサンゼルスの近郊に、ヴェニスビーチという町がある。イタリアの水の都ヴェニスを模して創られた町で、当初はヴェニスにならって運河が縦横に巡らされていたが、その痕跡は現在ほとんど残っていない。滞在中に何度か足を運んだが、ビーチ沿いにボードウォーク(歩行者専用道)がえんえん伸びていて、週末ともなるとストリートミュージシャンや大道芸人が繰り出し、とても賑やかで明るい町だった。
 そのボードウォーク沿いの中心部に上掲の写真のような壁画がある。ロンリープラネット社のロサンゼルス・ガイドの表紙にもなっていたからご存知の方もいるかもしれない。吹き出しにある”History is Myth"のメッセージはいかにも歴史を否定した都市、ロサンゼルスを表現している。描いたのはRip cronk。

 この絵の元ネタはもちろん、ボッティチェリ(1445-1510)の『ヴィーナスの誕生』だ。ヴィーナス(Venus)とヴェニス(Venice)は似て いるので、ひょっとするとイタリア・ヴェニスの守護神はヴィーナスだったのだろうか、と一瞬思ったが、ヴェニスはイタリアではヴェネ ツィアだし、私の調べた限りでは無関係だ。(誰かご存知の人がいたら教えてください)


 ボッティチェリは1445年にフィレンツェで生まれた。近所にはアメリカの語源となったアメリゴ・ヴェスプッチの出身であるヴェスプッ チ家の屋敷があった。画僧フィリッポ・リッピに師事し、偉大なる芸術のパトロン、ロレンツォ・デ・メディチの庇護のもとプラトンアカデミーの人々と交遊し、数々の傑作を世に出した。ほかにも『プリマベラ』が有名だ。1481年にはローマでシスティナ礼拝堂の壁画も手がけた。晩年はサヴォナローラに影響されて画風が暗くなり人気が失墜したものの、ルネサンスの巨匠の一人であることには変わりない。
 この作品、異教(といってもギリシャやローマの伝統的な神話世界)と官能が花開くルネサンスの象徴ともいうべき傑作で、官能的といってもイヤラしさのない、どこまでも優美で典雅な作品に見える。
 しかし、ディディ・ユベルマンの『ヴィーナスを開く―裸体、夢、残酷』によるとそうではない。

 ヴィーナス(アフロディテ)は、クロノスが残酷な父神ウラヌスのペニスを斧で切り落として海に捨てたところにできた泡の中から生まれた。つまり最高の美は陰惨と嗜虐の極みから生まれたのである。ボッティチェリは本作品でこそ、その事情を表立って表現していないが、『ナスタージョ物語』という作品で、男の愛を受け入れなかったために背中を引き裂かれ内臓をえぐりだされる美しいニンフを描いている。つまり、明快さや生気に満ちたルネサンス芸術も、ヨーロッパ芸術の宿痾ともいうべき残虐性の伝統を免れていないとユベルマンは言いたいのだ。
 ヨーロッパ芸術が残酷? と首をかしげる人もいるかもしれないが、ヨーロッパの美術館や教会を実際に巡ってみると、さまざまな残忍な方法で殉教を遂げる聖人たちを描いた作品が山ほどあって戸惑う人も多いはず。拷問吏によって手回しの巻き上げ機で小腸を引き出される聖エラスムス、乳房を切り取られるマルタ島の守護聖女アガタ、両目をえぐられるシチリア島のサンタ・ルチアなどなど。キリスト磔刑図や中世の鞭身派を見ても、ヨーロッパの宗教及び芸術がSM的な要素を多分に含んでいるのは事実だ。日本で展示会が開催されるときにはそのあたりの事情が周到に隠蔽されていて、一般大衆にはわからないようになっている。ホンモノの芸術を追求したけりゃヨーロッパにでも留学すればいいじゃん、てなもんである。
 ボッティチェリとヨーロッパ芸術の嗜虐性の関係について興味のある方には、ぜひ読んでいただきたい著書である。