芸術新潮2017年9月号 ~日本のアニメ ベスト10 

 1917年に日本でアニメが誕生して今年が100周年。これを記念して芸術新潮が、「日本アニメ100年の歴史の中で、もっとも重要だと思われる10作品をお挙げください」というアンケートを出して、「アニメに造詣の深い」30人の批評家が答えた結果をもとにしたのが今回の企画。
 アニメ・漫画を専門とする批評家だけでなく、サブカルや視覚文化、アート全般の批評家もいる。年齢層も幅広い。ただ、キネ旬の映画年間ベストは、100名以上の選者による投票なので、それに比較すると選者の人数が少ないし、一般的なアニメファンにとっては「偏っている」印象を受けるかもしれない。

 上位の結果はおおむね予想通りというか穏当。あくまでも『芸術新潮』の中心読者層に向けたものであり、『アタック・ナンバーワン』や『巨人の星』、『魔法使いサリー』、『怪物君』、『サザエさん』、『ONE PIECE』などは1票も入っていない(と思ったら『巨人の星』はだれかあげてた)。サザエさんは2016年09月号で特集している。まあ、読者が選ぶオールタイム・ベスト100的なものはテレビでやればよいだけのことだ。
 個人的には『ふしぎなメルモ』(→wiki)や『化物語』(→wiki)が入っていないのが不満w。全体に、原作の力が大きいのかアニメとしての力が大きいのか、とかややこしい問題を含む。本来なら原作なしのオリジナル脚本のものだけを対象にすべきだろうが、それだと対象範囲が狭すぎる。劇場用アニメもテレビ放映もひっくるめて、というのもアバウトだが、対象が狭くなるのを避けるためだろう。

 政岡憲三の「くもとちゅうりっぷ」を挙げる人がわりと多い。

 五十嵐太郎が日本近代美術の環境づくりに貢献したペール北山(→wiki:北山清太郎)の現存する『浦島太郎』(1918)をあげている。

 椹木野衣(62生)と『視覚文化「超」講義』の石岡良治(72生)がともに手塚治虫の『どろろと百鬼丸』(→wiki:どろろ)をあげているのは素晴らしい。生まれて初めて衝撃を受けたアニメだ。幼児期に父親の権力欲が招いた妖怪たちに身体のほぼ全パーツを奪われ、妖怪退治をする毎に取り戻すという設定はインパクトが強かった。wikiによると1969年4月6日~同年9月28日にフジテレビ系で放映されたという。そう、最初はタイトルが『どろろ』だったが、明らかに視聴者の関心は、百鬼丸に注がれていたもんな…。タイトルが途中変更されるケースは、1971年開始の特撮ドラマ『スペクトルマン』(→wiki)でも繰り返された(最初は敵役の「宇宙猿人ゴリ」がタイトルだった)。
 確か『どろろ』は負けず嫌いで知られる手塚が『ゲゲゲの鬼太郎』に対抗して描き始めたのではなかったろうか。

 氷川竜介がフォトリアル型の3DCGとセルルック型(背景は3Dぽく人物は従来の2Dニュアンスを残す)について解説していて勉強になる。

 湯浅政明『夜明け告げるルーのうた』がフランスの国際アニメーション映画祭でグランプリを受賞。湯浅の作品はまだ見ていない。

 村上隆の新たなアニメへの挑戦、6HP(シックスハートプリンセス)にも触れている。

 アニメ100年史はスカスカしているが、美術雑誌なんだから、もう少し美術界との関係性に触れてほしかった。

 特集以外に注目したのは、アツコバルーで開催された『極限芸術展』。福山市の「鞆の津ミュージアム」で2013年に開かれた『極限芸術~死刑囚の表現』や同市内のクシノテラスで2016年におこなわれたその第2弾をベースとして、アツコバルーが作品選定した模様。
 加藤智大(→wiki:秋葉原通り魔事件)の『艦これイラストロジック全65問』(2016)は、現代アートっぽい。
 現在も冤罪を主張している林眞須美(→wiki:和歌山毒物カレー事件)による『死刑台のシルエットロマンス』(2013-15)も、アウトサイダーアートっぽくて悪くない。
 記事の冒頭ページを飾るのは、オウムの古参幹部の一人で1989年の坂本弁護士一家殺害事件を実行した宮前一明(→wiki:岡崎一明)の『糞掃衣』―つぎはぎだらけの真っ白な作務衣。彼の作品は宮前吼宇(岡崎の画号)のサイトで見ることができるが、ほかの死刑囚と比べると、絵画の素養が感じられる。

 アニメ特集でエヴァがベスト1に選ばれた庵野秀明は、1960年5月22日に宇部市で誕生したが、岡崎もまた同年10月8日、宇部市に隣接する美祢市で生まれ、宇部市や山陽小野田市で少年時代を送った。宇部市と美祢市は産業的にも深く結びついた都市だ。庵野は宇部高校時代、美術部の部長だったが、岡崎もまた、中学時代に美術部に所属していたことがあったようだ。
 同じ年に近隣地域で生まれ育ち、同じように絵を描くのが好きだった二人の少年。テレビの普及に伴い、アニメや特撮ドラマが子供の心に大きな影響を及ぼすようになった時代、視聴していたアニメや特撮もほぼ共通していたに違いない。ウルトラマン、宇宙戦艦ヤマト……。
 庵野は高校時代からアニメや映像づくりに熱中し、爆発シーンの特殊効果がプロに認められ、宮崎駿のプロジェクトに参加して、飛躍的な成長を遂げるアニメ業界で大きな成功をつかみとる。
 一方の岡崎は、アニメ同様、7~80年代に流行したオカルト・精神世界に夢中になり、貧しさゆえに大学に進学できず、学習教材の営業で能力を発揮するものの、度重なる家族の不幸や自身の事故もあって、新興宗教を転々とした挙句、オウム神仙の会にたどり着く。87年には男性の弟子で初の「大師」となり、サマナから絶大な人望を集めたが、教団の暴走に加担していく。坂本一家殺害事件は、岡﨑の自首によってオウムの犯行であることが判明したが、自首による刑の軽減が認められることはなく、オウム事件で初めて死刑が確定された。岡崎は坂本一家殺害に「加担」どころか、「多大な役割を果たした」と認識されたのだ。
 1995年は大きなターニングポイントだ。すでに岡崎はオウムと縁を切っていたが、巨大化して暴走を続けるオウム真理教は地下鉄サリン事件を巻き起こし、9月6日、坂本弁護士の遺体発見に伴って、岡崎は逮捕される。かたや庵野は同年10月に開始したTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』で、大きな社会現象を巻き起こす。
 二人の辿った足跡を並行して追っていくと、それこそ20世紀後半における日本精神史の"光と闇"が描けるのではないか……。

 宇部でご当地映画をつくるという話があれば、ちょっと考えてほしいネタではある。
 ポジティブなイメージだけでなく、ネガティヴな側面も直視してはじめて、ご当地映画も深みを増す。二人が生まれた時代、宇部は「煤煙のまち」として全国に知られていた。

 とはいえ、今や日本のアニメ業界のみならず、日本映画全体でも大きな存在となった庵野にとっては、現在のところ、あまり宇部色や山口色が前面に出るのは得策ではない。宇部市も今はあまり露骨なふるまいに出ていない。
 ただ、庵野の引退時期を見計らって?、大きな「企画」が持ち上がることは、地元民なら多くの人が推測するところだろう。宮崎駿が75歳を超えた今もなお、引退を匂わせながら現役を続けているので、庵野の引退もまだまだ先のことかもしれないが。

 まあ、とにかく『芸術新潮』には、1年に一度くらいの頻度で、「日本の特撮ドラマ30選」とか「日本のモンスター/怪獣ベスト50」とか、特集してほしいもんだ。

 文中敬称略。



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土居伸彰トークショー&ユーリー・ノルシュテイン特集 

 YCAMでアニメ研究科の土居伸彰のトークショー、及び旧ソ連の切り絵アニメの巨匠、ユーリー・ノルシュテイン特集。

 国際アニメーション祭『GEORAMA』(→ブログ:GEORAMA2014@YCAM)を主宰するなど、世界のあまり知られていないアニメを日本に紹介する土居伸彰のトークショーは、以前みた『この世界の片隅に』(→ブログ)の上映に続く催し。
 4回観たという土居は、本作は主人公すずの失われた右手を取り戻す試みだと指摘。人は個人的なリアリティを通してのみ作品に共感するという「想像力の限界」の話にも触れていた。

 『この世界の片隅に』で強い印象を残した映像――すずが時限爆弾によって、右手で手をつないでいた姪っ子を、右手と共に失った直後の、暗闇に火花が散るシネカリグラフィー――は、ノーマン・マクラレンへのオマージュだという。
 土居曰く、共感覚者だった(←Artwords:ヴィジュアル・ミュージック/モーション・グラフィクス)というマクラレンの『線と色の即興詩』(1955)↓


 ユーリー・ノルシュテインの特集は、以下の6作品。
 「25日・最初の日」(1968年/10分)はアルカージィ・チューリンとの共作。「25日」とは今年がちょうど100周年となる、1917年に起きたロシア10月革命の最初の日。ショスタコーヴィッチの交響曲11番/12番をBGMに、ジョルジュ・ブラックの都市イラストやマヤコフスキーの漫画をモチーフにしたデビュー作。

 「ケルジェネツの戦い」(1971年/10分)はイワン・イワノフ・ワノーとの共作。リムスキー・コルサコフの同名の間奏曲をバックに、ロシア正教のフレスコ画イコン(→wiki:イコン)や細密画の手法を用いた、平面性を強調した作品。

 「キツネとウサギ」(1973年/10分)は、ロシア民話をベースに、鮮やかな色彩と素朴さを併せ持つガラジェッツの民衆絵画を手法として用いた寓話アニメ。



 「アオサギとツル」(1974年/10分)は撮影監督アレクサンドル・ジュコフスキーとともに、北斎・広重の浮世絵・水墨画に特徴的な自然描写に倣って幻想的に仕上げた作品。

 「霧の中のハリネズミ」(1975年/10分)は、ノルシュテインといえばこれ、と語られる有名な作品。主人公はハリネズミのヨージックで、ほかにも小熊やミミズク、白馬、犬、魚、蛾の群れといった動物が登場する。深みのある映像は、多層のガラス面に切り絵を配置するマルチプレーンという手法で創出された。

 「話の話」(1979年/29分)は、複数のタッチで編まれた映像叙情詩的な作品。おもに灰色狼の子の視点で話が進むが、特にストーリーはない。それでも思わず引き込まれるのは、一つ一つのイメージが丹念に描かれて、動く絵画(及び絵が動くこと)の魅力をじゅうぶんに備えているから。温かみのある手の感触が伝わってくるような絵がほとんどだが、たとえば、母親の乳房にしがみつく赤子は、H・R・ギーガーのエアブラシ作品のように不穏な何かを感じさせる。揺りかごの赤子、牛のなわとび、雪の上のリンゴ……。

 文中敬称略。

アニメ映画『この世界の片隅に』 

 チャチャタウン小倉にある小倉シネプレックスで、こうの史代原作・片渕須直(かたぶち すなお)監督のアニメ映画『この世界の片隅に』をみる。

 概要はこちら(→wiki:この世界の片隅に)。

 片渕須直のアニメ映画は、以前に『マイマイ新子と千年の魔法』を見ている。監督に随行してロカルノ映画祭やモントリオール(ファンタジア映画祭)まで行った防府在住の熱心な若い知人にチケットをもらったのだ。ただ、当時は宮崎駿や庵野秀明は見ていたが、アニメというジャンルに対してほとんど愛がなかったし、「ご当地アニメかよ」という色眼鏡もあって、ピンとこなかった。

 しかし、今回はおっとりのんびりの主人公すずのキャラや声優のんの魅力が大きく、結構よかった(い、いやマイマイ新子が魅力的でなかったというわけぢゃないよ^^;)。コトリンゴが歌う『悲しくてやりきれない』が、今でも時おり耳の奥でこだましている。ちなみに作詞したサトウハチローは、広島の原爆で弟を喪ったと聞く。

 作品は戦前~戦中期の地方の人びとの生活や風俗、考え方を丹念に忠実に再現しているようだ。交際期間もなく、いきなり見ず知らずの男性の家に嫁にいくことはざらにあったし、初夜を迎える嫁の心得について祖母から指南されることも、(たぶん)普通にあったに違いない。
 ほとんどの人は猫背気味だし、嫁の朝一番の仕事は天秤棒を両肩で担いで共同井戸に水を汲みに行くことだったし、兄弟・親子間でも友人間でも、殴ったり叩いたりといった暴力的な接触が多かった。

 主人公すずが嫁いでいく呉の北條家は、当時の田舎の民家にしては珍しく、書棚に本が多い。舅が広海軍工廠の化学系技師で、夫の周作は軍の事務官だ。一方的に見染められて嫁に入ったすずは、最初は夫・周作に昼間から戸外で求愛されると抵抗するが、時を重ねるうちに身をゆだねるようになる。

 「乱暴で粗野な軍人に無理やり嫁にされた女性がひそかに草食系に思いを寄せる」というのが、現代的または文学的な「政治的正しさ」のはずだ。しかし、この映画では当時の地方女子の一般的嗜好を忠実に反映して、幼馴染の軍人の方が明らかにモテている。

 すずは絵を描くのが何よりも好きな少女だった。
 危険も顧みずに、すずは対空砲火の5色の煙を「美しい」と感じ、常に持ち歩いているスケッチ帳に描き写そうとする。ちなみに対空砲火の煙は、実際にあのように5色に色づけられていたそうだ。そういえば『美術手帖』(2013年11月号)のインタビューで横尾忠則が、9歳のときに神戸大空襲で空が真っ赤に染まるのを見た記憶を振り返って「僕にとっての戦争は、そこから恐怖を外してしまえば、実はある意味でファンタジーの世界でしたね」と語っていた。

 この映画での戦争は、ゆっくりと日常に忍び寄ってくる。
 日本一の軍港だった呉では、戦艦大和を筆頭に多くの軍艦が建造された。真珠湾を襲撃した伊号潜水艦5隻は、呉の倉橋島から出撃した。しかし、幼い姪っ子は無邪気に戦艦の巨大さに感動するだけで、軍艦がどこで何をするのか無関心だ。戦場はまだ国内ではなく、遥か彼方の南方や中国大陸にあったのだ。

 私もかつて、イラン・イラク戦争時のイランを訪れたことがある。しかし、戦場から遠く離れた場所では、人びとは普通に暮らしており、オヤジたちはイラクからのミサイルが近郊に着弾しても、「ミサイルがあたるのは、よほど運が悪いやつだ」と笑っていた(→ブログ:映画『アルゴ』)。戦時中を実感させるものといえば、街角で見かける数多くの兵員服の男たちや、テレビの塹壕中継(当然、戦闘中ではない)、たまに見かける負傷兵の姿だけだった。

 映画では戦争が進むにつれ、次第に物資が不足し、食糧が配給制になるが、すずは野草を調理したり、楠公飯をつくるなどして一見、楽しそうにもみえる。しかし、昭和20年の春先には敵の軍機が飛来するようになり、空襲警報が増えていく(→wiki:呉軍港空襲)。それでもしばらくは、「空襲警報もう飽きた」と子供が言うほどで、切迫感が伝わってくる「戦時中」は、原爆投下までの1か月間に集中する。

 おっとりのんびりのすずは、昭和天皇の玉音放送を聞いて、それまで抑えていた感情を一気にほとばしらせる。

 エンディングロールが終わった後に登場するものに、観客は驚愕するに違いない。

 『シン・ゴジラ』といい『君の名は。』といい、本作といい、今年は邦画の当たり年。何が起こったのだ? 日本映画いよいよ「覚醒」か?

 ※余談だが、母方の伯父は、真珠湾攻撃に参加した航空母艦の機関士を務めていたと聞いたことがある。伯父はその後、戦地を巡って呉に帰還。結婚して間もなく妊娠した妻(つまり義伯母)は、本作のすずと同世代で、呉まで伯父に面会に行った帰り、広島駅で被曝した。トイレにいたため直接、光を浴びず一命をとりとめたが、胎内にいた子(つまり従兄弟)とともに原爆症を抱えた人生を送った。伯父は戦死をまぬがれたが、復員輸送艦で働いている最中に病気で倒れ、戦後間もなく亡くなった。従兄弟は50歳を迎えることなく白血病で病死。義伯母はその後、3年前に86歳で他界した。

 文中敬称略。