湯浅政明アニメ作品2本(DVD) 

 湯浅政明の『夜明け告げるルーのうた』と『夜は短し歩けよ乙女』をDVDで視聴。

 基本的にアニメというジャンルにあまり思い入れがなく、『マインドゲーム』が話題にのぼった際にも見なかったが、『芸術新潮』の昨年9月号(→ブログ)で、『ルー』がアヌシーで長編部門グランプリを受賞したと知って(といっても4か月以上も経ったが^^;)、視聴することにした。

 2次元アニメの第一印象を決めるのは、一に描線、二にカラーリング、三に主題曲なのだなあ、とあらためて思う。日本的意匠を取り上げながらも日本のテレビアニメの伝統とは異なる無国籍な雰囲気が漂っている。また、変化し続けるイメージ群とはつかず離れずの微妙な距離感を保っていて、観客の俯瞰的視聴と没入とを時間的にデザインしている。



 アニオタや漫画オタクでなくても、そこには過去の優れたアニメ作品へのオマージュがいくつもちりばめられていることくらいはわかる。複数のアニメのキメラという感じがしなくもない(悪い意味でなく)。アニメーション界のラ・ラ・ランド、あるいはアニメ史アニメ?。
 たとえば『ルー』の主人公カイの風貌には、西尾維新と新房昭之の〈物語〉シリーズの阿良々木暦の影を感じるし、終盤には松本大洋の漫画をおもわせる描線もあった。湯浅は松本の『ピンポン』をアニメ化している。
 ほかにも、名前は出てこないが^^;、たしか一度、文化庁メディア芸術祭アニメーション部門(→wiki)の作品展で見かけて印象に残った誰かの描画を想起させた。

『ルー』はメインキャラ自体が宮崎駿の『ポニョ』に似ている。最初はやりすぎじゃね?と思ったが、湯浅としては、あえて似たキャラをメインに据えることで、宮崎駿と自分の作品世界を比較して観て欲しいという挑戦的な思いがあったのかもしれない。このあたりは専門家の分析を待ちたいところだ。メタファーとしての傘が意味するもの、無数の死と誕生が永遠に繰り返される海の両義性……。
 視線を縦方向に動かす演出は、跳躍と墜落をイメージさせる。観客の視線のコントロールはかなり意識的だ。ディテールはないのに仄かにエロを感じさせるところ、ルーと一緒に海面から浮上する水の塊が、球体ではなく寒天やところてんみたいなぷるぷるした直方体というのも好い。



『夜は短し歩けよ乙女』は、森見登美彦による第20回山本周五郎賞受賞作が原作。個人的には〈物語〉シリーズでの新房昭之の仕事を想い出したが、〈物語〉シリーズでは西尾維新の言語遊戯をそのままセリフにしているのに対し、『夜はー』では絵に語らせているところが大きい。とにかく、日本の豊饒な文学的コンテンツ文化の伝統がこだまする。

 そこには、本歌取りや模倣、剽窃に対する寛容によって肥沃な文化に成長したという、日本文化の特徴が、明示的にあらわれているような気がする。

 文中敬称略。

 追記
『マインドゲーム』をDVDで観た。TVアニメを見ないのに言うのもナンだが、この時代(2004年)はこういう「青年アニメ」がまだ残っていたんだなあ、と感慨にふける。

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芸術新潮2017年9月号 ~日本のアニメ ベスト10 

 1917年に日本でアニメが誕生して今年が100周年。これを記念して芸術新潮が、「日本アニメ100年の歴史の中で、もっとも重要だと思われる10作品をお挙げください」というアンケートを出して、「アニメに造詣の深い」30人の批評家が答えた結果をもとにしたのが今回の企画。
 アニメ・漫画を専門とする批評家だけでなく、サブカルや視覚文化、アート全般の批評家もいる。年齢層も幅広い。ただ、キネ旬の映画年間ベストは、100名以上の選者による投票なので、それに比較すると選者の人数が少ないし、一般的なアニメファンにとっては「偏っている」印象を受けるかもしれない。

 上位の結果はおおむね予想通りというか穏当。あくまでも『芸術新潮』の中心読者層に向けたものであり、『アタック・ナンバーワン』や『巨人の星』、『魔法使いサリー』、『怪物君』、『サザエさん』、『ONE PIECE』などは1票も入っていない(と思ったら『巨人の星』はだれかあげてた)。サザエさんは2016年09月号で特集している。まあ、視聴者が選ぶオールタイム・ベスト100的なものはテレビでやればよいだけのことだ。
 個人的には『ふしぎなメルモ』(→wiki)や『化物語』(→wiki)が入っていないのが不満w。全体に、原作の力が大きいのかアニメとしての力が大きいのか、とかややこしい問題を含む。本来なら原作なしのオリジナル脚本のものだけを対象にすべきだろうが、それだと対象範囲が狭すぎる。劇場用アニメもテレビ放映もひっくるめて、というのもアバウトだが、対象が狭くなるのを避けるためだろう。

 政岡憲三の「くもとちゅうりっぷ」を挙げる人がわりと多い。

 五十嵐太郎が日本近代美術の環境づくりに貢献したペール北山(→wiki:北山清太郎)の現存する『浦島太郎』(1918)をあげている。

 椹木野衣(62生)と『視覚文化「超」講義』の石岡良治(72生)がともに手塚治虫の『どろろと百鬼丸』(→wiki:どろろ)をあげているのは素晴らしい。生まれて初めて衝撃を受けたアニメだ。幼児期に父親の権力欲が招いた妖怪たちに身体のほぼ全パーツを奪われ、妖怪退治をする毎に取り戻すという設定はインパクトが強かった。wikiによると1969年4月6日~同年9月28日にフジテレビ系で放映されたという。そう、最初はタイトルが『どろろ』だったが、明らかに視聴者の関心は、百鬼丸に注がれていたもんな…。タイトルが途中変更されるケースは、1971年開始の特撮ドラマ『スペクトルマン』(→wiki)でも繰り返された(最初は敵役の「宇宙猿人ゴリ」がタイトルだった)。
 確か『どろろ』は負けず嫌いで知られる手塚が『ゲゲゲの鬼太郎』に対抗して描き始めたのではなかったろうか。

 氷川竜介がフォトリアル型の3DCGとセルルック型(背景は3Dぽく人物は従来の2Dニュアンスを残す)について解説していて勉強になる。

 湯浅政明の『夜明け告げるルーのうた』が、フランスのアヌシー国際アニメーション祭(→wiki)で長編部門グランプリを受賞したとのこと。湯浅の作品はまだ見ていない。

 村上隆の新たなアニメへの挑戦、6HP(シックスハートプリンセス)にも触れている。

 アニメ100年史はスカスカしているが、美術雑誌なんだから、もう少し美術界との関係性に触れてほしかった。

 特集以外に注目したのは、アツコバルーで開催された『極限芸術展』。福山市の「鞆の津ミュージアム」で2013年に開かれた『極限芸術~死刑囚の表現』や同市内のクシノテラスで2016年におこなわれたその第2弾をベースとして、アツコバルーが作品選定した模様。
 加藤智大(→wiki:秋葉原通り魔事件)の『艦これイラストロジック全65問』(2016)は、現代アートっぽい。
 現在も冤罪を主張している林眞須美(→wiki:和歌山毒物カレー事件)による『死刑台のシルエットロマンス』(2013-15)も、アウトサイダーアートっぽくて悪くない。
 記事の冒頭ページを飾るのは、オウムの古参幹部の一人で1989年の坂本弁護士一家殺害事件を実行した宮前一明(→wiki:岡崎一明)の『糞掃衣』―つぎはぎだらけの真っ白な作務衣。彼の作品は宮前吼宇(岡崎の画号)のサイトで見ることができるが、ほかの死刑囚と比べると、絵画の素養が感じられる。

 アニメ特集でエヴァがベスト1に選ばれた庵野秀明は、1960年5月22日に宇部市で誕生した。岡崎もまた同年10月8日、宇部市に隣接する美祢市で生まれ、宇部市や山陽小野田市で少年時代を送った。宇部市と美祢市は産業的にも深く結びついた都市だ。庵野は宇部高校時代、美術部の部長だったが、岡崎もまた、中学時代に美術部に所属していたことがあったようだ。
 同じ年に近隣地域で生まれ育ち、同じように絵を描くのが好きだった二人の少年。テレビの普及に伴い、アニメや特撮ドラマが子供の心に大きな影響を及ぼすようになった時代、視聴していたアニメや特撮もほぼ共通していたに違いない。ウルトラマン、宇宙戦艦ヤマト……。
 庵野は高校時代からアニメや映像づくりに熱中し、爆発シーンの特殊効果がプロに認められ、宮崎駿のプロジェクトに参加して、飛躍的な成長を遂げるアニメ業界で成功をつかみとる。
 一方の岡崎は、アニメ同様、7~80年代に流行したオカルト・精神世界に夢中になり、貧しさゆえに大学に進学できず、学習教材の営業で能力を発揮するものの、度重なる家族の不幸や自身の事故もあって、新興宗教を転々とした挙句、オウム神仙の会にたどり着く。87年には男性の弟子で初の「大師」となり、サマナから絶大な人望を集めたが、「教団を守るため」という思いから、むしろ教団の暴走に加担していく。坂本一家殺害事件は、岡﨑の自首によってオウムの犯行であることが判明したが、自首による刑の軽減は認められず、オウム事件で初めて死刑が確定された。岡崎は坂本一家殺害に「加担」どころか、率先して「積極的な役割を果たした」と判断されたのだ。
 1995年は大きなターニングポイントだ。すでに岡崎はオウムと縁を切っていたが、巨大化して暴走を続けるオウム真理教は地下鉄サリン事件を巻き起こし、9月6日、坂本弁護士の遺体発見に伴って、岡崎は逮捕される。かたや庵野は同年10月に開始したTVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』で、大きな社会現象を巻き起こす。
 二人の辿った足跡を並行して追っていくと、それこそ20世紀後半における日本精神史の"光と闇"が描けるのではないか。観客の多くは、庵野にも岡崎にもなれなかった/ならずに済んだ自分自身の生涯を振り返ることだろう。

 宇部でご当地映画をつくるという話があれば、ちょっと考えてほしいネタではある。
 ポジティブなイメージだけでなく、ネガティヴな側面も直視してはじめて、ご当地映画も深みを増す。二人が生まれた時代、宇部は「煤煙のまち」として全国に知られていた。

 とはいえ、今や日本のアニメ業界のみならず、日本映画全体でも大きな存在となった庵野にとっては、現在のところ、あまり宇部色や山口色が前面に出るのは得策ではない。宇部市も今はあまり露骨なふるまいに出ていない。
 ただ、庵野の引退時期を見計らって?、大きな「企画」が持ち上がることは、地元民なら多くの人が期待するところだろう。宮崎駿が75歳を超えた今もなお、引退を匂わせながら現役を続けているので、庵野の引退もまだまだ先のことかもしれないが。

 まあ、とにかく『芸術新潮』には、1年に一度くらいの頻度で、「日本の特撮ドラマ30選」とか「日本のモンスター/怪獣ベスト50」とか、特集してほしいもんだ。

 文中敬称略。



土居伸彰トークショー&ユーリー・ノルシュテイン特集 

 YCAMでアニメ研究科の土居伸彰のトークショー、及び旧ソ連の切り絵アニメの巨匠、ユーリー・ノルシュテイン特集。

 国際アニメーション祭『GEORAMA』(→ブログ:GEORAMA2014@YCAM)を主宰するなど、世界のあまり知られていないアニメを日本に紹介する土居伸彰のトークショーは、以前みた『この世界の片隅に』(→ブログ)の上映に続く催し。
 4回観たという土居は、本作は主人公すずの失われた右手を取り戻す試みだと指摘。人は個人的なリアリティを通してのみ作品に共感するという「想像力の限界」の話にも触れていた。

 『この世界の片隅に』で強い印象を残した映像――すずが時限爆弾によって、右手で手をつないでいた姪っ子を、右手と共に失った直後の、暗闇に火花が散るシネカリグラフィー――は、ノーマン・マクラレンへのオマージュだという。
 土居曰く、共感覚者だった(←Artwords:ヴィジュアル・ミュージック/モーション・グラフィクス)というマクラレンの『線と色の即興詩』(1955)↓


 ユーリー・ノルシュテインの特集は、以下の6作品。
 「25日・最初の日」(1968年/10分)はアルカージィ・チューリンとの共作。「25日」とは今年がちょうど100周年となる、1917年に起きたロシア10月革命の最初の日。ショスタコーヴィッチの交響曲11番/12番をBGMに、ジョルジュ・ブラックの都市イラストやマヤコフスキーの漫画をモチーフにしたデビュー作。

 「ケルジェネツの戦い」(1971年/10分)はイワン・イワノフ・ワノーとの共作。リムスキー・コルサコフの同名の間奏曲をバックに、ロシア正教のフレスコ画イコン(→wiki:イコン)や細密画の手法を用いた、平面性を強調した作品。

 「キツネとウサギ」(1973年/10分)は、ロシア民話をベースに、鮮やかな色彩と素朴さを併せ持つガラジェッツの民衆絵画を手法として用いた寓話アニメ。



 「アオサギとツル」(1974年/10分)は撮影監督アレクサンドル・ジュコフスキーとともに、北斎・広重の浮世絵・水墨画に特徴的な自然描写に倣って幻想的に仕上げた作品。

 「霧の中のハリネズミ」(1975年/10分)は、ノルシュテインといえばこれ、と語られる有名な作品。主人公はハリネズミのヨージックで、ほかにも小熊やミミズク、白馬、犬、魚、蛾の群れといった動物が登場する。深みのある映像は、多層のガラス面に切り絵を配置するマルチプレーンという手法で創出された。

 「話の話」(1979年/29分)は、複数のタッチで編まれた映像叙情詩的な作品。おもに灰色狼の子の視点で話が進むが、特にストーリーはない。それでも思わず引き込まれるのは、一つ一つのイメージが丹念に描かれて、動く絵画(及び絵が動くこと)の魅力をじゅうぶんに備えているから。温かみのある手の感触が伝わってくるような絵がほとんどだが、たとえば、母親の乳房にしがみつく赤子は、H・R・ギーガーのエアブラシ作品のように不穏な何かを感じさせる。揺りかごの赤子、牛のなわとび、雪の上のリンゴ……。

 文中敬称略。