國分功一郎×東浩紀「いま哲学の場所はどこにあるのか」 

 ボルボ青山の2017/12/10収録、國分功一郎×東浩紀「いま哲学の場所はどこにあるのか」の再放送を視聴。

 最近やたらとポリコレが頭にまとわりついていたところなんで、これはタイミングの良い誤配。人は忘れやすい動物ゆえ、久しぶりにメモ。

 前半には、まさに「地獄とは忘却のことなんだ」という出所不明の名言がw。

 3時間の話を3分にまとめろ的ネオリベ的世界でも、それに抵抗する市民運動的なものでもない空間を模索するアズマン。リアル・ポリティクスに接近した萱野稔人(→wiki)のポジションと、熊谷晋一郎(→wiki)との当事者研究に希望を抱く自分の立ち位置との違いを実直に口にする國分。

 正義は合法とは全く違う。コレクトネスはプレザンス(現前性)でこの瞬間にわかること。正義は時間的な幅を持たないといけない。今の瞬間とぴったり一致していてはダメ。

國分:信じてないと正義はできない。目の前に証拠があるから正義をおこなうのではない。いつか実現されるものとしてやるんだから、信じることの対象でしかない。

:正義とは歴史の読み替え。諸刃の剣。……ある意味で今は正義に満ちた時代と言えてしまう。そこが厄介。現在はわれわれを含め、多くの人がいろんな発言をネット上にばらまく時代。そういう文章がネットに蓄積されていって、あるとき、10~20年後の基準で判定されたとき、何がどう差別的で、何がどう暴力的だったと言われるか、今のわれわれにはわからない。そういうことをリスクとして抱えながら生きていく時代。それは恐ろしいことだが、同時に正義の条件でもあるというのが厄介。

國分:確かに情報が大量にあって正義が実現される条件はもしかしたら整っているとも言えるが、一方で正義の大事な条件である「信じること」のほうが切り崩されている。なので「正義が満ちている」とは言えない。

:正義、というか正義の頽落形態が満ちている。ネトウヨとか正義の頽落形態っぽいw。國分「コレクトネス」も(笑)。

:今この瞬間の正しさは言えるが、時間を超えた正しさについては何も信じられなくなって、いっぽうで、時間を超えた正しさを持ち出す人は、だいたい遡行して過去を断罪する人たちなので、それはそれでヤバイ。

國分:どのように解釈されるかわからないことを恐れてびくびくしながら生きていくとなると、この瞬間に正しさが判明する、現前性の哲学であるコレクトネスに人はすがるようになる。

:コレクトネスに支配された世界だと 哲学の居場所もないし、本当の意味での政治の居場所もない。

 フランソワ・ジュリアンの『道徳を基礎づける』の話から、
:2つでなく3つに分けたほうがいいかもしれない。ルソー的ピティ(即自的時間性)と正義(未来への投機)の時間の間にプレザンス(未来を先取りして計算する時間)がある。計算から外れる時間としての正義。

 ネオリベ向け?のまとめとしてはこんなものかな。「3分」分もないけど。市民運動系の人は、「切り取った」段階でバイアスかかってると疑ってかかって、確認のために全部聴くべし。

 國分功一郎は「想像すること」と「信じること」に関心を寄せているという。科学系の人はベイジアン・ネットワーク(→wiki)の話とかに結びつけてあれこれ言いたがるかもしれない。

 文中敬称略。

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DOMMUNE2018.4.16 ~メディアアート関連 

 久しぶりにDOMMUNE覗くと、メディア・アート関連やってたのでメモ。

 4/16のDOMMUNEはonpa))))プレゼンツ アインシュタインをアウフヘーベン!。アラヤ代表の神経科学者、金井良太やSF作家のさかき漣、データサイエンティストの林祐輔(ナウキャスト)が出演。司会はonpa代表の羽生和仁。
 結果的には海外からのゲスト、レフィーク・アナドール(Refik Anadol)とミカエル・シュプランガー(Michael Spranger)の作品紹介に留まった感があるがw、そのうちもう一回やるらしい。

 アナドールはトルコ出身のデータ・ビジュアリゼーション・アーティスト/データ・アーキテクト。
 LAのディズニー・コンサートホール(建築設計:ゲーリー、音響設計:豊田泰久(→wiki))をキャンパスにした作品で知られる。LAフィルが提供した百年間の演奏データがベース。「建物が果たして意識を持つか」「建物ははたして夢を見るか?」というテーマをもっている。
 伊東豊雄の「横浜風の塔」にも触れていて、たしかにこれはアナドールの風データを可視化する作品:Hidden landscapeの起源と言えるかもしれない。ほかにもサンフランシスコのSNSデータのビジュアリゼーションなど。近日、大阪のナレッジキャピタルでレクチャーかなんかやるそうだ。

Visions of America: Amériques / LA Phil / Video Artist Cut from Refik Anadol on Vimeo.



 もう一人のミカエル・シュプランガーはSony Computer Science Laboratoriesのリサーチャー。自発的に単語や文法や文化をつくるAI(ロボット)の設計を目指していると言う。磯崎新のT-HOUSEでおこなった試みなど紹介。ロボットという手足をもつAIにより、記号接地問題が解決できるかどうか。



 最後に、宇川がフェイスブックの「ボブとアリス」などAI同士で会話させる話はどうなったか問題を振ってくれる。金井が、AIをセンセーショナルに報道しすぎるメディアの問題を指摘。世界的な傾向のようだ。
 受け手のAIリテラシー、というかメディアリテラシーの問題でもあるが、センセーショナルにせずに人びとに印象付け、さらに、一歩踏み込むまでにつなげるにはどうしたらいいか。特に日本の場合、少子高齢化の傾向もあって、全体として新しいことへの感度を失いつつある様子が、各所でひしひしと感じられる(自分自身を振り返ってみても同様だがw)。広告・宣伝と「センセーショナリズム」をめぐる問題系。

 あと、美術手帖2018.3.22 来たるべき「(人工)生命」の未来とは。の話などしていた。

 SF作家のさかき漣は『エクサスケールの少女』という小説で知られるらしいが、エクサスケールといえばどうしても、某スパコン案件を想い出すw。

 金井良太は最近、本出してないので、話聞きたかったなあ。トーク上手そうな雰囲気はある。彼もそのうち人工意識でメディアアーティスト・デビューするのかな? 

 林祐輔の名は個人的に初耳。一見、広告代理店系みたいに見えたがw、日銀にいたそうだ。

 あと、@kyokakyokaのアンビエントよかった!。

 文中敬称略。

DOMMUNE 2017/03/16~カールステン・ニコライ&池上高志 

 3月16日のDOMMUNE 21:00~は、パララックス展@市原湖畔美術館 開催記念。出演者はカールステン・ニコライ(Carsten Nicolai)と池上高志。モデレータは畠中実(ICC)。

 通訳のめがねっ娘が宇川の理解困難な口説に果敢に対応してて好印象。

 池上とカールステンの出逢いは、1999年に青山のワタリウムで開かれた「empty garden」展。池上は前年にAI研究者のルック・スティールス(Luc Steels)に招かれてパリに渡り、ガブリエル・オロスコ(Gabriel Orozoco)やカールステン・フラー(Kerstein Holler)らアーティストと親交を結んでいた。
 カールステンの方はすでに、池上が橋本敬(JAIST)と書いた"Coevolution of Machines and Tapes"を読んで、彼に興味を抱いていたそうだ。この論文はRNA/DNAをテープに、タンパク質をマシンに見立てたシミュレーションで、確率的に加えた外部ノイズによる複製エラーがもたらす複雑性に関するもの(という理解で正しいかな?)。
 同じくワタリウムで2002年に開かれたカールステン・ニコライ展では、池上がクラウド・チェンバー(霧箱)を用意するため奔走したらしい。カールステンはクラゲとクラウド・チェンバー、中谷宇吉郎の雪の結晶、録音し続けるテープレコーダ等を配置した「オートパイロット」(autopilot)という作品を展示した。

 社会はコントロール可能性/予測可能性――安心――を求めるが、アートは予測できないものを提供する、という話。

 カールステンはもと造園家でもあり、日本庭園にも深い関心を寄せている。地震の少ないドイツから来た彼からすると「日本庭園は抽象化しているが、実際にはものすごいルールとコントロールがある。制御しえないものだからこそ制御しようとする」。ものすごい管理とは、庭園メンテのことかな?

 宇川が乱入して科学・アート・宗教のトリロジーについて話を膨らませ、分裂生成させる。カールステンは宇川のオカルト話を警戒しながらも、誠実かつ生産的に話を返していた。
 カールステンに大川隆法をムチャブリするのはオモシロイが、彼はサン・ラやジェネシス・P・オリッジみたいにはならんやろw。つか、すでに21世紀のサン・ラでありジェネシス・P・オリッジだと言えるかもしれない。ただ、それを言うと怒る人もいるだろうなあ。

 ヘレン・ケラーの『私の宗教: ヘレン・ケラー、スウェーデンボルグを語る』 は読んでみたくなった。

 ↓にICF2014?でのカールステンのスピーチを貼っておく。


 ライブ・パフォーマンスはMalformed Objects展に出展していた大和田俊と池上研究室所属の土井樹。土井は日本科学未来館でのパネルトーク(→dommune2/7から機械人間オルタへ)にも参加していた。

 この晩はゲンロンSF講座の最終講評会だったのね。後で気づく^^;。まあ、もうすでに快く小説が読めない身体になって久しいので、DOMMUNEで正解だったかも。

 文中敬称略。