DOMMUNE 2017/03/16~カールステン・ニコライ&池上高志 

 3月16日のDOMMUNE 21:00~は、パララックス展@市原湖畔美術館 開催記念。出演者はカールステン・ニコライ(Carsten Nicolai)と池上高志。モデレータは畠中実(ICC)。

 通訳のめがねっ娘が宇川の理解困難な口説に果敢に対応してて好印象。

 池上とカールステンの出逢いは、1999年に青山のワタリウムで開かれた「empty garden」展。池上は前年にAI研究者のルック・スティールス(Luc Steels)に招かれてパリに渡り、ガブリエル・オロスコ(Gabriel Orozoco)やカールステン・フラー(Kerstein Holler)らアーティストと親交を結んでいた。
 カールステンの方はすでに、池上が橋本敬(JAIST)と書いた"Coevolution of Machines and Tapes"を読んで、彼に興味を抱いていたそうだ。この論文はRNA/DNAをテープに、タンパク質をマシンに見立てたシミュレーションで、確率的に加えた外部ノイズによる複製エラーがもたらす複雑性に関するもの(という理解で正しいかな?)。
 同じくワタリウムで2002年に開かれたカールステン・ニコライ展では、池上がクラウド・チェンバー(霧箱)を用意するため奔走したらしい。カールステンはクラゲとクラウド・チェンバー、中谷宇吉郎の雪の結晶、録音し続けるテープレコーダ等を配置した「オートパイロット」(autopilot)という作品を展示した。

 社会はコントロール可能性/予測可能性――安心――を求めるが、アートは予測できないものを提供する、という話。

 カールステンはもと造園家でもあり、日本庭園にも深い関心を寄せている。地震の少ないドイツから来た彼からすると「日本庭園は抽象化しているが、実際にはものすごいルールとコントロールがある。制御しえないものだからこそ制御しようとする」。ものすごい管理とは、庭園メンテのことかな?

 宇川が乱入して科学・アート・宗教のトリロジーについて話を膨らませ、分裂生成させる。カールステンは宇川のオカルト話を警戒しながらも、誠実かつ生産的に話を返していた。
 カールステンに大川隆法をムチャブリするのはオモシロイが、彼はサン・ラやジェネシス・P・オリッジみたいにはならんやろw。つか、すでに21世紀のサン・ラでありジェネシス・P・オリッジだと言えるかもしれない。ただ、それを言うと怒る人もいるだろうなあ。

 ヘレン・ケラーの『私の宗教: ヘレン・ケラー、スウェーデンボルグを語る』 は読んでみたくなった。

 ↓にICF2014?でのカールステンのスピーチを貼っておく。


 ライブ・パフォーマンスはMalformed Objects展に出展していた大和田俊と池上研究室所属の土井樹。土井は日本科学未来館でのパネルトーク(→dommune2/7から機械人間オルタへ)にも参加していた。

 この晩はゲンロンSF講座の最終講評会だったのね。後で気づく^^;。まあ、もうすでに快く小説が読めない身体になって久しいので、DOMMUNEで正解だったかも。

 文中敬称略。

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DOMMUNE 2017/3/8~メディアアート 

 3月8日のDOMMUNE、19:00~はICC Presents「ポエティクス/ストラクチャー」&「オープン・スペース 2016 メディア・コンシャス」開催記念番組。

 出演者は畠中実(ICC)、赤松音呂、市原えつこ、Yang02、谷口暁彦、平川紀道。モデレーターは齋藤あきこ。

 飲酒しながら後半から視聴したのでまともに聞き書きできなかったが^^;、固有名を頼りにネットで当たってちょっとまとめてみる。

 ↓はICCで3月20日まで開催のポエティクス/ストラクチャー展トレイラー。


 谷口暁彦はオープン・スペース2016における作品を紹介(したのだと思う)。

 赤松音呂の「チギキンクツ」。タイトルは地磁気と水琴窟を組み合わせた造語。水を張ったグラスにあらかじめ磁化した縫い針を浮かべ、PCから送信したタイミングデータで、グラスの外側に貼ったコイルに電流を流すことで針を動かし、針がグラスに当たって音を発するというサウンド・インスターレーション。 ↓は高松メディアアート祭のときのバージョン。


 市原えつこはエマージェンシーズ!030「デジタル・シャーマニズム日本の弔いと祝祭」と「都市のナマハゲ」。


 Yang02(やんツー)はYCAMのバニシング・メッシュ展に展開した管野創との共同作品の新作《Avatars》を紹介。オープニングライブのとき寄ったが、遊び方がよくわからなかった。また行ってみよう。つか、KS+y2 Avatarsから憑依できるんだよな。といってももちろん操作は開館時間に限られる。

 平川紀道はYutaka Kikutake Galleryで2月24日~3月25日まで開催の個展「datum」に関して。Kavli IPMU(カブリ数物連携宇宙研究機構)へのレジデンスプログラムを機会に開始した映像と音響のプロジェクトで、映像データをベースにX,Y軸、三原色RGB、これに時間(T)を加えたX,Y,R,G,B,Tの値を6次元空間上の点としてユークリッド空間上で回転させる。回転によって、曲線と色調のグラデーションと時間軸の連続性が変換可能となる。
 平川自身は「やってることは単純で、三角関数と足し算引き算くらい」と言うが、これは美しい。あと、平川がアーティスティックディレクターを務めるARTSAT2: DESPATCHの紹介。なんかスケールの大きなPJみたいで要注目。

↓は2013年にYCAMで展示されたthe versions[a - z] (2013) 。


 文中敬称略。

DOMMUNE2017/1/23~Malformed Objects展 

 2017年1月23日のDOMMUNE(19:00~)は、「山本現代」で開催中(1.21~2.25)のグループ展「Malformed Objects~無数の異なる身体のためのブリコラージュ展」に関する催し。
 キュレータを務める上妻世海と、異種間コミュニケーションの研究者・平倉圭(→平倉圭×細馬宏通@ゲンロンカフェ)、当グループ展に出品し、会期中に平倉と共にワークショップを行う予定という三野新(みのあらた)の3人が出演。三野は博士論文『写真身体論』を東京藝大に提出し、演劇制作団体「2か3」を立ち上げるという。

 上妻世海は、昨今「現代思想」界隈で盛り上がりつつある?固有名や語彙を引いて展覧会の意図などを話したようだが、ほとんど憶えていない。平倉はアナ・ツィン『世界の終わりのキノコ』の話。ベトナム戦争の影響で移住してきた人びとが、オレゴン州の松林で松茸を栽培。言われた通り、たしかに森林が真四角に切り開かれているようで、キレイな市松模様になっている!。うーん、信じがたい。ちなみに右にずらしていって、クリスマス・バレーあたりをみると、今度はドットがキレイに整列している。これはひょっとすると、ナショナルジオグラフィック日本版2016年8月号 で紹介されていた、地下水くみ上げの影響による「穀物畑の円形化」ではなかろうか。途方もない空間的スケールで人が環境を大きく改変している様子がうかがえる。


『世界の終わりのキノコ』は、「現代思想」2016年3月臨時増刊号所収の「人新世の時代における実験システム」にも紹介されていた。2016年のヴィクター・ターナー賞、グレゴリー・ベイトソン賞を受賞したらしい。

 あと、宇川による「ホワイトキューブとしての人肌」という話が面白かったかな。ラッパーKOHHの入れ墨は常設展。首のところにデュシャンのモナリザ(つまり「L.H.O.O.Q.」ね)、左手にニコラ・テスラの肖像、右手には…忘れた。
 ニコラ・テスラは、1898年の電気博覧会で(たぶん)史上初めて無線操縦の船を浮かべてデモを行った。それは現代の戦争の形を大きく変えたUAVドローンの起源と言えるだろう。ペンタゴンは無人航空機だけでなく、無人陸上車や無人船舶の開発を進めている。

 凡人にはコムズカシー抽象オンリーの議論より、具体的なモノや事象が抽象化の階梯を戯れながら昇降する「新しい人類学」や技術社会論、人工物史のほうが愉しい。
 翌日夜には、ゲンロンカフェで梅津庸一(パープルーム)×蔵屋美香(東京国立近代美術館企画課長×黒瀬陽平(カオスラ)×齋藤恵汰(渋家)の座談会もあって、昨今のアート・コレクティヴの活動史やこれからの展望について語り合っていた。コレクティヴィズムの話を聴くのはDOMMUNEメモ(2013/06/20)以来かな? 客席には上妻世海の姿もあったようだ。

 人は自分の脳味噌だけで考えているわけではない。腸内に抱える総数500兆以上、総量1.5kgもの細菌とともに集合的に考えている。もっと言えば、身体の各パーツや腸内だけでなくさまざまな身体の場所に棲息する常在菌が環境と相互作用を繰り返しながら考えている。個人という輪郭を強調して閉鎖的に考えるか、ゆるく「開放して」考えるかの違いだが、「個人」を成立させる諸条件、個人、中間組織、国、人類など、どのレベルの集合体を、「考える」の主語に据えるかという話もある。「主体性」の座をどこに置くのか。

「山本現代」は、いつのまにか天現寺橋から天王洲アイルに移ったようだ。90年代初頭に東京・大崎に住んでいたことがあって、天王洲アイルが整備された頃はよく散歩したもんだ。寺田倉庫でグリーナウェイの映画とか上映していたなあ。