石川初×大山顕×三井祐介×東浩紀@ゲンロンカフェ 

 3月16日のゲンロンカフェは「ショッピングモールから考える#6」。出演者は石川初(I)、大山顕(O) 、三井祐介(M)、東浩紀(A)。 
 これまでの対談・鼎談をまとめた『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市 (幻冬舎新書)』の刊行記念で、本書でディスられた?ソラマチの設計者、日建設計の三井祐介がインサイダーとして話せる限りの背景事情を語ってくれた。

 話題はヒカリエに始まり、途中、グランツリー武蔵小杉の話からタワマン(J.G.バラードの『ハイライズ』日本版的何か?)に寄り道するなど、進行そのものが「モール的動き」に似て蛇行しながら、モールにおける建築設計者の限られた仕事、ショッピングモーライゼーション、モール建築を決めていく諸条件へと移っていく。オモシロカッタヨー。

○ソラマチ
 ソラマチは単体の商業施設ではなく複合施設の中に商業を含むものであって、モール的な発想はない。敷地の中に都営浅草線が走っていて、新築ではなく「地下鉄駅の増築」として申請されている。いわばステーションシティ。駐車場は2千台、観光バスが30台駐車可能。商業施設は基本的に敷地外に渋滞をつくってはならないため、中の通路を長くするしかない。交通コンサルが間に入って交通シュミレーションし、所轄警察と協議して決める(M)。
 ソラマチにはプラネタリウムと水族館が入っている。水族館では当初、イルカを泳がせる計画があったが、イルカは水深と同じ高さまでジャンプできるらしく、天井の高さが問題となって頓挫した。ギリ5mでは「跳べるコはもっと跳ぶんです」wてことでペンギンに変更。オフィス棟の?エスカレータホールは評価高い(O)。
 北関東の南端、東京の狼煙としてのスカイツリー/富士講としてのスカイツリー詣で。ハトがカラスにやられて屍骸がわんさ。

○モールにおける建築設計者の限られた仕事
「吹き抜けこそが建築家が腕を振るえる唯一の場所」という大山の指摘はほぼ正しい。(適法性の確認を除けば)建築設計者としての仕事は限られている。 ケースバイケースだが、階高のほかは天井の設備のプロットや階段の手すり等。モールはほとんど内装だから「乃村工藝」の仕事になる。サインは本工事なので共用部分のサインは設計者がやる(M)。

○ショッピングモーライゼーション
 新建築6月号(学校特集)を見ればわかる通り、学校のモール化が進行中。2つの核があってその間に吹き抜けがあり、廊下が広く教室があたかも店舗のよう。いわく「われわれは身体化されたモール的スケール感を身につけつつある」(M)。東は学校のモール化には反対。病院もまたモール化が進行。(神戸のケーズHATメディカルモール?とコメが流れていたなあ)。デベロッパーの人たちがSC協会主催の海外視察に行きまくり、情報交換がおこなわれ、モールのスタンダードができていく(それは、固有名が屹立するかつての「建築家」世界とは異なる、交通動線やいくつかのデータ、企業や官庁・関連団体に潜む無名の関係者たちの思惑・利害が絡み合って「ユートピア」が生成してゆく世界)。
 刑務所→モール。学校にせよ工場にせよ、近代国家のモデルとしての「刑務所」だったのが、複数の監視カメラで記録して後から遡行的にみるモールへ。パノプティコンの環境化(A)。

○モール建築を決めていく諸条件
・広域交通処理と駐車場を成立させることがプロジェクトの骨格を決める最初のタスク(M)。
・官公庁との打ち合わせは月に1回しかアポがとれないので、工程スケジュールを決めるのは桜田門。
・敷地面積や交通動線といったデータだけでモールのプロトタイプができてしまう!これはもう人工知能が機械学習でやれる仕事。(←これは今回最高のネタ。幹道からの右折進入禁止などいくつかパターンがあることにはうっすら気づいていたが、ここまで的確に解説してくれるとは!感動の一言。詳しくは話さないw)
・3Mのダイノック(DI-NOC)フィルムは超リアルに木目調を再現する塩ビシート。普通の人はバーズアイメイプルをダイノックで知る)・普通のモールはカネがないのでペンキか壁紙。石膏ボードにコンクリート打ちっぱなし壁紙w。
・擬木は最近、枝がオプション化、太い幹はFRPで、オプションの枝は自然の椿の枝を使う(その方が安い――現時点ではわざわざ3Dプリンタで入り組んだ枝ぶりを再現するような手間はかけられないってことね)、葉っぱはナイロンの合成(I)。

○その他のモール話
・辻堂のテラスモール湘南(日建設計)は駅からのシーケンスがいい。スパニッシュ風、とかのあざとさがない(I)。
・大阪万博公園に昨秋できたLaLaport EXPOCITYは地形をうまく活かしている。8千台の駐車場!(←ここは来月、できたら行きたい)。
・ららぽーと柏の葉キャンパスはゲーリーっぽい(M)。
・フードコートについて、三井不動産は間口を絞る(食事時間以外の閑散とした雰囲気を見えにくくする)のに対し、イオンモールは逆に、共用部分にはみだす姿を好む(M)。
・イオンレイクタウン/流山おおたかの森SC…森のメタファー
・硬派!武蔵野線と中央線が交叉する西国分寺駅がモール化!(I)/エキナカ―改札内でほっとできない東。
・阪急梅田は百貨店なのに吹き抜けがある(←昨年大阪に行ったときはグランフロントにばかり注目して阪急はチェックしてなかったなあ)。
・阪急西宮ガーデンズ(→wiki)は良い(←異論あり。昨年秋に行ったが、西宮北口からのアプローチはちょっとしょぼいし、近隣の居住エリアに馴染んだ感じがしなかった)。
・イオンは内側で完結、ララポートはわりと開いている。

 私見を挟むと、イオングループで初めてジャーディ・パートナーシップ社が外装デザインを手掛けたイオンモール香椎浜は新しくないが好きなモールの一つだ。磯崎新がキュレーションした福岡ネクサスワールドからほど近く、間に公園があるのだ。こういう居住地域から公園を散歩するついでに寄れるような、公園の延長上にあるモールが好きだ。ただ、その後、イオンがジャーディと組んだ話はあまり聞かないから、コストに見合うパフォーマンスが得られなかったという認識なのか?。スーパー業界は建築にあまりお金をかけられないというのはわかるがちょっぴり残念。

 東のショッピングモールへの関心は、猪瀬直樹への関心と共通する。つまり、民間の公共的役割だ。明治時代、カネのなかった政府は当初、鉄道事業を部分的に民間で進めることを了解しその結果、小林一三は阪急東宝グループを築き上げた(小林はその後、第2次近衛内閣で商工大臣を務め、計画経済論者の革新官僚・岸信介と対立した)。その"民間精神"は東急の五島慶太や三井グループの池田成彬にも受け継がれた。池田成彬とも親しかったと言われる右翼の大物フィクサー、田中清玄は岸信介や児玉誉士夫らと敵対する一方、田岡一雄、オットー大公、ハイエクらと親交を結んだ。

 文中敬称略。
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猪瀬直樹×田原総一朗×東浩紀@ゲンロンカフェ 

 2016年2月15日のゲンロン・カフェは津田大介司会による猪瀬直樹×田原総一朗×東浩紀の鼎談。

 猪瀬と田原の二人が『戦争・天皇・国家 近代化150年を問いなおす (角川新書)』を書いたのは、若者があまりにも戦争の歴史を知らないという共通認識から。歴史作家としての猪瀬は2014年11月末のゲンロンカフェでも言っていたように、戦後を問い直すには太平洋戦争での敗戦だけを語っても意味はなく、ペリー来航まで遡って考えることが重要と考え、日本の「近代化=戦争の時代」における意思決定のプロセス――なぜ日本は勝てっこない相手に戦いを挑んだのか――を検証する仕事を手がけてきた。

 田原の見解では「欧米は1928年のパリ不戦条約以降を「歴史」と言っている。第1次世界大戦(→wiki)は、戦闘機や潜水艦、毒ガス等、テクノロジーの開発競争が決め手となる国家総力戦時代の到来を告げる大変な戦争だった。ヨーロッパ全体が戦場となったこの戦争を機会に、全ての戦争を放棄しようというのがパリ平和条約(→wiki:不戦条約)であり、それを破ったのがドイツと日本だった」。したがって東京裁判の判決を認めるべきだという。認めたうえで他のアジア諸国とともに、不戦条約以前に世界じゅうを侵略し植民地にしたことについて全く総括していないイギリス・アメリカを糾弾すべきだ、と。

 敗戦後、吉田茂の路線は「安全保障はアメリカに任せて経済復興に全力を尽くそう」というものだった。日米安全保障条約が片務協定だったのは冷戦だったから。アメリカは日本を反共の砦として位置付けたが、同時に、日本には自立した軍隊、及び飛行機・核兵器をつくらせなかった。冷戦終了後、極東を守る必然性がなくなった米国に対し、日本政府は自国をアメリカに守ってもらうために何をすべきかで頭を悩ませてきた。それは今日まで続いている。
 田原としては、集団的自衛権を行使するのはいいが、そのためには憲法改正すべき。安倍総理と意見が異なるのは、総理が「イギリスやフランスのような普通の国を目指す」のに対し、田原はせっかくこれまで築いてきた「平和国家」の看板を下ろすべきでない、と考えていること。勝手に内閣法制局の長官を変えてそれまでの意見をひっくり返すのは乱暴。そして、日本が「平和主義」を掲げるなら、中国や韓国は納得する、と信じている。これは王毅(→wiki)と相談して始めた日中記者懇話会を続けるなかで田原が得た「感触」から発するものだろうか。

 猪瀬の新刊本の話。吉田茂は「弱いウサギは長い耳を持たねばならない」と考え、軽武装をカバーするため諜報機関を創ろうとした。設立にあたって設置された総理官房調査室の初代室長になったのが村井順(→wiki)。しかし、彼はスキャンダルによって潰される。その後、村井は東京オリンピック組織委員会事務局次長に就任したが、選手村警備は治外法権なので民間警備となり、これを請け負ったのが石原慎太郎や江藤淳の湘南中学時代の同期生である飯田亮(→wiki)が1962年に設立した日本警備保障(後のセコム)。余談だが、大昔にあったTVドラマ『ザ・ガードマン』(→wiki)はセコムがモデル。村井自身もまた、65年に綜合警備保障(ALSOK)を設立。猪瀬の3/9発売予定の新著『民警』では、この二大民間警備会社の確執と成長の歴史を描き、欧米で拡大する民間軍事会社や介護事業にも多角化する?可能性を指摘しているという。まあ、警察利権の構造にまで踏み込んでいるかどうかは読んでからのお楽しみ、というところか?。

 wiki:村井順の脚注に導かれ、『緒方竹虎とCIAアメリカ公文書が語る保守政治家の実像 (平凡社新書)』を読んでみたが、これがまた実にオモシロイ。村井順の前にまず、緒方竹虎(→wiki)の存在が興味深い。本来ならこういう人をNHK大河ドラマの主人公に据えるべきだと主張したらネトウヨ認定されそーな今のファストフードならぬファスト思考のご時世が呪わしいw。吉田茂の副首相兼官房長官となった緒方はCIAのアレン・ダレスの協力の下、日本版CIAを構想し、吉田茂の元秘書官だった警察庁出身の村井順が、前述のとおり総理官房調査室の初代室長となった。しかし「外務省と英国MI6の妨害」で闇ドル所持が発覚し、それが外務省からマスコミにリークされてスキャンダルとなった。そこには官房室内の確執があったようで、緒方に代わって官房長官となった福永健司(→wiki)と外務省出身の曽根明の名が取り沙汰される。
 有馬哲夫や山本武利、加藤哲郎、本書の筆者らが、江藤淳の『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本 (文春文庫)』のような仕事とは異なるが、次々と公開されていくCIA文書等の資料読解を通じて昭和史の再発掘をおこなっている。東は江藤の「閉された言語空間」はプランゲ文庫((→wiki)に行けば「歴史の真実」がわかる、といったエビデンス至上主義的な単純な仕事だと斬っていたが、猪瀬はその時代は「進歩主義的文化人」全盛の時代で、江藤はそこに一石を投じたのだと反論する。

 田原が帰った後は公益庁を大阪にもってくるといった話や大阪万博構想の話、『新・観光立国論 』のデビッド・アトキンソンを呼んでの地方創生に関わる日本文明研究所の話など。

 文中敬称略。

大澤真幸×宮台真司×東浩紀@ゲンロンカフェ 

 2015年11月18日のゲンロン・カフェは「人文系の衰退は必然である(?)」と題して、斎藤哲也司会による大澤真幸×宮台真司×東浩紀。斎藤哲也はフリーの編集者兼ライターで、TBS文化系トークラジオLifeのサブパーソナリティ。

 鼎談は「脳科学の最先端では、リベラルか保守かは、5歳時までの脳で決まっている説が有力」という宮台の身も蓋もない発言で幕を開ける。

 前半終了間際にググッとドライブのかかったところを端折って紹介。前後の文脈がわからない、という人は買って視聴するべし。

宮台:スピーチアクト理論は言語テクストがコンテクストによって意味を変えることを明らかにした。つまり、パフォーマティヴな意味はコンテクストによって与えられる。しかし、音楽はテクストとコンテクストの分離が明瞭でない。哀しい音楽はいつ聴いても哀しいし、愉しい音楽はいつ聴いても愉しい。音楽は全体性であり、言語は部分的。「音楽から言語が生まれた」とよく言われるが、そのジャンプはとてつもなく大きく不思議なこと。
 京大総長の山極寿一さんがおっしゃるには、人間がジェノサイトを始めたのはたぶん言語のせい。言語が生まれた後でも、中沢新一の言う「対称性の哲学」が貫徹されていた頃にはジェノサイトはなかった。一神教の誕生以降、ジェノサイトが普通に起こるようになる。それはつまり、言語があると帰属処理(xxは~のせい)ができるようになるから。ただ、これは感情の自然な働きとは異なる。帰属処理という言語特有の働きはわれわれにいろんな実りを与えたが、その反面ジェノサイトをもたらした。
 人文は以上のような発想がわかるように訓練されている。人文知は概念的思考であり、狭い意味での実証的な思考ではない。

:ただ、概念的思考はノーエビデンスだからおまえの単なる思いつきだろ、と言われてしまう。今では人文系でも統計・エビデンス重視の人がいる。エビデンスのないことを指向する概念的思考こそ世界の豊かさだと言っても、そんなものなくてもおれたち快調に生きてますと言われるとどーしようもない。

宮台:それはもう階級問題。概念的思考が出来る人とできない人間がいる。社会学者のロバート・キング・マートン(→wiki)は、統計的方法を使ってもっともらしいことを言う奴はクズに等しい、と言ってる。彼は順/逆機能、潜在/顕在機能、予期的社会化、予言の自己成就など社会学の重要概念をほとんど一人で創った。多くの学者はクズをモノグラフにして積み重ねて業績にしているだけ。ソーシャルリサーチは概念をつくるプロセス。そこではしばしば事前に立てた仮説にあわない事象が発見される。仮説や常識に合わないデータを解釈するために新たな概念的仮説を立てる。それに名前を付け、その仮説を実証するためにリサーチする。するとまた、仮説にあわない事象が発見されて以下、繰り返し。つまり、ソーシャルリサーチは、概念的思考をするための、概念的ボキャブラリーを増やすための手順だとはっきり書いている。

:ビッグデータ時代のリサーチャーたちの発想は、「概念」というのは一つの統計データを解釈するフレームワークでしかないから、あるフレームワーク(=概念的思考)とあるフレームワークとの間に優劣はない。それぞれのリサーチャーがクライアントにプレゼンしてウケる概念をでっちあげればそれでいいんじゃね?という発想。

宮台:(ビジネスは)ユニバーサルアクセスなので、バカに優しい。実は概念的思考で勝負しようというのは、能力がないとできないこと、誰でも参加できるわけではない。それは芸術に近い。

 以上。

 そういえば、宮台は秋田昌美とコラボでノイズのCDを出している。衝動買いはしないが、ちょっと聴いてみたい気もする…。


 今回は宮台発言を中心にメモしたが、言うまでもなく大澤真幸も重要な社会学者の一人。過去に何冊か著書を読んだことがある。宮台をして「大澤さんがいなかったら、ボクは社会学者になってなかった」と言わしめた人。自身の個人誌THINKING「O」で、「社会性の起源」という重要な論文を掲載中のようだ。

 文中敬称略。