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吉田寛×土居伸彰×東浩紀「ゲーム的リアリズムとアニメーション」 

 9月11日のゲンロンカフェは『ゲンロン8 ゲームの時代』刊行記念イベント #2、吉田寛×土居伸彰×東浩紀「ゲーム的リアリズムとアニメーション」。

 『ゲンロン9』で名前を知った吉田寛は、東大表象→音楽学→ゲーム論の人。テクノ・ミュージックやアルス・エレクトロニカ系メディアアートに見られるドイツ性みたいなものも学生に研究させて欲しいなあ。

 土居伸彰はGEORAMA2014ユーリー・ノルシュテイン特集など、YCAMでよく見かけるアニメーション専門家兼ニューディアー経営者。

 ゲームは基本、過去を振り返っても、テトリスとソリティアくらい(会社のオフィスに臨時出勤して結局、半分以上テトリスやってた時代を想い出すw)という人なのであまり思い入れがない。RPGもビジュアルが好きになれずハマることなく終わった。ただ、ゲーミフィケーションは社会を見渡すうえで重要な概念だし、VRや人工知能の社会への浸透を考えるとき「ゲーム」は欠かせないマターであることは間違いない。(たとえば、世界的なゲーム市場の成長を見込んでマイクロソフトがDirect3Dを定め、NVIDIAが強力な画処理能力をもつGPUを開発して大量生産し、ローコストの強力なGPUが普及することでディープラーニングの研究が急速に進んだと言える)。

 以下、個人的にグッときた点をメモ。

東:VR/ARのテクノロジーがいま画期的なのは、人を平面から解き放つからだと一般にイメージされているが、僕は意外とそうではないのでは?と思っている(ふしがある)。2次元は僕たちの現実空間から1次元少なくしたもの。一次元少ないことを介することで世界認識を単純化できるし、また単純化を通して複雑にもできる、という構造をもっていて、世界とまったく同じ構造の代理表象システムをつくっても、僕たちはうまく世界に接することができないのではないか。2次元・平面は僕たちの条件そのもの。表現やインタフェースの前提条件なのではないか。

吉田:ヘーゲルは『美学』で、芸術の進歩は次元の縮減の歴史だと言っている。建築から始まって、絵画に行って、音楽・文学に行く。文学ではもう時間しかないだろう、と。ヘーゲルにとっては、次元の縮減が内面化とセットになっている。そのなかに情感の表現が入ってくる。

東:直感的な話だが、アニメーションは触覚的なメディア。シネフィル世界においては、映画ではフレーム(カメラワーク)をみるが、アニメーションの原初的な悦びは、絵が動くということ。ほんらい動かないはずの絵がぐにゅぐにゅ動くということ。フレームの間で起こること。これが土居さんが言うところの「原形質的」ということ。

土居:ボクがアニメーション論を組み立てる際に宣言してるのは、作品の細部を観ないこと。細部をみると表象批評になる。 むしろみているとき勝手に頭のなかにわいてくる空想、イメージをどんどんスライドしていくというのが、アニメーションを観ること、これがボクの言う原形質性。

東;資本主義は(消費者の)時間の支配をめぐる競争。それぞれの人生でパーソナライズされた時間を与えるということ。みんなの共通経験はなくなるので、みんなが文化について話すことができなくなる。

 これは常々自分も思ってきたことなので大きく頷く。もはや現代の日本人の世代・性別を超えた共通話題は、大災害や天候を除けば「オリンピック」や「税金」、「盆・正月」、「皇族」など数えるほどしかないのでは。いや、今あげたアイテムについてもそれぞれ「関心ないから」という人は少なくないだろう。
 神とのパーソナルな対話を重視したプロテスタントが主体となって大きく成長した資本主義諸国が、いまや少子高齢化によって緩やかに衰弱。いっぽうで戒律が厳しく「みんなで一緒に」を強要する傾向があり、内部に多くの問題を抱えたカトリックやイスラムの国々のほうが、子どもたちを数多く生んで、きれいな人口ピラミッドをシェイプしているという構図。もちろんこれはどっちが正しいとかの問題ではない。

 ほかにも「触覚に代理表象なし」とか「僕たちは偽の接触にだまされやすくなってる」、「メタアニメはない」など。断言されると「果たしてそうなのかなあ」と、視聴者に脳内で反例を探索させる効果がある。

 土居のニューディアーはゲームのプロデュースを開始。第1弾は和田淳(→サイト)のアニメを使った15分程度の「マイエクササイズ」。映像で見たがこれは良い! 水尻自子もそうだが、ちょっぴりエロ入った、とろーんとした絵はいいよねえ。和田の場合は「とろん」というより「もふっ」て感じかな。ゲームとしても、こういう説明なしでも遊び方がすぐわかって、ちょっとしたデッドタイムでもできる短時間ゲームは、普段ゲームをしないアウトサイダーにも開かれていて、売れるポイントだと思う。

 既存の市場で自分の作品が売れないとこぼすアニメーターや絵描き、イラストレータ、漫画家は、unityかじって、またはunity使いとタッグ組んで、ゲーム化してsteamのようなインディーズゲーム市場を通じて全世界に向けて自分の力を試してはどうか、というメッセージにもなっている(のかな?)。

「フィンチ家で起きたこと」はブラザーズ・クエイ(→wiki)のIn Absentia(2000)を想起させるという。そういえばクエイ兄弟も最近ご無沙汰。

 ほかにも、GDC innovation awardを受賞したデヴィッド・オーライリー(David Oreilly)の万物シミュレータ、Everything。ミヒャエル・フライ(Michael Frei )など。

 ニキータ・ディアクル(Nikita Diakur)のuglyは、オタワ国際アニメーションフェスティバル(→wiki)で2017年短編部門グランプリを受賞した作品。

 ゲーム産業とアニメ産業の比較・動向についてはこちら(→電ファミ ニコゲーマー 2017.9.26記事)。

 文中敬称略。
 
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國分功一郎×東浩紀「いま哲学の場所はどこにあるのか」 

 ボルボ青山の2017/12/10収録、國分功一郎×東浩紀「いま哲学の場所はどこにあるのか」の再放送を視聴。

 最近やたらとポリコレが頭にまとわりついていたところなんで、これはタイミングの良い誤配。人は忘れやすい動物ゆえ、久しぶりにメモ。

 前半には、まさに「地獄とは忘却のことなんだ」という出所不明の名言がw。

 3時間の話を3分にまとめろ的ネオリベ的世界でも、それに抵抗する市民運動的なものでもない空間を模索するアズマン。リアル・ポリティクスに接近した萱野稔人(→wiki)のポジションと、熊谷晋一郎(→wiki)との当事者研究に希望を抱く自分の立ち位置との違いを実直に口にする國分。

 正義は合法とは全く違う。コレクトネスはプレザンス(現前性)でこの瞬間にわかること。正義は時間的な幅を持たないといけない。今の瞬間とぴったり一致していてはダメ。

國分:信じてないと正義はできない。目の前に証拠があるから正義をおこなうのではない。いつか実現されるものとしてやるんだから、信じることの対象でしかない。

:正義とは歴史の読み替え。諸刃の剣。……ある意味で今は正義に満ちた時代と言えてしまう。そこが厄介。現在はわれわれを含め、多くの人がいろんな発言をネット上にばらまく時代。そういう文章がネットに蓄積されていって、あるとき、10~20年後の基準で判定されたとき、何がどう差別的で、何がどう暴力的だったと言われるか、今のわれわれにはわからない。そういうことをリスクとして抱えながら生きていく時代。それは恐ろしいことだが、同時に正義の条件でもあるというのが厄介。

國分:確かに情報が大量にあって正義が実現される条件はもしかしたら整っているとも言えるが、一方で正義の大事な条件である「信じること」のほうが切り崩されている。なので「正義が満ちている」とは言えない。

:正義、というか正義の頽落形態が満ちている。ネトウヨとか正義の頽落形態っぽいw。國分「コレクトネス」も(笑)。

:今この瞬間の正しさは言えるが、時間を超えた正しさについては何も信じられなくなって、いっぽうで、時間を超えた正しさを持ち出す人は、だいたい遡行して過去を断罪する人たちなので、それはそれでヤバイ。

國分:どのように解釈されるかわからないことを恐れてびくびくしながら生きていくとなると、この瞬間に正しさが判明する、現前性の哲学であるコレクトネスに人はすがるようになる。

:コレクトネスに支配された世界だと 哲学の居場所もないし、本当の意味での政治の居場所もない。

 フランソワ・ジュリアンの『道徳を基礎づける』の話から、
:2つでなく3つに分けたほうがいいかもしれない。ルソー的ピティ(即自的時間性)と正義(未来への投機)の時間の間にプレザンス(未来を先取りして計算する時間)がある。計算から外れる時間としての正義。

 ネオリベ向け?のまとめとしてはこんなものかな。「3分」分もないけど。市民運動系の人は、「切り取った」段階でバイアスかかってると疑ってかかって、確認のために全部聴くべし。

 國分功一郎は「想像すること」と「信じること」に関心を寄せているという。科学系の人はベイジアン・ネットワーク(→wiki)の話とかに結びつけてあれこれ言いたがるかもしれない。

 文中敬称略。

石川初×大山顕×三井祐介×東浩紀@ゲンロンカフェ 

 3月16日のゲンロンカフェは「ショッピングモールから考える#6」。出演者は石川初(I)、大山顕(O) 、三井祐介(M)、東浩紀(A)。 
 これまでの対談・鼎談をまとめた『ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市 (幻冬舎新書)』の刊行記念で、本書でディスられた?ソラマチの設計者、日建設計の三井祐介がインサイダーとして話せる限りの背景事情を語ってくれた。

 話題はヒカリエに始まり、途中、グランツリー武蔵小杉の話からタワマン(J.G.バラードの『ハイライズ』日本版的何か?)に寄り道するなど、進行そのものが「モール的動き」に似て蛇行しながら、モールにおける建築設計者の限られた仕事、ショッピングモーライゼーション、モール建築を決めていく諸条件へと移っていく。オモシロカッタヨー。

○ソラマチ
 ソラマチは単体の商業施設ではなく複合施設の中に商業を含むものであって、モール的な発想はない。敷地の中に都営浅草線が走っていて、新築ではなく「地下鉄駅の増築」として申請されている。いわばステーションシティ。駐車場は2千台、観光バスが30台駐車可能。商業施設は基本的に敷地外に渋滞をつくってはならないため、中の通路を長くするしかない。交通コンサルが間に入って交通シュミレーションし、所轄警察と協議して決める(M)。
 ソラマチにはプラネタリウムと水族館が入っている。水族館では当初、イルカを泳がせる計画があったが、イルカは水深と同じ高さまでジャンプできるらしく、天井の高さが問題となって頓挫した。ギリ5mでは「跳べるコはもっと跳ぶんです」wてことでペンギンに変更。オフィス棟の?エスカレータホールは評価高い(O)。
 北関東の南端、東京の狼煙としてのスカイツリー/富士講としてのスカイツリー詣で。ハトがカラスにやられて屍骸がわんさ。

○モールにおける建築設計者の限られた仕事
「吹き抜けこそが建築家が腕を振るえる唯一の場所」という大山の指摘はほぼ正しい。(適法性の確認を除けば)建築設計者としての仕事は限られている。 ケースバイケースだが、階高のほかは天井の設備のプロットや階段の手すり等。モールはほとんど内装だから「乃村工藝」の仕事になる。サインは本工事なので共用部分のサインは設計者がやる(M)。

○ショッピングモーライゼーション
 新建築6月号(学校特集)を見ればわかる通り、学校のモール化が進行中。2つの核があってその間に吹き抜けがあり、廊下が広く教室があたかも店舗のよう。いわく「われわれは身体化されたモール的スケール感を身につけつつある」(M)。東は学校のモール化には反対。病院もまたモール化が進行。(神戸のケーズHATメディカルモール?とコメが流れていたなあ)。デベロッパーの人たちがSC協会主催の海外視察に行きまくり、情報交換がおこなわれ、モールのスタンダードができていく(それは、固有名が屹立するかつての「建築家」世界とは異なる、交通動線やいくつかのデータ、企業や官庁・関連団体に潜む無名の関係者たちの思惑・利害が絡み合って「ユートピア」が生成してゆく世界)。
 刑務所→モール。学校にせよ工場にせよ、近代国家のモデルとしての「刑務所」だったのが、複数の監視カメラで記録して後から遡行的にみるモールへ。パノプティコンの環境化(A)。

○モール建築を決めていく諸条件
・広域交通処理と駐車場を成立させることがプロジェクトの骨格を決める最初のタスク(M)。
・官公庁との打ち合わせは月に1回しかアポがとれないので、工程スケジュールを決めるのは桜田門。
・敷地面積や交通動線といったデータだけでモールのプロトタイプができてしまう!これはもう人工知能が機械学習でやれる仕事。(←これは今回最高のネタ。幹道からの右折進入禁止などいくつかパターンがあることにはうっすら気づいていたが、ここまで的確に解説してくれるとは!感動の一言。詳しくは話さないw)
・3Mのダイノック(DI-NOC)フィルムは超リアルに木目調を再現する塩ビシート。普通の人はバーズアイメイプルをダイノックで知る)・普通のモールはカネがないのでペンキか壁紙。石膏ボードにコンクリート打ちっぱなし壁紙w。
・擬木は最近、枝がオプション化、太い幹はFRPで、オプションの枝は自然の椿の枝を使う(その方が安い――現時点ではわざわざ3Dプリンタで入り組んだ枝ぶりを再現するような手間はかけられないってことね)、葉っぱはナイロンの合成(I)。

○その他のモール話
・辻堂のテラスモール湘南(日建設計)は駅からのシーケンスがいい。スパニッシュ風、とかのあざとさがない(I)。
・大阪万博公園に昨秋できたLaLaport EXPOCITYは地形をうまく活かしている。8千台の駐車場!(←ここは来月、できたら行きたい)。
・ららぽーと柏の葉キャンパスはゲーリーっぽい(M)。
・フードコートについて、三井不動産は間口を絞る(食事時間以外の閑散とした雰囲気を見えにくくする)のに対し、イオンモールは逆に、共用部分にはみだす姿を好む(M)。
・イオンレイクタウン/流山おおたかの森SC…森のメタファー
・硬派!武蔵野線と中央線が交叉する西国分寺駅がモール化!(I)/エキナカ―改札内でほっとできない東。
・阪急梅田は百貨店なのに吹き抜けがある(←昨年大阪に行ったときはグランフロントにばかり注目して阪急はチェックしてなかったなあ)。
・阪急西宮ガーデンズ(→wiki)は良い(←異論あり。昨年秋に行ったが、西宮北口からのアプローチはちょっとしょぼいし、近隣の居住エリアに馴染んだ感じがしなかった)。
・イオンは内側で完結、ララポートはわりと開いている。

 私見を挟むと、イオングループで初めてジャーディ・パートナーシップ社が外装デザインを手掛けたイオンモール香椎浜は新しくないが好きなモールの一つだ。磯崎新がキュレーションした福岡ネクサスワールドからほど近く、間に公園があるのだ。こういう居住地域から公園を散歩するついでに寄れるような、公園の延長上にあるモールが好きだ。ただ、その後、イオンがジャーディと組んだ話はあまり聞かないから、コストに見合うパフォーマンスが得られなかったという認識なのか?。スーパー業界は建築にあまりお金をかけられないというのはわかるがちょっぴり残念。

 東のショッピングモールへの関心は、猪瀬直樹への関心と共通する。つまり、民間の公共的役割だ。明治時代、カネのなかった政府は当初、鉄道事業を部分的に民間で進めることを了解しその結果、小林一三は阪急東宝グループを築き上げた(小林はその後、第2次近衛内閣で商工大臣を務め、計画経済論者の革新官僚・岸信介と対立した)。その"民間精神"は東急の五島慶太や三井グループの池田成彬にも受け継がれた。池田成彬とも親しかったと言われる右翼の大物フィクサー、田中清玄は岸信介や児玉誉士夫らと敵対する一方、田岡一雄、オットー大公、ハイエクらと親交を結んだ。

 文中敬称略。