万田邦敏『接吻』@山口 

 山口情報芸術センターの山口未公開日本映画特集で、万田邦敏監督の映画『接吻』及び万田監督のトークを楽しむ。映画『接吻』は獄中結婚を題材とし、池田小学校襲撃事件の宅間守被告に求婚した女性がモデルになっていると思われるが、圧倒的な細部のリアリティに感心する。評価の高い監督の作品でも登場人物(特に女性)のありえない言動に「なんだかなあ」と思うことが多く、たかだか年に十数本程度しか映画を観ない者としては、別にそういう細部にこだわるのでなく別の部分を重視して観るべきなのかなあ…と諦めかけていたので、久々に細部の強度を感じさせる邦画に出遭えて心が躍った。この場合のリアリティ/強度とは、登場人物の言動一つ一つの必然性であり、説得力である。(無差別殺人が横行する現代では、動機や因果関係といったもの自体が薄らいでいるが、だからといって映画までがそれに追従する必要はないと私は思う)
 例えば、仲村トオル演じる弁護士が遠藤京子(小池栄子)を坂口被告(豊川悦司)の実兄への面会に同席させるという、本来ならそんなのアリ?と思わせるシチュエーションにしても、その前に、どうしても弁護士に心を開かない被告から手紙の返事をもらったという京子に、手紙の内容をみせてもらうための交換条件だったかのように思わせる場面が伴っており、それが仕事熱心な弁護士のキャラクターのらしさにもつながっていて、そのようなリアリティの積み重ねが、タイトルからの安易な想像を裏切るラストシーンに対しても強い説得力を与えている。中には京子が自分の書いた手紙やもらった手紙を声に出して読んだり、たまたま点けたテレビに関係する映像が流れたりという不自然なシーンも散見されたが、そうした不自然ささえも何がしかの解釈によって許容範囲に収まってしまう。この細部のリアリティは役者の演技力に支えられるところも大きいが、ゲストトークでも話題に出たように、万田監督とその奥様・珠実さんによる共同脚本という点も見逃せないだろう。凶悪犯の被告に同情を寄せるという一見不可解に見える京子の諸行動にも、こういう女性ならアリかもしれないと思わせるしっかりしたキャラクター造形がある。もしかすると宅間守に求婚した女性にもインタビューしているのではないかと想像して質問をぶつけてみたが、それは無いと一蹴。むしろインターネットに散乱する詳細情報をベースに二人で造形したものだという。坂口被告が宅間守に比べて遥かに感情的にもろく、あれだけ残忍な人殺しをして自分を死刑にしろと主張しながら、たやすく控訴に応じる―これが京子の次なる行動を招く―という点も、映画内で唯一観られる坂口の凶行シーン(逮捕前に彼の前に転がったサッカーボールを拾おうとした少年をハンマーで殴りかかる)が一瞬の怯みじから失敗に終わることで予示されている。坂口は明らかに宅間守ではないし、感情に脆い者でも時には血も涙もない凶行を実行するものだ。

 ゲストトークでは監督が立教大学時代に受講した蓮実重彦の映画の授業や万田映画の各シークエンスのディテールに触れた話もあった。印象深かったのは蓮実氏の講義のやり方である。学生に前もってある映画を見るように課題を出し、見てくると「何が見えましたか?」と問う。「どう思ったか」ではなく「何を見たか」が重要なのだ。最初に川が見えたと答えると、「それは最初だけでなかったですよね、他にどんな場面で川が出てきましたか?」と続ける。さらに、川が登場する映画は他にどんなものがありましたか、と問うらしい。まさに映画はイマージュであることを叩き込むということだ。他にも万田監督が重視する「階段」や「上から下、下から上へと移動するということ」、「人の向き」に関する話が印象に残った。

 ちなみに万田監督はYCAMを訪れて先進的な大舞台であるスタジオAや、ホワイエ、スタジオBにおけるミニマムインタフェース展を観て歩いた後に、映画を上映するスタジオCにやってきたのだが、そこだけ置いてけぼりを食ったような20世紀くささを感じ、映画は21世紀に耐えうるだろうかと心配になったという。もちろんこれはYCAMのスタジオCが他の映画館に比べて古臭いというのではなく、むしろメディアアートの現状が監督の想像以上に新しく進化しており、中には将来的に映画を脅かすかもしれないポピュラリティさえも帯びてきている作品が登場しつつあることを物語っているのだと感じた。YCAMのミニマムインターフェース展は2月8日まで。

 
FX
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