ドキュメントとモニュメント~ツアー・パフォーマンスをめぐって(1) 

 ツアー・パフォーマンスを研究中の大学講師に、PortBの『サンシャイン63』撮影ビデオや昨年おこなわれた『サンシャイン62』のドキュメントを見せてもらった。『山口市営P』とは異なりPortB代表・高山氏本人によるインタビュー音声が使われているのだが、『サンシャイン62』資料のなかにインタビュー対象として川俣正の名を見つけ、昨年(08年)秋に参加した秋吉台芸術村主催のアート・トリップを思い出し、振り返ってみるとあれは川俣正と秋吉台国際芸術村によるツアー・パフォーマンスだったのだなあ~とあらためて思った(当時の記録はこちら)。旗を振って案内するキュレーター・原田氏はまんまツアーガイドだったし、事前レクチャーや解説をこなしたもののバスの中ではついうとうとしていた川俣氏、炭坑の解説をした浅野正策氏はその役を演じる役者だったし、参加客も渡されたインスタントカメラで写真をバシャバシャ撮る典型的な日本人観光客を演じ[させられ]ていた。フライヤーに炭鉱×アートと書いてあったので何かの美術的アトラクションを期待してしまい、それらしきものがなかったので、川俣氏・菊地氏のリサーチ旅行に同行しただけかよと思った人もいたようだが、あれはツアー・パフォーマンスだったのだと考えると、(まあそれでも何かちょこっとアトラクションが欲しかったけれど…)なんとなく納得できる。
 ツアー・パフォーマンスはパフォーマンスの一種だが、同時に観光ツアーの一種と見ることも可能だ。というか、参加客が具体的にやっていることを列挙していくと、写真撮影にせよ軽食にせよ、パフォーマンスよりも観光ツアーのほうが遥かに近い。

 前述の大学講師からジョン・アーリー(John Urry, 1946年 - )の『観光のまなざし』を借りて読んだのだが、これはミシェル・フーコーの鍵概念「まなざし」を手がかりに、観光行為(主にイギリス)を分析し、中流階級の拡大、余暇の増大に伴う人々の嗜好・行動の変化と照らし合わせながら、観光の「構造」の史的変遷を綴った本だった。
 著者はポスト・モダンという用語を「そのなかで個々の文化対象が生産され、流通し、受容される」意味制度によって、その特性が明らかになるような体系に関わるものと説く。「ポストモダンは文化のパラダイムまたは理念型と考えるべき」と言うスコット・ラッシュ(Scott Lash)に同意し、モダンが種々の文化領域のなかで分化してゆく過程だとすると、ポスト・モダンの特徴は、「脱分化」、つまり例えばハイカルチャーとローカルチャーの区分、エリート的消費と大衆的消費の形態区分、あるいは、芸術生産と商業生産との区分が失われる傾向である。そして、観光行為の多くはポストモダン的特徴を持つと言う。観光は記号の集積であり、ツーリストは無名の記号論者であって、(その地域らしさ)や(その地の人びとの典型的な言動)などの記号を求めて移動する、と言う。この世とも思えない絶景を観るというロマン主義的なまなざしは、エリート主義的(孤独主義的)見方という点で、ベンヤミンの言う「アウラ的」なものだが、現代に至ってはそのロマン主義的なまなざしも、現実そのものが直接体験されているのでなく、主に写真という媒介を通してみる「表象」、絵はがきやガイドブック、テレビ番組から取り入れた、その景観の観念的な表象であると解く。

 もはやレトロ感さえ覚えてしまうポストモダン言説だが、それもそのはず原書の刊行は1990年。ただ、今あらためてポストモダン言説のあれこれを吟味するのも一興である。ただの思想的流行に過ぎなかったわけではなく、その影響が広範囲にわたって認められることは否定できない。まさに「文化の理念型」として機能しているかのようだ。
 面白いのは、イギリスではビーチ・リゾートが人気を失い「歴史と〈遺産〉」ブームらしく、また、「工場観光」を発達させたらよい、というようなことが取り沙汰されていたということ。出版時期から考えると80年代末の事情だろう。日本人がバブルで海外のビーチ・リゾートに大挙して押しかけていた頃、ヨーロッパでは既に飽きられつつあったのだ。日本でも90年代後半くらいから「近代化遺産」や「産業遺産」あるい「テクノスケープ」という言葉が聞かれるようになったが、あたかもイギリス(欧米?)の動向を10年遅れで追いかけているかのように見えてしまう。
 著者に言わせると、近代史、近代産業史に関心が向くということ自体が「近代」という枠の画定を欲するポストモダン状況を示しているのだそうだが、それは美術史家のティエリー・ド・デューヴが『芸術の名において』所収の「デュシャン以後のカント/デュシャンによるカント」で「ポスト・モダンという語が、それ自体、「ポスト」という接頭辞を含むがゆえに、自ら率先して時代を画定するものであり…」と述べていたことを想い出させる。ド・デューヴは「このポスト・モダンという語は、近代性がどこから始まるかを語ることを許すかもしれないが、近代性がどこで終るかを語ることを禁じるし、それが終ると語ることさえ禁じる」と洗練された表現を付け加えている。

 川俣正らと回った美祢・宇部の炭坑施設見学ツアーは、山口県が推し進めるCSRツーリズムの一環でもあった。ちなみに私は、山口発のローカル・カルチャー誌「SANRAI」のVol.2[冬号]に、「コールマイン・メモリー」と題した炭坑関係のテクストを寄せている(残念ながら「SANRAI」は2号で休刊)。
 川俣氏は秋吉台でのレクチャーで「炭坑のリサーチは「近代」を検証する上で極めて重要なこと」と述べていたように記憶している。アウトサイダー・アートにからめて言うと、ゴッホは炭鉱地帯で臨時説教師をやっていたし、ルサージュは実際に炭鉱夫として働いていて霊感を身に着けた。近代は地下に埋もれたさまざまな古代の「資源」を掘り起こすことで成立したのだ。
 ことさらに言うとただの郷土自慢に陥りかねないが、日本の近代を検証する上で、そのポジティヴな面もネガティヴな面も含め、山口という海峡を隔てて朝鮮半島と接する「国境地域」が果たした役割を論じることは決して無意味なことではなかろう。ただ、これについては別の機会に話したい。



 近代史や近代産業史への観光的関心が日本に定着するかどうかは今のところ疑問だ。例が少し異なるが、文部科学省の「我が国の科学雑誌に関する調査」(平成15年)によると、”Scientific American”の米国での発行部数は約70万部、これに対し、同誌の日本語版「日経サイエンス」の発行部数は約2.5 万部程度で、人口当たりの発行部数を比較すると10 倍近い差があることになる。しかもアメリカでは他にも”Popular Science”が約155 万部、”DISCOVER”が約100 万部売れているそうだ。技術立国というわりに一般の関心が科学技術的「教養」に向かない状況を考えると、産業遺産ツアーも「見た目」がスゴイとか食事が豪華とかがない限り、一般人の興味を集めることは困難だろう。新聞社主催のバス旅行等では工場見学が組み込まれる例もあるが、ほとんどは「絞りたて」が飲める「ビール工場」見学だったり、原発の排熱利用による温室を埋め尽くす「花」だったりする。現在のところ、日本人が求める教養はもっぱら「食」と「健康」に集中している(あとは「漢字」か?)ようだ。歴史は現在でも一定の人気はあるが、「近代化」をいち早くなしとげた西欧と異なり、「借り物」という意識が強いせいなのか、あるいは「近代化」に伴うネガティヴな側面―明治以降の日本の政治的近代化が敗戦という結果に結びついたことや、自然破壊のイメージと結びつくこと--のため、日本近代史は一般人にとって《嗜好》の対象になるまで至っていない。むしろ中国・韓国のプレゼンス増大による「歴史認識」の問題によって、いやおうなく自らの「近代史」と対峙しなくてはならなくなっている状況だろう。
 ただ、マスとしての「一般人」にはあまり期待できないにせよ、1960年代後半以降に青春を送った文化・教養を求める層が定年を迎えつつある今、かつてのNHKの番組『プロジェクトX』の流行と合わせて考えると、プログラムの魅力が高ければテクノスケープツアー/産業遺産ツアーだってうまく採算に乗るかもしれない。わたしも具体的なプログラムによっては参加したいと思っている。

 ツアー・パフォーマンスの話からかなり脱線してしまったが、要するにこのツアーとパフォーマンスという二つのカテゴリーの垣根を取り外したかのような新しいカテゴリーの誕生も、ポスト・モダンの「脱分化」と密接に関わっているように思われる、ということ。そして、『サンシャイン62/63』がまさにそうだが、日本の近代史・現代史のレビューという特徴が見られるということである。

 なお、高山氏は「山口市営P」の公演ドキュメントに収められた、美術ジャーナリスト・新川貴詩との対談で、「“これが作品”としてみせるというのが減ってきている」「作品じゃなくなっていく方向に行きたい」と語っていた。これは川俣正『セルフエデュケーションの時代』の扉で引用されているマリーナ・アブラモヴィッチの言葉「21世紀は、アートがなくなるかもしれません。なぜなら人々が高次の意識と感情をもち、作品なし(without object)でコミュニケーションをとり始めるからです」に呼応しているかのようだ。
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