中村滋延『現代音楽×メディアアート』を読む 

 ネットの世界だとどんなジャンルでも文字組みが横なのに、いまだに書籍の世界では、横組みの本は理工学書やマニュアル、あるいはハウツー本などを思い起こさせ、読む前から「味気ないもの」と先入観を抱いてしまう傾向がある。
 本書を手にしたときもそうだった。しかも、目次を読んでも「音楽とは何か」とか「楽譜とは何か」といった言葉が並び、お堅い学術書のイメージが濃厚である。楽理ジャーゴンやプログラミング用語が満載で、一定以上の教養を読者に要求する本かと想像していたが、めくっているうちにそうでもないことに気づいた。
 確かに著者は九州大学芸術学部(いつのまにか九州芸工大が九州大学に吸収されてしまったようだ)で芸術工学の教鞭をとる教授で、本書に所収されたテクストも基本的にアカデミックな形式であり、現代音楽やコンピュータ・ミュージック、あるいはメディアアートをただの受け手として楽しむ者向けではなさそうなのだが、それでも「楽理」や技術用語は最小限に抑えてあるし、クラシックから現代音楽までの流れがよく整理されているし、作り手側として役に立つだけでなく、受け手としても、現代音楽と「音楽系メディアアート」(※「サウンド・アート」でないことに注意)が概論的に把握できる良質の入門書と言えるだろう。

 目次は以下の通り。

 第1章 音楽構成論-音の視覚化を中心にした現代音楽論
 第2章 コンピュータ音楽再考
 第3章 映像アートのための音楽作りの方法
 第4章 視覚と聴覚の統合-「映像音響詩」の作曲技法
 第5章 映像のためのサウンドデザインにかかわる実習課題
 第6章 アート・アニメーションにおける音表現

 全193ページのうち86ページを占める第1章では、クラシック音楽から現代音楽までの流れを、音楽の視覚化の過程として解説する。
 まず、リサーチ調査で裏付けながら、音楽をギーゼラー(1975)に倣って「人間が組織的に関与した音響現象」と定義する。続いて楽譜の定義を試み、五線記譜法が音楽の構造の視的把握に優れていたことが、新たな音楽構成を生み出す要因となったと説く。「組織的な関与」に必要な音楽の統一性と、退屈を避けるための多様性を保つための作曲法上の原理として、反復演奏の原理、3部分形式的原理、機能和声の原理をあげ、音楽の視覚化こそが反復演奏の原理に強く影響し、バッハのカノンやベートーヴェンのソナタ、さらには20世紀の十二音音楽を生み出したと主張する。
 十二音音楽はさらに音の構造化/組織化の方向に純化・先鋭化し、総音列音楽(total organized music)へと発展するのだが、その結果、聴取者サイドは、鳴り響く音の表面である音響テクスチュアの方へと惹かれるようになった。これを契機に現代音楽家たちの関心は、旋律や和音、モチーフ操作よりも音響テクスチュアに向かい、これが今日、現代音楽といわれているものの大部分を占める音群的音楽(Tone-mass Composition)であると言う。そして音群的音楽の傾向をクセナキスに代表される「確率による音群」タイプ、リゲティに代表される「ミクロ・ポリフォニーによる音群」タイプ、クリストフ・ペンデレッキに代表される「クラスターによる音群」タイプ、ロマン・ハウベンシュトック=ラマティに代表される「即興による音群」タイプに大きく4分してみせる。
 総音列音楽は音群的音楽に加えて「偶然性の音楽」(Chance Music)を生み落とした。数列秩序に基づいた総音列音楽は、精緻さ、複雑さを追求していくに従ってデタラメに演奏されたものと変わらなくなり、そうした西洋クラシック音楽の到達地点を批判的に指摘したのが、ジョン・ケージの《4'33''》だと言う。
 現代音楽(Contemporary Music)は字義通りの「現代の音楽」というより、機能和声(あるいは機能和声的音感)に基づかない音楽として識別されていて、西洋音楽史の進歩史観に基づくものであるということを正しく指摘している。ほかにも、ミニマル・ミュージックや具体音楽(musique concrete)、電子音楽(Electronic Music)、コンピュータ音楽(computer Music)についても概説している。
 第12節では音楽を「理解する」ということを俎上に載せていて、これがなかなか面白い。文章理解を例にして「理解段階」を7段階に分け、音楽を理解するとはどういうことかを考察し、とかく難解と言われる現代音楽に対し、「特定の文法の知識がなくても「分かる」ことができるが、文法の知識があったほうが「深く理解」でき、文法の発見や学習に「おもしろい」が伴う音楽」を目指している、と結んでいる。



 第2章では今や作曲・演奏・録音・編集・再生のさまざまな局面で大きな位置を占めるに至ったコンピュータの役割にフォーカスし、実例を挙げながら、演劇的要素を視覚的要素として取り入れたミュージック・シアターやコンピュータとセンサーを利用したインタラクティヴ・システムのミュージック・シアターへの導入、映像の生成・変化・投影をインタラクティブに導入した「音楽系メディアアート」について概説する。著者自身が制作・命名した「映像音響詩」を紹介する――ノーマン・マクラレン(Norman McLaren)のアート・アニメが原点のようだ――一方で、自身を「クラシック音楽の伝統的価値観にどっぷり浸かり」、現代音楽としてのコンピュータ音楽のままに留まっていたと潔く告白している。(したがって、インプロヴィゼーションや「音響系」、グリッジ、いまや東京都現代美術館で個展を開くまでになった池田亮司やalva noto(カールステン・ニコライ)の方向性等、新しい「音」へのアプローチには残念ながら触れていない。これらは「現代音楽」でもポピュラー・ミュージックでもない、著者の言う「第3の道」にカテゴライズされるということだろうか)。そして、自分が関わっている若い世代による作品を紹介する。
 なかには以前のブログで紹介したearth songに参加した藤岡定と三分一修による演奏ソフトCubieも登場する。ほかに堀尾寛太《FLOWer》(2001)や三分一修・藤岡定の《Code》(2004-2007)、山田祐嗣・藤岡の《Phonologue》、古田伸彦の《'push' action buttons》など。
 近藤義秀・藤岡定の《qr:》というのが、携帯電話のqrコードを使ったインタラクティヴなライヴパフォーマンスで興味深く、実際に体験してみたいと思った。

 第3章では、映像のビジュアル面と音楽/音の実践的な関係付けを、〈構造上〉の同一関係や〈インの音〉(画面上に音の発生源が見える場合の音)としての同一関係…など6つに類型化し、それぞれ具体例を示しながら論説している。

 第4章は、音楽系メディアアートの1ジャンルとして著者が創成した「映像音響詩」について、クリスチャン・メッツが指摘する映画の構成要素――つまり、「静的図像」「動的図像」「話し言葉」「もの音」「音楽」――に沿って構成要素を分けた上で、それぞれの意味や関係性を示しながら、創作理論を解説する。

 第5章は、著者が受け持つ音響設計学科の科目「サウンドデザインⅡ」で課した実習課題に関する報告。

 第6章ではアートアニメを取り上げ、新しい音表現の試みが見られる以下の5つの作品をそれぞれ分析した上で考察を加えている。

 1.久里洋二《G線上の悲劇》
 2.コ・ホードマン《シュッシュッ》
 3.ヤン・シュヴァンクマイエル《男のゲーム》
 4.イジー・パルタ《見捨てられたクラブ》
 5.マーリア・プロハースコヴァー《足跡》

 面白いのは、学生に論説文を書く上での模範例を示す目的もあるのか、文の構造をあらかじめ見える形で示しているところ。全体としても、論理的な文章を書くための教科書になっている。

 芸術工学の教科書めいた書なのだから当然なのだが、雑駁な言葉で言うところの「左脳」的――しかも重度の――と言えるだろう著者の文章は、好みが分かれるかもしれない。私としては文芸的で多義的な文章に憧れる一方で、性格的にはこうした分析と論理を尽くした明快なテクストの方が合っているように思うことが多い。
 著者は慎重にも「音楽系メディアアート」と限定しているので特に問題ないし、詰め込み過ぎるのもよくないのだろうが、一読者の我がままを言わせてもらうと、近接領域(というか重なる部分も多い)「サウンド・アート」との関係や、ダンス・パフォーマンスといった身体表現や舞台美術・建築などの空間芸術との関連性について、もっと踏み込んで欲しかった。
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