旅する思いのなれの果て 

 若い頃は接客業など絶対やらないと思っていたのに、もののはずみから旅行者を迎え入れる仕事に就いてしまった。自転車やバイク、あるいはキャンピングカーで国内を旅する人たちと話す機会も増えたこともあって、かつては大好きだったが近年はあまり触れていなかった路上文学やロードムービーに再び関心の触手を伸ばし始めている。

 以前に実家の古い書棚で発見したサム・シェパードの『モーテル・クロニクルズ』を再読して気に入っていたら、一昨日また実家に帰省して学生時代に読んでいた本や映画のパンフレットの山に分け入っていると、今度は『モーテル・クロニクルズ』を原案としたヴィム・ヴェンダーズの映画『パリ,テキサス』のパンフレットに出くわした。しかもそのページの間には、当時その映画を観た大阪北区堂島の大毎地下劇場が発行していた大毎地下ニュースまで残っていてしばし懐かしさにふける。そうか、『シベールの日曜日』との2本立てだったのか、これも泣ける映画だったよなあ…とか次の月の大毎地下名画鑑賞会では『さらば青春の光』と『イージー・ライダー』の2本立てもあってこれらも大毎で観たよなあ、とか、好きだった女の子と初デートしたのもここの『ひまわり』と『愛と悲しみのボレロ』2本立てだったなあ、とか、映画が終わるといつも近くにあったDon Shopというジャズライブをやる店に入って、ときには朝の始発電車が動き出すまでずっと居座ったものだなあ…と、「あの頃」の記憶の奔流に飲み込まれる。そして、バックパッカーとしてアジアやスペインを回ったのがこの映画の翌年だったことを考えると、意識はしていなかったが「旅する思い」に取り憑かれたのも、こうしたロードムービーの影響だったに違いない。ある意味人生を「棒に振って」何年も旅を続ける猛者たちとは違って、故意に留年して受講科目の操作で自動的に卒業できるよう姑息に手筈し、就職を決めたうえで期限つきの旅に出たわけだから、「旅する思い」が不完全燃焼のまま企業社会に突入したことが、あとあと両親の病気にかこつけて会社を辞めるに到ったことの遠因になったと解釈されても全くの的外れとは言えないだろう。
 そういえば就職して東京に出てからも、シネ・ヴィヴァン六本木によく出没してはジム・ジャームッシュの『パーマネント・バケーション』やフレッド・フリスが出演していた『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー』なんかを観て「旅する思い」に身を焦がしたものだ。同世代である佐々木敦の批評本を読んで彼がこの時期ここでアルバイトをしていた話を知り、ああそういう生き方もあったんだなあ、と情熱の継続や才能の話はそっちのけで羨ましく感じてしまったことを正直に白状しよう。

 ただ、今となってはときに国内旅行して安宿を利用することはあっても、宿の常連たちと融けあうことにも困難を覚えるし、海外旅行への強い欲求もなくなって、かつては確実にあった「旅する思い」が、いつのまにか衰耗してしまったことを認めないわけにはいかない。そう、会社時代に上海に出張した際、上海駅で偶然再会した、あの、列車のホームに漂っていたかつての狂おしいばかりの「旅立つ思い」――初の海外旅行は鑑真号で、上海駅から列車で内陸の青海省に向かい、バスでチベットに入ったのである――はもはや身体のどこを探しても見当たらないのである。やみくもな「自由」への欲求、ここでないどこかへ旅立ちたいとする強い衝動、既存のものをありきたりとして新しいものを激しく求める衝動は、若い脳にのみ所見される神経細胞の発火パターンなのだろうか。

 『パリ,テキサス』のパンフレットで、ヴェンダースはインタビュアーに対し「トラヴィスは線路を眺めたり、高圧線にそって歩いたりするのですが、それは彼が旅を愛するからではなく、まさにどこかにたどり着きたいと思っているからです」と語っている。サム・シェパードがヴェンダースと共に『パリ,テキサス』の脚本を書いたのは40歳のときだった。若い頃はその部分に気を留めることはなかったが、ひょっとすると久しぶりに定職に就く決意をしたのも、その歳を何歳か上回って、やっと自分もどこかにたどり着きたいと思ったせいなのかもしれない。


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