盲目の鳥たちは光の網をぐぐる 

 商売の言葉や数値に囲まれていると心がささくれ立ってきて、ときには潤いのある詩的な言葉に触れたくなる。そんな矢先、瀧口修造の詩に遭う。「地上の星」というそのタイトルに目が止まったのは、中島みゆきが歌ったNHKのかつての番組『プロジェクトX』の主題歌と同名だったからだ。中島みゆきは藤女子大の国文学科卒で、ネット上の情報によると谷川俊太郎に多大な影響を受けているそうなので、ついついひょっとしたらこの瀧口のシュルレアリスム詩を発想源にしたのではないかと勝手に関係妄想を繰り広げてしまったわけである。
 瀧口の「地上の星」は1967年に刊行された『瀧口修造の詩的実験1927~1937』に所収されている詩で、ほかのも読んでみたいなあとアマゾンを検索すると中古品が1万円。うーむ、そこまで出して読みたいかなあ、と自分の気まぐれな欲望をとりあえずは退けることにする。
 シュルレアリスムの自動記述はどこまで本当に無意識を反映しているのだろうと疑問に思うところがあったが、瀧口修造は真摯に自動記述に努めようとしたのだろう。やたらと登場する「ぼく」の文字が抒情を帯びていて、むしろそれこそが自動記述たらんことを示しているように思われる。20世紀前半の大きな繁栄と大きな戦争がわずか2~30年の間にめまぐるしく展開した時代が産み落としたシュルレアリスムという文化資産にずっと惹かれ続けてきたことをあらためて自覚する。

 なお、「地上の星」に出会ったのは『日本の現代詩101』という新書館のハンドブック・シリーズの中でのことだ。若い頃には文化的なハンドブックを読むなんてことは、恥ずかしくて口に出せなかったものだが、あらゆる文化領域のアーティストが膨大に堆積してしまっている現代、さまざまな領域に関心を抱く者にとっては、このようなガイドブックに一時的に頼るのはやむを得ないことだし、むしろ良質なガイドブックを選択できるかどうかがジャンルの中に深く潜航するための大きな鍵となろう。
『日本の現代詩101』の編著者は詩人の高橋順子(この人は『赤目四十八瀧心中未遂』で直木賞を取った車谷長吉の奥方)。教科書に出てくるような誰でも知っている詩人の有名な詩が適度にちりばめられている一方、詩の忠実な鑑賞者でなかった者たちに新たな発見をもたらす詩もふんだんに盛りこまれている。以前興味を抱いたものの図書館で手に取った作品集に今一つグッとこなかった詩人の作品でも「こんなに面白い作品もあったのか」と感心してしまうし、有名な詩人の作品にこういうのもあったのか、と発見の喜びがある。
 備忘録として「地上の星」の他にも気にいった作品を書き留めておくことする。
 川路柳虹の「塵塚」、大手拓次の「魚の祭礼」「「あをざめた僧形の薔薇の花」 、吉田一穂の「白鳥」、丸山薫の「病める庭園」、永瀬清子の「グレンデルの母親は」。西脇順三郎や日夏耿之介は昔読んだが今読み返すとやはり良いなあ。夭折した富永太郎はいつか読みたいと思っていてこの機会に「秋の悲歎」を読む。宮沢賢治はこれまでノレなかった詩人だが、「永訣の朝」はわりと好きだ。
  いつか時間の余裕ができたらこれらの詩人の作品とじっくり向き合ってみたい。

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