広島市現代美術館(3) ビルヂング~「美術という建築」展 



 特別展の「解剖と変容」展の隣ではコレクション展の「ビルヂング展~美術という建築」展を開いていた。ビル「ヂ」ングと名のる通り、近過去における美術と建築の互いに触発する関係に注目し、「彫刻という建築」「イマジナリー/アンビルドな建築世界」「都市へ介入する美術」の3つの柱を軸に作品を展示している。

 「彫刻という建築」では主に60~70年代に空間と物質の関係性を追及した美術家の作品群が並んでいる。
 ドナルド・ジャッドの作品はスタックシリーズの一つ、上下2面にプレクシガラスを張ったスチールの横四面からなる直方体を同サイズの空間を挟んで等間隔に積み重ねたもの。美術批評家のマイケル・フリードは1968年に著した重要な論文「芸術と客体性」で、ジャッドやロバート・モリスに代表される「ミニマリズム」を「演劇的」と見なしてハイ・モダニズムの観点から批判した。マイケル・フリードの術語である「演劇的」が何を示しているのか曖昧にしか理解していないが、ジャッドの造形は、鑑賞者の視覚に対する深い問いかけが込められているように思えるのだが。
 あるいは日本で展開された「もの派」と呼ばれた人たち、李禹煥――直島に安藤忠雄の設計で個人美術館ができた_(2010)――の鉄と綿による作品《関係項》や菅木志雄の《集結性と領界性》。そのほか2001年にターナー賞を受賞したマーティン・グリードによる作品番号1018など。

 「イマジナリー/アンビルドな建築世界」ではコルビュジエの「ヴェニス・ホスピタル」の絵コンテや、広島市現代美術館の内外に多くの作品がある井上武吉のマイスカイホールの絵コンテなど。30歳の若さで横浜美術館で大規模な個展を開いた金氏徹平の映像作品《Tower(Movie)》は、クッションに座ってぼんやりと映像を眺めているだけで単純に面白いし心地よいのだが、テーマとの関係でいろいろと考えたくなりもする。

「都市へ介入する美術」ではゴードン・マッタ=クラークの遺棄された建造物をチェーンソーで切断する映像splitting、やConical Intersect
 杉本博司《プロスペクトパーク・シアター》は映画の上映中ずっとシャッターを開いたままにして撮影した真っ白なスクリーンが映っているのだが、マイケル・フリードがその写真論のなかで「反演劇的」の一例として杉本の《劇場シリーズ》を論じている。小沢剛の《イワンのバカハウス》は黒川記章が原型を創造した「カプセルホテル」とホームレスが棲家とするブルーシートの簡易住居を組み合わせた作品。いまやテント泊や車中泊が以前より遥かに一般的になり、坂口恭平の0円ハウスが注目を集めるご時世となったが、寝泊りするための空間の最小単位をいかにとらえるかは興味深い問題である。そのほか川俣正の『"比燕荘"京都』のモックなどが展示されていた。

 「構想」の極北のような建築を扱ったコレクション展と「構想」のないことが魅力のアール・ブリュット展とが並んで開かれているのが面白かった。

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