DOMMUNEメモ1 

 このところDOMMUNEから耳目が離せない。
 たとえば6/6の「映像はもう始まったか?第四夜」では飯村隆彦先生を招いて実験映像を特集したし、その前夜は見逃したけど小林康夫教授や五所純子を呼んでいた。

 6/13は「増殖するアート・コレクティヴィズム」と題し、カルチュラル・スタディーズの毛利嘉孝や美術批評家の福住廉らを招いて「渋家」と「天才ハイスクール」を紹介していた。
 渋家(シブハウス)はここ数年のギークハウス等のシェアハウス・ムーヴメントともつながりが深く、渋谷の一軒家で20人が共同生活をしながらアートプロジェクトを展開中。「天才ハイスクール」略してテンハイは、アートユニットChim↑Pomのリーダー卯城竜太が受け持つ美學校の現代美術クラス。東京港区白金(懐かしい!)の首都高天現寺ランプ近くにあるギャラリー「山本現代」で6/29まで展覧会をやっている。
 作品自体は「ツマンナイ」と評論家の誰かが言っていたが、絵画や彫刻や写真や動画といった企図された活動の「結果」よりも、人が集まって何かやる、その動機や「何をやるか」決めるまでのプロセス、決まってから実行するまでのプロセス自体をアートとするということなのか。彼ら以外にも、たとえばナデガタ・インスタントパーティーは、映画製作やお菓子づくりやワークショップという口実のもと見知らぬ者同士が協同すること自体の面白さに主眼を置いたアートを実践している。これはもう、2010年代のアートの大きな潮流を形成するのか。はたまた観客にとってはヤッパ面白いモンはオモシロイ、ツマンネエもんはツマンネエ~、で終わってしまうのか。批評サイドも5~60年代のボディアートやハプニング、フルクサス、演劇との交差、コンセプチュアル・アート、90年代から言われ始めたリレーショナル・アートとの関連など、いろいろ語ることができるだろう。話の中にはヴェネツィア・ビエンナーレ2013で金獅子賞を受賞したティノ・セーガルの名前もあがっていた。

 ちなみにこの夜はDOMMUNE主催の宇川直宏が入って来て長々と講談。話の中にアスコナのモンテ・ヴェリタが登場したので、ついついここで少し語ってしまおう。
 19世紀に始まるヨーロッパの急速な産業化・都市化は、急進的な政治的進歩主義、マルキシズムやアナキズム、都市化への反動としての自然回帰運動を産み落とした。たとえば海水浴・日光浴・森林浴といった自然治療、ドイツのワンゲル運動や裸体運動など。南スイスに位置するのアスコナでは19世紀後半からロシアのアナキスト、バクーニンが移り住み、自然療法家によるサナトリウムや神智学者の植民活動が徐々に増えていった。それらはある意味、自然回帰を標榜する今日のオルタナティブ運動を先駆けるものだったと言えるだろう。
 アスコナの小高い丘、モンテ・ヴェリタ(真理の山)には、ヘルマン・ヘッセやカール・ユング、ルドルフ・シュタイナー、フーゴ・バルなど錚々たる文化人メンバーが集った。精神疾患患者の造形作品を収集したハンス・プリンツホルンの恋人だったノイエ・タンツのマリー・ヴィグマンやその師匠のルドルフ・ラバン、ヘッセ『東方巡礼』の登場人物レーオのモデルにもなったタオイスト「聖者」グスト・グレーザー、あるいはアレイスター・クロウリーとも関係の深い東方聖堂騎士団のテオドール・ロイス等のオカルティストたちも当地に長らく滞在した。宗教学や神話学、深層心理学、神秘主義の研究者が集まった学際的会議のエラノス会議の開催地もアスコナである(イスラム神秘主義の研究で名高い井筒俊彦はエラノス会議のメンバーだった)。

 アスコナの「対抗文化」は、第2次大戦後にはカリフォルニアに受け継がれる。1953年、シティライツ・ブックスがサンフランシスコのコロンバス・アベニューに開店、ギンズバーグらビートニク作家の作品を出版。ビッグサーには詩人のロビンソン・ジェファーズをはじめとして小説家のヘンリー・ミラーやジャック・ケルアック、リチャード・ブローティガン、写真家のエドワード・ウェストンらが移り住んだ。ゴンゾ・ジャーナリズムのハンター・S・トンプソンは1961年にビッグサー温泉の管理人を務めていた。マイケル・マーフィーとディック・プライスは、この地にオルタナティブ・エデュケーション・センターとして「エサレン・インスティチュート」を創設。エサレンは仏教や禅やタオイズムといった東洋哲学やゲシュタルト療法、ニューエイジ文化のメッカとなった。余談になるが、私は1997年にサンフランシスコから当時住んでいたオレンジ・カウンティに帰る途中、この地に立ち寄った。事前によく調べてなかったこともあって^^;興味深い事象に遭遇することはなかったが、サンタ・クルスの宿なんかはそれなりにヒッピーテイストを漂わせていた。当時の西海岸はインターネットへの過剰な期待がカリフォルニアン・イデオロギーをのさばらせて、『サイベリア―デジタル・アンダーグラウンドの現在形』に登場するような怪しげな連中が跋扈していた。ビッグサーのほかにも、たとえば舞踊家のアンナ・ハルプリンは1955年に夫であるランドスケープ・アーキテクトのローレンス・ハルプリンが設計した「ダンス・デッキ」で、サンフランシスコ・ダンサーズ・ワークショップを開いた。後にジャドソン・ダンス・シアター界隈で活躍する者たちも何人か参加していたと聞く。ちなみにローレンス・ハルプリンには『集団による創造性の開発―テイキング・パート』という著書がある。

 宇川はカリフォルニアでヒッピー・コミューンを築いたチャールズ・マンソンの「ファミリー」に話をつなげる。ビーチ・ボーイズのデニス・ウィルソンもマンソンと親交を結んでいた。ファミリーはLSDや各種ドラッグをたしなみ、ビートルズの「ヘルター・スケルター」を白人と黒人の最終戦争を想定した曲だと信じ込み、シャロン・テートやラビアンカ夫妻の殺害へと突き進んだ(『世紀末倶楽部 vol.1 特集:チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件』より)。なお、宇川直宏は1995年にカリフォルニアで、キャロライナ・レインボーのコミューンに10日間参加したと聞く。

 その後、話題はニューヨークに飛んで、伝説のパーティー「The Loft」の創始者で今日のクラブ系パーティ・カルチャーの礎を築いたデイヴィッド・マンキューソの話。孤児院で育った彼は、ホームパーティーをこよなく愛し、音を絵画のように楽しむためにツイーターアレイを配置したサウンドシステムを開発した。
 ほかにも、発達障害のあるアーティストを支援するサンフランシスコのクリエイテェブ・エクスプロアード(Creativity Explored)や浜松の情報施設たけし文化センターの活動など紹介して極めてインフォーマティブ。
 宇川は「渋家」や「テンハイ」に対し、新しい文化を切り拓いてきた永続的ではない一時的な集合性、コミューンの産出可能性を期待する。産出するのはアートかもしれないし文化かもしれないし赤ん坊かもしれない。そもそもDommuneの名の由来はCommuneのネクスト・バージョンだという。AKB48、ももクロ、集合知、Wikipedia、群知性、坂口恭平のゼロセンター、青木昌彦による集合認知システムとしてのコーポレーションの多様性研究等々、従来の「集団主義」や「集産主義」とは異なる、新たなコレクティヴィズムの可能性がさまざまな領域で煌めいている。


 続いて6/19のsyn(C)s Presents「オーディオ・ビジュアルが作る非日常」。出演は田所淳、渡邉洋輔、Yousuke Fuyama、BRDG。ライブはYousuke Fuyama×NOEL-KIT、Kyoka、umio、Kezzardrix。流れていたtwitterタイムラインから得た情報も含めて、メディアアートの制作で多用されるopenFrameworks、Max6、jitterなどの話。Beyond Interactionの改訂第2版が近々発売予定。Javaを習う機会があったので、ProcessingやopenFrameworksはちょこっとだけ齧って遊んでみることはできた、とはいえガイドブックに頼ってのシンプルな図形操作にとどまるが。ライゾマティクスの真鍋大度や田所淳の作品等をみて、彼我の大きな差を想像する。第1版の真鍋大度がインタビューで言っていたことだが、これからメディアアートを志すなら数学をちゃんと勉強しろよってことだ^^;。図形は視覚的にイメージしやすいのでProcessingなんかは高校の授業に採用したらどうかと思う。プログラミングは最初こそとっつきにくいが、コツが呑み込めてくると道具として有用である。日本ではなにかとキツいイメージがまとわりついているが、アメリカでは優れたプログラマーは崇敬の的である。有名なLISPハッカーで、今やdropboxなどを育てたベンチャーキャピタル「Yコンビネータ」の創始者として知られるポール・グレアムの『ハッカーと画家』などを読むと良い。日本の、たとえばホリエモンやpaperboy&co.や与沢翼などとは一味違うアメリカIT業界の傑物が何を考えているか伺えるだろう。話を元に戻すと、タイムラインにはオスカー・フィッシンガー、Ryoichi Kurokawa、ノーマン・マクラレン、電子海面の深澤秀行という名前も流れていたなあ。

 DOMMUNEはこの夏、YCAMととともに山口で空きビル1棟使って番組アーカイヴをインスタレーションすると聞く。これは楽しみ!

(以上、敬称略)
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