アルゴ/パイの物語 

 小倉昭和館で『アルゴ』と『パイの物語』。
「映画をつくる過程を撮った映画」といえば、トリュフォーの『アメリカの夜』やモンテ・ヘルマンの『果てなき路』、柳町光男の『カミュなんて知らない』等が思い浮かぶが、『アルゴ』もその一つだろう。但し『アルゴ』の場合、つくるのは興行映画ではなく、イランの人質奪還のためにCIAが仕組んだフェイクフィルムだ。

 中東の石油産出国では、1970年代の「オイルショック」に至るまで、エクソンやモービル、テキサコなどセブン・シスターズと呼ばれる7大石油企業が石油利権を独占していた。イランでもイギリス資本のアングロ・イラニアン(現在のブリティッシュ・ペトロリアム(BP))が独占を続けていたが、1951年、モサデク首相は国民の強い支持を受けて石油の国有化を断行。これに対し米英は1953年、両国情報部のTPAJAX作戦によりモサデク政権を転覆させ、パーレビ政権(現在では発音のより近いパフラヴィー)政権を樹立した。しかし、パーレビによる独裁的な統治は次第にシーア派や貧困層の反発を呼び、1979年1月にはアヤトラ・ホメイニらによるイラン革命が発生。米国が亡命したパーレビを受け入れたことに反対したイスラム法学校の学生らが、同年11月にテヘランのアメリカ大使館を占拠した。その経緯は、映画の冒頭で「絵コンテ」によって解説される。

 『アルゴ』はこのとき大使館から脱出し、カナダ大使公邸に匿われた6人の外交官たちを無事に出国させるためにCIA職員が編み出した「奇策」だった。
 妻子と離れて暮らすCIA工作本部のメンデスは、息子との電話の最中にふと目をやったテレビ放映の『最後の猿の惑星』をヒントに、6人の人質をSF映画の惑星シーンをロケハンする映画クルーと装って出国させる作戦を思いつく。『猿の惑星シリーズ』や『宇宙大作戦』のニモイの耳で知られる特殊メイクの第一人者、ジョン・チェンバースの協力を仰ぎ、脚本づくりから絵コンテ、制作会社の広告まで緻密に練りこんで、リアリティを演出していく。

 『アルゴ』は2012年のアカデミー賞作品賞を受賞したが、プロデューサーのジョージ・クルーニーは、2011年にアメリカ大統領予備選民主党の裏側を描いた映画『スーパー・チューズデー ~正義を売った日』で監督・脚本・出演を務めており、民主党政権、特にオバマ大統領の熱烈な支援者として知られる。再選キャンペーンの一環で開いた資金集めのディナー・パーティでホストを務めることもある。『アルゴ』でも、ささやかな批評性を含みつつも「ハリウッドは今も(民主党)アメリカの味方だよ」というメッセージが見え隠れしているように思えてならない。ちなみに人質事件は民主党のカーター政権時代に発生した。

テヘラン空港より

 『アルゴ』では氷雪を抱いた山々に囲まれた市街地や特徴的なモニュメントなど、ところどころにテヘランらしい映像が登場して、昔のことを想いだした。人質事件から7年後の1987年12月、バックパッカーだった私はインドのコルカタに飛行機で入ってインドで3週間過ごした後、危険地域のパンジャブ地方やテロが横行するパキスタンを経てイランに入国した。ジャーナリストを気取ったわけではないが、戦場などの危険地域は「秘境」同様、若者の旅心を刺激するものだ。イラク人質事件でボランティアが強烈なバッシングを受けたのはまだまだ先の話である。デリーの安宿には、パキスタン―イラン行きを逡巡するバックパッカーが何人もいた。
 当時のイランはイラクとの戦争の真っ只中だった。産油国ならではの裕福さで隣国パキスタンに比べると道路事情もよく、国境付近から乗った長距離バスはベンツ製だったが、テヘラン市街で利用した乗り合いバスの運転手によると、ロンリープラネットのガイドブックに載っていたホテルは「ボム」――爆破された――とのことだった。デリーで読んだ新聞記事では、イラクのミサイルがテヘラン近郊にまで到達したとの記事が印象に強かったため、ミサイル攻撃か?と訊くと、反ホメイニ派のテロだという答えが返ってきた。街には兵服を着た復員兵らしき男たちがあふれ、内臓を剥き出しにして物乞いをする者も見られたが、インドやパキスタンで貧しさを目の当たりにしてきた者にとっては、むしろコンクリートに囲まれた近代都市のイメージだけが焼きついた。(70年代のパーレビ政権下におけるテヘラン市の新都心開発では、丹下健三とルイス・カーンが都市計画にあたり、磯崎新もこれに参加していた。また、東洋神秘主義の研究で名高い井筒俊彦は、70年代後半にテヘランの王立アカデミーに務めており、同僚には著書『T.A.Z.―一時的自律ゾーン 』で知られるメディア・アナーキストのハキム・ベイを名のる前のピーター・ラムボーン・ウィルソンがいたと聞く)。
 ただ、他のアジア地域には必ずあったアメリカ文化を表す文物はいっさい排除され、マクドナルドの店舗は窓ガラスが割られたまま閉店していた。書店で入手した市街地図は10年以上前に作成されたものだった。広場の壁には、アメリカの支援を受けたイラクのサダム・フセインや英国サッチャー首相、アメリカのレーガン大統領、ソ連のゴルバチョフ書記長を揶揄する大きな壁画が描かれていた。前年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに、時代はポスト冷戦時代の多極構造へと向かいつつあった。
 映画館では『零戦燃ゆ』を上映し、テレビでは兵士たちの笑顔を映した塹壕中継や日本のテレビ番組「おしん」を放映していた。当時のイランは米英、ソ連まで敵に回していたが、日本とは良好な外交関係が続いていて、だからこそ私もたやすく入国できたし、その後、東京上野あたりではイラン人を数多く見かけるようになる。中東の石油に強く依存する日本は、イランに対しては、アメリカと一線を画した独自の外交を展開してきたのだ。最近ベストセラーとなった百田尚樹の『海賊とよばれた男』は、50年代初頭の米英によるイラン経済封鎖のなか、出光興産がイランと密かに接触してガソリンと軽油を運び出して国際問題となった「日章丸事件」を扱っている。イランは今年(2013年)6月の大統領選で保守穏健派と言われるハッサン・ロウハニ師が勝利した。中東をめぐる日本とイランの外交関係には、今後も目が離せない。

 懐かしさがこみ上げてきたので、当時の写真を貼っておこう。
イラン鏡のモスク トルコ国境
 写真の整理が悪くすぐに発見できたのは数枚だけだが、左の写真はシラズの鏡のモスク内で許可を得て撮った写真、右はトルコ国境を越えたところで待っていた長距離バスの乗務員が、イラン人が全員入出国の手続きを済ませるまで時間がかかるため、強い酒のラクを飲んでお札をくわえて踊っているところだ。テヘランからトルコ国境まで乗った長距離バスには、ホメイニ体制を好まない比較的裕福な人たちが乗っていて、当時の日本ではまだ珍しかったピスタチオをつまみながら、15歳の息子をアンカラの学校に入学させる手続きに向かう親子や自動車修理の技術者と会話を交わしたものである。禁酒のイランからトルコに出国すると、イラン人たちは一斉に免税ショップで酒を買い込み、バスの中でトルコ歌謡を大音量でかけながら「ホメイニに乾杯」と口にして宴会を始めた。車窓からノアの方舟が漂着したという伝説が残るシェイプの美しいアララット山が見えたのをよく憶えている。

 一方の『パイの物語』だが、ざっとチラシを見ただけでアイマックスシアター系の映画だとたかをくくっていたが、信じがたいほど面白いファンタジー作品だった。ありえないような人工的な映像美もラッセン風とでもいおうか、ニューエイジ風味の部分も気にならず、むしろ心地よいくらいで、映像的にもストーリー的にもキャスティング的にもさまざまな仕掛けが見て取れる。主人公は白人でなくインド系カナダ人で、枠物語で語られる内容は、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教、ユダヤ教等を踏まえたさまざまな宗教的な意味を含んでいて興味深い。アメリカではアニメのドラエモンが「子どもを他者依存の人間にしてしまう」という教育的な理由で放映されないと聞いたことがあるが、この映画はファンタジーの形でも、子どもたちに自分で考え自分で問題解決をはかることを促している。さらには獰猛な獣に対し、殺すのではなく、しかし安易に仲良くもならない、本当の意味での「共存」が何であるかを教えている。
 無知な私は『アルゴ』との併映でなければ観なかったに違いなく、この2本を組み合わせてくれた小倉昭和館に深謝!

以上、敬称略。
スポンサーサイト