レフ・クレショフ傑作選 

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 クレショフは映像編集を学んだ人なら誰もが知る"クレショフ効果"で、映像史及び心理学史に名前を残しているが、実際にどういう映画を作っていたかは、日本ではまだ一般にさほど知られていない。
 ちなみに"クレショフ効果とは簡単に言えば、男優の無表情の顔のアップの後、スープ皿のカットを映すと、観客には男優の表情が空腹や食欲を表すように見え、スープ皿の代わりに遺体が映ると「哀しみ」を表現しているように見えるという認知バイアスである。

 ロシア/ソ連というと、この30年ほどの動向だけをとらえると文化的に印象がやや薄いが、19世紀後半から20世紀前半にかけては、文学ではドストエフスキー、トルストイ、劇作家のチェーホフ、演劇ではスタニスラフスキーやメイエルホリド、音楽ではチャイコフスキーやラフマニノフ、ショスタコーヴィチ、舞踊ではディアギレフのバレエ・リュス――ニジンスキーやアンナ・パヴロワ等々、ヨーロッパを席巻する勢いがあった。学問の世界でもパブロフの犬が今も有名なように、いくつかの分野で大物を何人も輩出しているし、50年代の宇宙開発では一時アメリカを凌駕していたほどだ(連行したナチスドイツのロケット計画当事者あってのことだが)。
 20世紀前半の前衛芸術運動でも、ロシア未来派を切り拓いた詩人のマヤコフスキー、美術ではマレーヴィチをはじめとするシュプレマティスム、ウラジーミル・タトリンらによる構成主義など、ロシア・アヴァンギャルドはヨーロッパを中心に一世を風靡した。
 映画界においてもしかり。ウラジーミル・レーニンはプロパガンダの手段として映画を重視し、「あらゆる芸術の中で、最も重要なのは映画だ」と唱えて1919年、世界初の国立映画学校を設立した。メイエルホリドの教え子だったエイゼンシュテインは、モンタージュを駆使して『戦艦ポチョムキン』 (1925)を監督。ロシア領ポーランドに生まれたジガ・ヴェルトフは、多重露光やスローモーション、移動撮影など当時最先端の撮影技法を多用して撮った『カメラを持つ男』を1929年に公開して、ロバート・フラハティと並ぶドキュメンタリー映像の父と称され、ゴダールが一時期つくった映画製作グループの名称にも採用された。
 映画史・ユーラシア文化研究者、井上徹氏の労作であるクレショフ傑作選のパンフレットによると、クレショフは少年時代、画家を志してモスクワ絵画彫刻建築学校の聴講生となったが、舞台の裏方を手伝ううちに映画会社ハンジョンコフ社に職を得て、革命前にすでに名声を博していた映画監督エヴゲニー・バウエルのもと、1916年から映画美術を担当した。1918年には初監督作品『プライト技師の計画』を手がけ、手法面ではアメリカ冒険活劇に見られた細かいショットの積み上げから成る「アメリカン・モンタージュ」をロシアにいち早く導入。クレショフの強い影響で、一つの動きを複数の細かいショットで描くなど極端にカット数の多い「ソビエト・モンタージュ」と呼ばれる手法が確立されたという。
 こうした力量をレーニン率いるソビエト政権に買われ、クレショフは教育省全ロシア映画部で記録映像の制作部門長を任される。その後、1920年には先述した国立映画学校の専任講師となるが、独自の教育方針――現在、ほとどの企業で新人研修に採用されるOJT(オンザジョブトレーニング)を重視したらしい――をとったクレショフは孤立し、自分の学生たちを引き連れて独立、いわゆる「クレショフ工房」を設立する。メイエルホリドのもとにいたエイゼンシュテインも、彼の講義を聴講し、クレショフ工房に出入りしていたという。


 上映されたのは『ボリシェヴィキの国におけるウェスト氏の異常な冒険』(1924)、『二人のブルディ』(1929)、『掟によって』(1926)の3本。もちろんすべて無声映画である。

 『ボリシェビキ――』は前半ちょっと眠ってしまったし、プロパガンダ色が露骨なまでに濃厚で快く見ることはできなかったが、『二人のブルディ』にはとびきりわくわくさせられた。内戦とサーカス。白軍の偵察用複葉機が一機だけ空を飛び、それを迎え撃つ赤軍。ロシアでは1917年10月にボリシェビキ政権が樹立するが、反革命勢力の白軍との内戦は1920年頃まで続いた。
 それにしても俳優が動くこと動くこと。ジル・ドゥルーズの『シネマ』にはあえて触れないでおくが、感覚運動的な状況が全編に流れるけたたましい音楽に従ってスピーディーに展開し、運動体としての人体を「これぞ映画の快楽!」と言わんばかりに、これでもか、これでもか、と見せつける。たとえばサーカスの観客が一斉に拍手し、足を踏み鳴らす姿は、時計仕掛けの運動機械のように何度も繰り返される。映像があたかも交響楽と化しているのだ。これは何もクレショフ作品だけの特徴ではなく、同時代の無声映画の多くに言えることだったかもしれない。
 現代の映画やテレビドラマでは、俳優はあまり活発に動かない。それは、演じられる「現代的な生活」にそもそも身体を激しく動かす状況が激減しているせいもある。激しい運動は「格闘技」や「スポーツ」という形で囲い込まれてしまったということなのだろうか。

 クレショフ工房はメイエルホリドが仕切っていた国立演劇芸術大学劇場の上部一室を間借りしていたというので、「ビオメハニカ」の影響は多分にあったに違いない。
「ビオメハニカ」――つまりバイオメカニクスは、メイエルホリドがサーカスの動きやフレデリック・テイラーによる科学的労働者管理手法などを参考にして編み出した俳優訓練法である。内容的には身体の敏捷性、相手役の動きに対する身体反応性を発達させるためのエクササイズとエチュード――練習のための寸劇――からなる。
 メイエルホリドのビオメハニカについては、倉石義久の「メイエルホリドの演劇理論研究」chemodan(チェマダン)第2号の伊藤愉による「演劇の自覚化――メイエルホリドとビオメハニカ」等に詳しい。それにしてもチェマダンには驚いた。ロシア・アヴァンギャルドや現代ロシアのメディア・アート、実験音楽の研究が2013年時点でこんなに活発だとは!
 資本主義が野蛮な労働慣習に支配されていた20世紀初頭(現在もブラック企業が横行してるじゃねえか、と言われるが、雑駁に言うと当時は「キツイ」の内容が「精神的」というより著しく「身体的」)は、労使紛争が絶えず、それこそロシアに代表されるように、武装蜂起による社会主義革命が極めて現実的だった時代でもある。アメリカのエンジニアで後に経営学者となるフレデリック・テイラーは、工場における作業工程を「要素動作」と呼ぶ細かい動作に分解して、各動作にかかる時間を計測し、標準的作業時間を算出するという「時間研究」を考案した。また、優れた労働者の作業時間をモデルにして課業管理を行い、それまで現場が決めていた生産計画を管理部署に専任させて、現在の「職能別組織」の原型をつくった(現代の製造業で言われる「ラインとスタッフ」は、テイラーの門下生エマーソンの組織論に由来する)。井原久光の『テキスト経営学―基礎から最新の理論まで (MINERVA TEXT LIBRARY)』によると、テイラー自身は「管理の目的は労使の最大繁栄」にあると考えたが、当時の労働組合や社会主義勢力はこれを「科学の名による労働強化」として非難し、レーニンも「テイラー・システムは機械による人物の奴隷化である」と論じた。しかしながら革命後のソ連では、むしろ労働組合が積極的にこれを取り入れたと言われている。
 何もここでビオメハニカを演出家=経営管理者、役者=労働者という図式でとらえるつもりはない。メイエルホリドは身体訓練を重視したが、一方で俳優に自分の頭で考えることも要求した。演劇と労働の関係は昔から大きな課題の一つだが、それはマネジメントと労働がいかに幸せな関係を結べるかという普遍的な課題にも敷衍できる。余談だが、たとえば現在のブラック企業は、身体管理よりむしろ「やりがい」をエサにマネジメント労働を強いるところに発生するケースが多い。いかに高度で「環境管理型」になっているか、ということである。
 現在、演出家の平田オリザと大阪大学の石黒浩がロボット演劇/アンドロイド演劇を展開しているが、昨今の人工知能やロボティクスをビオメハニカにつなげてみるのも面白い試みだろう。

 ドラマとしての映画と映像美を考えると、3作目の『掟によって』のほうが優れているかもしれない。女優のアレクサンドラ・セルゲーエヴナ・ホフローワは実に女優然として魅力的。眼球が飛び出すほど眼をひん剥く顔の演技は、歌舞伎の「大見得」のようで、様式化された感情表現を感じる(これもいくつかの無声映画にみられる特徴なのか)。それはオーバーアクションではなく、「声の表情」が出せなかった無声映画において、怠惰な観客にも「劇=激」を伝えるための様式化だが、様式化されている分、激しい感情(=劇)との距離が保たれる。髪をくしけずるシーンや洗鉱のための盥水に映った自分の顔をみて盥水をぐるぐる回すシーンなども好い。ほかにも、砂金を発見した喜びでダンスするところや川の氾濫で岸辺の小屋に孤立した3人が繰り広げるドラマ、ヤカンの沸騰や、殴り倒された男がテーブル上の食器に頭を突っ込み、中のどろどろした料理が脳漿めいて映るところは印象的だった。圧巻は、終盤の唐突に視界がひらけて空疎な背景に絞首刑用の樹木と人が映るシーン……。アイルランド人なのに、イギリスの法を母国の法として適用されて嬉しいでしょ的な扱いをされるのは、当時のアイルランド情勢がどうだったのか不確かだが、ちょっと首をかしげてしまうものの。
 久しぶりに無声映画をみたせいもあるが、このような魅力的な無声映画を観てしまうと、「トーキー」が映画を殺したのだと、つい呟いてしまいそうになる。
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