猪子寿之×東浩紀@ゲンロンカフェ 

 7月23日のゲンロンカフェは猪子寿之×東浩紀の対談。

 チームラボ(→チームラボin佐賀)の猪子は最近、村上隆の勧めもあって、積極的に海外に出て行っているという。ペース・ギャラリーのニューヨーク及び北京での展示など。国内でもお絵かき水族館 (Sketch Aquarium)や共同で創造する「共創」体験を学ぶ『学ぶ! 未来の遊園地』展など、活発に行動している。

 猪子の"超主観空間"の話。猪子は少年時代から日本のゲームやマンガにはしっくりくるのにテレビや映画でみる欧米のコンテンツにどうしても違和感があって、大学でたまたま昔の日本画を見る機会があり、日本人の世界の見え方は、欧米の見え方とは異なり、それは現代のコンテンツにも受け継がれているのではないかと思った、という。人間の眼はそもそもフォーカスが浅く狭いし、時間軸・視点・フォーカスが移り変わる中で、脳内で合成して「見て」いる。多視点を複合的に見ている日本人の空間認識は、固定された1点から透視遠近法的にみることを前提とした欧米人の空間認識とは異なるが、今後、空間そのものがメディアになっていき、人びとが自由に移動しながら「見る」時代には日本人の空間認識のほうが相性が良いのではないか、と続ける。

 このあたりのことは、猪子が↓でじっくり解説している。


 東曰く、「超主観空間」は村上隆の「スーパーフラット」に通じる話だが、村上の場合は、主に「社会現象」としてのスーパーフラットが前面に出過ぎた感がある。チームラボは、西洋的世界観と日本的世界観を変換可能にする装置としてコンピュータに注目し、欧米の透視遠近法のパースペクティブもある種のアルゴリズムで日本型の多視点超主観空間に変換できる、てことを提示したことに意味がある。

 猪子曰く、アンディ・ウォーホルは、(オートクチュールより)大量生産の方がカッケー、となったきっかけをつくった。価値観の変換をもたらすことは大切で、社会を前に進めるための大きな部分を担っている。

 東曰く、テクノロジーだけでは世界は変わらない。人間は解像度をあげたり、といったスペックに飛びつくわけではない。iphoneはスペックではなく「価値観」を売った。日本の「民藝」はオタクの世界観と似ていて「何もないところから便利なところを積み上げて結果的に「アートになりました」と追認されるのを良しとした。日本はそういうのが好き。宇野常寛が「コミケとネットだけでいい」と言ったように。「価値観提示型」か「価値観反映型か」。
(私見:結果的に追認されるアートとしての「民藝」の話は、アール・ブリュットにも当てはまる)。

 ローカル/ハイクオリティ/コミュニティはあり得ない。ローカル/ロークオリティ/コミュニティは家入的。グローバル/ハイクオリティの方向に行きたいな、という話も興味深い。
(私見:「ローカル/ハイクオリティ/コミュニティはあり得ない」というのは、集団活動の産物をハイクオリティなものにするには、ある程度の能力と相互批評が欠かせず、そもそも企業などの目標を共有する既存組織で能力格差や相互批評の「痛み」に耐えられなかった/耐えられそうもない/そもそも競争的なことがキライな/者たちに「居場所」を与えるのが「コミュニティ」の本来的機能と考えるなら、コミュニティはハイクオリティになり得ない、という意味なのだろうか。いっぽう、家入的、アール・ブリュット的何かには、競争や批判のないところでハイクオリティ(というかクリエイティヴィティ)が自生することへの期待があるのかもしれない。(→岡田斗司夫×家入一真@ニコ生)。



 唐突だが、日本の若い行政担当者たちは、「公共事業」を考える際に、それなりに日本の未来を見据えて、いかに古いやり方を駆逐して「変革」をもたらすような新しい試みを行う事業体にお金が回るかを考えているのだとは思う。そういう意味では、猪子、というか、チームラボ、あるいはそれに類した団体が元請になるような「公共事業」を企画することが望ましいのだが、そのあたりのことをいかに考え、それがどういう場合に成功し、どういう場合にうまくいかないのか、可視化することが重要な課題だろう。

 それは猪子が考えることではない。猪子、というかチームラボは、「日本であること」の自己複製に拘泥してはならない。彼らのミッションは、「世界」をいかにより「良い」方向に、より「豊か」な方向に変えていくか、そのために、「日本文化」とICT技術を背景にもつ自分たちに何ができるか、を真剣に考えて実践し、PDCAサイクルをグルグル回していくことだ。

 wired.jpで、↓のようなロボットの記事を見る度に思うことがある。

 日本のメーカーは、なにゆえこうした(ってアンカーをおろすつもりはないが)コンセプト/デザインのロボットを産みだすことができないか、ということ。日本の家電文化は、けっきょく日本の技術と日本の消費者の数十年にわたるインタラクションのうえに成り立っているが、果たして今後もそれでいいんですか?ということ。それはサブカル文化にも言えることだ。
 おそらくJIBOは「ファミリー」の表情や声の調子からその「情動」を推測し、状況に応じてウィットに富んだ対応をはかる、ということだろう(たぶん)。アメリカの認知科学や人工知能の分野では情動/感情の研究が盛んである。ビジュアルは「ゲゲゲの鬼太郎」の目玉オヤジの抽象化。スペックや機能をちゃんと把握せずに言うのもナンなんだし、プレゼン上手で見かけ倒しがわりと多いアメリカ産だから、「見せ方」で印象が2倍増し、3倍増しなのかもしれん、が。

 とはいえ、チームラボの本来のミッションは、NHK紅白の素晴らしい「ビジュアル」なんかではなく、こちらに近い方向ではないだろうか。まー、「未来の遊園地」で、オリンピックのオープニング映像は「当確」だろうと思うが。「グローバリズム」は結局のところ国連と同じで、具体的な参加者たちの「理想」と「戦略」と「アイデア」と「声の大きさ」に左右される、ということ。

 以上、敬称略。
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