DOMMUNE8/25~追悼:副島輝人 

 8/25のDOMMUNEは、大友良英のJAMJAM TV「追悼:副島輝人」。

 副島輝人は学生時代、フリージャズにハマった頃に何度も雑誌で目にした名前だ。あらためてネットで検索したところ、1958年に大島渚や松本俊夫等も所属した「映画と批評の会」に参加。1969年には高柳昌行、富樫雅彦、佐藤允彦等との交遊から、フリージャズ専門のライブ会場「ニュージャズ・ホール」を開設。その後、渋谷「プルチネラ」に拠点を移して74年まで前衛ジャズの「場」を提供し続けた、そうだ。「センセイショナル・ジャズ '70 フェスティバル」の企画・主催者でもある。

 後半の2010.10.21再放送「続日本フリージャズ創成期」の2/3くらいしか見ていない^^;が、過激な「前衛化」が招いてしまいがちな悲劇パタンについてちょっと考えさせられた。

 大友良英が若いころ師事したギターの高柳昌行とサックスの阿部薫、音楽評論家の間章のあいだに生じたことは、同じ時代の「政治的前衛化」が辿った道を想い起こさせる。連合赤軍やその他のセクト間で発生した暴力(ゲバルト)、「総括」の名のもとに繰り広げられた吊し上げや突き上げ、過激なまでに暴力的な言動がもたらす生命の消耗。連合赤軍は毛沢東主義を標榜していたと聞く。それは中国内部で起きた「文化大革命」の嵐や映画『消えた画』に登場したクメール・ルージュの過激化とも響きあう。阿部薫は1978年9月に催眠剤を服用して死亡。間章は同年12月に脳出血で亡くなった。阿部は29歳、間は32歳だった。



 現代は「前衛」という言葉よりも「実験」のほうが好まれるようだ。そういえば昨年には『実験工房展』があった。最先端たらんとして肩を怒らせ、自分の身を削り敵をののしる攻撃的な「前衛」ではなく、実験音楽、実験としてのアートであり、実験室(ラボ)、ということか。

 大友良英のノイズ「音響」もまた、「前衛」というよりは、昨今のアルドゥイーノ等の電子工作ブームにも通じるDIY楽器の試みであり、電子であるなしに関わらず、音を出すものを組み合わせて、新しい音の触感、音のかたち、音の連なりを実験のなかで発見する試みだ。



 それはまた、社会的な諸慣習に編みこまれた「大人たち」には受入れにくい「現代アート」を、主として子ども用の遊具として展開しようとする昨今の動向、さらには人工知能の構成論的アプローチや合成生物学にも似た「つくることでわかる」コンセプトの普及・啓蒙とも響きあう。

 全体的により良き方向を目指すためには、ただただこぶしを振りあげて「批判」の声をあげるのではなく、「自分たちでつくってみる」ということ。坂口恭平みたいに。そして、社会に実装する際にはときとして「敵」とでもなめらかにゆるやかにつながっていき、相手が抵抗を感じないように「批評」を忍ばせていく、ということ。その意味では60年代~70年代に学生運動に身を投じ、今やリベラル富裕層となった各メディアの引退幹部らに、代替国家のひな型としての弱者にやさしい「新しいコミュニティ」の建設を期待したい。まさか、自分の資産を独占するつもりはないはずだ。

 そういえば、NAMで苛烈な相互批判による分裂・解体を目の当たりにした鈴木健は『なめらかな社会とその敵を執筆し、いまや36億円の資金調達を実施するSmartNewsの代表取締役会長である。今後の「活躍」が楽しみだ。

以上、敬称略。
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