福嶋亮大×東浩紀@ゲンロンカフェ 

 高山明×濱野智史(第2部の長大な濱野×アズマン!)、ちきりん×東浩紀など、最近ゲンロンカフェが面白くて、ついつい800円課金してしまう機会が増えてきた。このままだと1万円支払って月額会員になった方が得だったカモ、になりそーでコワイ。くっつきすぎてはいけないw。

 今回は「物語と観客の日本文明論――『復興文化論』の先へ #3 旅・日本思想・アヴァンギャルド」と題して福嶋亮大×東浩紀。

 福嶋はちかぢか香港に行くという。香港はいま、返還から17年を迎えて中国政府の影響力が強くなり、今年2014年7月から反中デモや反民主化デモがたびたび起こっていて、香港の人口の1割(70万人!?)が参加したらしい。香港在住のサブカルオタ、張彧鞠(チョウ・イクマン)が言うには、香港では『進撃の巨人』は香港のメタファーと理解されており、香港の「価値」を守るために網野善彦のアジール論が読まれているそうだ。

 話題は東による在特会&カウンターの六本木デモ観光、香港の反中デモから、福嶋主導で「観客論」の話へ。
 アーレントのカント『判断力批判』読解は「観客論」。そこにはカントとヘーゲルの歴史観の違いが書かれている。ヘーゲルやマルクスは、歴史はいつか「終わる」ととらえたが、カントは永遠に歴史は終わらないと考えた。終らない歴史を把握するためには「観客」が欠かせない。
 東曰く、カントの理性と悟性の話は、人間が2つの上半身をもつということ。何を起こすのが正しいのか、どう考えても全く異なる答えが2つ出てしまうということ――アンチノミー。それはナショナリズムの話にも通じる。調停不可能なアンチノミー。ナショナリズムはナチオ、つまり「生まれる」。福嶋「アンダーソン『想像の共同体』冒頭の「無名戦士の墓」では、死を運命に変えるのがナショナリズム」。東「生まれることは「偶然」だが、デリダが言ったように「死」は終着駅なので、「死」から逆算すると当然、人の人生は「必然的」になるに決まっている」。墓で統合することはできるが、問題は「生まれてくる」者たち。

 東:カントの『永遠平和のために』では、平和の条件は武力の廃棄などいくつかあるが、最も重要なのは「訪問権」の確保。ロールズやハーバマスは9.11で「共和制条項」につまずいた。東としてはむしろ「訪問権の確保」だけでいきたい、と。柄谷行人の『世界共和国へ』は、共和制条項の拡張。

 東:アーレントの『カントの政治哲学』は、人間の存在理由は、社交ネットワークの拡大だと言ったが、アーレントのいう「アクター(行為者/演技者)の社交性」は強すぎる。

 福嶋:日本文化にはいろいろ欠けているものがあるので、中国やヨーロッパから何か持ってきて補間することが大事。今の批評に足りないのは「現代に何が欠けているか」という問題意識。

 ほかにも、手塚治虫は漫画の本質は「風刺だ」と言った話、「人が熱誠に入りこむことも記述できなければならない」ということ、日本の古典をいつでも参照できるように現代語訳を進めて、自分たちの文学の一部と見なしてたとえば本居宣長の『玉勝間』なんて大したこと言ってなくね?とか批判できるような状況が必要、という話、日本人の感情技法、感情との関係性、野生をいかにコントロールするかが議論の対象になっていない話などが面白かった。(文中敬称略)。

『罪の手ざわり』(→ブログ)以来、昨今のマイブームは「中国」。好きにせよ嫌いにせよ、中国は極めて重要な隣人だ。優れたチャイナウォッチャーが政治、経済、文化、科学技術それぞれで少なくとも100人はいなければならないはず。中国と日本の人口比は約10倍。これは単純に考えると、アホボンも悪人も日本の10倍いるが、同時に賢人や頭の良い者も日本の10倍いるということだ。なのに、日本語を理解する中国人と中国語を理解する日本人の人口比は、人口比のさらに5倍以上の開きがあるのではないか。50倍以上の開きはヤバイ。このハンディキャップは日本人の未来にとって極めてリスキーだ。なのに、日本人の多くは少子高齢化とともに内へ内へと引きこもって自己肯定し、海外への関心を失ってきている。
 その意味で、福嶋氏には中国との重要なインタフェースとして機能してもらいたいものだ。
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