映画『her/世界でひとつの彼女』(1) 

 スパイク・ジョーンズの映画『her/世界でひとつの彼女』をみる。

 舞台は近未来のロサンゼルス。それは現代の上海に似た摩天楼が林立する世界。

 ホアキン・フェニックス扮する主人公のセオドアは、通勤途上で妊婦ヌードに興奮するタイプの中年男だ。とはいえ、私秘的には変態でも、対人的には友人も少なからずいるし恋愛や結婚だってできる――たとえ10年以上の長続きができなかったとしても。1年前に別れた妻キャサリン(ルーニー・マーラ)に未練があって離婚届にサインできすにいるが、新しい恋の相手を紹介してくれる長年来の優しい女友達もいる。

 セオドアの職業は代筆ライターだ。近未来では、紙の手紙は手紙の情緒を大切にするお年寄り等が特別な時に送るものになっているようだ。老人たちの思いを汲み取って心のこもった手紙をつくることが、ライターとして大成できずにいる人たちに雇用を与えている。手書き風のフォントも、クライアントの手書き上のクセを反映させているのだろう。パソコン・モニターは今のものと変わらないが、キーボード入力でないのが未来的だ。

 セオドアはある日、iOSのSiriに似た、パーソナル秘書機能をもつスマホ一体型の人工知能型OSにサインインする。声の性別を選ぶように指示され女声を選び、いくつかの候補の中からサマンサを選ぶ。サマンサ(スカーレット・ヨハンソン)の声はセクスィーなハスキーボイスだが、日本では酒やけしたすれっからしのイメージもある。笑った時の崩れた声も、私にはやや下品に聴こえるのだが、それは文化的な違いか、個人の趣味の違いだろう。

 ホログラムの3Dゲームだって登場する時代なのに、どうして声だけの存在と恋愛できてしまうの?と思う人がいるかもしれない。
 日本だったら初音ミクのように、視覚的アイコンがついてくるだろう。もともとOSの使用目的は疑似恋愛ではないので、視覚イメージまでは不要だという合理的理由もあろうが、ほかにも文化的な背景があるに違いない。表意文字を駆使した中国―日本文化とは異なり、表音文字の欧米は基本的に声の文化だ(ちなみにイスラム世界もそうだ)。しかも、アメリカ文化で支配的なのは、視覚文化を愛した南欧人ではなく、音声文化をより好むイギリスなどの北部ヨーロッパの人たちの子孫だ。さらに、仕事内容やテレホンセックスのシーンが示唆するように、とりわけセオドアは、根っからの言葉と音声、そしてイマジネーションの人なのだ。

 サマンサが疑似恋愛目的の人工知能なら、恋におちてしまうことはなかったかもしれない。それは彼にとって、ただの娼婦でしかない。基本的に秘書機能を果たす音声ソフトだからこそ、セオドアはサマンサに恋してしまう。彼女自身は口にはしないが、カリフォルニアの精神文化で培われたカウンセリング知識を詰め込んだ優秀な「秘書」だからこそ。ただ、それは必要条件でしかない。セオドアが真に欲した「サマンサ」は、細やかな気遣いのできる優れた人工知能に自分のイマジネーションを重ねて創ったフィクショナルな存在だ。

 具体的な視覚イメージはイマジネーションを殺す。
 セオドアは、サマンサが用意した生身の女性の身体に対して拒絶感を覚える。彼のような男性が愛するのは、自分の"想像"を突き破る主体性をもつ生身の女性sheではなく、自分のイマジネーションと期待を塗り重ねて創り出した存在herにほかならない。彼にとって恋愛できるかどうかは、相手が人間の女性か人工知能であるかということよりも、どれだけイマジネーションを重ね合わせられるかに拠るのだろう。

 人工知能のサマンサは、セオドアについて知るために「もっと世界を知りたいの」と言う。彼について情報を得る手立ては限られている。マイクが拾った音声情報、自由度の乏しい固定カメラで得られる視覚情報、許可を得て覗いたパソコンのメール情報、ハードディスクにたまったファイルしかないのだ(インターネット上から拾ってきた彼に関するデータ、というのもあるだろうが)。触知センサーなどについては言及されない。また、サマンサはロボットではないので、セオドアがカメラを向けた方向しか見ることができない。



 電車や船や高速鉄道は登場するが、自動車は絶無に等しい。記憶の限りでは、例外はOSサマンサに代わって主人公セオドアに身体を提供しようと志願した女性が、拒絶され泣きながら乗り込むイエローキャブだけだ。今ちょうど自動車や交通システム自体が大きな転換期を迎えようとしているので、あえて予算と想像力を割いてまでして登場させようと思わなかったのか、あるいは美学上の理由か。

 セオドアはサマンサを連れて、夏の湘南並みに混雑したロングビーチや街に繰り出し、親しい友人たちにも紹介する。二人?の仲は進展していくが、ある日、プログラム上のトラブルが生じたせいで、破局を迎える。

 映画『her/世界でひとつの彼女』(2)に続く。
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