映画『戦争のない20日間』 

 福岡市総合図書館映像ホール(シネラ)で、アレクセイ・ゲルマン監督の映画『戦争のない20日間』(1976)をみる。

 時代背景は『道中の点検』と同じくソ連側で2000万人以上亡くなった独ソ戦の最中。映画は戦地で始まり戦地で終わるが、主要部分は題名の通り、主人公のロパーチン少佐が得た20日間の休暇の様子を描く。

 冒頭場面は(恐らく)レニングラードにほど近い浜辺の野営地。これから休暇に入るロパーチン少佐と同僚の兵士たちに、ドイツ軍の戦闘機が襲いかかる。死と向かい合うことにさえ倦み疲れた彼らは、果敢に迎撃するわけでもなく、ただただ投下される爆弾に当たらないことを祈るだけだ。
 休暇に入ったロパーチンは長距離列車に乗り込み、中央アジアのタシュケントに向かう。ロシアの鉄道事情に詳しくないので定かではないが、レニングラード(サンクトペテルスブルグ)からタシュケントまでは4000キロ以上ある。当時は恐らく3泊4日以上の道のりだったろう。敵の攻撃を避けるためか、あるいは電気の節減のために、列車内は灯りが乏しく、ほとんど闇に近い。暗い通路でできることといえば、乗り合わせた客と会話を交わすことくらいだ。ある男は、残した妻が、戦地で指を3本失って除隊した下宿先の男と不倫したらしく、休暇で帰ると、警察署長から事件をおこさぬよう釘を刺されたと話す。
 列車はやがてタシュケント駅に到着する。ロパーチンは兵役に出る前、劇団で脚本を書いていたようだ。妻は劇団の女優だったが、彼が戦地に赴いた間に他の男と同棲していた。今の男と幸せに暮らしているという彼女に、ロパ-チンは「恨んでいない」と話す。妻は「机に向かってばかりいたあなたのせい」と告げる。
 映画スタジオでは、女性兵士のヒロインを称揚する戦争映画の撮影中。ロパーチンは「事実と違う」と演出家に告げるが、聞き入れてもらえない。
 独ソ戦はバルト海に面したレニングラードからウクライナの黒海沿岸まで、ソビエト連邦西部の広い範囲で繰り広げられた。ロシアの中央アジア経営の拠点だったタシュケントには、数多くの軍事工場が建設され、工場労働者たちが疎開し、工業化が進んだ。とはいえ、街には昔ながらの石づくりに漆喰壁の民家が立ち並び、街灯のあかりは乏しい。
 ロパーチンは軍事工場で「われわれは君たちを守るために戦っているのだ」と演説するが、聴衆の反応は鈍い。彼は劇団で出遭った衣装係のニーナと惹かれあい、一晩を過ごした後、戦場に帰っていく……。



 タシュケントはロシアという国自体がなかった時代から、シルクロードの商業都市として繁栄していた。wikiによると、北方の遊牧民といくつかのイスラム王朝の支配を受けたことで、8世紀頃からイスラム教徒・テュルク系の都市住民が増えていった。13世紀前半にはチンギス・ハーンの攻撃で街は破壊されたが、ティムール朝やシャイバーニー朝のもとで再建され、1809年にはコーカンド・ハン国の支配下に入った。1865年、帝政ロシア軍の侵攻によってロシアの直轄領となり、ロシアやウクライナから大勢の商人・労働者が移住してきた。ロシア革命を経て、1924年にはウズベク・ソビエト社会主義共和国に組み入れられ、1930年にはサマルカンドに代わって首都となった。1966年に大地震に見舞われ、多数の家屋が倒壊したが、その後の計画的な都市づくりによって、最盛期にはモスクワ、レニングラード、キエフに続く人口第4の大都市となった。現在の人口は200万人を超える。「ウズベキスタン独立後の今日でも大きなロシア人社会を抱えているが、町並みからロシア色は消えつつあり、イスラム原理主義の動きも出ている」という。

 1991年にソ連を旅行した際、ハバロフスクからウズベク共和国のブハラに向かう飛行機がタシュケント空港で乗り換えだったため、3時間ばかり空港から街を眺めたことがある。ちょうど8.18クーデターの直前で、ソ連崩壊は秒読み段階だったが、近代化した大都市は、社会主義革命の「気運」がいかに強力だったかを物語っているようで、感慨に耽った記憶がある。

【追記 3/9】『戦争のない20日間』のDVDが発売されるそうです。
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