『エニグマ アラン・チューリング伝』 

   アンドルー・ホッジスの『エニグマ アラン・チューリング伝 上』を読んで印象的だったのは、チューリングがただ、数学・論理学分野だけに精通した天才ではなく、当時の幅広い分野の教養に関心を払っていたことだ。

 チューリングはコンピュータ科学や人工知能の父と言われ、第2次世界大戦中にはイギリスのために、ドイツのエニグマ暗号の解読に多大な貢献をした(→ブログ:映画『イミテションゲーム』(1))。また、暗号解読任務に伴ってアメリカにも渡り、ベル研とともに秘話装置を開発した。

 本書はチューリングが少年・青年時代に誰とどのような交際をし、何に関心を抱き、どんな本を読んできたか、詳しく紹介している。
 彼は10歳頃に匿名の篤志家から、エドウィン・テニイ・ブルースター(Edwin Tenney Brewster)の『すべての子どもが知るべき自然の不思議』(以下、『自然の不思議』)をプレゼントされ、この本によって科学に関心を抱くようになった。その本には「身体は複雑な機械だ」という記述もある。

 チューリングは20歳の頃、2年前に亡くなった初恋の相手クリストファーの母親、モーコム夫人に「精神の本性」と題した文章を送っていて、その中に「私たちは、脳のおそらく小さな一部分、あるいはその脳全体に、原子の振る舞いを決定できる意志をもっている」と書いている。著者はその考えを、アーサー・エディントン(→wiki)に影響されたものだろうと、述べている。
 エディントンはアインシュタインの一般相対性理論を英語圏に紹介したことで知られるクエーカー教徒の天体物理学者。フランスの数学者エミール・ボレルとともに無限の猿定理を用いて、統計力学の基礎における暗黙のタイムスケールを説明した。文中では「マクタガートが示すように、精神がなければ物質は無意味だ」、「物質と精神はつながっているので、別の単語で表現すること自体が矛盾していると思う」などと述べているが、ジョン・マクタガート(→wiki)は、入不二基義や郡司ペギオ幸夫らの時間論などでしばしば言及される、時間の実在を否定したイギリス観念論者だ。

 また、チューリングは1952年に生物の形態形成に関する論文を発表しており、チューリングパターン(→wiki)の理論的存在を示すなど、現在「数理生物学」と呼ばれて著しく発展した学際領域でも、研究業績があることで知られている。本書によると、チューリングは『自然の不思議』に刺激されて以来、植物に夢中で、生物学者ダーシー・トンプソンの『成長と形態』(1917)を読んで、葉の配列や花のつき方のパタンなど、自然界にフィボナッチ数列が現れることに魅了されたそうだ(p342)。

 チューリングは、経済学分野では厚生経済学のアーサー・セシル・ピグーをリスペクトしたようだ。彼がどれだけ研究したか定かでないが、ゲーム理論の当時の状況についても、本書ではページを割いている(p350あたり)。先述のエミール・ボレルが1921年に発表した考えをもとにして、フォン・ノイマンが理論体系を構築し、1928年に『ゲーム理論』を発表した。チューリングはフォン・ノイマンとも面識があったし、同僚とチェスの機械化について考えることを通じて、ミニマックス戦略やゲーム木のような考え方に迫っていた。

 そして、チューリングの関心は文学にも向かっていた。
 サミュエル・バトラーの『エレホン』やバーナード・ショー(1856-1950)の『メトセラに環れ』といったSFめいた小説/戯曲も読んでいる。p342には、チューリングがトマス・ハーディーにも夢中で、婚約者ジョーン・クラークに『テス』を貸したことが載っている。映画では、ジョーンがチューリングに彼が同性愛者であることを打ち明けられてショックを受ける場面が出てくるが、本書では、彼女自身はその告白にたじろぐことはなかったらしく、植物学を学んでいた彼女と自転車で田舎をみてまわったり、チューリングが編み物を覚えて手袋を編めるまで上達したことが載っている。

 サミュエル・バトラー(1835-1902)の『エレホン』は、1872年に匿名で出版された小説で、そこには、ダーウィンが説く「自然淘汰」によって機械が意識をもつようになるかもしれないことを警告する記述がある。
 19世紀後半以降、科学の興隆とともに、膨大な量のSF文学が生まれた。フランスのジュール・ヴェルヌ(1828-1905)は潜水艦や大型飛行機、原子爆弾を予見し、地底や海底、月世界を旅する欲望を駆り立てた。
 イギリスのH.G.ウェルズ(1866-1946)は、小説『解放された世界』で、原子核反応による強力な爆弾を予見し、アメリカのマンハッタン計画に影響を与えたのではないかと言われている。また、『世界の頭脳』でウィキペディアに類するものを予見したという説もある。ほかにもタイムマシンや火星人、透明人間、反重力など、現代のSFにも登場する題材を数多く生み出した(透明人間もいまや光学迷彩で半ば実現した?)。ちなみに1905年発表の『モダン・ユートピア』では、"サムライ"と呼ばれる志願制貴族が支配する別世界を描いている。

 チューリングがH.G.ウェルズを読んだかどうかは定かでないが、SF的想像力は、同じフェビアン協会のバーナード・ショーの作品にも表れている。ショーが1921年に書いた『メトセラに環れ』には、300年生きる長命人や、不慮の事故でしか死なない卵生・不死の未来人、人造人間、が登場し、ライフフォースによって人間が肉体から解放されて高次の精神的存在に進化するビジョンが提示されている。

 チューリングは、そうした「未来を想像する」人びとと同じ時代の空気を吸って生きていたのだ。

 SFはその後、ディストピアを描いたものが圧倒的に多くなる。未来を楽天的に考えることが許されるのはコドモだけであって、悲観的にとらえるのがオトナのたしなみと言わんばかりに、世界の滅亡や核戦争後の地球がイメージされた。

 まだ観てないのに言うのもナンだが、ブラッド・バードの最新作『トゥモローランド』は、科学技術がこれだけ発達した現在に、実のところ最も欠けているのは「明るい未来」を想像する力ではないか、というメッセージを込めた映画みたいだ。たぶんそれを例外的に最も大規模におこなってきたのはディズニーだ、という自負も込めてのことだろうが。

ブログ: 『エニグマ アラン・チューリング伝(下)』
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