シュヴァンクマイエル映画祭2015@YCAM 

 YCAMのシュヴァンクマイエル映画祭2015で短編8本と長編2本。『魔法のサーカス』以外は35mmフィルム上映。昔、吉祥寺でいくつかみたので、短編集1のほうはみなかった。

短編
・『魔法のサーカス』(9分,1977)
・『自然の歴史(組曲)』(9分,1967)
・『部屋』(13分,1968)
・『対話の可能性』(12分,1982)
・『地下室の怪』(15分,1982)
・『陥し穴と振り子』(15分,1982)
・『男のゲーム』(15分,1988)
・『闇・光・闇』(7分,1989)

長編
・『アリス』(長編84分,1988)
・『サヴァイヴィング・ライフ ~夢は第二の人生~』(108分,2010)

魔法のサーカス』は、シュヴァンクマイエルが手がけたラテルナ・マギカ(マジック・ランタン)を撮影した作品。舞台の背後に3枚の映写幕を張って映像を映し、その前で演者が映像と戯れながらマリオネットのように踊る。以前、YCAMのスタジオAでみたThe Rainy Tableを思い出す。
 ラテルナ・マギカは、舞台装置家のヨゼフ・ズボボタ(Josef Svoboda)が、1958年のブリュッセル万国博覧会で試みた映像と演劇のスペクタクル。後のメディアアートに強い影響を与えた。ズボボタはチェコ国立劇場の首席デザイナーだった。プラハにはラテルナ・マギカの専用劇場がある。10年くらい前に旅行でプラハを訪れたが、時間の都合でみなかったのが悔やまれる。シュヴァンクマイエルは、チェコ国立芸術アカデミー演劇学部の人形劇科で学び、1960年代前半にはラテルナ・マギカの世界に深く関わっていた。

自然の歴史(組曲)』と『対話の可能性』については別途。

部屋』は、実写映画の随所にピクシレーション(実写のコマ撮り)を加えた作品。悪意のある部屋に転がり込んだ男の悲劇。鏡を覗くと後頭部が映る。スプーンにはいつのまにか小さな孔がたくさんあいてスープが飲めず、グラスは次々と形状を変えていく。水道の蛇口をひねると大きな石が落ちてくる。シュヴァンクマイエルというと、基本的にセリフも音楽もなく、ただただ触覚を刺激するような生々しい効果音、というイメージがあるが、この作品では『自然の歴史(組曲)』と同様に、ズデニェク・リュカ(Zdenek Liska)の音楽が全編に流れる。

地下室の怪』は地下室にじゃがいもを取りに行く少女が味わう不安と恐怖。じゃがいもは熱や湿度によって傷みやすいため、冷暗室で保存しなければならない(私もつくっているからよくわかる。梅雨時はときにチェックしないと危ない)。大きな木箱に入ったじゃがいもは食べられないようにと、少女の手元から逃げ去って木箱に還ろうとする。

陥し穴と振り子』は、エドガー・アラン・ポーの同名の小説が原作。異端審問で拷問室に送り込まれた男の恐怖。男の視点にカメラを置くため、男の表情はいっさい映らない。前半のジリジリと下りてくる振り子の方はあまり切迫感が感じられなかった。縛られた身体がホンモノらしくない。背後で炎を放ち、時おり剣を突き出しながら近寄ってくる鬼面の器械のほうが不気味。これって原作にも登場したんだっけ?
 プラハには確か中世拷問博物館があった。南ドイツから北イタリアにかけては、「鉄の処女」などいろいろな拷問のための器具や器械を展示するミュージアムをいくつか見かけた。ヨーロッパの拷問器具はみただけで身体が痛む。

男のゲーム』は、実写映像やクレイアニメ、ピクシレーション等を組み合わせた作品。ビールを飲みながらテレビでサッカー観戦をする男。登場する選手はすべて男と同じ顔だ。選手の頭部はクレイ(粘土)となり、ハサミでズタズタに切り刻まれる。または、頭部に水道の蛇口がついて髪の毛やら鼻やら眼球やらがでろでろと出てくる。あるいは、肉挽き器でミンチにされた粘土が芋虫のように身をよじりながら大地に還っていく。頭部を失った選手の遺体は担架で運ばれ、棺に入れられる。木棺に釘を打つ場面は実写で、それがやたらとリアルを誘発する。

闇・光・闇』。部屋の中に登場する粘土の腕。指に刻まれた皺や掌線まで再現している。床を転がってくる眼球。窓の外では耳たぶがたはたと蝶のように羽ばたいている。ほかにもいろいろな人体のパーツが部屋の扉を叩き、2本の腕がそれらを引っ張りいれる。ぬめぬめした血色の脳みそ、うごめく臓器のような舌。それらは接触を繰り返し、試行錯誤を経て正しい位置に落ち着く。とはいえ部屋のなかは狭い。プラハで生まれたゴーレムの伝説を思い起こさせる。
 人には、部屋の中にひとりきりでいた方が落ち着く者と戸外にいた方が自由を感じる者とがいる。シュヴァンクマイエルはもちろん前者の方だろう。この作品が制作された1989年は11月にビロード革命が起きた年だ。たぶん制作した時期は、秘密警察が跋扈する窮屈な時期だったに違いない。

アリス』はご存じルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』が原作。こちらの体調が悪かったせいもあるが、正直なところ、今一つぐっと来なかった。やはり言葉を見てのイマジネーションに勝るものはないというのか。

サヴァイヴィング・ライフ ~夢は第二の人生~』。サブタイトルはジェラール・ド・ネルヴァル「オーレリアあるいは夢と人生」の冒頭の言葉に基づく。ニワトリが先か卵が先か。灰色の街にうごめくピクシレーション。実写の場面でも背景はグレイで処理されるため、アニメシーンとの連続性が維持される。街を転がる巨大な果実。卵が落ちて割れ、西瓜が落ちて割れる。繰り返し登場するぬめ光る大蛇。瓶詰の生きたカエルたち。
 まだ『オテサーネク』などほかの作品を見ていなくて、長編2編だけで断言するのは良くないが、シュヴァンクマイエルはストーリーテリングが上手いとはいえないような気がする。アニメーションのアイデアには驚かされるが、その悦びの持続時間は長くて30~40分というところか。フロイトとユングというのも今さら感がある。

 とはいえ、システマティックな機械工場で製造されるディズニーの洗練された3Dアニメを見慣れた目には、シュヴァンクマイエルの手作り感溢れた作品は、極めて新鮮に映るに違いない。

 シュヴァンクマイエルのシュルレアリスムに触れると、ベンヤミンが書いた「夢のげてもの」が読みたくなる。
「夢はもはや、青い遠方を開きはしない。夢は灰色になっている。物たちにふりつもった灰色の埃の層が、夢の最良の地域である。いまや夢はまっすぐに、ありふれた物たちへ向かう」
「物たちの世界が人間に迫ってくる。それは人間の内部へはいりこんで形象となる」

 YCAMのホワイエでは「Think Things―『もの』と『あそび』の生態系」という展示をおこなっている。子どもたちはありふれた建具が林立する迷路のような空間で物とともに遊ぶ。
 21世紀の子どもたちの体内には、どんな物たちが堆積していくのだろう。
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