文藝春秋2015年9月号(2) 

 文藝春秋2015年9月号(1)からの続き。

 由利俊太郎の新国立競技場問題をめぐるレポートでは、施工の元請候補としてJSCと技術協力契約を結んだ大成建設と竹中が、昨年冬から設計JV(構造設計の日建、意匠設計の梓設計、空調・給排水の日本設計)と話し合いを始め、ザハデザインの耐震性への懸念が浮上するものの、IOCに影響力を持つザハが意匠監修に携わること、設計JVに組み込まれたアラップ社(→wiki)の構造計算、文科省/JSCがイノベーションを合言葉に「近未来のスタジアム」にこだわったこともあり、表沙汰になるまで長い時間がかかり、今春にやっと施工業者らが文科省を飛び越えて、「国土強靭化」担当として官邸入りした国交省出身の和泉洋人首相補佐官に直訴したという。アラップ社の構造計算への参加がなぜ遅れの原因になったかは説明が不足していると思うが。まあ、若い建築家の意見(→太田佳代子×藤村龍至×東浩紀@ゲンロンカフェ)もいいが、地道に取材を重ねたジャーナリストの報告と突合せをすると、さらに多面的に見えてきて理解が深まる。

 人件費高騰は、復興事業だけでなく、民間デベロッパーによる建築ラッシュも大きな理由で、新競技場22万平米を遥かにしのぐ民間工事が進んでいる。大手町再開発(200万平米)、八重洲口再開発(160万平米)、国立印刷局跡地等虎ノ門・六本木再開発(90万平米)、渋谷駅鉄道各線乗り入れ工事に伴う再開発(70万平米)等のプロジェクト等々。『新建築 2015年6月別冊 東京150プロジェクト 多様な都市マネジメント』などを読むと、2020年の新しい東京の姿が見えてくるだろう。これによって現在、型枠工と鉄筋工が不足し、これまで日給2万円台で推移してきた労賃が、4万円台になっても人が集まらない状況だという。これが本当なら、民間や都のプロジェクトだけでじゅうぶん建設労働者にお金が回っているということで、文科省の予算でこれ以上彼らを多忙にして潤す必要はない。ザハ案が白紙に戻った今、巷でも言われているように、いっそのこと競技場の建設自体を取りやめにしたらどうか。そして、浮いたお金を10~20年後の将来を見据えて期待できるアーティスト/コンテンツメーカーの企てやアスリート育成に回したらどうか。新しい国立競技場は、建設労働者の仕事が減って不景気が予想される2020年以降で良いではないか。その頃には設計・施工ともに3DデザインやBIMのお勉強が今より遥かに進んでいることだろうし。
 そうなるとしたら、大阪万博(→関連ブログ)のように、50年立った後に「あのプロジェクトはじつはスゴかった」と言われるような企画にすべきだろう。あまり時間はない。なんならしがらみの一切ないアウトサイダーの私が予算配分を手伝ってもいいがw。

 文藝春秋は菊池寛の創業により、1923(大正12)年に産声を上げた。付録の昭和2年9月号は広告も少なく、芥川龍之介追悼號ということもあって、ほとんど文藝色一色だ。それは、文芸が中心だった日本の言論文化が、資本主義の膨張と専門分化、ジャーナリズムの拡大、多種多様なメディア文化の増殖、テクストコンテンツの爆発的増大等によって大きく変貌し、文学の占める位置が相対的に低下してしまった時代を浮き彫りにしている。

 すでに数十万部の売上を記録している小説に芥川賞を与えたことの「意味」も大きい。オリコンスタイルの記事によると、本号は、綿矢りさと金原ひとみのダブル受賞作品を載せた2004年3月号(118万5000部)に迫る、歴代2位の105万3千部となる見込みだそうだ。(第3位は『昭和天皇独白録』を掲載した1990年12月号の105万部)。綿矢りさの場合は「芥川賞」のブランド価値を世間に知らしめることができたが、今回は文芸マーケティングの「成功」に便乗しただけ、と見えてしまう点が、芥川賞自身の弱体化を示しているように思えてならない。

 とはいえ、芸人・北野武の映画に多くの映画賞が贈られたのだから、文芸の世界で似たようなことがあって何が悪いの?と言うこともできる。ましてや、芥川賞はいくつか例外を含むものの、基本的に「期待」に与えられる「新人賞」なのだ。つまり、期待に働きかけるアベノミクスみたいなものだ。島田雅彦が選評で書いている通り、一発屋で終わることだって大いにありうる。
 この状況はいずれにせよ、「芸術としての文学」に過大な期待を抱いてきた人びとが夢みた理想の姿とは、大きく異なっている。

 文中敬称略。
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