『エニグマ アラン・チューリング伝(下)』  

  ブログ:『エニグマ アラン・チューリング伝(上)』 の続き。

 このたび下巻に目を通してつくづく思ったが、本書はじつに教育的な名著だ。

 計算機科学や数学・論理学に関心ある人だけでなく、幅広く教養を身につけたいという人にうってつけの本だ。本来なら高校時代に読んだ方が学習へのモティベーションがあがって良いが、今のご時世、大学の教養学部で文系/理系の共通必須単位として半期通して学生に熟読させる授業があっても良い。授業の進め方はいろいろ考えられるが、コンピュータの基礎理論や応用数学の一分野としての暗号学、20世紀前半~中期の科学技術史のみならず、昨今流行りのディープラーニングにつながる機械学習の基本にも接することができる。また、英米教養層にとって必須の英文学的教養の一端にも触れることが可能だ。

 それだけではない。優れた伝記や科学啓蒙書はどのようにして産まれるのか、その一例を学ぶことができる。英語的なものの考え方や英米教養層の知的で文学的な語り口は、J回帰して久しい日本の教養風土に新たな「喝」を入れることだろう。自国の伝統も大切だが、今の多くの日本人はあまりにも外の世界に関心が薄過ぎる。

 著者のアンドルー・ホッジス(→wiki:英語)はチューリング同様、ロンドン生まれの数学者。若い頃にはペンローズの共同研究者としてツイスター理論の発展に情熱を注ぎ、70年代末から3年かけて本書の制作に取り組んだ。その営為は、代表的訳者である言語哲学者の土屋俊(→wiki)があとがきに書いているように「大変な学術プロジェクト」と言うべきものだ。ホッジスは1986年以降、オックスフォード大学ウォーダム校で数学を教えている。2007年から同校のフェローとなり、2011年からディーン(学寮長?)を務めている。

 オックスフォード大学(→wiki)は言わずと知れたイギリス最古の歴史を誇る名門大学。出身者リストには、日本でもよく知られた政治家の名前のほか、ロジャー・ベーコンやホッブスといった哲学者、ハレーやハッブル、ホーキング等の科学者、WWWの開発者ティム・バーナーズ=リー、アダム・スミスやジョン・ヒックス等の経済学者、そして、スウィフトやトールキン、C.S.ルイス、ルイス・キャロルといった文学者の名前があがっている。ちなみにチューリングはオックスフォードの永遠のライバル、ケンブリッジ大学のキングスカレッジ出身だ。

 下巻は第2次世界大戦後半から始まり、チューリングが人工知能の搭載まで射程に入れて設計した初期コンピュータACE(=Automatic Computing Engine,→wiki)の開発プロジェクトをめぐる話が中心となって展開される。技術的な話も含まれるが長過ぎることはなく、マックス・ニューマン(→wiki)やクロード・シャノン(→wiki)、ノーバート・ウィーナー(→wiki)、マイケル・ポランニー(→wiki)らとの交流や職場での人間関係、母親のチューリング夫人、長距離走者としての活躍、男性への性的関心、チャールズ・バベッジの業績(p83~85)についてもページを割いている。

 ディープラーニングは多層構造のニューラルネットによる機械学習だが、ニューラルネットの起源はウォーレン・マカロックとウォルター・ピッツが考案した形式ニューロンに端を発する。本書p158には、フォン・ノイマンとノーバート・ウィーナーがマカロックとピッツの思想に感銘を受けていたという記述がある。「その考え方は、真空管の論理的諸機能は人間の神経系における神経線維の構造とある程度の類似性を有していることを示唆していた」らしく、ノイマンがウィーナー宛の手紙で「チューリングの非神経学的な主張と並べて考えたい」と書いていることを紹介している。

 本書の内容ではないが、ピッツは少年時代、乱暴な配管工の父親から殴られるのが嫌で浮浪者となり、図書館に逃げ隠れてラッセル(→wiki)&ホワイトヘッドの『数学原理』を読みふけったという。13歳のときにラッセルに手紙を書いたところ、ラッセルからの返事でケンブリッジの大学院で勉強するように薦められたが、渡英できる身ではなかった。しかし、後にラッセルがシカゴ大学の客員教授になったとき、講義を聴きに来たピッツは、哲学者カルナップ(→wiki)の下で学ぶように言われ、シカゴ大学のニセ学生となったらしい。ウィーナー夫妻との関係や悲劇的な死など、ピッツの話は物語として面白く、世界的な人工知能ブームの中でそのうち映画化されるかもしれない。

『エニグマ 』の話に戻るが、本書には有名無名の科学者・技術者の固有名のほか、オスカー・ワイルドやサミュエル・バトラー、バーナード・ショー、E.M.フォースター、ジョージ・オーウェルの名も登場する。また、ルイス・キャロルやホイットマンからの引用に寓意を託した箇所も散見される。テクノロジーの話と文学がこれほどまでに高度な形で結び付いた本を読むのは初めての経験だとさえ思う。しっかり理解したうえで批評的に論じる、なんてことは力量的にムリなので、このような紹介になった次第だが^^;。

 なお、チューリングマシンの概念を明らかにした1936年の有名な論文「計算可能数について──決定問題への応用」や、本書で大きく扱われている「知能機械」等の論文は、『チューリング (コンピュータ理論の起源)』で翻訳を読むことができる。

 それにしても、原書の刊行は1983年。ニューアカ時代まっさかりだ。大げさな言い方かもしれないが、もし本書が当時、日本語に翻訳されていたら、ダグラス・ホフスタッターの『ゲーデル、エッシャー、バッハ』との相乗効果で、ニューアカの様相もいくらか変わったかもしれない。とはいえ、訳者のあとがきにあるように、インターネットの無かった時代では、高踏的な本書のさまざまな文脈の理解に必要な歴史的・文化的背景をすべて調べ上げることは極めて困難だったことは、なんとなく想像がつく。

 欧米の英知に日本語で容易にアクセスできるのは、数多くの優れた翻訳者たちがいたからこそであり、人工知能の発達によって機械翻訳の精度が今後、飛躍的に進歩したとしても、彼ら/彼女らがこれまで積み重ねてきた知的営為に深いリスペクトを捧げることを忘れてはならないだろう。

 昨今は文系学問がディスられる?傾向があるが、「日経サイエンス」の最新号では、科学技術振興機構の新理事長・濱口道成が「バックキャスト的なものの考え方を社会に浸透させたい。つまり、望ましい近未来社会の姿を想定し、その実現に必要な研究を進める必要があり、そのためには人文社会科学が大事だ」と強調している。

 文中敬称略。

 追記
 ゲンロンカフェ11/24の「大森望のSF喫茶#19」に登場したハヤカワSFコンテスト大賞受賞者の小川哲は、東大理Ⅰから文転した研究者。チューリングの研究中だという。今後の活躍に期待したい。
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