サミュエル・フラー特集上映 

 YCAMでバックミンスター・フラーと並び立つ"世界二大フラー"の一人、サミュエル・フラーの特集上映。『最前線物語』(1980)、『ストリート・オブ・ノー・リターン』(1989)、『ショック集団』(1963)、『裸のキッス』(1964)をみる。

『最前線物語』(原題:The Big Red One)は、フラー自身が若い頃、所属した伝説の攻撃師団《ビッグ・レッド・ワン》の活動を描いている。しかし、俗に言う「戦争映画」ではない。冒頭の霧に煙る大地に立つ朽ちたキリスト磔刑像や襲ってくる馬の幻想的な場面がブニュエルっぽくて好い。映画が「神話」であり、映画監督が「神」だった時代の風合いが濃厚に漂う古典的作品。軍曹役のリー・マービンがシブすぎる。旧『スター・ウォーズ』のマーク・ハミルが出演している。
映画は戦場だ! (リュミエール叢書)』に、フラーがスピルバーグの『1941』に出演する際の話で、どうしても「ビッグ・レッド・ワン」と言わせようとするスピルバーグと、戯画的に見られるのが嫌でどうしても言いたくないフラーとのやりとりが述べられていて笑ってしまった。

『ストリート・オブ・ノー・リターン』。キース・キャラダインが演じる声を奪われた人気歌手、美しく危険な香りのする女(そう、「女性」でなく「女」だ)、陰翳のある悪人、白人と黒人の若者たちがわけもなく抗争を繰り返すストリート、野蛮で残忍なポリス、全てがザ・B級ノワール。途中でようやく昔、ビデオか何かで観たことがあったと気づく^^;。  映画内映画に登場する馬に跨った裸の女は、ゴディバ夫人(→wiki)?。



『ショック集団』(原題:Shock Corridor)は今回見た4本のなかで最も気に入った。殺人犯を突きとめようとして1年かけて役づくり?して「狂人」を装い、精神病院に潜り込む新聞記者のジョニー。彼の妹になりすまし、兄からレイプされたと偽る恋人のキャシー。彼女はキャバレーでセクシーなショーを見せるダンサーを装っており、(自分のなかの意識の変容を思ってのことか)狂気を装うと本当の狂人になるのではないか、と彼を心配する。

 ジョニーが院内で出遭う患者たちのエピソードがじつに興味深い。朝鮮戦争で敵側に洗脳され、共産国のスパイになった元軍人。白人からの迫害の末に、自分がKKK(クー・クラックス・クラン)のメンバーだと思い込む黒人等。いずれも自分でない何ものかを装ううちにその虚構の「何ものか」になりきってしまう、つまり、フィクションを真剣に演じるうちにフィクションに憑依されてしまうという構図が描かれる。それは「敵対する相手に似てくる」という冷戦構造や、虚構が現実を絶えず作り変えていくというアメリカの本質的特徴を表している。いまやアメリカだけの事態ではなく、演技(虚構)が時間をかけて現実を変容させる世界だ。(平たく言えば「仕事が人をつくる」ということにもつながるのだが)。
 これを現代的視点で批判的にとらえなおしたのが、『コングレス未来学会議』や『バードマン』(→ブログ)なのではないか。

  『裸のキッス』(原題:The Naked Kiss)は元娼婦を主人公にした、任侠映画の風情が漂う作品。モダンジャズのテンポに沿って繰り広げられる乱闘場面が素晴らしい。頭を剃った若い女性というと、AKB48の峯岸みなみが男性スキャンダルで罰として丸坊主になって(→wiki:峯岸みなみ)、欧米メディアで大々的に報道されたことを想い出す。『映画は戦場だ! 』で、フラー自身が「女性を辱める、あるいは罰する最も過酷な方法は、頭を剃ること」と述べているが、それは欧米人に共通する認識だろう。ポール・バーホーベンの『ブラックブック』にも、敵側に寝返った娼婦が罰として頭を剃られるシーンがあったように記憶する。日本では瀬戸内寂聴がフツーにテレビに映っているため、当事者たちは女性の禿頭は「罰」といってもお遊びとして許容範囲だと判断したようだが、女性の人権意識が強い欧米メディアでは報道に値する衝撃的事件と受け止められた、ということだろう。
 映画では、ベートーヴェンの『月光のソナタ』をバックに、もとの髪を取り戻した主人公が長い髪をくしけずる場面が描かれる。同じ日に山口県立美術館で『ラファエル前派』展を観たせい(→ブログ:ラファエル前派展)もあって、展示されていたロセッティの『シビュラ・パルミフェラ』と対をなす『レディ・リリス』を想い出す。リリスは中近東における半人半蛇の魔女で、俗説ではアダムの最初の妻とされる。神がエヴァを創ったためエデンの園を追われ、嫉妬と復讐の念から堕天使サタンの化身たるヘビをそそのかし、一緒にアダムとエヴァを陥れましょう、と口説いたという。母権を嫌うユダヤ人の発想が産んだリリスは、ミソジニーを引き継いだキリスト教化後のヨーロッパでその後、美しく放埓な娼婦を表すようになった。女性の長い髪が伝統的に「男性の性欲を無闇に掻き立てるもの」と考えられてきたことは、イスラム教のヒジャーブを例にとるまでもない。ロセッティが娼婦(リリス)を「長い髪をくしけずる女」として描いたのはそのためだ。
 フラーがロセッティの『レディ・リリス』を念頭に置いていたかどうかは定かでない。映画では娼婦(リリス)がヘビを「同類でしょ」と口説くのではなく、ペドファイルとしての正体を現した街の有力者が逆に娼婦なら自分の性倒錯を理解してくれるものと思い込んで主人公を口説く。

『ショック集団』と『裸のキッス』の撮影は、オーソン・ウェルズ監督の『偉大なるアンバーソン家の人々』 (1942)やチャールズ・ロートン監督の『狩人の夜』(1955)で知られるスタンリー・コルテス。モノクロフィルムの陰翳の質感がたまらなく良い。

「シネ砦」編集委員の安井豊作とboidの樋口泰人のトークショーでは樋口が90年代初頭のフラー一家来日の際、島根県松江までアテンドした話などが語られた。フラーは小泉八雲を題材に映画をつくるつもりがあったという。

 文中敬称略。

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