イオンモール岡山(2) ~屋上庭園 

 イオンモール岡山(1)からの続き。

○屋上庭園
 5F~7Fのオープントップはステップガーデンになっている。随所に多彩な植栽を配して暗くなるとライトアップし、庭園を取り囲むカフェやレストランの客に緑に溢れた視界を提供。庭園デザインは石原和幸(→wiki)。一部に壁面緑化もおこなっている。短い間に見て回ったのでわからなかったが、小さな水系を設けて水の音が聴こえるようになっているという。

 日本の屋上庭園の歴史は、近代的商業施設の建築とともに始まった。
 赤瀬川原平や南伸坊らと路上観察学会を結成した建築史家・建築家の藤森照信は、『タンポポ・ハウスのできるまで』で屋上緑化について語っており、最初期の例として、下関にある旧秋田商会ビル(大正4(1915)年竣工)を取り上げている。
 ル・コルビュジェは1926年、ピエール・ジャンヌレとともに近代建築の五原則を提唱した。屋上庭園はピロティや連続水平窓、「自由な平面」、「自由な立面」とともにその五原則の一つだ。大山顕が『ショッピングモールから考える』p98で述べているように「人びとが屋上で活動するというのは近代建築の快挙だった」。
 『タンポポ・ハウス―』によると「コルビュジェがクック邸の屋上ではじめて(屋上庭園を)実現するのが1926年、シュトゥットガルトの実験住宅はその翌年である。ニューヨークのオフィス街の屋上庭園として名高いロックフェラーセンターは1940年」。
 だとすると、1915年の旧秋田商会ビルの屋上庭園は世界に先駆けて日本の鉄筋コンクリート造ビルで屋上庭園を築いたことになる。
 藤森は「もしかしたら世界的に見ても、1番とか2番になるやもしれない」と言ってくれて、地元民としてはちょっぴり鼻が高いが^^;、映画『だれも知らない建築のはなし』 にあったように、固有名が屹立した時代の建築家の多くは商業建築を見下していて(例外は村野藤吾だけ?)、彼もまた商業建築に関心がなかったのか、旧秋田商会ビルより前に、東京の三越が屋上庭園を築いていたことに触れていない。

※追記2016/9/30
アンドレアス・ベルナルト『金持ちはなぜ、高いところに住むのか』では、ニューヨークの屋上庭園について、スティーヴン・バージ・ジョンソンによる研究を紹介している。それによると、19世紀末~20世紀初頭は当地においてルーフガーデン最盛期であり、ホテルや住宅、学校までも、屋上に庭園や憩いの場をつくったそうだ(→ブログ:ハイ・ライズ/屋上庭園(2)

屋上・建物緑化事典』によると、三井物産横浜ビル(1911年竣工)に見られるように、日本でも明治40年代頃から陸屋根構造をもつ全鉄筋コンクリート造の建物が建ち始め、大正時代には続々と増えて、大正3(1914)年9月竣工の三越呉服店新館では、開店当初から屋上庭園を一つの目玉にしていたことを示す資料が残っているという。

 ちょうど今年3月19日~5月15日まで江戸東京博物館で『近代百貨店の誕生 三越呉服店』展が開かれていたようだが、三越呉服店新館は、地下1階地上5階、延面積1万3210平米のルネサンス様式の鉄筋コンクリートづくりで、wiki:日本の百貨店によると、「「スエズ運河以東最大の建築」と称され、建築史上に残る傑作といわれた。日本初のエスカレーターと、エレベーター、スプリンクラー、全館暖房などの最新設備が備えられた」そうだ。しかし、それは9年後の大正12(1923)年に起きた関東大震災によって全壊した。
 なお、wiki:屋上庭園には、非常設タイプではあるが、三越日本橋本店の方でも噴水や池、藤棚を配した1907年開園の屋上遊園地があったことが記されている。

 その後も屋上庭園としては、松屋浅草支店のスポーツランド(1931年)や 大阪新ダイビル(村野藤吾:1958年)、広島基町高層アパート(大高正人:1978年)、神戸のシャルレポートアイランドビル(石井修:1983年)、三井住友海上駿河台ビル(日建設計:1984年)、アークヒルズのサントリーホール(1986年)、大阪ガスの実験住宅NEXT21(1993年)、アクロス福岡(エミリオ・アンバース&日建設計:1995年)などの例がある。

 2000年前後からヒートアイランド対策(汐留エリア開発が社会問題になった)としてビルの屋上緑化が推奨されるようになり、国土交通省では平成13(2001)年の都市緑地保全法の改正に伴い、緑化施設整備計画認定制度を敷き、市町村長から認定されると、固定資産税の軽減などの支援措置が受けられるようになった。東京都も「緑の東京計画」を策定し、施設の緑化に向けて各種の施策を打ち出した。

 以上のような事情もあって、現在の東京は屋上庭園花ざかりである。
 伊勢丹新宿本店のアイガーデン(2006)、新宿タカシマヤのホワイトガーデン(2007)、アトレ恵比寿のエビスグリーンガーデン(2009)、新宿丸井のQ-COURT(2009)、東急プラザ表参道原宿(2012)などなど。
 いまやジャンクションの上にも大庭園ができる時代だ(目黒天空庭園(2013))。虎ノ門ヒルズ森タワーの両側に立つ予定の住居棟(220m)とオフィス棟(185m)はインゲンホーフェン・アーキテクツのデザインによって、垂直的に緑を配したビルになるらしい。海外に目を移すと、たとえばフランク・ゲーリーによるフェイスブック本社屋(2015)は、1キロ近い遊歩道を設けた「本格的なキャンプも楽しめる」屋上庭園をそなえている。
 大阪にもジャーディーのなんばパークス(2003)のような例があるし、九州ではアミュプラザ博多やアミュプラザおおいた等に屋上庭園がある。 都市中心部での商業施設と屋上庭園の結びつきは現在に引き継がれて強化・拡張が進んでいる。一方で、庭園の維持・管理をいかに少ないマンパワーでおこなうかが課題となっている。疑木なども昔に比べてホンモノに似てきたため、選択肢にあがることもある。

 1977年開業当時は「西日本最大の複合商業施設」と言われたシーモール下関(ダンベル型二核モール)にも屋上庭園が設けられている(今回はちょっと地元びいきモード^^;)。何年か前までは園芸ショップがあって、何回か立ち寄ることもあったが、今では店もなくなり閑散としている。それはそれで風情はあるが。

 かつての商業施設の屋上庭園と現在のそれとの大きな違いは、現在では平面的な庭園だけを設けるのでなく、立体的に構成し、なおかつ庭園に面してカフェやレストランを配置しているところだ。そうすることで人びとの視線が緑に向かう機会を増やしている。
 とはいえ、新しいモールなら物珍しさもあって屋上庭園に足を向けることもあろうが、商業施設の寿命は長くない。年月を経ると、どうしても人は新しい施設に関心を移すし、ときおり買物に寄ったとしても、わざわざ屋上まで足を運ばなくなる。イオンモール岡山も10年後・20年後を考えると、屋上庭園や周囲に巡らされたカフェ・レストランにどこまで客が惹きつけ続けられるか予想できない。人がわざわざ高いところまでのぼるには、それなりの魅力が欠かせない。もちろん、イオンモール岡山も映画館や多目的ホールを5階に設けるなど工夫してはいるが。
 商業施設側としては、集客のためにビアガーデンを開くとか、ちょっとした音楽ライブを開催するなど工夫するが、あまり効果がないとなると、今のシーモールの屋上みたいな姿になる。なんばパークスのパークスガーデンが3階から9階まで段丘状に築かれ、キャナルシティが屋上ではなく地上部に緑地や広場を設けているのは、そこまで考えてのことかもしれない。

 文中敬称略。
スポンサーサイト