映画『シリア・モナムール』 

 YCAMの特集「イスラームに出会う」で『ソング・オブ・ラホール』と『シリア・モナムール』をみる。

 2本目の『シリア・モナムール』(原題:Eau argentee, Syrie autoportrait/2014)は、フランス在住のシリア人映像作家、オサーマ・モハンメド(Oussama Mohammad, 1954-)がwiki:シリア騒乱の様子を編みあげた作品。

 内乱や虐殺を扱った映画としては『アクト・オブ・キリング』『消えた画~クメール・ルージュ』などを見てきたが、それらが過去の記憶をめぐる映像だったのに対し、本作品は「今」起きている内乱をあらわしている。

 いきなりブリーフ1枚に剥かれた男が跪いて誰かの足で蹴り上げられる暴力的な映像で始まる。肢体の一部が吹き飛ばされモノと化した遺体、遺体、遺体、血まみれの路上、葬儀の様子、廃墟になった街……。
 これらは監督自身が撮った映像ではない。数多くのシリアの人びとが、熾烈を極める内乱のさなかにスマホ等で撮影してYoutubeに上げた映像だ。2011年にパリに亡命した監督は、それらを収集し、自分が撮影した映像とともに編集して言葉や音楽を加えた。



 シリアはメソポタミア文明と地中海文明の境界に位置し、太古の昔から文明の栄えた土地だった。シリア北部には紀元前3千年紀後半と紀元前2千年紀前半に栄えた古代都市国家エブラがあり、大麦やオリーブの栽培や織物の生産が行われたシュメール文明の様子を今に伝える楔形文字を刻んだ粘土板が多く出土している。
 首都ダマスカスは、紀元前10世紀にアラム人の王国の首都が置かれ、ローマ時代にはギリシャ・ローマ文化の重要な中心の一つだった。映画の舞台の一つとなるホムスは、アントナン・アルトーの著書で知られるローマ皇帝ヘリオガバルス(→wiki)の出身地でもある。
 wiki:シリアの歴史に書かれる通り、7世紀にはイスラム圏に組み入れられ、その後はトルコ系王朝やモンゴル帝国、エジプトのマムルーク王朝、オスマン帝国などの支配下に置かれ、第一次世界大戦の結果、1920年には現在のレバノンとともにフランスの委任統治領となった。

 1946年の独立後は、1963年以降、バアス党(=アラブ社会主義復興党)が政権を握り、1970年に党が分裂すると「現実派」のハーフィズ・アル=アサド(→wiki)がクーデターで政権を掌握。エジプトとアラブ共和国連邦を形成するとともに、旧ソ連との結びつきを強めた。バアス党はザキー・アル=アルスーズィー(→wiki)の影響で生まれたアラブ・ナショナリズム政党。シリア国内ではアサドの出身母体であるイスラム少数派のアラウィー派やドゥルーズ派などを構成員としており、国内で7割以上を占めるスンニ派を抑える形になっている。
 イスラエルとはゴラン高原をめぐって領土問題を抱える一方、1976年にはドゥニ・ヴィルヌーヴの映画『灼熱の魂』の背景にもなったレバノン内戦に介入している。サウジアラビアやカタール、イラクといったスンニ派アラブ諸国とは敵対関係にあり、イラン=イラク戦争ではシーア派のイランを支持した。

 2000年にハーフィズ・アル=アサドを継いで大統領となった次男バッシャール・アル=アサドは、スンニ派出身でヨーロッパ経験が長く「中東のダイアナ」と呼ばれることもあった妻アスマーとともに西側諸国から期待を集め、就任当初は欧米諸国との関係改善や政治犯釈放など開放派路線を敷いた。
 ところが、バアス党内の守旧派や軍部の抵抗は強く、2011年にチュニジアで始まったジャスミン革命の影響で拡大したアラブ民主化の影響が及ぶと、反政府武装勢力の自由シリア軍(→wiki)がアメリカやトルコ、サウジアラビア、カタールなどの支援を得て政府軍と戦闘を続け、混乱に乗じてISが急拡大してシリア騒乱(→wiki)に発展し、現在に至っている。

 映画ではやがて、映画の語り手であるオサーマがSNSでシマヴという名の女性と出会う。ウィアーム・シマヴ・ベデルカーンはホムス在住のクルド人映像作家だ。シマヴはクルド語で銀の水をあらわし、これが原題のEau argenteeとなっている。シリア住民はアラブ人が90%を占めるが、クルド人が8%ほどいる。
 バフマン・ゴバディ監督(→wiki)の『国のない国旗』でも描かれていたクルド人は、オスマントルコがあった時代には、そのほとんどが一つの地域――クルド州――で暮らしていた。ところが、第一次世界大戦でオスマントルコが敗れると、フランスとイギリスがサイクス・ピコ協定に基づき国境線を恣意的に引いたため、イラク・イラン・トルコ・シリア・アルメニアに「分断」されてしまったのだ。領土を失ったクルド人については、欧米だけでなく日本でも注目されるようになってきた。イスラム国への対抗勢力として期待を集めているが、一方でイスラエルの影響も噂されている。

 日本語のタイトルである『シリア・モナムール』は、アラン・レネの『ヒロシマ・モナムール』に由来する。映画では語り手が地元のシネクラブでこの映画を見たとき知り合った青年が、その直後に殺害されるというエピソードを語っている。

【追記】2016/12/5
 最近読んだ『イランを知るための65章』第44章のクルディスターンの「分割」(山口昭彦)は、「分断」された「悲劇の民」というクルド人のイメージに対して相対化を促している。サイクス・ピコ協定によって「分断」されたというが、クルド人居住地域は、それ以前にオスマン朝とイラン系王朝との間で境界が引かれていたし、近代以前のクルド人のなかにはオスマン朝とイラン系のサファヴィー朝がクルド地域を支配したことでクルディスタンの「分割」だと考える人もいたが、一部のエリート層を除く農民や遊牧民にとっては、民族的な帰属よりも村や部族、神秘主義教団などのほうが帰属対象としてはるかに重要だったに違いないと言う。また、私は昔、旅行して印象に残ったイランをついひいきしてしまうが、イランではレザー・シャー時代(1925-41)にクルド語の教育や出版などナショナリズムにつながるような動きに対し厳しく取り締まったが、イラク側ではクルド語での出版活動は比較的自由であったという。

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