映画『アイ・イン・ザ・スカイ』 

 チャチャタウン小倉にあるシネプレックスで、ギャヴィン・フッド監督の映画『アイ・イン・ザ・スカイ』(2015)を観る。以下、ネタバレ含む。

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 この映画は21世紀の"リアル"な007だ。
 ジェームズ・ボンドの時代はとうの昔に終わった。映画007シリーズはもはや時代劇となり果てた。ジュディ・デンチが演じた中間管理職Mは、ヘレン・ミレン扮するパウエル大佐に代替わりして残留したが、そこに白人男性ヒーローとしてのボンドの姿はない。代役を務めるのはイスラム過激派が横行するナイロビに潜伏するジャマ・ファラ(バーカッド・アブディ→wiki)。ケニア人の工作員で、コマドリや昆虫を模したガジェットを操ってスパイ活動をおこなうが、武力行使は固く禁じられ、本人にもその気はない。

 過去の007シリーズ同様、本作でも舞台はグローバルに移り変わる。しかし、主人公が世界を駆け巡り、派手なアクションを繰り広げるわけではない。アクションに至るまでの意思決定のプロセスが、グローバルに役割分担されているのだ。現場はナイロビ、作戦指揮はロンドン、UAVリーパーの操縦は米国ネヴァダ州、画像解析はハワイ……。

 英米共同の軍事作戦はもともと、イスラム過激組織に所属するイギリス人の捕獲を目的にしていた。だが、偵察の過程で過激派組織が今まさに自爆テロの準備に取り掛かっていることが発覚。急きょ、リーパーに搭載されたヘルファイア・ミサイルによる爆撃作戦が検討される。多数の犠牲者が予想される自爆テロを未然に防ぐためとはいえ、友好国ケニアでそうやすやすと武力行使はできない。映画『ハドソン川の奇跡』で見たように、数多くの人命を救った機長の英雄行為でさえ、後で査問委員会に判断の妥当性を厳しく問われる時代だ。意思決定は国防大臣に委ねられるが、議会の法律顧問は猛反対。しかも、テロ組織のメンバーにアメリカ人が混じっているため、外交イシューとなり……。

 本作は「緊張感に溢れた」「衝撃作」と評されているようだが、個人的にはモンティ・パイソン流のブラック・コメディだ。
 ジョエル・レヴィの『世界史を変えた50の武器』では、UAVドローンの発明者はイギリス海軍となっている。無線操縦機の起源は1898年のNY電気博覧会でニコラ・テスラがおこなった船の無線操作にさかのぼると言われる。第一次世界戦中にイギリスの発明家ハリー・グリンデル・マシューズ(殺人光線の発明家としても知られる)は、セレン光電セルを用いた遠隔操作船技術を発案し、イギリス軍に売り込んだ。第2次大戦時には英・米・独いずれも無線操縦飛行機を開発。ドローン(雄バチ)の名称は、(たぶん)イギリス軍が開発したクイーン・ビー(女王蜂)に由来する。しかしながら、イギリスのハイテク兵器の開発力は現在、致命的なまでに低下。外務大臣がシンガポールの武器見本市で販促キャンペーンに協力しているのは「軍服」(たぶんバーバリー)だw。外相はエビに当たって体調は最悪なのに、本国から電話で呼び出される。
 ネヴァダ州でリーパーを操縦するのは、アイダホ出身の青年スティーブ(アーロン・ポール)。アメリカの国務長官は「さっさとやっちゃいなさいよ」と言わんばかりだ。ようやく根回しを終えたパウエル大佐は決断を下し、スティーブはヘルファイアの発射準備に入る。
 ところが、ここで殺傷圏内にパンを売る少女がいることが判明。スティーブはイギリス人の大佐の指令を拒絶する。おっと!何この板挟み感。言葉が通じ合う英米間でさえこうなのだ。日本の自衛隊も今後、米軍と共同で軍事活動をおこなうことがあれば、指揮系統の上下を米軍に挟まれてジレンマに陥り、下手をすると責任転嫁され、いつのまにか悪者にされることだってありうることを警戒せよ。

 かくして、自爆テロで予測される犠牲者の生命と少女の生命が天秤にかけられる。いわゆるトロッコ問題だ。映画『イミテーション・ゲーム』(→ブログ)では、ナチの暗号を解読したアラン・チューリングは、イギリスが勝利するまで解読された事実をドイツ軍に悟られないよう、民間人の乗った船がUボートに撃沈されるのをあえて見過ごす。パウエル大佐もまた、想定犠牲者数を重く見て少女を犠牲にしても爆撃することを強く主張。しかし、国防大臣からは「付随的被害率が50%未満でなければ許可できない」と言われる。コンピュータが弾き出した爆撃に伴う少女の死亡率は65%。人工知能は人の意思決定をサポートするが、とりあえず今のところは確率をはじき出すだけで、自ら判断を下さない。自動運転の流れで、AIに「法人格」を与えて人命責任を負わせるというアイデアが実現されれば話は別だが。
 パウエル大佐は爆撃ターゲットの位置を変えて、少女の死亡率がなんとか50%未満にならないものかとオペレータを懐柔する。しかし、よくよく考えると、確率的推定と「現実」の間にはギャップがある。たとえ45%でも亡くなるケースはあるし、65%でも助かる場合はあるのだ……。



 民間軍事会社や軍事用ロボットの研究で名高い国際政治学者P・W・シンガーは、無人機の操縦士は実際にイラクで戦っている兵士に比べ、PTSDを発症する割合が高いと報告している。ドローンは戦地でPTSDになりやすい兵士の精神状態を重視して導入されたと思い込んでいたが、結果は全く逆効果だったわけだ。戦地での殺戮は「殺されなければ殺される」という極限状態がかえって口実となって、倫理的な「たが」が外れてしまいがち。むしろ、敵に殺される危険のない安全な場所で冷静にじっくりと自分が「人を殺すこと」の意味に対峙するほうが、精神的に苛まれやすいということか。人にもよるだろうけど。

 ドローン爆撃の問題を訴える映画としては、先に『ガタカ』の監督でもあるアンドリュー・ニコルの『ドローン・オブ・ウォー』(2014)がある。主人公が静かな狂気に陥っていくさまが克明に描かれていて、個人的にはこちらの方に惹かれるが、よりドラマチックで幅広い大衆に届きやすいという点では『アイ・イン・ザ・スカイ』に軍配が上がるだろう。

 本作は、『ハドソン川の奇跡』と同じく、オバマ政権時代を物語る映画だ。いかなる英雄行為も、その決断の是非が厳密に問われた(と思っていた)時代の映画だ。その意味で、日本公開は時機を逸した感がある。オバマ政権は終盤になって、民間人被害のリスクを抱えたドローン攻撃への意思決定のプロセスを透明化しようと試みた。しかし、米政府が公開した民間人の犠牲者数は、独立機関が推計した数より遥かに少ないとも言われている(←CNNニュース(2016.07.02)米、無人機攻撃での民間人犠牲者数を公表)。

 トランプ大統領が就任し、フェイク・ニュースが取り沙汰され、ポスト・トゥルース時代とも呼ばれる現在では、あらゆることが疑わしくなる。事実かどうかより感情が優先される時代。ゆえに、本作が露骨なプロパガンダのようにも見えてしまう。「われわれは罪のない少女が犠牲にならぬよう、国や軍のトップレベルで細心の注意を払って対処してます(キリ!)」というメッセージが、大衆の心の奥底にまで届くように設計されている、とさえ感じられる。

 われわれは極めて巧妙に仕組まれた情報戦の只中にいる。たとえ仮にこれが"真実"だとしても、あらゆる事態で真実とは限らない。存在量化子で語られることを全称量化子で語っているものと勘違いしてはならない。
 冒頭に引用されるアイスキュロスの言葉「戦争の最初の犠牲者は"真実"だ」の意味を、じっくり考えてみたい。    
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