WIRED Vol.27 

 WIREDはもっぱらWEBを覗くだけだが、特集によっては紙の方も買う。

 WIRED Vol.27はマストバイだろう。
 強いてケチをつけるならw、大学進学を望む高校生には勉強のジャマになるので、受験シーズン終了後に出した方が良かったと思う。まあ、2、6、9、12月の10日発売だから、2月を逃すと次号は6月だ。そうすると道を踏み外す余裕もなく?、大学の講義に飲み込まれてしまう。ん…3か月毎なら3月のハズだけど、なぜ2月なんだろう?

 テーマはBefore and After Science サイエンスのゆくえ

 カトリックの科学哲学者、村上陽一郎曰く、科学の根幹は物理だと思われているが、明治期の日本ではエドワード・モースの影響が大きく、加藤弘之(→wiki)をはじめとする明治期の知識人の科学への信頼はモース経由の進化論からスタートした。
 とはいえ、欧米の工業力との圧倒的な差を痛感した日本ではその後、科学と技術の発展は分かち難いものとなり、原爆を可能にする物理と技術工学に力を入れた。
 1960年代、文化の全領域で噴出した「近代批判」に伴って、トマス・クーンやノーウッド・R・ハンソン、ポール・ファイヤアーベントら「新科学哲学」派が日本でも大きな影響を持ち、70年代になるとライアル・ワトソンやフリッチョ・カプラの本がブームとなった。ただ、その「ポストモダン」的潮流は90年代のソーカル事件によって打撃を受け、主流になることはなかった。
 一方、トランス・サイエンスという概念が浮上してきた。これは生命倫理のような問題を解決するためには科学・技術の知見だけでは万全でないと認め、新たな世界像を模索する試みだ。また、1990年以降、WHOが「健康」を定義するにあたって「スピリチュアル」という概念を「健康」の構成要素に含めるべきかの議論を続けている。
 村上自身の現在の科学の問題に対する基本姿勢は、ファイヤアーベントから学んだ「唯一絶対のものを信じることに対し、オルタナティブを志向すること」だという。

 非線形科学の第一人者、蔵本由紀は「科学描写はあくまで世界記述の一つに過ぎない」と述べる。
 物理法則を具体的局面に適用する際には具体的な前提条件を設定する必要があるが、高度な金融数学をベースとした金融工学式も、原発も、その前提条件が破れると、リーマンショックや原発事故の悲劇につながる。
 高い普遍性をもつ科学的知見は孤立分断的にしか見いだせないが、それらをつなぎ合わせ物語化してはじめて生きた科学知になると言い、非線形科学の物語は「モノ/主語」ではなく「コト/述語」によって世界の普遍性を伝えることができる、と〆る。

『物理的数学の直感的方法』で知られる長沼伸一郎は、行き過ぎた細分化がもたらす弊害を問題にする。これから求められる知性とは「単一分野の専門家より、政治、軍事、経済、文化などの複数の領域を一個の頭脳に収めて、そこから横断的に解答を紡ぎだせる存在」だと主張する。

 北野宏明のコラムは、おおむねICF2016でのプレゼンと重なる。

 今やメディアアートの宣伝部長になった観のある宇川直宏は、エジソンが構想した霊界通信機「スピリットフォン」が、大川隆法の映画『永遠の法』に登場することや、彼の『幸福の科学』がなぜ、「科学」を名のるのかについて自説を披露し、スヴェーデンボルグや神智学協会などの名を挙げつつ、科学と宗教の緩衝地帯としての"疑似科学"に触れ、メディアアートは、アートという信仰のもとでおこなわれる疑似科学の一つではないかと述べる。

 ほかにも、『生命のニューサイエンス』等の著書で知られるルパート・シェルドレイクへのインタビューやCRISPR-Cas9にまつわる話、アンドレア・ウルフの『フンボルトの冒険―自然という<生命の網>の発明』の一部抜粋、畑中章宏による柳田国男とバシュラールをめぐる話など。

 人工知能とバイオが恐るべき発展を遂げる時代に、バシュラール的なもの、「科学と詩学の融合」的なものの復権を!という主張は素晴らしい。とはいえ、いかにそれをアナクロにしないかが問われる。新しい科学と新しい詩学の融合が求められている。

 メッセージは「オルタナ・ファクツ」なんて蹴とばして、「オルタナ・サイエンス」に行こうぜ!というところか。

 おっと!3月1日のDOMMUNEに村上陽一郎とWIRED編集長が出演するみたい。

 文中敬称略。



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