DVD『雨に唄えば』 

『雨に唄えば』のDVDを借りて視聴。
『ラ・ラ・ランド』(→ブログ)を観て、昔のミュージカル映画をあらためて見直したくなったのだ。大昔に一度ビデオでみて、雨の中で傘を差し、バシャバシャと雨水を撥ねあげながら踊るジーン・ケリーの姿が目に焼き付いたが、その他のディテールはすっかり忘れていたため、新鮮な気持ちで見ることができた。

 ミュージカル映画といえば、バックステージものが多いという事実が興味深い。ちょっと調べたところ第2次世界大戦前だけでも『四十二番街』(→wiki)や『フットライト・パレード』(1933)、『ショウボート』 (1936年)、『有頂天時代』(1936)などがある。
 これは、登場人物が唐突に歌ったり踊ったりすることに少しでもリアリティをもたせる配慮から来るのか、あるいは、ミュージシャンやダンサーの生涯を描こうとすると、自然にミュージカルになってしまうということか。

『ラ・ラ・ランド』と『雨に唄えば』は、主な舞台がLA/ハリウッドという点で共通する。そして、『ラ・ラ・ランド』が現実のLAに乏しい「四季」を描いたように、『雨に唄えば』もまた、現実のLAには滅多に降らない「雨」をテーマにした。サイレントの砂漠に奇跡的に降り注いだ、トーキーという恵みの雨だ。

『雨に唄えば』は、『ジャズ・シンガー』の大成功でハリウッドに起こったトーキー革命をめぐる映画界のドタバタ騒ぎを描いている。その意味で、ミュージカル映画の伝統を引き継ぐバックステージものであり、同時にハリウッドの自己言及映画でもある。

 あらすじはこちら(→wiki:雨に唄えば)。

 本作に描かれる通り、トーキー革命の影響は、現在では想像できないほど大きかった。

 世界的に見ると、1910年代前半までの映画は、フランスとイタリアの制作会社が最も優れていると言われていたが、第一次大戦中にヨーロッパで映画の製作が中断されたことで、ハリウッド映画は動員的に世界を席巻するようになる。映画産業は、(誇張もあるが)当時のアメリカで4~6番目に大きな産業と呼ばれることもあった。

 とはいえ、1920年代のハリウッドは順風満帆というわけでもなかった。人気コメディアン、ロスコー・アーバックル(→wiki)のスキャンダルによって道徳的な非難が相次いだこともあるが、人びとの娯楽の幅が拡大したことも大きい。
 1910年代にT型フォードの大量生産システムが確立し、自動車は労働者階級の家族でもローンを導入すれば手の届くものになった。遠方の街と街を結ぶ道路が瞬く間に整備されていった。それだけではない。ただただ風景を楽しむためだけの景観道路まで整備されていった。
 また、1920年には商業ラジオ放送が始まった。アメリカにおけるラジオ受信機の所有世帯数は、1919年に6万だったが、1922年には1000万!世帯にまで急増した(『音楽の進化史』第7章)。ラジオは大衆音楽を広め、蓄音機やレコードが無数に売れた。
 映画は大衆の限られた余暇時間と可処分所得をめぐって、それらと競争しなければいけなくなった。

 そうしたメディア間競争が激化するなか、映画を救うべく、文字通り「鳴り物入り」で登場したのがトーキーだった。
 言い換えるなら、この時代に蓄音機やラジオによって大きく開花した大衆音楽文化に後れを取ってはならない、という思いから誕生したのが、トーキー映画だとも言える。

 ワーナーは、すでにブロードウェイで人気を博していたエンターティナー、アル・ジョルソンを起用して、『ジャズシンガー』を大成功させた。

 それまでのサイレント映画では、ある男優・女優がスターになれるかどうかは、彼/彼女の視覚的イメージ――顔やスタイル、身のこなし――をめぐる映画関係者や観客の評価によって決定された。
 ところが、トーキーの登場によって、これに声の魅力や歌唱力が加わったのだ。
『雨に唄えば』では、声も性格もよくないのに、ルックスだけでスター女優となったリナ(ジーン・ヘイゲン)が憎まれ役として登場する。さらに、発音を改善するために、専門のヴォイス・トレーナーが活躍する様子まで描かれる。

 トーキー革命は、映画に声と歌と音楽をもたらしただけではない。効果音という無視できない大きな要素をも同時にもたらした。歌や音楽は観客に喜びや哀しみといった感情を与え、効果音はおもにショックや不安、緊張感を与えた。

 ワーナーでサム・ワーナーとともにトーキー路線を推し進めた映画プロデューサーのダリル・ザナック(→wiki)はこう言ったという。
「映画の中で男が拳銃を撃つと、バーンという音がする。弾が壁に当たると、バシッという音がする。弾が胸に当たり、胸を撃ち抜くと、ブスッという鈍い音がする。観客はひとり残らず、その迫力に息を飲むぞ」(『アメリカ映画の大教科書』井上一馬)。
 そういえば、『ラ・ラ・ランド』(→ブログ)でも、車のクラクションやスマホの着信音、煙検知器の音が強調されていたことが思い出される。

 トーキー革命は映画を極めて豊饒なものにした。
 しかし、それは同時に多額の資本投資を要請するものだった。全国に多数ある映画館に、高額なサウンドシステムを設置しなければならなかったからだ。

 1929年10月の株価大暴落を引き金に、世界恐慌が始まった。1930年の劇場入場者数(アメリカ)は1929年を上回ったが、31年には利益が急減し、33年には景気のどん底に落ち込み、全米の劇場の3分の1近くが休館したという(『アメリカ映画の文化史』下巻p12)。映画興行は翌34年に息を吹き返すが、この時代に映画製作の権力構造は大きく変わった。

 フランス革命がナポレオンの独裁に、ロシア革命がスターリンの独裁に道を拓いたように、トーキー革命(及びそれに重なる大恐慌)もまた、モルガンやロックフェラーら最強の金融勢力によるハリウッドの支配に道を拓いた。

 録音プロセスの開発に最も注力したのはワーナーとフォックスだが、30年代の法廷闘争の末、音響技術の支配権はウエスタン・エレクトリック(モルガン資本のAT&T(→wiki)傘下)やRCAフォトフォン社(ロックフェラー系のRCA(→wiki)傘下)が握ることになった。
 また、この時期(30年代初頭)の財政危機の間に、モルガンの金融会社とロックフェラーのチェース・マンハッタン銀行が、いくつかの撮影所を一時的に接収し、多くの株式を手に入れて製作会社に対する強い影響力をもつに至った。

 1920年~30年代にかけて大きく膨張した(主に)ユダヤ系資本に対し、労働者の解放を標榜したソ連が、スターリンのもとで世界革命を旗印に影響力を伸ばした。ナチ・ドイツもまた、金融資本主義と共産主義という二つの悪魔的な普遍主義を唱導したとして、ユダヤ人の絶滅を唱えて勢力を拡大した。行き過ぎたグローバリズム(金融資本主義、インターナショナリズム)は、過激なローカリズム(ファシズム、ナチズム)を召喚する。

 トーキー革命がもたらした、映画の黄金時代と呼ばれる1930年代とは、こういう時代だった。

 参考文献:
 『アメリカ映画の文化史』ロバート スクラー(著)
 『アメリカ映画の大教科書』井上一馬(著)
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