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映画『リチャード・ジュエル』 

 北九州市の旦過市場(→ブログ)に近い小倉昭和館で、クリント・イーストウッド監督の『リチャード・ジュエル』をみる。

 概要はこちら(→wiki )。

 おもな舞台は1996年のオリンピック開催中の夏のアトランタだ。

 たしか97or98年に会社の出張で当地を訪れたことがある。先輩の駐在社員が、取締役たちが用もないくせに出張してきてオリンピック会場の座席予約やアテンドで全く仕事にならなかったとグチをこぼしていたので、確かその頃だろう。観光する時間がなかったため当地の印象は全くないが、訪問先のディーラーでサービスマンが座ったまま宙に浮いていたのを見てびっくりしたのをおぼえている。よく見るとそれは、彼が驚愕するほど太っていて、腰を下ろしたスツールがこちらから見えなかったせいだった。それ以来、アトランタの個人的イメージは、コカ・コーラの本拠地ということも手伝って「肥満都市」だ。駐在経験のある南カリフォルニアではあそこまで太った例は見たことがなかった。当時のアメリカでは、「セルフコントロールができてない」という理由から、人種差別より体型差別のほうがクローズアップされていたような気がする。

 本作では、身体スポーツのヒーローたちが世界じゅうから集まるオリンピックの時期に、小さなヒーローを夢みて躍起になるアトランタの普通の人びとを描いている。FBIに憧れて観客を爆発テロを未然に阻止しようと躍起になる主人公、一転容疑者となった主人公を救うために立ち上がる知り合いの弁護士、「犯人が興味深い人でありますように!」と祈り、スクープが欲しいばかりにFBI捜査官から情報を得るため枕営業的な振舞いに走るローカル新聞社の記者……。

 ハリウッドでは伝統的にヒーローが活躍する映画が大量に作られてきた。ただ、今世紀に入って目立つのは、ヒーローまたはヒロイズム(英雄主義)とは何かを抜本的に問い直すような映画が増えてきたことだ。MCU(→wiki)にもその傾向があるが、クリント・イーストウッドは自身がダーティー・ハリーというヒーローでありアンチヒーローでもあるアイルランド系の刑事役で出世したこともあって、前世紀から率先して多くの映画で英雄主義を問い直してきた。近年で言えば、『アメリカン・スナイパー』(→ブログ)では、天才的スナイパーとして対イラク戦で活躍する一方で、心が壊れていく主人公を描いたし、『ハドソン川の奇跡』では迅速な判断で乗客を救った機長がヒーローとして持ち上げられた後、事故調査委員会の調査で疑惑の対象となる。『15時17分、パリ行き』では、電車に乗り合わせた3人の若者が銃乱射に巻き込まれて「偶然」ヒーローとなり、『運び屋』では、時代の変化に気づかぬままいつのまにか最高齢のアンチヒーローになってしまった男を描いていた。

 本作では『ハドソン川の奇跡』のパタンを踏襲しているが、今回の主人公は、航空機の機長のようなエリート的な専門職ではなく、法の執行官であることを誇りとして将来的にFBI職員になることを夢みる警備員。その彼が爆発物発見のヒーローとして持ち上げられながら、FBIから爆発犯として容疑をかけられる。前年に起きた、アメリカ国内で9.11以前、最悪の犠牲者数を出した爆破テロ、オクラホマシティ連邦政府ビル爆破事件(→wiki)で、犯人のティモシー・マクベイが孤独そうな白人警備員だったことが、FBIのリチャードに対する容疑を促したのだろう。wiki20200704によると、マクベイはアイルランド系カトリック教徒(おっと!)で、「ミリシア」という白人至上主義者の民兵組織に影響を受けていた。彼らは当時の民主党クリントン政権がアメリカ人から銃を取りあげるのではないかと不安をおぼえていた。

 アトランタは南部の大都市で、手元にちゃんとしたデータがないが、人口比率で言えばたしか、黒人が50%を超えていたのではなかろうか。暗殺されたマーティン・ルーサー・キングJr.の生誕地でもある。なのに、映画では黒人がほとんどキャスティングされていない。大勢の人が映る場面でも、黒人の姿はカリフォルニア並みに少なかった。居住区がくっきりと分かれているせいかもしれないが、実際に近い時期に当地を訪ねた者としては、あきらかに不自然に感じた。

 しかし、ではイーストウッドを含む製作サイドが単純な白人至上主義者か?というと、そうは思わない。理由はそのキャスティングにある。

 主人公のリチャード・ジュエルは、ブラック・クランズマン(→ブログ)でKKKメンバーのアイヴァンホーを演じたポール・ウォルター・ハウザー。

 リチャードの古い知り合いの弁護士を演じるサム・ロックウェルは『アイアンマン2』のジャスティン・ハマー役として知られるが、『スリー・ビルボード』(→ブログ)では、レイシストの母親と二人暮らしの若い巡査を演じた。今回は母親と二人暮らしのリチャードを無実の容疑から救う側に回った。

 以上のキャスティングに対して少しばかり想像力を働かせただけでも、イーストウッド監督の絶妙の政治感覚と、「アメリカ白人のどうしようもなさ」に対する苦い思いを感じるだろう。映画は決してリチャードをレイシストとして描いていない。むしろ、アゲるときもサゲるときも極端に騒ぎ立てるマスコミや、あからさまにリチャードを見下し、誰が真犯人か、よりも容疑者をただちに検挙できる当局の威信維持を重視する無能なFBI捜査官たちの問題を際立たせている。黒人があまり映っていないのは、リチャードの目に映る世界が、本映画のように白人しか映っていない世界だったから、とも解釈できる(ただ、それ自体が黒人たちの苛立ちを招くことにもなるのだが)。

 ちなみに、リチャードの母親役はキャシー・ベイツ。聞き覚えのある名前だなぁと思って確認したところ、ロブ・ライナー監督の『ミザリー』の主演でアカデミー賞主演女優賞をとった人。ほかにもウディ・アレンの『影と霧』や『ミッドナイト・イン・パリ』、その他『タイタニック』や『アバウト・シュミット』等に出演。

  ローカル新聞社の記者を演じるのはオリヴィア・ワイルド。母親は60ミニッツのプロデューサ兼ジャーナリストで、父親もwikiに載るくらい有名なジャーナリストらしい。 『her/世界でひとつの彼女』(→ブログ)で主人公のブラインド・デートの相手役として出演。

 FBI捜査官の一人は、『コングレス未来学会議』(→ブログ)でディラン・トゥルーリナーを演じたジョン・ハム。もう一人のディラン・カスマンは、『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』 (→ブログ)の脚本家。ユニバーサルのダーク・ユニバース・シリーズ(→wiki)は本作の第一作だけで頓挫した。

 い、いや……すべてのキャスティングに意味が込められていると思ってるわけではない(笑)。



 余談だが、今回の東京都知事選に立候補した面々(→wiki)をみると、全員確認してないが、東京都出身者は小野泰輔氏だけではないか。日本では英雄主義を問い直す以前に、東京都民の英雄主義の絶望的欠如を心配した方がよさそうである。

 この日みたもう一本は、タイカ・ワイティティ監督の『ジョジョ・ラビット』(→wiki)。ナチス映画はもう、too muchと思っていたが、なるほどこういう描き方もあるなぁと感心。いまどきはボクちゃん的ネオナチが増えてきたという認識が反映されてるのかな。サム・ロックウェルがこちらにも出演(全く気づかんかった!)。トーマシン・マッケンジーが儚げでカワイイ。エンディングに引用されるリルケの詩の一節「すべてを経験せよ 美も恐怖も/生き続けよ 絶望が最後ではない」がすべてを物語っている。

 小倉昭和館はコロナの時代でも、ちゃんと少し前の良質の映画を上映してくれる。小さい2番館のほうだったのでちょっぴり警戒したが、ちゃんと体熱測定やアルコール消毒、座席の間隔空けもやっていた。観客のなかにも咳をする人やおしゃべりをする人はいなかった。
 こういう貴重なシネマ館はぜひ残って欲しい。女性が映画の合間にサンドウィッチやお菓子を籠に入れて売りに来てくれる。さらには口頭で今後の上映予定やイベントのお知らせをする。こうしたものも含めての映画文化だ。コロナごときで映画館文化を絶やしてはならない。

 昭和館に来たときは必ず食べる旦過市場のカナッペもアツアツで旨かった!

【追記2020.7.6】
 東京都知事選の結果が出た。『女帝』がベストセラーとなり、ネットではその都政に不評な意見が目立った小池百合子が約370万票。宇都宮健児が84万、山本太郎が65万。この二人の得票数合計約150万は、2016年都知事選(→ wiki)の鳥越俊太郎の得票数135万にざっくり近い(上杉隆票を加えると同じくらいか)?。

 何の気なしに小池百合子wiki(2020.7.4)をみて少し驚く。百合子パパはスメラ学塾(→ブログ)のメンバーだったのか。まぁ、かつて『噂の真相』誌でもいろいろ囁かれていたような気がする。肉親の影響がどこまで及ぶかはさておき、やはり、アメリカだけでなく日本でも「結社研究」は重要だ。

 文中敬称略。

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