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坂出人工土地 

 以前にメタボリズム関係の本を読み、「坂出人口土地」の名前が記憶に鮮明だったため、瀬戸内国際美術祭の会場の一つ、沙弥島及び四谷シモン美術館とあわせて訪ねてみた。

 坂出市は、香川県中央に位置する人口約5万5千人の市である。猪熊弦一郎現代美術館のある丸亀市とは駅間で10キロも離れていない(高松からは約30キロ)。wikiによると、人口推移のピークは70年代半ばでその後減少の一途を辿っているが、製造品出荷額等は2010年でも約7600億円で、四国全体で今治市、西条市に次ぐ第3位の規模だ。
 本四架橋の一つ、瀬戸大橋は岡山県倉敷市と坂出市を結んでおり、かつてはストロー化現象がメディアで頻繁に取り沙汰されたが、架橋前に想像されていたほど際立ったストロー現象はなく、交流人口は確実に増加したと言われている。
 坂出は丸亀とは反対に、街の中心部が鉄道駅の北側に広がっている。駅前のアーケード商店街は、他の多くの地方都市と同様、シャッター通りと化している。

 菊竹清訓、槇文彦らとメタボリズムを牽引した大高正人による人工土地は、コンクリートの人工地盤でプラットフォームを築き、その上部に公営アパートを建て、床面下の道路側を店舗群、反対側を駐車場にしたものだ。

 坂出人工土地は、駅の北側の1ブロック先に広がっている。
 坂出人工土地2 坂出人工土地9
 目抜き通りを北へ歩くと、人工地盤のせり出した辺縁部が片側アーケードを形成し、大衆酒場やカラオケ喫茶、ベーカリーショップ、米屋等が並んでいる。

 裏手に回ると縦横にトンネルが伸び、店舗のための搬入路となっている。無数のトンネルに貫かれたメキシコの鉱山都市グアナファトに比べると極めてシンプルだが、多孔質の空間は人工土地の立体性を際立たせる。
坂出人工土地3 坂出人工土地4

 トンネルそばの階段を上って人工地盤上に出ると、低層の箱型アパートの棟が群れをなして立ち並んでいる。群造形のリズム。
坂出人工土地6 坂出人工土地5
 コンクリートで囲まれた区画は、住民たちのささやかな菜園・花壇となっている。

 坂出人工土地は現代の豊饒な美的建築と比べると、あまり見映えがしないようにみえるが、日本の建築史上きわめて重要な存在である。
 人工土地は50年代後半~60年代にかけて研究された。人口減少を憂うる現在では想像しにくいが、当時は将来的な人口爆発が懸念され、「発展の当然の帰結」として生じる「絶対面積の不足」をカバーするため、建築学会の「人工土地部会」を中心に人工地盤の研究がおこなわれた。

 花輪亘の『都市と人工地盤』によると、海外では19世紀後半までに数種類の近代的人工地盤が考えられたが、特にコルビュジエが、パリの都市計画(300万人のための都市)[1922]等の提案等をおこなったことで、各地で人工地盤の開発が行われた。
 国内ではコルビュジエに師事した吉阪隆正が1954年に「個と集団の利益の境界線としての住居」という論文で最初に人工地盤の概念を打ち出し、公営の人工地盤を提案している。
 大高正人は50年代後半からさまざまな形で人工土地を提案した。それらは、1858年の菊竹清訓による「塔状都市」「海上都市」、59年の磯崎新による「新宿計画」、黒川紀章の「新東京計画・ヘリコイド」、60年の丹下健三による「海上都市1960年計画」等と同じく、既存の土地からの脱却を企てるものだった。
 これら「空中都市」と「海上都市」は、八束はじめ『メタボリズム・ネクサス』に言わせると「敗戦によって近隣諸国への侵略がもはや不可能になった日本が進出出来るただ2つの領域であった。この地点において、建築的なヴィジョンは軍事力にとって代わるのである」。
 1961年には大高正人・槇文彦等が現在の人工地盤概念の基本型となる構想を打ち出し、土地の権利概念や経済面にまで踏み込んだ多角的な検討をおこなった。これを受け継ぎ日本建築学会・都市計画部会がまとめた「人工土地――成立条件,効果および計画」(1963年)を具現化したものこそ、この坂出人工土地にほかならない。

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 坂を通じて車が人工地盤上にあがれるようになっており、駐車スペースもいくつかある。段状に並んだ住宅の構成は、下にある市民ホールの劇場型の構造に由来しているようだ。

 坂出人工土地は、スラムクリアランス――つまり、老朽化した住宅密集地を公共団体が土地ごと買収して老朽住宅を除却し、整地した後に公共賃貸住宅を建設してもと住んでいた地区住民に低家賃で居住させる事業――としておこなわれた。
 国土技術政策総合研究所の研究報告第11号「立体基盤建築物を成立させる法制度の研究」(2003年3月)の補章「坂出市人工土地の調査」によると、人工地盤下の道路に沿った店舗(の多く)は民営地であり、坂出市は存続期間を70年に設定して「屋上権」を地権者から購入したという(屋上権は法律上の権利ではなく契約に基づくもの)。
 人工地盤の所有権は坂出市に帰属するという暗黙の了解があるが、人工地盤の構造体は下部の店舗としても構造体として利用されており、人工地盤の建設費の20%を地権者が負担していることを考えると、グレーゾーンが横たわっている。

 坂出人工土地は日本の人工土地の「発祥地」だが、完成時期からすると東京・渋谷の宮下公園(1966年)の方が早い。
 宮下公園といえば、2009年~10年にかけて再整備をめぐり論争が巻き起こった。いわゆる「宮下ナイキパーク問題」である。これは屋上権/空中権の問題とは異なるが、ある意味「スラムクリアランス」の問題を匂わせる。日本における人工土地の発祥地が、いずれもパブリックとプライベートの問題を考えさせる空間であるのは興味深い。
 大高正人は、広島の基町再開発(もと原爆スラム)でもスラムクリアランスに深く関わっている。2009年にYCAMで観た松田正隆/マレビトの会によるPark Cityでは基町アパートが重要な役割を果たしていたのを思い出す。

 21世紀に入った頃からだろうか、少子高齢化や中心市街地の空洞化現象を受けて「コンパクトシティ」構想が取り沙汰されるようになってきた。60年代の人工土地は人口急増予想を背景に考えられたが、現代の鉄道駅を中心としたコンパクトシティにも親和性がある(駅前の面状デッキならすでに各地で見られるし、大阪ステーションシティのような大規模な成功例もある)。地盤を持ち上げて、自動車や駐車場、あるいは電柱といった景観を遮るものを覆い隠す手法は、今後の都市再開発でも検討・採用されることだろう。

元町商店街
 四谷シモン美術館に向かうため、横断歩道を渡って元町のアーケード街に足を踏み入れる。「坂出人工土地」について考えながら歩いていると、YCAMのワークショップで参加したPortB「山口市営P」の記憶がよみがってきて、あれはやはり実に考えられていたなあと思った(もっと積極的に参画してディープにリサーチすればよかった^^;)。そういえば、リサーチの過程で名前を知った、商店街アーケードの施工で有名な神村鉄工は、同じ四国の今治市にある。戦後建築の代表たる丹下健三も、父親の実家のある今治で少年時代を過ごしている。瀬戸内には建築史・都市計画史に深く刻まれた「痕跡」が数多く存在する。
 当時はPortB『サンシャイン60』から着想して、山口市が岸信介の生誕地だったことから、岸家の実家である田布施町―石城山―友清歓真―霊的国防―三島由紀夫『英霊の聲』、さらには壮大な「偽史的想像力」の所産「大室天皇」伝説にまで風呂敷をひろげたツアーパフォーマンスを夢想したものだ。
 PortBの高山さんにはこの際、「空の権利」と題した坂出を舞台としたツアーパフォーマンスを提案したい。坂出市または瀬戸内国際芸術祭の担当者は、高山さんに依頼するよーに(勝手なこと言ってるなーw)。

(以上、敬称略)
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