路上と観察をめぐる表現史 ──考現学以後@広島市現代美術館 

広島市現代美術館top1 広島市現代美術館top2
 広島現代美術館で『路上と観察をめぐる表現史 ──考現学以後』展を観た。
 考現学の祖とも言うべき今和次郎の活動から現代まで続く「いま」を描き出す試み、「採集―記録―標本化―表現」の歴史を綴る展覧会である。
 今和次郎らは1923年の関東大震災後に簇立した震災バラックの研究をきっかけに、蟻が50センチ角の中を30分間うろついた軌跡を描き、某食堂の茶碗のひび割れを一つ一つ標本化し、学生の持物全品調査を実施し、労働者の露台利用休息状態を調査し、深川貧民窟附近の風俗を採集した。
 1927年10月15日~21日まで新宿角筈(かつて付近に住んでたなあ)の紀伊國屋書店で開かれたしらべもの[考現学]展覧会目録によると、ほかにも某新婚家庭物品一切、1926年銀座カフェ女給の服装、日本各地のゴミ箱採集などもおこなっている。現代の「女子高制服百科」や「美少女図鑑」の類、あるいは2010年に殺された村崎百郎の所業などはすべて今和次郎が生み出した子どもたちのようだ。
 
 今和次郎等による、あまりにもはかない「今―いま」を記録にとどめようという意識は、関東大震災による喪失感を背景にしているように思われる。近代化に従って周囲に蔓延しつつあった人工物や都市風俗がいとも簡単に灰燼に帰すという現実認識が、記録への意思を生んだと言う解釈は、あながち的外れとも言えない。
 しかし、ならば東関東大震災を経験した現在はどうだろう。現在の日本は、1920年代と比較して人工物の点数は桁外れに膨大化し、デジカメやICレコーダーなど記録装置も氾濫し、だれもがたやすく記録・採集・表現できるようになった。人力をほとんど使わず大量に採集された「ビッグデータ」は、統計的・数理的処理され確率論的に意味づけされるのを待ちながら、膨張を続けているだけである。
 現在、総務省や経産省が音頭を取って、公共データのオープン化が推進されつつあるが、有用性原則に従ったものだけでなく、想像力次第でどんな意味付けも可能になるようなお茶目な視点も取り入れた方が良い。その意味でも今和次郎をはじめとする考現学をいま見直してみるべきだろう。「井の頭公園の自殺者分布図」という好例があるし。
愛友市場1 愛友市場2 トンネル1

 続いて戦後50年代における岡本太郎の『藝術風土記』や宮本常一の活動、『乱歩と東京』等の都市論的な著作で知られる松山巌が60年代後半、東京芸大時代に井出建、元倉眞琴と結成した「コンペイトウ」によるフィールドサーベイ―東京下町のファサード調査、60年代末~70年代初頭の「遺留品研究所」の活動。
 なかでも武蔵野美術大学磯崎新ゼミの学生による「遺留品研究所」の活動には特に惹かれた。メンバーは大竹誠、中村大輔、村田憲亮、真壁智治。「現象としての建築雑誌」をサブタイトルとした1972年創刊のTAU(TRANS-ARCHITECTURE&URBAN,商店建築社)には、先の「コンペイトウ」や「遺留品研究所」のメンバーがさかんに寄稿した。このTAUの編集長を務めたのは、伊予三島市出身のSF作家・評論家の石川喬司。メタボリズム・グループを国家権力寄りと位置づけ、そのアンチテーゼたらんとする姿勢が見て取れる。
 「遺留品研究所」は既存の都市建築や構築物を「都市化―死」を検証するための「遺留品」ととらえてさかんに観察・採集活動をおこなった。
 建築雑誌「都市住宅」(鹿島出版会)に寄せられた「URBAN COMMITMENT」には「日常生活をとりまく人工物を都市空間というメディアを介して意味を生成する記号としてとらえて観察者と対象物との関係にもイルティションの総括として、物化された意味の体系が重畳する〈都市現実〉」とか「レオナルド・リッチはいう「建築の解体」ではなく「建築家の解体」なのだ、…(中略)…肉体を犯す建築…(中略)…恐怖感を伴わない共同規範など信じられない。ましてや物質、肉体、空間を遥かに凌駕し呪縛してくる国家権力のコンテクストに対峙する真の力を如何様に獲得してゆくことができうるのか」などというテクストが躍っている。記事の中に「メンバーの中村大助は不慮の事故で5月21日午後10時6分逝去された」とあるのは当時を知らない者には事実なのか悪い冗談なのか判断に迷ってしまう。いずれにせよ現在の建築学の学生は彼らのアジテーションをどう読むだろうか、ちょっと尋ねてみたい気がする。  メンバーの真壁智治はその後、アーバン・フロッタージュという、道路やマンホールの蓋、建物の壁などに紙をあて、上から鉛筆等で擦って都市のテクスチュアを採集する活動をおこなった。
 ネットによるとメンバーの大竹誠は長らく東京造形大学の教師を務めた後、(たぶん)伊東に居住して2010年12月に文学者の長沼行太郎、デザイン評論家の柏木博、写真家の飯田鉄、建築評論家の小林一郎らと「ガード下学会」を設立した模様。今後の活動に要注目。
広島市現代美術館6 広島市現代美術館5 広島市現代美術館3

 続いては70年代以降の超芸術トマソン―赤瀬川原平らの路上観察学会。現在でも数多くの建築書を著述する藤森照信やイラストレータの南伸坊、林丈二、編集者の松田哲夫が中心となって、荒俣宏や四方田犬彦、杉浦日向子、漫画家のとり・みきなど著名な作家も参加したことは記憶に残っている。


 その後は大竹伸朗の仕事や都築響一の『珍日本紀行』。都築響一はアウトサイダーアートが日本に普及する原点をなしたと言っても言い過ぎではない。その活動はウル「アート」、アートの「原初」を採集する試みであり、アートの発生機序を考察する試みである。今回の展示では正観寺(徳島県牟岐町)の八大地獄、和歌山の淡島神社、鳥羽の国際秘宝館・SF未来館が旅心をくすぐる。

 アトリエ・ワン+黒田潤三もチーム・メイド・イン・トーキョーで考現学的活動をおこなっている。
広島1304a 広島1304b 広島1304c

 最後は下道基行。「戦争のかたち」で戦時の防弾施設トーチカの写真を集めたことで注目された若手作家で、実は2009年7月の日蝕の際に接点がある。70年代までの考現学がもつ暑苦しいまでの「これでもか」感はなく、あくまでもクールな「採集行為」だが、確かになるほど言われてみると「考現学の血筋」と位置づけられないこともなさそうだ。

 この展覧会の図録はなかなか「読ませる」。「図録」というより、贅沢なムック本のような、「一つの書籍」として編集されている。編年体を基調としている点は、奇を衒ったキュレーションより間口が広く入りやすい。  田中純の「路上の系譜──バラックあるいは都市の忘我状態」や福住廉の「観察者の歴史と戦後美術の歴史──現代美術の民俗学的転回へむけて」はぜひ読むべきだろう。

 今回の展覧会によって、(恐らく一時の気の迷いだろうが)自分がWEBでおこなってきた諸活動も「アート」とまでは到底いかなくとも、定義次第で「アウトサイダー・アート」の一変種くらいにはカテゴライズできそうな^^;、「自信」めいたものが湧いてきた。まあ、それにはもっとオブセッションが欲しいところだが。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://travis7.blog54.fc2.com/tb.php/268-b2832497