エンゲルバートが亡くなった。 

 ダグラス・エンゲルバートが亡くなった。
 一般にはパソコンに使われるマウスを発明した人として知られるが、マウス以外にもGUIやハイパーテクスト、さらには今世紀に入って俄然注目を集めてきた「集合知」まで射程に入れて仕事をした人でもある。追悼の意を込めて彼の足跡をたどることで、広義の「集合知」のインフラとしてのPCネットワークの歴史を簡単におさらいしてみるのもいいかもしれない。

 エンゲルバートはオレゴン州立大学に進学した後、アメリカ海軍に入隊し、フィリピンでレーダー技師として2年間働いた。米国の勝利(=日本の敗戦)が決定的になったとき、さてこれから何をしようかと考え、たまたまた当地で読んだ雑誌LIFEに紹介されたヴァネヴァー・ブッシュの有名な論文「As We May Think」の内容に衝撃を受け、コンピュータ研究者への道を歩み始める。
 ブッシュはコンピュータ・ネットワークの歴史を語る上で誰よりも欠かせない人物だ。1919年にMITで微分解析機を開発し(クロード・シャノンは当時の教え子)、30年代末には全米の研究体制に強い影響力をもつ米国ワシントン・カーネギー研究機構の総長職にまで上り詰めた。ナチスドイツの技術的・軍事的台頭に対抗するという名分もあって、ブッシュはルーズヴェルト大統領の非公式の顧問として、原爆開発のマンハッタン計画に代表される軍産学の密接な協力体制を築いたと言われている。

 ブッシュは「As We May Think」で、現代にも通じる専門分野の細分化と出版物や紙に記録された情報の膨大な集積を目の当たりにして、必要な情報にたどり着くための検索手法を問題視し、索引ではなく連想による選択を機械化するMEMEX――MEMory EXtender (記憶拡張機)を構想した。それは項目同士が網の目のように関連付けられた全く新しい「百科事典」を配備しており、今日のインターネットのWebやWikipediaを連想させる。また、脳神経と機械装置とを直接つなぐブレイン・マシン・インタフェースのようなものまで構想している。ジュール・ヴェルヌやハックスリーに代表されるように、欧米には未来の具体的なビジョンを真剣に描こうとする知的伝統がある。ましてや全米の研究体制の方向付けに決定的なブッシュの構想となると、研究者に与える影響は絶大である。
 エンゲルバートの他にも、音響心理学出身で1960年にMan-Computer Symbiosis―人類とコンピュータの共生――という重要な論文を執筆し、アメリカ国防総省国防高等研究計画局 (ARPA)で IPTOの初代部長となるJ・C・R・リックライダー、同じくIPTOの部長を務め、パロアルト研究所の計算機科学研究室(CSL)の設立等に深く関与したロバート・テイラーに大きな影響を与えた。なお、ブッシュはその後、軍産学の協力関係を維持するための機関、米国科学財団(NSF)を設立する。

 エンゲルバートはブッシュの論文を読み、一般にはただの数理計算の機械としか映っていなかったコンピュータに対し、人々がディスプレイを通じて無限の情報空間を駆け回り、対話を重ねて重要な課題を解決するという集団的知性の未来を感じ取る。そこで、UCバークレーの大学院に進学し、CALDIC(California Digital Computer)というコスト低減と操作の容易性を基本理念とした初期のコンピュータの構築に関わる。1955年には博士号を取得し、57年にスタンフォード研究所(のちのSRIインターナショナル)に就職する。

 そこで彼はかねてから温めていたビジョンをAugmenting Human Intellect: A Conceptual Framework(人類の知性の増強: 概念的フレームワーク)と題したレポートにまとめ、1962年に発表。このレポートで彼は、IA、つまり人の知能増幅(Intelligence amplification)であることを前面に押し出している。これは1956年にジョン・マッカーシー(両親が共産主義者で人工知能アプリに多用されるLISP言語の開発者でミンスキーと並ぶ人工知能の父)が有名なダートマス会議で命名した人工知能(Artificial Intelligence)とは異なるアプローチであることを示している。人工知能が、コンピュータが人間と独立し人間のように思考するにはどうすればよいかという目標のもとで進められたのに対し、あくまでも主体をヒトに置き、その知性を増強するためにコンピュータはどうあるべきかという方向で考えたのであり、概念の枠組みそのものが異なるというのだ。
 エンゲルバートは人が問題解決を目標とした能力増強手段を人工物(Artifacts)、言語(Language)、方法論(戦略や手続き_Methodology)、訓練(Training)の4つに分類し、H-LAM/Tシステム(Human using Language,Artifacts,and Methodology, in which he is Trained)を想定、その「相互作用的全体」の研究を目指した。知能とは主に「組織」と関連が深くシナジー(相乗効果)的な現象だと考えるとともに、人の抽象的思考を概念操作・シンボル操作として、サピア=ウォーフ仮説(つまり、使用する言語が人の思考に大きく影響するという説)を引き、知的活動能力はその進展過程において、個人がシンボルの外部操作を統御する手段によって直接影響を受けるというネオ―ウォーフ仮説を唱える。この場合、シンボルの外部操作とは、たとえば個人の記憶力や視覚能力を補うために紙や鉛筆、定規等の人工物を用いて図的表現をおこなうことだ。このような、いわば人と人工物の共進化的プロセスが、人の問題解決能力を高めると考えたのだ。

 ちなみにリックライダーの「人類とコンピュータの共生」では、あくまでも人を主体にした知能増幅でも機械が知性面で人を遥かに凌ぐ未来を描く人工頭脳でもない、人とコンピュータの役割分担を熟慮した緊密な共存関係を強調する。「人工頭脳には身体性が欠かせない」とするロドニー・ブルックスに代表される身体性人工知能が注目を集める現代では、リックライダーのビジョンの方に未来のリアリティを感じるだろう。しかし、それらはあくまでアプローチの違いであり、どちらかに軍配を上げるという性格のものではない。

 エンゲルバートは、翌年の1963年に自分のビジョンをより具体的に表すため、CRTディスプレイとキーボード、マウス、コードキーセットを利用するテキスト編集システム、NLS(oNLine System)の論文を執筆、研究資金の援助を求めて多くの機関に提案書を送った。
 一方、リックライダーは、同じ1963年にARPAでIPTOを率いるにあたって現在のインターネットを構成する多くのアイデアを編み出していた。彼は自分のビジョンの具体化に欠かせない対話型コンピューティングを実現させるため、パンチカードによるバッチ処理という従来のメインフレームではなく、ジョン・マッカーシー等が研究したTSS(タイムシェアリングシステム――1台のコンピュータのCPU処理時間を分割することで複数のユーザが同時にそのコンピュータを利用できる仕組み)の開発に積極的な資金援助をおこなった。その流れの中で、エンゲルバートの提案は、リックライダーとその後継者ロバート・テイラーの目に留まり、研究助成を受けることになる。エンゲルバートは、SRI内にAugmentation Research Center(ARC)を発足させ、チームと共にビットマップ・スクリーンや初期のGUI(グラフィカルユーザインタフェース)、マウス、ハイパーテキストといったインタフェース技術や「集合知」とも密接に関わるグループウェアの研究開発をおこなった。

 エンゲルバートの活動成果は1968年12月のコンピュータ会議 (Fall Joint Computer Conference)で大々的に発表された。そこで彼は、演台にカメラを2台置き、巨大なビデオスクリーンを背にして立ち、テキスト編集やリンク先へのジャンプ、ビデオ映像とテキスト表示の同時ウィンドウ表示をデモし、遠隔地にあるコンピュータ間でビデオカンファレンスが可能となると述べた。そのプレゼンはmother of demoと呼ばれてアメリカIT界の伝説となったのである。



 エンゲルバートやリックライダーほか、PCネットワーク前史を築いた重要人物を描いた本は『 ブートストラップ―人間の知的進化を目指して ダグラス・エンゲルバート、あるいは知られざるコンピュータ研究の先駆者たち』や『新 思考のための道具 知性を拡張するためのテクノロジー ― その歴史と未来』など数多い。『集合知とは何か - ネット時代の「知」のゆくえ (中公新書)』の西垣通が1997年に出した『思想としてのパソコン』には、上記のヴァネヴァー・ブッシュやリックライダー、エンゲルバートの論文のほか、チューリングやテッド・ネルソン、テリー・ウィノグラードらの重要な論文が収められている。(エンゲルバートのビジョンがカリフォルニアン・イデオロギーと結びついてパソコンの隆盛を導く経緯、そして、彼の「人類の知能増強の夢」がある種の「自己啓発」につながっていく経緯は次の機会に。To Be Continued)

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