狩野一信『五百羅漢図』展 

山口県立美術館
 山口県立美術館で増上寺秘蔵の狩野一信『五百羅漢図』展をみる。
 本展は2011年4月~7月にかけて江戸東京博物館で開催され、2012年には米国ワシントンDCのスミソニアン博物館群の一つ、Arthur M. Sackler Galleryでも公開され、ともに好評を博したと聞く。ちなみに東京での展示は当初、3月15日に始まる予定だったが、東関東大震災に伴う修繕工事のため、4月末からの展示に延期されたそうだ。
 昨年、カタール・ドーハのAl Riwaq Art Spaceで村上隆が縦3m×横100mに及ぶ『五百羅漢図』を展示したことが話題を呼んだが、村上本人も東京での本展が着想源になったと語っている。

 作者の狩野一信は文化13(1816)年、現在の東京都墨田区立川に生まれ、文久3(1863)年に没した幕末の絵師である。一信は嘉永3(1850)年の麹町大火で被災した源興院(増上寺子院)住職、了瑩の発願により、1854年に増上寺のある芝に移り住み、五百羅漢図の原図制作に取り掛かった。死者1万人を越える甚大な被害を及ぼした安政江戸地震は、翌1855年である。安政年間は大地震が頻発し、嘉永6(1853)年の黒船来航も伴って、自然も社会も「大揺動」の時代だった。一信はその激動の時代に約10年を費やして『五百羅漢図』に取り組み、96幅まで描きあげたところで力尽き、文久3年に亡くなった。残り4幅は妻の妙安や弟子の一純らが描いたものだ。
 五百羅漢とは、仏の入滅後におこなわれた経典の編纂会議――経典結集――の第1回と第4回に集まったと伝えられる500人の聖者を意味する。五百羅漢の信仰は、中国では、9世紀後半~10世紀頃、五台山を中心に盛んになり、日本でも、鎌倉時代頃から信仰がはじまり、全国各地で五百羅漢像がつくられた。九州では耶馬渓の羅漢寺・無漏洞の五百羅漢像が有名で、私も子どもの頃、目にした覚えがあるし、ほかにも東京・目黒の五百羅漢寺や岩手県盛岡市にある報恩寺で五百羅漢像をみたことがある。
 ヨーロッパではあまりに恐れ多い神の名をみだりに口にしないようにと、神と人との間にイエスをもうけ、イエスでもまだまだ恐れ多いと、さらにイエスと一般信徒との間に多数の聖者を設けて偶像崇拝を合理化したが、仏教圏では偶像(=媒介)崇拝を悪びれることなく導入し、ブッタもミロクもその弟子たちまでも偶像化したわけである。(この点で、最も厳しく偶像崇拝を禁じてきた中東イスラム圏の人たちが、自分たちの「近代化」を村上隆の「五百羅漢図」にどう重ね合わせてみたのか、興味深いところだ。

 縦172cm×横85cmの絵画が100枚立ち並ぶ姿は、圧巻の一言である。東京・芝の増上寺は、かつて勤めていた会社が近くにあったので、昼休みなどにときおり散歩したものだが、このような宝が眠っていたとは思いもよらなかった。1幅につき5人の羅漢が描かれるが、描きこまれる人の数はおびただしく、しかも着物の模様一つ一つまで細緻に描かれており、一本一本の描線にこめられた入魂のほどを考えると、途方もない想念の量塊に圧倒される。

 第21幅から第24幅までは六道地獄図絵である。
 第23幅で描かれる氷結地獄では、極寒で皮膚が爆ぜて生血を垂らす罪人がリアルに描かれ、無数の罪人が蟲のようにうじゃうじゃと蝟集しつつ落ちていくさまは、ヒエロニムス・ボスをはじめとする多くのキリスト教絵師が「最後の審判図」や「ヨハネの黙示録」をモチーフとして描いた地獄図絵を想起させる。第24幅で描かれる、血の池地獄から針の山へと追い立てられる罪人図は、流血の生々しさといい、 ニクラウス・マヌエルの『アララト山の1万殉教聖人』を髣髴とさせる。大胆な筆遣いや斬新な構図が高評価された日本絵画の世界では、執拗なまでの細緻さや、ましてや地獄絵・無惨絵の陰惨なテーマは、「健全な」美学と教育の観点から嫌われ、表に出てくる機会が少なかった。しかし、90年代頃から状況は変わりつつあり、幕末~明治に活躍した月岡芳年の「無惨絵」なども紹介される機会が増えた。そもそも日本でも地獄絵や九相図の伝統はあるし、その伝統は現代でも松井冬子らに受け継がれている。
 羅漢が発する神通力を表現する第50幅台はアニメのように面白いし、第60幅台の禽獣たちも興味深い。最後の第90幅台は羅漢たちが遠目に穏やかに描かれ、それが五百羅漢の締めくくりと共に狩野一信の生涯の締めくくりをも示しているようで、ちょっと切なくなる。

 この日は野田神社で坂本龍一によるLIFE-WELLのライブコンサートもあり、駐車場には他県ナンバーの車が多く見られた。アート・ツーリズムの観点からすると、他県からの集客を望む場合は、それなりに大きな「魅力(=アトラクション)」が求められる。いまや「景勝」や「名所・旧跡」は観光旅行を動機づけるアトラクションとして力を失ってきているのは明らかだ。アートはそれらを補うものとして大きな期待を集めている。各地で新しいアート・トリエンナーレが増えてきている理由もそこにある。カードは1枚では足りず、何枚か揃って初めて効力を発する。その意味で、西日本初をうたった増上寺「五百羅漢図展」と、YCAM10周年記念の一連のイベントのコラボは、山口市にどれだけのツーリストをもたらしたか、ちょっと興味をそそられるところだ。来年あたりに村上隆の『五百羅漢図』を展示してくれれば言うことなし!である。まー場所を選ぶかもしれないが。

 なお、この日は、野田神社の野外能楽堂は内部を公開していた。
野田神社能楽堂

野田神社能楽堂

野田神社能楽堂
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