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兵庫県立美術館 

兵庫県立美術館
 神戸を訪れたのは恐らく12年ぶりくらいだろう。とはいえ、その時はゆっくり散策する時間がなかったため、阪神岩屋駅の海側がHAT神戸として大きく変貌した姿を目にすることはなかった。学生時代に神戸で暮らしていた頃は、山側の阪急沿線からJR沿線、阪神沿線へと下るにつれて「階層」の違いをまざまざと見せつけられたものだが、(他の場所は不明にせよ)少なくとも岩屋駅周辺は、大規模な震災復興計画によって水際まで高層マンションが数多く立ち並び、山手=高所得者層、海岸沿いの下町=庶民層という単純な図式が成り立たなくなっている。この地は計画当初から神戸の「東部新都心」として位置づけられていたようだ。阪神間の沿岸部というと、芦屋浜シーサイドタウンを除いては、ほとんど港湾施設・海運倉庫・工場しか記憶に残っていないが、東京の大川端リバーシティ21、豊洲等々と同じく、ウォーターフロントを居住エリアとして大規模に再開発するスタイルを選択したように見える。

兵庫県立美術館 兵庫県立美術館
HAT神戸
兵庫県立美術館 兵庫県立美術館
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 兵庫県立美術館は、南側に広がるなぎさ公園とともに安藤忠雄が設計し、2002年に開館した。展示空間を規定するコンクリートボックスをさらにガラスボックスが包み込む二重被膜構造、そしてコンクリートの平屋根が前方に庇を大きく突き出す造形は、安藤が同時期に設計した米国のフォートワース現代美術館によく似ている。ガラスとコンクリートからなるシンプルな直方体と、風の通り道となる屋外展示スペースの螺旋階段を配する円形広場との組み合わせが良い。
兵庫県立美術館 兵庫県立美術館
 回遊性がじゅうぶん配慮されていて、さまざまな方向に視線を飛ばすことができる。南側に見えるのは麻耶埠頭の海運倉庫と車の渋滞した港湾幹線だが、三宮方面に目をやると新しい意匠のビルが整列し、美しい並木道路が整備されて、阪神大震災後の復興の様子がうかがえる。大阪方面に視線を移すと、なぎさ公園に沿って麻耶シーサイドプレイスのマンション群が整然と立ち並んでいる。屋外展示スペースから北側をみると、大小新旧の集合住宅やオフィスビル、学校、民家等が山の袂まで広がっている。東側の山腹には、安藤が傾斜に沿って段状に築いた六甲の集合住宅がほの見える。

兵庫県立美術館 兵庫県立美術館
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 今回は神戸ビエンナーレの期間中で、ギャラリー棟では横尾忠則の『感応する風景』展を開催していた。入り口付近には、震災後の1996年に描いたという大火を想わせる『水のある赤い風景』など。続く展示室には横尾が1973-4年に全国を巡って描いた「日本原景旅行」。松島や華厳滝、富士山、那智の滝、阿蘇、霧島など定番の景勝地に対し、フォトショップの色調補正で2諧調のポスタリゼーションを施したような、鮮烈な原色によるイラストレーションである。「高千穂峰」では円盤が飛ぶ。「赤色奇岩」ではベタ塗の青い海に赤く爛れた皺がよる岩が描かれ、エクトプラズムめいた物体が水色の空を浮遊する。帰宅後に再読した芸術断想―三島由紀夫のエッセイ〈4〉 (ちくま文庫)所収の「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」で三島は、横尾がおこなったことは「ツーリズム、世界的流行、工業化社会、都市化現象、大衆化社会などとも反対の、人の一番心の奥底から奥底への陰湿な通路を通った、交霊術的交流」だったと語っている。アートかデザインかという問いは、ただただクライアントに依頼されたものか、自分の思いだけに従っただけかの違いに還元される、と横尾はどこかで述べていた。ほかにもY字路シリーズや故郷の西脇市を描いた作品が展示されていた。
兵庫県立美術館

 県立美術館を出て片側5車線の広々とした国道を越え、山側に向かって歩く。JR灘駅を越えて阪急神戸線の高架とその北側に沿って伸びる道路は、震災前のままだからだろうか、記憶によく残っている。学生時代はこの道を原付で百回以上往復したはずである。さらに住宅地と公園の間をのぼっていくと、右手に村野藤吾が設計した、かつて県立美術館本館だった建物が立っている。現在は横尾忠則現代美術館と県立美術館王子分館 原田の森ギャラリーとして利用されている。
 横尾忠則現代美術館では「肖像図鑑 HUMAN ICONS」展を開催、横尾が三船敏郎や高倉健といった俳優や三島由紀夫、瀬戸内寂聴、団一雄らといった文学者、三宅一生、ミュージシャンなど時代を彩ったさまざまなジャンルの人びとと交流をもったことが伺える。観客も、茶髪の女の子二人組や銀髪のヘアデザイナー風の若者など、ほかの美術展ではあまり見かけないタイプも数多く多く見かけた。

 今月の美術手帖 2013年 11月号は、横尾忠則の特集だった。1965年の松屋銀座における「ペルソナ展」がデザイナーの作家性を前面に出した、デザインのアート化のきっかけにもなったともいうべき展示で、横尾のほか田中一光や永井一正、粟津潔、和田誠なども参加した話、三島由紀夫が切腹する数日前に、横尾忠則が装幀を手がけた『薔薇刑 新輯版』について電話で「この絵は涅槃の絵だろう」と言われた話。また、李禹煥と長期にわたる交遊があることや、磯崎新らと「エンバイラメントの会」を組織し、1966年の「空間から環境へ」展に参加した話。大阪万博でせんい館に作品を展示し、黒川紀章の手がけたタカラ・ビューティオン「タカラ館」のディスプレイを手がけた話などが興味深かった。
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