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DOMMUNEメモ~2/11口ロロ 

 2/11のDommuneは第17回文化庁メディア芸術祭記念番組で「メディア混交性音楽!!」と題して、□□□(クチロロ)主宰の三浦康嗣が出演、司会は物語評論家のさやわか。

 三浦は昨年、カンヌ広告祭でサイバー部門銀賞を受賞した六本木ヒルズ10th Anniversary『TOKYO CITY SYMPHONY』で音楽を担当。これは第17回文化庁メディア芸術祭でエンターテインメント部門審査委員推薦作品となっている。


 宇川も参入しての[メディア]アートを料理に喩えた話が面白い。
 刺身を例にあげて、「火」というテクノロジーを一切使わず、生の魚をただ切って醤油に漬けただけの代物が果たして「料理」と言えるのか――しかし、新鮮な魚を生のまま包丁でさばく、その包丁さばきや新鮮な魚を獲得する手段に作家性やテクノロジーは深く宿っている、「素材」をサイトスペシフィックに配置したミニマルアートとしての「刺身」。フィールドレコーディングとしてのフィッシング。

 友達の家に行くことはその人のインスタレーションを見ることと同じ、という話。たとえば、書棚に山上たつひこの漫画とシュトックハウゼンのCDを同時に発見したとき、それぞれは全く関係性がないとしても、それらは確実にその友達の「現在」を構成し、解釈する上で参照される数ある文脈のひとつになる。

 日本のインターネットは外国人が他国からさっと見ただけだとわけの分からぬ日本語やアルファベットがおびただしく入り混じるカオス状態で、開かれたWWWというよりJWW。メディア芸術祭も、そこで紹介されるそれぞれの作品に一つの傾向であるとか一つの文脈を見いだせないとしても、(とゆーか見いだす必要もなく)「日本」という表札の掛かった「友だちの家」であって、えーっ、こーゆー面があったのか、とかという感じで観てくれれば良い、というような話。

 アートを突き詰めるのも大切だろうけど、自分としてはそれより生活者としてそこそこメシが食えて時には美味しいものが食えるってことを考える、という三浦康嗣。

 表現が「消費」される、という話で、草間彌生が60年代に水玉模様をフィーチャーして、その後、水玉模様といえば草間彌生というように、アートの歴史文脈が草間の表現を「消費」から守ってくれた側面がある、そういうことについてどう思うか、という宇川。パンクだってアートのコンテクストで成り立ってる。…に対して、三浦は昔の欧米ではパトロンがアーティストを経済的に守ってくれたけど、今の日本では「アートのコンテクスト」がパトロンなのかもね、と返す。

 以上、三浦康嗣は音楽やラップだけでなくトークも面白いことがよく分かった。司会の"さやわか"もうまく文脈を共有できない視聴者にもわかるようにフォローしてくれた。さやわかは『僕たちのゲーム史 (星海社新書)』や『AKB商法とは何だったのか』の著者としても知られる。以上、敬称略。

 ↓は定番だけどやっぱり好いなあ。伊藤ガビン等による映像も面白い。
□□□(クチロロ)/あたらしいたましい feat. 金田朋子
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