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DOMMUNEメモ4/23~ホドロフスキー 

 4/23のDOMMUNEは今年公開される映画『リアリティのダンス』のアレハンドロ・ホドロフスキー監督特集。なんと後半、ご本人が出演。
 司会の浅井隆は寺山修司の天井桟敷舞台監督出身でuplink代表。他の出演者は、昔愛読した『きれいな猟奇―映画のアウトサイド』や『美女と殺しとデイヴィッド』、『渋く、薄汚れ。―ノワール・ジャンルの快楽 』等の著者でディヴィッド・リンチ研究者の滝本誠、日本のルチャドール――メキシコ式プロレスの仮面レスラー――で岩手県議会議員も1期務めたザ・グレート・サスケ、かつてホドロフスキーをインタビューしたという久保玲子、非建築家でアーティスト、ドラァグ・クイーンのヴィヴィアン佐藤等。

 ブニュエルに関する記憶ではスペイン語を学んだ理由の多くはルイス・ブニュエルと書いたが、ネットで確認したところ、1987年には三百人劇場によるメキシコ時代のブニュエル特集があっただけでなく、ホドロフスキーの『エル・トポ』も日本で劇場公開されている。これらの映画とサントリーによるガウディ建築を紹介したコマーシャルの記憶が、アジア彷徨の果てにスペイン(主にバルセロナ)に2か月滞在し、スペイン語を学んだ動機を形成したのに違いない。そういえば、帰国する際もメキシコ経由で帰ろうと思いついて、メキシコ領事館にビザを取得しに行った記憶がある(結局、アンカレッジ経由で韓国に立ち寄り、関釜フェリーで帰国したのだが)。

 ホドロフスキーの映画は、『エル・トポ』の他には1990年に劇場公開された『サンタ・サングレ』を、たぶん渋谷シネマライズで、『ホーリー・マウンテン』を渋谷ユーロスペースで観た。昨年、『リアリティのダンス』を読んで、ホドロフスキーが草間彌生(→アロイーズの飛翔)等と同様に、ヒドイ両親のもとで育ったことを知った。本書はホドロフスキーの自伝で、アンドレ・ブルトンやブニュエルとのエピソード、『パニック演劇』等の芸術的実践、メキシコでの映画界進出等が綴られているが、彼が少年時代に編み出した「イマジネーションの手法」が面白い。
 ホドロフスキーが子どものころ幻視した導師に言われた言葉を引用しよう。

「ひとりきりになれる場所を持ち、おまえの想像上の世界を打ち立てる権利、役に立たない道徳に縛られず、おまえの目で見たいものを見る権利、家族の意見とは対立するとしても、聞きたいことを聞く権利がおまえにはある。おまえが生まれたのは、誰でもない、おまえ自身を実現するためだ」

ホドロフスキー『リアリティのダンス』より

 親や教師やクラスメートたちに価値観を押し付けられている(と感じる)少年少女たち、否、周囲の同調圧力に抗う全ての人たちは、この言葉を深く胸に刻み込むと良い。

 ホドロフスキーは御年85歳。映画『リアリティのダンス』の予告編を見たが、85歳でこういう映画を作ってしまうとは。さらにあと3本も4本も撮りたいと語っているそうだ。現存する最高齢の映画監督、マノエル・ド・オリヴェイラが105歳で、新藤兼人も100歳近くまで映画を撮っていたことを考えると、決して夢のような話ではない(※オリヴェイラ監督はその後、2015.4.2に他界)。 実現に必要な条件は、年齢的な問題よりもむしろ、ホドロフスキーに次作も作ってもらいたい、という意見を資本に訴えるために必要な、観客の動員数である。

 『ホーリー・マウンテン』のアルケミストの印象が強かったせいか、登場する前は、長髪・髭もじゃのイエス・キリストみたいになっているかと一瞬想像したが、実際には85歳にしては若々しい、ダンディなグラン・パという風情だった。しかし、その口から飛び出す言葉は、やはり『エル・トポ』のホドロフスキーだった。

 タイムラインから拾わせていただくと、「心臓は『私は神だ、私は神だ』と鼓動を打つ。身体が教会であり、神なのだよ」、「歳を取ると、間違った考えや自我も失う。最後に残るのがあなたの基本」、「タロットは未来を占うものではなく、あなたの意識を開発するためのもの」、「あなたが誰かを愛するとき、誰かはあなた以上にあなたです」等々。



 最後に宇川が、今の自分を形成した原点の一つは14歳のとき見たホドロフスキーの『エル・トポ』であり…と自己紹介し、DOMMUNE活動について説明した後、「アートとは何ですか?」とド直球の質問を繰り出したが、これに対するホドロフスキーの答えが詩的で振るっている。

「アートは月と思って「光る虫」を飲み込んだカエルだ。暗いところに住み、月に憧れ、蛍のような光る虫を見ると食べたくなる。そう思って食べた虫が、長い時間をかけてウンコになったとしても、それが大地を豊かにするかもしれない。だから、色んなところに種を撒くといい」

 これほどまでにDOMMUNEの本質を突いた発言はほかに聞いたことがない。やはり、ホドロフスキーは導師だ。「世間」の同調圧力に抗う全ての人びとに救いを与える真のグル。世界は英米系のテクノ・ユートピア思想をベースに、数理的手法に基づく人工知能がマネージする、ポスト・ヒューマン時代を目指して突き進もうとしている。これに抗うため、あるいはこれを「正しく」導くために最も必要にして不可欠なものは、ホドロフスキーの大いなる「魔術」であろう。

 それにしても、日本の宗教界やオカルト業界は、どうしてホドロフスキーの足もとどころか足の裏にも及ばない映画しか作れないのか。中沢新一と細野晴臣が組んでつくる――もちろん映像自体は、二人をリスペクトする若い映像作家に任せるにせよ――とかして、何とかしてほしいものである。未来の再魔術化のために。

ブログ:映画『リアリティのダンス』(2014.11.19)
ブログ: 映画『ホドロフスキーのDUNE』(2014.11.17)
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