映画『ホドロフスキーのDUNE』 

失敗が何だ? だからどうした? 『DUNE』はこの世界では夢だ。でも夢は世界を変える。
                                  ――アレハンドロ・ホドロフスキー

『ホドロフスキーのDUNE』、これはただのドキュメンタリー映画ではない。
 完成していたらきっと「世界」は今と大きく異なっていたに相違ない未完の大作『デューン』、その製作過程を振り返ることで、映画は世界を変え得ること、アートは世界を変え得ることを示すサイコマジックだ。

 アレハンドロ・ホドロフスキーは1929年、南米チリ北部のトコピジャで生まれた。ユダヤ系ロシア人の祖父はチリに移民して以来、統合失調を発症し、カバラ賢者レーベを脳裏に棲まわせていたが、祖父の名を引き継いだ彼は、レーベをも受け継いで夜の師とした。ロースクール時代には、貧しい先住民の同級生たちから割礼したペニスを嘲笑され、フリーメイソンが設立した図書館にこもって読書に耽り、詩によって創作活動を開始した。
 チリ大学でははじめ哲学・心理学を専攻したが、ナチスを逃れてサンティアゴに渡ったクルト・ヨースの表現主義ダンスに心酔し、治療行為としてのアートに目覚める。自伝『リアリティのダンス』に描かれる通り、彼の母方の祖父は、火炎に包まれて死んだロシアのダンサーだった。
 演劇課程に入学し直したが、写実演劇には興味なく、映画『天井桟敷の人びと』をみてパントマイムをはじめる。また、詩人のエンリケ・リンや後に小説『夜のみだらな鳥』を書くホセ・ドノソと3人で狂騒的なカーニバルを復活させ、「ハプニング」を先駆ける芸術運動を先導した。
 1953年に渡仏してマルセル・マルソーと知り合い、ワールドツアーに参加。フェルナンド・アラバルやローラン・トポールらと親交を結び、60年前後から活動拠点をメキシコシティに移し、「Teatro de Vanguardia」を設立して数々の前衛演劇を手がける。そして、役者が「役柄」を演じるのでなく自分の望む人格にたどりつくために行う「束の間」演劇を考案、後の治療演劇(テラプティック・シアター)やサイコマジックにつながる手法を開発した。
 60年代後半には漫画や映画製作の世界にも足を踏み入れ、『エル・トポ』と『ホーリー・マウンテン』の成功によってカルト映画の巨匠と呼ばれるまでになる。

 そんな彼がフランス人プロデューサー、ミシェル・セドゥー(当時28歳)に「何がつくりたい?」と聞かれて答えたのは『デューン』だった。フランク・ハーバートの小説シリーズ『デューン』は、エコロジーを扱った最初のSFだと言われている。巨大なサンドワームが支配する砂漠に覆われた惑星アラキスを舞台に、メランジと呼ばれる意識を変革させるスパイスをめぐる争いと救世主一族の運命を描く作品だ。当時は先進国の若者の多くが東洋思想やメディア技術による身体の拡張や幻覚剤による精神の拡張に夢中になっていた時代だ。たぶん宮崎駿の『風の谷のナウシカ』にも強い影響を及ぼしている。



 そうしてホドロフスキーは、世界を変える壮大な映画をともにつくる魂の戦士たちを探すための旅を開始する。
 コミック『ブルーベリー』をみて「私のカメラだ」と直観し、メビウスにキャラクターデザインと絵コンテを依頼。SFXは当初、キューブリックの『2001年宇宙の旅』を成功に導いたダグラス・トランブルを考えていたが、交渉中に40回も電話に出る無神経さに怒ってやめ、映画『ダークスター』をみて気に入ったダン・オバノンに白羽の矢を立てる。宇宙船デザインはSF小説の表紙イラストを手がけるクリス・フォス。音楽はピンク・フロイド及びクリスチャン・ヴァンデのマグマ。

 有機的なハルコンネン城の造形を手がけることになったのはH・R・ギーガー。ギーガー自身のインタビュー映像をみるのはこれが初めてだ。本人は2013年に階段から転落し、今年(2014年)5月に亡くなったようだ。昔、恵比寿の目黒トンネル北口付近に住んでいて、たまたま酔っ払って散歩中にギーガーバーを発見して入店したがほとんど記憶がなく、数か月してあらためて行くと閉店していてガッカリしたのを思い出す。

 キャスティングも実に放胆だった。デヴィッド・キャラダインやウド・キアはいいとして、銀河帝国の皇帝にサルバドール・ダリを起用しようと籠絡をはかり(ちなみにギーガーを紹介したのはダリ!)、巨漢のグルマンとなり果てたオーソン・ウェルズに「撮影中は専属シェフをつける」と口説き、すでに超大物ロックスターとなっていたミック・ジャガーに話をもちかける。

 想定される大規模な映画のセットや超豪華なキャスティングは、必然的に製作費予算の膨大化を招いた。ホドロフスキーとセドゥーは膨大なデザイン画や絵コンテ、シナリオからなる厚さ10センチ超の企画書をつくって映画会社を回る。キューブリックの『2001年』という成功事例はあったが、映画会社は『ホーリー・マウンテン』のような問題作(?)をつくってしまうホドロフスキーに不安を覚えたのかもしれない。

 プロジェクトは撮影に入る前に頓挫した。しかし、映画の夢は終わらない。ホドロフスキーはその後もメビウスと組んでバンドデシネ『アンカル』を共作する。ダン・オバノンは『デューン』のスタッフを再び集めて『エイリアン』(リドリー・スコット監督:1979年)を企画する。『エイリアン』ではH・R・ギーガーの造形が数多く活かされ、大ヒットを記録し、東京・白金にギーガーバーを産み落とす。ほかにも、『フラッシュ・ゴードン』や『スター・ウォーズ』『マトリックス』など多くのSF映画に視覚的な影響を与えた。

『ホドロフスキーのDUNE』は、インタビュー映像だけでできているわけではない。ときにメビウスの絵コンテやクリス・フォスの造形した宇宙船を動かしてみせる。フォスのサイケデリックでシュルレアルな宇宙船の造形、皇帝の宮殿は実に美しい。砂漠の惑星が緑あふれる生命の惑星へと変化するテラフォーミングのイメージは感動的だ。Kurt Stenzelのアナログ・シンセを多用したサウンドトラックは、あの時代を想い起こさせて心地よい。なによりも未完の『デューン』が映画界に与えた多大な影響を、ホドロフスキー自身が創作した映画のクライマックス・シーンに重ねて「I'm DUNE. I'm DUNE. I'm DUNE..…」と言うところには素直に感動させられた。
 ホドロフスキーはフランク・パヴィッチのドキュメンタリー映画に積極的に関わることで、『デューン』の頓挫で受けた精神的打撃を克服し、生まれ変わるプロセスとして自らの映画『リアリティのダンス』の制作に乗り出したのだ。
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