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清水亮×東浩紀@ゲンロンカフェ 

 1月21日のゲンロンカフェは「五反田IT漫談2015」と題して清水亮×東浩紀

 前半1時間半は、唐突に起こった"評価経済"岡田斗司夫(→ブログ: 岡田斗司夫×家入一真@ニコ生)の評価"暴落"問題。男というサガの罪深さというか、ヲタクのデータベース消費の問題というか…。
 第2部でようやくIT漫談ぽくなる。気になった発言を編集してメモしておく。

清水:ニューラルネットワークが解決できるのは線形分離可能な問題、つまり、一つの巨大な連立方程式を解いているだけ。ディープラーニングで出来るのは高度な検索システムで答えを探してくることだけ。答えがあるものしか解けない。

清水:自由度が高いゲームではMinecraftが好い。レッドストーン回路があってプログラミングができる。つまり、コンピュータゲームの中でコンピュータを作れる。仮想世界の中で世界を再構築するゲームを楽しめるということは、人類が進化しているということ。自動的にプレーヤーをプログラミングに誘導できそう。

清水:金融市場では70%以上がアルゴリズム取引。人間はFXやバイナリーオプションではコンピュータの処理速度に勝てっこない。ゲームの場合はわざとコンピュータを弱くしてる。機関投資家は今プログラマーばかり雇ってる。

東:複雑な現実を自分が認識し統括できるよう、分類することで情報を縮減するっていう作業をやらなくなって、グーグル検索に依存したために、結果として頭の中で整理・分類できなくなってる。

清水:PCにシール貼ったり携帯をデコったり、女子のほうがクリエイティブ。男は知能指数が高ければ高いほど、カスタマイズとかしなくなる。

東:連想は人間の知性や創造性の基本。頭の中カラッポで知識を外部化すると連想ネットワークは作れない。知識が外部化される時代だからこそ「連想力」が求められる。独自の記憶によるニューラルネットの重みづけの配置の問題。それがヒトの個性で、やたらと思いつける人とそうでない人がいる。

清水:中野馨博士が1972年に発明した連想記憶モデル(アソシアトロン)は、3状態を持つニューラルネット。ただ、人間のニューロンはバイナリでしかない、という「宗教」的理由で普及しなかった。

東:文字とは何か。文字は判るかわからないかに2分できるが、イメージはできない。

東:たとえば歴史で「XXXX年に世界が大きく変わった」というのはフィクション。生のデータが大量にあれば、無限に解釈できて、いくらでも歴史を修正できてしまう。データベースと物語の関係性をどうしたらいいか、現実のところで考え直さなくていけない時代にきている。記憶できるのは物語だけ。DBは外側にある。「物語なんて持ってません。必要な時にDBから取り出せばいいんじゃないですか」では、都合よく歴史を解釈しようとする人に騙されてしまう。

東:歴史観は整理のためのシステム。現代思想でも文学批評でも、80-90年代くらいまでは「こうだった」と言えたが、2000年代からそれがなくなる。誰も物語を作らなくなった。誰も「この時代はこれだ」と言わないし言えない。ブログなどの膨大な蓄積があるだけ。それによって「いろんな人がいたよね」になってしまう。それは人間を貧しくしている。

清水:コンピュータは、評価関数が与えられたらそれを満たすかどうかスコアリングをおこない、その結果を並べて表示することはできる。コンピュータが評価関数を作ることもできなくはないが、最終的に何かしら線形分離可能な問題に収束させていかないと評価関数が意味を持たない。大量の評価関数がもたらした膨大な「歴史―物語」について、どれが面白いのか決めるのは難しい。

清水:コンピュータで物語を生成することはできるが、「面白い」かどうかの判定基準がない。パズドラは嫁ドリブン開発――ゲームに興味ない奥さんが楽しめるようにつくった。つまり、評価関数が人間ってこと。

 文中敬称略。
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