映画『モンタナ 最後のカウボーイ』 

 YCAMでハーバード大学感覚民族誌学ラボの『マナカマナ 雲上の巡礼』及び『モンタナ 最後のカウボーイ』をみる。

『モンタナ 最後のカウボーイ』(原題:Sweetgrass,2009)は、映像人類学者イリーサ・バーバッシュとルシアン・キャステーヌ=テイラーの共同監督作品。

 映画の舞台はモンタナ。アメリカ北西部に位置する内陸の州で、日本とほぼ同じ陸地面積―約38万平方キロに、日本の100分の1にも満たない100万人を切る人口が暮している。

 映画は広大な山々が続く自然の景観を背景に、羊と羊飼いの生活を記録している。日本でもそうだが、都会の職業生活と比較すると、田舎での仕事は身体勝負だ。精神的にも気合いや感情といった身体に近い層が重要になる。大量の人間関係をさばく必要は少なく、高度な知識や技術も都会ほどには要求されない。

 大きなバリカンで羊毛を刈り取る場面や子羊の出産場面が出てくる。ギーディオンは『機械化の文化史―ものいわぬものの歴史』のなかで、「不気味なほどの広大さが、農業の機械化をもたらした」、「アメリカの膨張と機械化は同時並行的に行われた」と述べ、牧畜~屠殺の機械化について、ブタの毛を除く装置(1864年)やブタをつかまえ吊るす装置(1882)等の特許申請図版を紹介した。
 とはいえ、牧羊はオーストラリア・ニュージーランドのほうが本場となったためか、映画に映るアメリカ牧羊業の姿はさほど機械化が進んだようには見えない。羊たちにエサをやるためにロール状に巻いた牧草床を広げていく特殊車両が登場するが、ほかにはあまり機械めいたものが登場しない。映画に映っているのは、近代化の大波にさらわれることなくゆっくり先細ってきたアメリカ牧羊業の最後の姿だ。それだけに生の人力と牧羊犬に頼る伝統から地続きの牧羊生活が見られる。
 子羊の出産場面では羊飼いの手荒な作業が描かれるが、機械化やアッセンブリーライン化による動物の「資源化」という近代的残酷さはさほど感じられない。出産時に羊の肛門から出てきた排泄物を手で取って投げ捨てる場面は印象的だ。

『リヴァイアサン』(→ ブログ:『リヴァイアサン』)では人と機械の協働体が魚の大群に対して圧倒的な力の差を見せつけていたが、この映画ではむしろ、羊の大群がときに人を圧倒する。
 西部劇に出てくるような宿場町の無人の大通りを、羊の大群が行進する場面は圧巻だ。また、仕事に不慣れな若い羊飼いは、放牧の途中で群れの制御に失敗し、命令に従わない羊たちに対して半ば泣きながら汚い言葉をえんえんと吐き続ける。映画は人間たちを動物の一種として描写し、動物たちを人間と同等の存在として扱っている。このあたりは、現代思想界隈で多少盛り上がりを見せる「新しい人類学」と結びつけて考える人もいるだろう。

 映画には羊や牧羊犬、馬、グリズリーなど多くの動物たちが登場するが、20世紀に急増した自動車は、先述の特殊車両を除いて全くと言っていいほど登場しない。人はおもに馬に乗って移動する。最後の車中シーンは、動物たちに別れを告げて自動車という機械の馬に乗りかえた人間を表しているのだろうか。そして、それは今後、人工知能を搭載した新たな機械動物たちが周囲に溢れてくる未来を予感させる。人間が機械を飼っているのか、機械が人間を飼っているのか、見分けのつけ難い未来が待っている。



 映画では、羊たちを狙うグリズリーに対処するため、羊飼いたちが猟銃を用いる。そういえば昔、アメリカ人の同僚にモンタナ出身の男がいた。モンタナ出身といえばカリフォルニアでは「田舎者」扱いだ。確かに彼はほかのアメリカ人に比べて口下手で、武骨な感じがした。
 彼の車に同乗したとき、後部座席に毛布にくるんだ拳銃を見つけて驚いた。アメリカは銃社会だが、普通の社会人が車中に拳銃を放置することはまずありえない。「何に使うんだ?」と訊くと、ニヤリと笑って「サソリを撃つんだ」と答えた。

 モンタナの羊といえば、トマス・ハリスの『羊たちの沈黙』だ。ジョナサン・デミが1991年に映画化してアカデミー賞で主要5部門を受賞した。主人公のクラリス・スターリングは10歳で父を喪った後、モンタナ在住の親戚の家に預けられる。そして、羊の屠殺シーンを目撃してトラウマとなる。映画の途中に出てきたポニーに乗った少女は、クラリスへのオマージュだろうか?

 邦題がいただけない。カウボーイなら現在でもテキサスあたりにゴロゴロしているから「最後の」ではないし、内容から言ってカウボーイでなく羊飼いだろう。アメリカ映画がこれまで日本文化をデタラメに扱ってきたから、ここにきて意趣返しということなのか?

追記:2015/12/20
 YCAMの1階で、屋垂れの村――山口市鋳銭司地区和西集落における詳細調査報告会を聞く。建築史や民俗学を横断する学術的試み、千年村プロジェクトの一環だ。このプロジェクトは筋が良い。ハーバード感覚民族誌学ラボの企てにも少し通じたものが感じられ、学術的研究とアート、地域アーカイブを結びつける新たなプラットフォームになりうる。報告会では、ザトウサグリという用途不詳の柱、ニッサンサマという謎の習俗が紹介され、想像力をくすぐられる。また、「角田」や「池田」、「横山」などといった日本人の苗字が身近な田畑に由来することがあらためてわかって面白い。
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