ロマンチックって何? あるいはドラクロワ(2) 

「民衆を導く自由の女神」 (1830年作)

 ニューヨークにある自由の女神像は、アメリカ独立100周年を記念してフランスが1886年に贈ったものだ。製作者のフレデリック・バルトルディは、ドラクロワが本作品で描いた女神と自分の母親をモデルに自由の女神像をつくった。
 ドラクロワは、1830年7月28日に起きた事件をもとにこの絵を描いた。当時は皇帝ナポレオンが国外に追放されて王政復古の時代を迎えていたが、言論の自由を奪われたパリ市民はついにバリケードを築いて武装蜂起した。いわゆる7月革命である。ドラクロワはセーヌ川の対岸でこの様子を見て民衆のパワーに圧倒された。革命に流血はつき物だが、彼は血と暴力にまみれた革命の荒々しい現実をやわらげるため、自由の女神を革命のシンボルとして描き加えた。フランス百年戦争におけるジャンヌ・ダルク、60年安保闘争における樺美智子――ヒロイックな戦闘・革命には必ず女神(=供犠)が求められる。
 ちなみにバルトルディはフリーメイソンの一員だった。かつて自由の女神像の台座には「フランスのフリーメイソンからアメリカのフリーメイソンに贈られた旨とフリーメイソンシンボルの入ったプレートがあった」(Wikipedia「自由の女神」より)という。
 フリーメイソンといえば、かつては世界的陰謀をたくらむ謎の秘密結社として数多の小説に登場していた。五木寛之とかね。しかし、ここ十数年の研究の結果、その全貌がだいぶ明らかになってきた。要するに彼らは近代精神を信じるブルジョワジーの親睦団体に過ぎなかった。フリーメイソンと一言で言ってもいろんな支部(ロッジ)があって、中には確かにいかがわしい秘儀をおこなったり政治的な暗躍を試みたりする人もいたかもしれない。しかし世界的な陰謀をたくらむ一枚岩的な秘密結社とはわけが違う。例えるなら一部に怪しい連中を抱えてしまった経団連、という感じだろうか。現代人は経団連にいかがわしい企業が紛れ込んでいても経団連に所属する大企業すべてがいかがわしいとは思わないだろう。ライブドアは自粛を迫られたけれど。
 フランス革命やアメリカ独立の立役者にフリーメイソンが混じっていたと言われると、確かにそうかもしれない。しかし、朴訥なキリスト教徒にはそれが恐ろしい世界的な陰謀に思われた。「フリーメイソンの陰謀論」の多くは、やり手の資本家連中に搾取される農民や都市貧民のロマンチックな想像だった可能性が高い。
 だから、もしあなたの身近にフリーメイソンの陰謀論を唱える人がいれば、大地に根ざした純朴な田舎の人だなあと思えばいい。ただし、純粋に「血と大地」を信じる連中だって暴走すればフリーメイソンと同じくらい?恐ろしいのだ。その代表がナチスドイツ。彼らは豊かな大地と自然に込められたゲルマン魂を信じて国家社会主義を唱え、フリーメイソン=ユダヤ連合の野望を打ち砕くため、その牙城であるイギリス・アメリカに戦いを挑んだ。同じく豊かなる自然を神と仰いだわが大日本帝国とともに……。
 かくしてフリーメイソン神話は精神の田舎者、もとい純朴な方々の間で何度でもよみがえる。オウム真理教の信徒だって「フリーメイソンと戦っていた」そうだから。
 最近では、明治維新に寄与した薩長や坂本竜馬を裏で操っていたのは長崎のグラバーを主とするイギリス人フリーメイスンであって、それが昭和の妖怪・岸信介を経由してその孫の安倍晋三にまでつながっていて……という日本メイソン・サガまであると聞く。ああ、人間の想像力って、なんて「素晴らしい」のだろう。
 私はフリーメイソンの陰謀論と聞くと、スイスのアドルフ・ヴェルフリやアメリカのヘンリー・ダーガーを思い出す。彼らは特に職業的な画家でも作家でもなかったが、長大な空想物語を挿絵つきで何万枚とかき続けた。何万枚ですぜ何万枚。あるいは超古代史や偽史(竹内文書とか宮下文書とか……)の世界。
 正直なところ、わたしはこれらの世界を愛してやまない。退屈な事実より面白い仮説を偏愛し、誰に頼まれたわけでもなく数々の想像を組み立てて長大な物語を描き続ける妄執。「現実」に恵まれない弱者たちのロマンチックな空想と片付けてしまうのは簡単だが、ときには社会の実力者までもがそれらに魅せられてしまうから不思議なものである。
 話がすっかり脱線したが、想像力を重んじるロマン主義の話ということでご勘弁を。

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