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YCAMミニマム・インタフェース展 

shinchika
 YCAMミニマム・インタフェース展のギャラリーツアーに参加する。
 プレスリリースによると今回の展示は「インタフェースの未来」をテーマとしており、ミニマム・インタフェースとは「ユーザーインタラクションにおいて言葉によるガイダンスを省き、身体感覚や知覚を直感的に解放していく表現としてインタフェースにアプローチすることを意図している」という。
 ナビゲーションツールも言葉による説明を最小限に抑えてており、下画像のように、孔が正方形に16個並んだシートをテーブルの上に置き、孔を一つ一つ指でふさぐことで、作品や作家の紹介や展示場所を示す矢印が映像として一時的に得られる仕組みになっている。現在のところは言葉による説明を伴わないと二進も三進も行かないが、言葉をミニマムとしたインタフェースの将来的方向をじゅうぶんイメージさせるナビゲーションである。
leading edge design

 下画像は、オランダ・ロッテルダムを拠点にする新鋭建築家ダーン・ローズガールデのLiquid Space6.0。公共空間におけるインタラクションをテーマに考えられた作品で、大量のセンサーが取り付けてあり、接近すると生物のように身を震わせ、あるいは音を発し、多色のLEDを発光させる。未来の建築は生命体のように集まる人たちの動きに反応して形状を変えるなどさまざまなことをやってくれるということだろうか。フランソワ・ロッシュらの生体建築的アプローチと比較するのも面白いだろう。
Liquid Space

 下画像は、米国のクリス・サグリュ(Chris Sugrue)によるDelicate Boundaries。誤ってフラッシュを焚いたため^^;見え辛いが、ディスプレイ上のゾウリムシめいた光体が画面上から這い出して人の腕をのぼっていくという作品。
Delicate Boundaries

 下画像は ポンペウ・ファーブラ大学のミュージックテクノロジーグループによるリアクテーブル(reacTable)。歌手のビョークがワールドツアー「Volta」で用いたことで注目を集めた電子楽器。青光する円卓の上に音響をアイコン化したオブジェを置くと、それぞれのオブジェにアサインされたサウンドが奏でられるというものだが、オブジェを回転させたり、オブジェ間の位置や距離を操作することでさまざまに変奏できる。これにはまったある子どもが夢中になって長い間取り組んだ末、素晴らしいサウンドアート作品ができあがったと聞く。そういえば昨年(2008年)はテノリオンほか革新的な電子楽器が相次いで登場した年で、テクノサウンドの次なる時代を感じさせる1年だった。いずれもサウンドだけでなくビジュアルデザインとしても美しく洗練されている。
reacTable

 下画像はサウンドアートやインターフェースデザインの分野で知られ、離散芸術論、バイオ彫刻という新たな領域を切り拓きつつある久保田晃弘の純粋ΦーAbstract Fluid Interface。階段状のステージにあがると、その姿形や動きを捉えてスクリーン上のドットパターンが蠢動し、液状化するというもの。画像では単色だが実際にはカラフルである。
kubota

 下画像は、ザカリー・リーバーマン+テオドア・ワトソンのCard play。トランプを台上に並べると、前のスクリーン上にそれが映し出されるのだが、トランプのマークがふっと浮き上がって散消したり、赤や黄色の球体がトランプの上を飛び跳ねて音楽を奏でたりする。
Card Play

 ほかにも、SHINCHIKAの立体アニメを生かした作品H2orzや、観客のまぶたの開閉によって画面上の写真映像が変化する高尾俊介の「Cave-Processing Photography Blink Series」、紙によるナビゲーションを提供したリーディングエッジデザインによる「Floating Compass」等が展示会場を彩っている。

 ほとんどの作品がインタラクティヴィティを前提としており、観客が触れたり動いたりすることで初めて成立するメディアアートならではの作品群であった。言葉によるガイダンスを最小限として身体感覚によって作品を体験する-作品に参与する-という趣旨のミニマム・インターフェース展において、言葉による解説を伴うギャラリーツアーというのは矛盾するのでは?と思われる人もいるかもしれない。しかし、新世界に一歩足を踏み出す際に、最初のとっかかりとして言葉によるガイダンスを求めてしまうことは、「象徴界」から逃れられない我々―「我々」の範囲にもよるが―のシュクアであろう。実際のところ、ギャラリーツアーのガイドの方は個々の作品を解説するというより、メディアアートの最小限の楽しみ方を紹介することに努めてくれた。ギャラリーツアーは作品の解説を聞く機会というより意見交換の場と捉えたほうが良いだろう。
 言葉を省略しようとすると、そこには必ずと言っていいほど「コンテクストの共有」が求められてしまうのが現状だ―言葉を使うにしてもコンテクストは要求されるのであるが。ミニマムなインターフェースの追求には、どうしてもコンテクストという難問がつきまとう。未来のデザインはそれをどのようにクリアしていくのだろうか。
 
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