映画『メッセージ』 

 チャチャタウン小倉(ブログ)で、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の映画『メッセージ』をみる。

 概要はこちら(→wiki)。以下、ネタバレ含む。

 映像と音楽は確かに素晴らしい。広大な大草原の宙空に浮く異星人の宇宙船という構図は、惑星的な景観でただただ感動的だ。とはいえ、子どもの頃に見て衝撃的だったキューブリックの『2001年』やタルコフスキーの『ソラリス』、『不思議惑星キン・ザ・ザ』などと比べると、新鮮味に欠けるようにみえてしまう。


 音楽は『博士と彼女のセオリー』で第72回ゴールデングローブ賞・作曲賞を受賞したヨハン・ヨハンセン。オープニングとエンディングに流れるのはマックス・リヒター(Max Richter)の "On the Nature of Daylight" 。静謐な感じがじつに良い。

 言語をテーマにしているのに、セリフが少ないというのも良い。異星生物の到来に対し、敵意があるのかないのか、危険なのか危険でないのか、地球に来た目的は何か、全く分からない状況で、ごくわずかな手がかりをもとにコミュニケーションの可能性を探っていく過程を丹念に描いている。それ自体が、ネットで誰もが発言可能となって言葉が過剰に氾濫し、かえって社会が分裂を強めている現在に対する批評たりえている。

 とはいえ終盤の、シャン将軍への説得が成功する理由は、あんなにヌルくていいの?
 圧倒的な映像と音響で魅せる「雰囲気の映画」だから、人類対異星生物の戦争回避のところくらいは、幅広く大衆にもわかりやすいように、という「配慮」だろうか。
 このあたりに寛容になれるかどうかで、評価が変わってくるような気がする。



 あと、原作にあった因果律的な思考と目的因的な思考の対比、というテーマの扱いが省略または曖昧にされているようで、ちょっぴり残念。おそらく、映画が理屈っぽくなって、せっかくの雰囲気を損ねるとみたのだろう。

 テッド・チャンの原作では、異星人の言語/思考法を推測していく過程で、フェルマーの「最小時間の原理」が重要な手掛かりとなる。最小時間の原理は、「異なる媒質を通過して2点間を移動する光は、 屈折して最小時間の経路をたどる」というものだ。光があたかも最初から最小時間となる経路を知っていたかのように進んでいるようにみえる。これは、17世紀にニュートンが導き出した古典力学の運動方程式では説明できない。

 "科学の父"と呼ばれるガリレオは1623年に発表した『贋金鑑識官(Saggiatre)のなかで「数学の言葉で書かれた自然という書物」と書いて、自然界の諸現象は数学モデルで記述できるという理論物理学の基本的信念を刻んでいる。彼は振り子の等時性や落体の法則の発見を通じてヨーロッパの数理物理学を切り拓き、マラン・メルセンヌ(→wiki)やデカルト、パスカル、ホイヘンス、ロバート・フックらに影響を与えた。
 ニュートンと同期して微分積分学を確立したライプニッツは、三十年戦争(→wiki)によるドイツの荒廃を目にして善なる神を疑う者たちに対し、世界における「悪」の存在が、全能たる神の善性と矛盾しないことを弁明しようとして『弁神論』を書いた。フェルマーの原理は、彼が『弁神論』を書くにあたって採用した、目的因的な思考に影響を与えた可能性がある。
 微分方程式の発見は、今の瞬間の状態が未来を規定するという作用因に従った因果律を重視する近代的世界観を強固なものにした。ライプニッツ自身も、科学者としては作用因の観点で説明する。ところが、神の善性を弁護するために、ライプニッツは目的因的な思考法をとる。つまり、自然は完全性の基準に従って設計されていると説くのだ。

 原作では、主人公は、異星生物が異星での進化の過程で、「最小時間の原理」を発見するにあたって、目的因的な思考法で考える習慣を身に着けていったことを知るうちに、未来が見えるようになる。記憶のフラッシュバックに登場する少女は、これから同僚と親しくなり、結婚してできる娘のことだとわかるようになる。
 映画でも、主人公が「未来の記憶」を身に着けて問題解決を図る。ただ、将来できる娘がたとえ若くして病気で亡くなるとわかっても、その運命を引き受けるのだ。

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