映画『怪物はささやく』 

 KBCシネマでJ.A.バヨナ監督の映画『怪物はささやく』をみる。

 末期ガンの母リジーと暮らす13歳の少年コナーのもとに、突然イチイの木の怪物が現れて3つの物語を聞かせるというストーリー。以下、ネタバレ含む。

 作品の舞台はイングランド北部。登場する怪物はイチイの大樹の化身だが、ツタがからまる姿はヨーロッパ中世のロマネスク建築などに彫られる彫刻のモチーフ、グリーンマンに似ている。あるいは宮崎駿の『もののけ姫』の最後に登場する森の精霊や庵野秀明による巨神兵のようでもある。
 イチイはもともとヨーロッパの植物神話にときおり登場する樹木。たとえばケルト神話では、太陽神ルーがもつ魔槍が森一番のイチイの名木でつくられたと伝えられている。

 映画の主人公は、イチイが母親のガンを治す特効薬になると期待を膨らませる。実際、イチイの樹皮に含まれるタキソール(→wiki:パクリタキセル)という成分は現在、世界各国で抗がん剤として広く用いられている。先日亡くなった小林麻央もタキソールを使用していた。タキソールはガン細胞の分裂を阻害するが、副作用も大きい。古代ケルトでは、イチイの実は矢毒として使用された。つまり、イチイはファルマコン――両面価値――猛毒であるとともに良薬にもなる――の代表例の一つと言えるだろう。



 怪物が話す3つのストーリーは、いずれもファルマコンをあらわしている。
 第一の物語では、国を平和に治め民に愛された王子が、実はかつて妻に迎えた罪のない田舎娘を殺した犯人であり、魔女とみられた王子の継祖母が無実の罪を着せられる。
 第二の物語では進歩的で優しい司祭が、病に倒れた娘を救うべく、信念を曲げてケルトの調薬師のもとに跪く。ところが、強欲で横柄な調薬師に断られて娘を失う。怪物は、「信じることを仕事にしている者がひとつ試練に見舞われたくらいで信念をあっさり捨てた」として司祭を断罪し、司祭館を破壊する。
 第三の物語では直接的に、学校でイジメられるコナー自身に関わる内容が語られる。
 最後に、怪物はコナーに向かって「四つ目の物語を話すのはおまえだ」と迫る。
 「それこそがお前が隠している真実だ」と。

 原作者や出演者は(おもに)英米系だが、制作陣はスペイン・メキシコ系で固めている。

 原作は、47歳の若さでガンで亡くなったイギリス人の作家シヴォーン・ダウドが残した原案をもとに、パトリック・ネス(→wiki)が書き起こしたヤングアダルト小説『怪物はささやく』。

 主人公コナーを演じるのはルイス・マクドゥーガル(Lewis MacDougall)。母親のリジーを『博士と彼女のセオリー』で高く評価されたフェリシティ・ジョーンズが、祖母役を『エイリアン』シリーズのシガニー・ウィーバーが好演。怪物のモーション・アクターはM・スコセッシの『沈黙~サイレンス』(→ブログ)でフェレイラ神父を演じていたリーアム・ニーソン(北アイルランド出身)。バヨナ監督作品の常連でもあるジェラルディン・チャップリン(→wiki)が校長先生役で登場する。

 製作陣では、プロデューサーがベレン・アティエンサ、監督はホセ・ルイス・ゲリン(→ブログ)と同じくバルセローナ出身のバヨナ、撮影監督は『イミテーション・ゲーム』(→ブログ)で全米撮影監督協会賞を受賞したオスカル・ファウラ、プロダクション・デザイナーは『パンズ・ラビリンス』でアカデミー賞やLA批評家協会賞を受賞したメキシコ出身のエウヘニオ・カバイェーロ。アニメ監督は、バロセロナにあるヘッドレス・プロダクションのエイドリアン・ガルシア(Adrian Garcia)。
 バロセロナはサグラダ・ファミリアなどガウディの建築作品が数多くあり、ユネスコのクリエイティブ・シティ・ネットワークに文学都市として登録されている。ヘッドレス・プロダクションやグラスワークスのようなクリエイティブ産業の育成が期待される。

 ↓でアニメーションパートのメイキングが見られる。

Making of A Monster Calls (Animation Sequence) from GLASSWORKS VFX on Vimeo.



 最初のほうに、母リジーとコナーが、古い映写機で初代『キングコング』(→wiki)を映して一緒にみるシーンがある。初代コングは巨大モンスターが登場する世界初の映画であり、ウィリス・オブライエン(→wiki)がストップモーション・アニメ(人形アニメ)を完成させたという意味で、特撮映画やアニメーションの歴史に残る名作だ。コナーの父親はロサンゼルスに住んでいるという設定だが、父親役のトビー・ケベルは『キングコング:髑髏島の巨神』(2017)に出演している。

 最後にコナーはリジーが少女時代に描いた絵やイラストを発見する。そこにはイチイの木のモンスターや少女を肩にのせたキングコングの絵も混じっている。
『この世界の片隅に』(→ブログ)が好きな人は、リジーを「男の子を産んだ後、不治の病に倒れたすずちゃん」として想像できれば涙腺がゆるむに違いない。

 現実は単純に良い悪いで割り切れるものではない。常に両面性や多面性を含んでいる。表面的なストーリーの裏には、それと矛盾するストーリーが潜んでいる。モンスターやファンタジーもまた、子どもたちにとっては毒でもあるが薬にもなる両義的な存在だ。

 原作は日本でも話題となり、2012年度の青少年読書感想文全国コンクール課題図書(中学生部門)になった。ただ、ネットに横溢する単純で幼稚な「ストーリー」の数々をみると、あまり教育的な効果はなかったようだ。物事の両面性・多面性を洞察するには認知負荷がかかる。カーネマンの『ファスト&スロー』はある意味、SNSで拡散される、認知負荷の軽いファスト思考に対する批判だと受け取ったが、そうした「教育」もネットの共鳴箱効果(→ブログ:日経サイエンス2017年7月号)の前では歯が立たなかった、ということか。

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