映画『台北ストーリー』 

 KBCシネマでエドワード・ヤン(楊徳昌)監督の映画『台北ストーリー』(原題:青梅竹馬/1985)をみる。

 本作は『恐怖分子』(→ブログ)の前年につくられた作品。長らく見る機会がなかったが、マーティン・スコセッシのフィルム・ファウンデーションによるワールド・シネマ・プロジェクトが4Kスキャンでデジタル修復した。

 舞台は1980年代半ばの台北。主人公は元リトルリーグの有望な選手だったアリョン。扮するのはヤンの盟友でもある映画監督のホウ・シャオシェン(侯孝賢)。アリョンはプロ野球選手になることもなく、迪化街(→wiki)で家業を継いで布地問屋を営んでいる。
 もう一人の主人公は、彼の幼友達アジン。彼女は不動産ディベロッパーで働くキャリアウーマンだ。
 映画は二人を中心とした人間模様の遷移を描いていく。



 第2次大戦後の台湾は1950年代前半まで国共内戦に伴う混乱が続いていた。アメリカの支援をいったん失った南京国民政府は、大陸から追い出されて台湾に「遷都」した。蒋介石らは主な工業・金融業をすべて公営として、統制経済に近い体制をとった。
 朝鮮戦争の勃発は、1950年から15年間にわたって約15億ドルに及ぶアメリカの経済援助を台湾にもたらした。日本と同じく「反共の砦」となった台湾政府は、50年代末に輸出志向工業化路線を打ち出し、66年には高雄港臨海工業区を整備した。詳細は定かでないが、台湾にも下河辺淳(→ブログ)のような人がいたのかもしれない。
 1971年のニクソン訪中に伴い、中華民国(台湾)は国連から追放され、国際政治的には孤立に追い込まれた。日華断交にしたがって、台湾では「抗日映画」がいくつかつくられた。
 それでも彼らは、文化大革命で混乱を極める中国(中華人民共和国)を尻目に、自らを「自由中国」のショーケースと位置づけ、日本から資本財や中間材を輸入してアメリカに工業製品を輸出し、大きな経済成長を遂げた。1975年に亡くなった蒋介石の後を継いだ息子の蒋経国総統は、自ら打ち出した十大建設(→wiki)を推し進め、産業の高度化をはかった。
 しかし、江南事件にみられるように、蒋経国体制は一方で、過去から続く闇の部分を引きずっていた。

 今日まで続くグローバル資本主義(→wiki)の本格的な展開は1980年前後に始まった(*1)と言って良いだろう。ブログ:みんなのための資本論でも触れたように、レーガノミクス・サッチャーイズムに代表される市場原理主義・新自由主義が1980年代に急速に影響力を拡大していったのだ。それはある意味、70年代まではソ連の影響が根強くあって、資本家サイドも労働者の権利にじゅうぶん配慮しなくてはならなかったということでもある。
 アルビン・トフラー(→wiki)が『第三の波』で農業革命、産業革命に次ぐ、情報化による脱工業化の波を具体的に示したのも1980年だった。
 1970年代にアメリカに留学し、計算機工学を習得したエドワード・ヤンには、80年代後半以降の台湾社会がどのように変化していくのか、ある程度、想像できたに違いない。プラザ合意(→wiki)は本作の製作と同じ1985年だ。産業の第3次化(内需拡大、金融・不動産・交通・メディア・通信サービスの膨張、情報化……)とグローバル化の波という新たなビッグ・ウェーブに乗れる者たちと取り残された者たちとの格差が大きく拡大する未来、人びとの生活から過去による束縛と過去への敬意が失われていく未来が、彼にはうすうす見えていたのだ。プラザ合意をもとに日本円だけでなく台湾元も切り上げられ、日本や台湾(さらには香港、シンガポール、韓国)は、1978年に改革開放路線に転じた巨大な中国がインフラを整備するまでの間、海外旅行や欧米的なライフスタイル、豊かな消費生活を謳歌する一方、産業のさらなる高度化と競争力の強化を急ぐほかなかった。



 過去を断ち切り大きな波に乗ろうと渇望する者と取り残された者との対照性は、自由で自立したドラゴンレディタイプのアジンと、商売下手で借金を重ねるその父親との対照性に表れている。ちなみに80年公開のハリウッド映画『9 to 5』は、女性の社会進出を称揚した。
 台北の迪化街は、日本のたとえば名古屋でいえば長者町遷移街のようなところだろうか。
 過去は愛着の対象であるとともに憎悪の対象でもある。さっさと過去を捨て去って新しい世界で闘う方が良いと、頭ではわかっても、身体に深く刻まれた過去は、そうやすやすと捨て去れるものではない。
 アリョンもまた、アジンの父親と同様、家族や過去を切断できないタイプだ。そこにはエドワード・ヤンの複雑な心境も見て取れる。彼自身、留学経験とコンピュータ技術をてこにグローバル・ビジネスで成功を収める可能性があった。とはいえヤンもまた、アリョンと同じく過去(映画への愛)を断ち切ることはできなかった。

 アジンの同僚の建築設計者は、高層ビルの建設ラッシュに沸く台北の街並みをみて嘆く。「どれが自分の設計したものかさえ思い出せない」。
 コールハースの言うジェネリック・シティの台頭だ。それは十数年後の中国大陸で、十倍以上ものボリュームをそなえて繰り返される。
 英雄的な固有名が活躍する野球の時代から、無数にいる匿名の"ビジネスマンたち"が高収入を得て跋扈する時代へ。野球のピッチングがうまいアリョンも、ダーツを小さな的に向けて正確に投げることはできない。ゲームは変わったのだ。
 そして、ドラゴンレディのアジンも会社が買収され、解雇を言い渡される。LAで暮らすアリョンの義兄に夢をつなごうとするアジン。しかし、アリョンは言う「アメリカは万能薬じゃないんだ」。
 1980年以降、アメリカと日本は改革開放路線に転じた中国に対し、莫大な額の投資と技術支援をおこなった(たとえば下河辺淳率いる総合研究開発機構(NIRA)は、日中国交回復を背景に中国の技術者たちを支援したと聞く)。

 アジンを演じた歌手のツァイ・チンは出演後にヤンと結婚したが、1995年に離婚した。脚本はホウ・シャオシェンのほぼ全作品の脚本を手掛けるチュウ・ティエンウェン(朱天文)。録音はドゥ・ドゥジ(杜篤之)。ヨーヨー・マ(友友馬)のバッハ無伴奏チェロ組曲第2番ニ短調、ベートーベンチェロソナタ第3番第3楽章が使われている。

(*1)ウォーラーステインの「世界システム」論に従えば、グローバリゼーションの起源は、15~16世紀の大航海時代にまで遡れる。しかし、ここでは近代テクノロジーを武器にしたヨーロッパ勢力の東西への拡張としてのアメリカとロシア(ソ連)によるグローバル支配に対する中東産油国及び日本(と4小龍)の経済的「反撃」が、70年年代前半(大阪万博とオイルショック)に表面化し、80年代にそれに対応する形で、英米の新自由主義勢力が、グローバル競争を情報と金融を中心とした次なるフェイズに押し上げたと見る。

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