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『ユーラシアニズム』(チャールズ・クローヴァー著) 

『ゲンロン6』の予習に読め、と以前、東浩紀のツイッターにあったので、チャールズ・クローヴァーの『ユーラシアニズム』を読んだが、これはヤバイ。オモシロ過ぎる。ロシア情勢を扱った本としては、佐藤優の『自壊する帝国』が面白かったが、それ以降の時代もカバーしている。重なっているところもあるので、併せて読むとよいだろう。

 咀嚼が足りないゆえチト荒っぽいが、途中まで短くまとめてみよう。

 翻訳・解説者の越智道雄の解説によると、ボリシェビキ革命はロシアの甚大なる西欧コンプレックスの克服手段であって、ソ連崩壊により自信を喪失していた時代のロシアで、プーチン政権が西欧超克の次なる「手段」として採用したのが「ユーラシアニズム」だ。

 この構想はニコライ・トルベツコイ(→wiki)とロマン・ヤコブソンが最初に策定し、レフ・グミリョフ(→wiki)がそれを拡大し、アレクサンドル・ドゥーギン(→wiki:Alexander Dugin)とプーチンが彼らの遺産を「政治目的に利用」した。「」内は解説者の言葉で、プーチンはともかく、ドゥーギンが「利用」したかどうかはわからない。

 トルベツコイは、第1次世界大戦とボルシェヴィキ革命によって、何世紀にもわたって統治してきたハプスブルク帝国とオスマン帝国、ロシア帝国が瓦解する激変のなかで、『ヨーロッパと人類』を書き、普遍主義や進歩というヨーロッパが強く主張してきた概念を攻撃し、「ユーラシア文化集合体」概念にもとづくユーラシアニスト運動を発足する。これに共感したピョートル・サヴィツキー(1895-1968)は、自分たちロシア人は「ヨーロッパ人でもアジア人でもない」ユーラシアンである、と強く主張し、ロシア正教に基づくユーラシア国家の建設を提唱したが、スターリン体制では黙殺された。

 歴史・人類学者のレフ・グミリョフ(1912-1992)は、匈奴とフン族、モンゴル諸族の関連性を研究していたが、スターリン批判で収容所送りとなった。1970年前後、エトノス(≒民族)こそ世界史の最も基礎的な概念であり、民族集団への自己同一化は「極めて普遍的要素」と考えて「民族創成」の理論を唱えた(p206)。彼はペレストロイカの最中ではリベラル改革派の強敵となったが、台頭するナショナリストと共産党強硬派の味方とされた。ロシアのエリート層は、グミリョフの理論を「ナショナリズムと国際主義を総合したものと受け止めた」(p238)。

 アレクサンドル・ドゥーギンは1962年生。80年代半ば頃は、ユーリー・マムレーエフ(→wiki)を中心としたモスクワの地下サークル「ユジンスキー・サークル」に出入りし、ハンス・ジーヴァース(ナチのアーネンエルベ(→wiki)の事務長ヴォルフラム・ジーフェルスに由来)という名で、ギターをかき鳴らして『マルドロールの歌』風のオカルト歌曲を歌うようなスキゾ・キッドだった。

 ドゥーギンは1986年に、(後にKGBとの関係が取り沙汰された)ドミトリー・ヴァシーリエフと知り合い、短期間だったが、彼が率いるパーミチャ(後の民族愛国戦線)に所属した。

 グミリョフの「ユーラシア」概念が巷で人気を博していた80年代後半、ドゥーギンは1989年に、『先制の手法』と『福音の形而上学』という2冊の本を刊行した。
 『先制の手法』はルネ・ゲノン(→wiki)に影響を受けたユリウス・エヴォラ(1898-1974)の「伝統主義」理論をテーマにしたエッセイ集。ユリウス・エヴォラ(→wiki:Julius Evola)の名は日本ではなじみが薄いが、ヨーロッパでは新右翼の霊的マスターとして知られ、かのスティーブ・バノンも演説でエヴォラの言葉を引用している(*1)。
 『福音の形而上学』はロシア正教の文脈に沿ってゲノンとエヴォラの伝統主義を書き直したもの。ドゥーギンによれば、それらは思いがけず各10万部ずつ売れたという。
 この売り上げによって彼は、1990年~92年にかけて何度も西欧に旅行し、フランスのアラン・ド・ブノワ(→wiki: Alain de Benoist)ほか「極右」と呼ばれる思想家・活動家と交流し、カール・ハウスホッファー(→wiki)等の地政学やカール・シュミットや「極右」イデオロギーを吸収する。その後、ドゥーギンは……。

 これくらいにしておこうかな。

 現実なのであまりオモシロがっててはいけないが^^;、ドゥーギン以外にも、マムレーエフの親友でソ連軍部の広報担当アレクサンドル・プロハーノフ、エドワルド・リモノフ(→wiki)、クレムリンのスピンドクター、グレブ・パブロフスキー、元KGBの特殊部隊で非合法活動を手掛けていたピョートル・スースロフ、ゼロ年代後半以降のクレムリンの"黒幕"でドストエフスキーの稀覯本に目のないウラジスラフ・スルコフ(→wiki)などキャラの立った人物が続々と登場する。著者の軽妙洒脱な筆致によるところが大きいが、いずれも人文的教養に溢れる策謀家ばかりで、ロシアの現実政治はあたかも生きたポストモダン文学だ。

 ドゥーギンは90年代を通じてロシアにおける地政学の専門家に育ち、ゼロ年代にプーチン政権と深く関わることになる。ロシアがソ連崩壊によって失った中央アジア諸国を再び統制する、つまり失地回復をはかるために、マルクス主義に代わりうるバックボーンとして、ユーラシアニズムや地政学の「ランドパワー対シーパワー」の理論を要請したと言えるだろう。
 日本では80年代に倉前盛通の『悪の論理』が読まれたが、地政学は、アカデミーの世界では一部の例外を除き、ほとんど顧みられることがなかった。それは"異能の経産官僚"中野剛志が後述の書の冒頭で述べたように、「古めかしく、禍々しいニュアンス」を伴った言葉だった。しかし、奥山真司らがゼロ年代頃から地政学や戦略学に取り組んでおり、中東情勢の混乱や中国の台頭を背景に、ロバート・D・カプランの『地政学の逆襲』やエドワード・ルトワックの戦略学の本が話題に上ったのが2014年。2016年3月には佐藤優と山内昌之が『新・地政学』を出し、12月には中野剛志が地政経済学を提唱する『富国と強兵』を刊行して話題となり、今年に入って、数多くの『地政学』関連本が書店の棚を賑わせることとなった。

 ドゥーギンを日本に置き換えて妄想するなら、荒俣宏や中沢新一や倉前盛通に夢中になった「新人類世代」の文化的ヒーローが、スメラ学塾(→ブログ:原節子の死からスメラ學塾へ)の所産や地政学や古神道や『契丹古伝』を自己流に解釈し、中国の台頭に抗うために、ハンガリーやトルコ、中央アジアの国々、モンゴルで汎テュルク主義(→wiki)を掲げる人びとを焚きつけて「テュルク諸国―モンゴル―日本」枢軸を提唱し、防衛省や外務省で勉強会の講師として招かれるようになり、総理となった防衛省出身のカリスマ政治家の思想的メンターになる、みたいな話ではないか。

 1985年に平河出版から出た荒俣宏の『99万年の叡智~近代非理性的運動史を解く』では、ハウスホッファーやトゥーレ協会(→wiki)、霊的国防・霊的革命について語っているし、翌86年には長澤均の『倒錯の都市ベルリン 1918~1945』が出版されている。1992年には荒俣監訳でマイケル・フィッツジェラルドの『黒魔術の帝国』が刊行。70年代から80年代にかけて、ヨーロッパやロシアではナショナリズムとオカルトが入り混じったスピリチュアル保守/反理性主義めいた考え方が、ある程度の知的階層の間でも流行していたと推測できる。
 ドゥーギンはその申し子だ。
(※ジョスリン・ゴドウィンが『北極の神秘主義』で言うには、ナチスとオカルトの繋がりを[事実と想像を織り交ぜて]示した最初の本は、1960年にフランスで初版が出たルイ・ポーウェルとジャック・ベルジェの『魔術師の朝』。本書は1975年に日本で『神秘学大全』 というタイトルで訳書が出版された。ルネ・ゲノンの『世界の終末―現代世界の危機』と『世界の王』の訳書が日本で出たのは、1986年~87年。ちなみに、ゲノンはナチが採用する「アーリア主義」を1921年の時点で批判し、その危険性を警告していたという(by漆原健))

"ポストモダン右翼"を標榜した福田和也が真剣にオカルトや地政学に取り組んで、強力な右翼イデオローグになっていれば、とか、オウム真理教(こっちはオカルトは十分w但し薄っぺら)が日本やロシア、中央アジアの民族派と連携を深め、もっと戦略的にコトを進めていたら…などと無責任に90年代歴史改変ストーリーを想像してしまう。オウムは90年代前半のロシアに浸透して3万5千人もの信者を獲得したし(本書を読んでその理由がよくわかった)、ロシアから武器も調達していたし、自衛隊員の信者獲得に積極的だった(*2)。当時もロシアとの怪しい噂があれこれ飛び交っていたが、ドゥーギンは当時、ハウスホッファーに倣って英米大西洋連合に対するドイツ―ロシア―日本枢軸を構想していたというから、ひょっとしたらひょっとしたかも、だ。ドゥーギンのユーラシアニズムはオウムの教義と通じ合うところがありそうだが、オウムは日本の民族派や伝統主義者の支持を得ることができなかった。

 90年代の日本はバブルが弾け、阪神大震災が起こったが、中国や朝鮮半島は現在に比べるとまだ、右派にとって「脅威」と呼べる存在ではなかったので、ナショナリズムが先鋭化せずに済んだと言えるかもしれない。とはいえ、現在でも油断は禁物。日本の脆弱な民主主義の土壌では、容易にディープステイト(軍や治安機関が裏で支配する体制)に陥ってしまう危険性を秘めている。民主主義が脆弱なのは日本に限らないが、日本では過去、軍事政権(武家政権)が長期にわたって統治し、「武士道」という独特の美学/倫理を育成したという伝統をもっている。軽薄な民衆の集合知に依存する民主主義を特権化する必要はないと主張する者は後を絶たない。

 ゲンロン6では、ドゥーギンの文章が読めるらしい。

【追記 2017.9.16】
 佐藤優と魚住昭の対談本『ナショナリズムという迷宮』で、佐藤優が、オウム真理教に対するフョードロフ(→wiki:Nikolai Fyodorovich Fyodorov)の影響について語っていたのを発見。フョードロフはブラヴァツキー夫人と同時代の人。ちゃんと調べてないが、このあたりのオカルト/陰謀論は、英露間のグレートゲームと深い関わりがあるように思う。



 (*1)英wikiによると、ミルチャ・エリアーデ(→wiki)はエヴォラの親友の一人で、1930年代にルーマニアの反ユダヤ的極右組織・鉄衛団(→wiki)を支持していたとあるが、『エリアーデの回想』でチェックしたところ、彼は2回しかエヴォラに会ってないという。ただ、書き方からして当時からエヴォラとの関係が取りざたされていたことが暗示される。事実はどうなのだろう?

(*2)ドゥーギンと親しかったエヴゲニー・ニキフォロフが、当時のインテリゲンツィアの「創造的生活の遍歴」について言うには「まずヨガ、次はサンスクリット研究、それから新約聖書だ。当時はこれが定番だった。精神的に成熟できたのは、その後だ。誰一人、最初の手がかりなんかつかめはしない。KGBですら、空手は宗教だと信じ込んでいた」(p258)。  
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